人は昔から一人では生きることができない生き物です。拠り所となる集団に所属することで身を保ち、安心を得ることができます。それは集団が命を守ってくれるということを本能的に知っているからです。その場は家庭であり親です。無条件の愛情と言う保護があり、世界で最も安心できる場であり、安全基地なのです。
今の子どは、早ければ1歳前から、幼稚園や保育園に行かされる子もいます。そうした外の集団は、もともと自分の身を安全に守れる場ではありません。子どもなりに、無意識の中で目に見えない多くの脅威に対しての戦いをしています。意識をこえた心身全体をかけた戦いで、神経を使っています。具体的には脅威に対して自律神経系の反応による『逃走か闘争』によって対処しようとしています。それは身を守り生き続けるため本能的な自然の働きです。それはかなりのエネルギーを必要とします。学校や会社の中で安定を保つことに、意識、無意識を含めた人の持つ総合的な力が使われているのです。
うまく対処できると軌道に乗ったように、習慣の力(無意識的な力)で集団になじむ(適応する)ことができるようになります。しかし新たな脅威を感じること(いじめ、仲間はずしなど)が起きると、再び大きなエネルギーを使い、『逃走か闘争」かの選択の戦いが始まります。
引きこもりや不登校は、闘争にエネルギーを消耗させ、『逃走』という自分を守るための生き残るための行動であり選択の結果なのです。
では、その打開法はあるのでしょうか。
もちろんあります。人間は可変性に富み、変化成長する種子を心の奥底に持っているからです。その打開の道は、人間の感情と行動の関係、心のありよう全体を知ることから始まります。つまり自分の本来の姿を知ることで解決できるようになります。本来の自分には想像もできない力があり、行き詰まりはありません。その力を引き出すことができれば、どんな場や環境に対しても対処していく力や勇気や智慧が出てきます。
私の定義ですが、セルフとは意識する自我を含めた無意識に広がる自己のことです。換言すれば真実我とも本質我とも宇宙我とも表現できるものです。その自己(セルフ)を感じるとき、またはその自己にアクセスできるとき、癒し、勇気、智慧がふつふつと湧きあがり、あらゆる困難も乗り越えていくことができるようになります。人間の持つ潜在力は素晴らしいものがあるのです。