そもそも病は、心身がバランスを崩した状態、不秩序の状態なのです。本来の人間の生命は、宇宙や自然と同じように深い部分で調和され秩序だった存在であり、健康そのものなのです。人間生命を含めた大自然は絶妙なリズムを奏でた一個の生命体であり、ハーモーにを演じています。心の不調はそのリズムから外れ、不秩序、不調和な状態になっているに過ぎません。心の偏りや歪みを正し本然のリズムに合わせ調律してゆけば自然に治癒していきます。
例えば発熱などの体の不調を起こした時、通常は休息していれば、自然にもとに戻ります。人間が本然的に持つ自然治癒力の働きが起こるからです。逆に早く治そうと、薬を多用すれば治るものも治らず、長引くことがあります。軽症の場合は、人間の持つ本然の力を信じ、時の流れに身を任せるが一番なのです。
心の病の場合、多くは考え方、物事の見方、とらえ方、煩悩(欲望)…怒り、貪り、癡か、憎しみ、嫉妬、執着、囚われなどが心の不調和をもたらしています。現代社会は、経済優先社会であり、人々は欲望に踊らされ、目は外に外に向かい目先の欲にかられ、心を見ようとしていません。科学や医学がすべてよくしてくれるという盲信に陥っている人が少なくありません。そうしたあくなき欲望や富や社会的名声・地位へなど心の外にあるものに対する執着が心の病を産み出し、医学への盲信と依存が心の病を増劇(ぞうぎゃく)させていると言われています。
しかし、多くの人が信じている科学信仰が心の世界には通用しないのです。心の世界は科学の力が及ばない世界なのです。科学は物質を扱う分析知には優れていますが、物質を離れた心の世界には手の施しようがないといってよいでしょう。心の世界は分析知ではなく直観智しか解けないとはブッタ(仏教の開祖、釈尊のこと、生命の真実を悟ったとされている)の言葉です。
自らの心の状態を知り、その本因を知っていくことで、自分の心を調和した状態に戻すことができます。つまり自分を知る、自分の心を知る、生命を知ることが心の病からの回復の道になります。
しかし、これがとても難問です。この難問に比べたら、ハーバード大学や東大に合格することなど朝飯前と言えるでしょう。この難問に立ち向かってきたのが、ギリシア哲学などあまたの思想哲学であり、宗教(仏教やキリスト教、イスラム教など)でした。しかし、説けてはいないようです。私も学生時代から、心の世界、思想哲学・宗教を探究してきました。今思うには、この問いの解明に最も肉薄しているのは、ユング心理学であり、唯識思想(仏教心理学)であり、法華経(釈尊の生命の全体を説いた真実の教えとされている)だと思うようになりました。
日本が生んだ偉大な森田療法(あるがままに生きることを目標とした療法)は、仏教なかんずく禅を根拠にしています。禅は20世紀にはアメリカ心理学の世界で大流行しました。現代のマインドフルネス(今の瞬間に集中する心身の在り方)も禅の考え方を根本にしています。これもアメリカからの逆輸入なのです。アメリカ人が開発し、日本人が学び、日本に取り入れているのです。禅宗という宗教はもともと1000年前、日本で武士の間に広まった仏教の一派(ブッタの部分観の教えとされている)なのです。
不可思議な生命に対して敬虔な心をもち、生命に対する深い洞察力を持ち、心のありかたに精通している人であれば、心の調律の手助けができるかもしれません。あくまで手助けであり、調律の主体者は本人です。本人が演奏するのです。そのためには、自らの生命について学ぶことが最も大事になります。人は死ぬまで学ぶ存在であり、自らを高めていく生き物です。そこにこそ本当の人としての幸福がもたらされるとブッタは説いています。それが畜(動物)との違いなのです。人は学び続けることによって人になっていくのです。病はそれを教えてくれていると言われています。