今の日本人は日々人間性を低下させているように見えます。
生物種の一つである人と動物の違いはどこにあるのでしょうか。言葉や道具を使う、二本足歩行するなどという生物学観点の話ではありません。行動や他生物への影響性といった心の側面に視点を当てたお話です。
「あの人は獣もの以下だ」「彼は人を食い物にしている」「弱肉強食」「虎の威を借るキツネ」など、人の行為を動物に譬えた表現はたくさんあります。つまり人間も動物的側面をもった生物であり、動物と同じような行動をすることがあるということです。さらに知識があるだけに、動物以下の行動をすることもあります。このような生物は見かけは人面をもっていますが、およそ「人」とは言い難いと思います。
具体的にみてみましょう。地球上で最大の不幸は戦争です。その心は人間のもつ畜生性であり、本質は弱肉強食です。動物は自分よりも弱いものを生きるために食べます。食べられる動物は恐怖の中で苦しみを味わいながら死んでいきます。戦争も、食うか食われるかで、強い方が勝つまで続きます。その間、多くの人が殺され、地獄の世界が現出します。人々は不幸に泣きます。戦争の動機は、畜生性だけではありません。「自分が利を得たい」という利害心が大きな動機になっています。
「我田引水」という言葉は、もともとは水田に引く水の取り合いから始まりました。田んぼに水がなければ米は育ちません。死活問題です。ですから水を巡って争いが起きたのです。利害と弱肉強食がからんだ殺し合いまでしました。昔から自分の利のため、自分を守るために、人は人を殺しました。弱肉強食の動物の一種として…。
畜生は空腹感を満たすため、生き抜くために他を殺し食べたます。、満腹になれば、それ以上は食べません。人間は満腹になっても人を殺します。その殺し方も頭を使って残虐に、動物にない殺し方をします。地球上で最も恐ろしい生物なのです。
人が人になっていったのは、人しか持たない温かい心根でした。他人も自分と同じように喜怒哀楽をもった存在であると他人を思いやり、そうした感情に共感し他生物と共生する心から、人は動物を超えた心性を開花させました。そこには自分だけ利を得る、自分だけ栄えるという心はありません。等しく公平に利を分け与える心でした。恩を受けたら恩に報いるというの道理に生きるようになったのです。恩を知らない人を畜生以下というのはそうした意味なのです。
人とは徳を積んだ人間性の持ち主です。これを学ぶのが真の学問です。中国の偉大な思想家孔子は、生涯をかけてそれを探究しました。その中心思想の一つに「仁」(じん)があります。簡単にいえば他者を思いやる心です。人の痛みは自分の痛みであり、人の喜びは自分の喜びというように、人も自分と同じような大事な存在として接する心です。
現在はこうした心が少なくなり、自分だけという思いが先行し、どんどん人は自己中心性を強めています。自己中心性は他者とぶつかります。他者を攻撃します。他者を押しのけます。そして自分だけ栄えようとします。お互いがお互いのストレス源になっていることに気づいていません。その行きつく先は、人間社会の不調和です。不調和社会は、人間をいっそう不調和にしていきます。互いの発するストレスが心身の不調をもたらしているのです。それが心身の病の最大の原因です。
人の調和、社会の調和を説いたのが孔子の「仁・義・礼・知・信」です。まず「仁」を意識して生きてゆけば、人間性は向上し病も減少していくと思われます。
銀河の旅人