大人が学ばない国、世界一は日本ということを知っていますか。学び=知識の獲得は大学入試で終わってしまっている日本になっています。学びの本来の意味や目的が分かっていないのが日本人のようです。とても残念なことです。
人は死ぬまで学び自分を高めていく過程の中に心の充実、自己の実現、つまり絶対的な幸福郷にたどり着くことができます。これは生涯をかけて真実を探求し続けた覚者ブッタの悟りの一つです。
自らの心をコントロールするには、学び続けるという知の錬磨が必要です。欲望に負けない、自己制覇の闘いを絶えずしていくことが自らをコントロールする方法です。音楽、芸術、学問、スポーツ、教育、政治、経済界など、どの分野であれ、知識を磨き、心を鍛え続けること、そして自らをコントロールすること、自分の悪しき欲望に負けないことが、人生で幸福になれるかどうかの分岐になります。
まず重要なことは、マインドとは何かということです。この把握なしに、マインドコントロールはできません。マインド、つまり、心です。これがわからないと、根本解決は難しいでしょう。
心とは何か。これは今も謎多き存在でありますが、目には見えませんが確かにある働きです。この解明に最も接近したのは、東洋思想であり東洋哲学です。西洋思想・哲学では解けないと考えられるようになったからです。心理療法の世界でも、最先端のアメリカ精神医学会で認知行動療法の限界が見え始め、それを凌駕するものがマインドフルネスと言われています。これはブッタの教えのごく一部、仏教の禅を基にしています。
つまり東洋思想の根幹、仏教であり、ブッタの法です。
心を科学するには、老荘思想、孔子の思想、そしてブッタの哲学・思想を紐解くしかありまれせん。
人は甘い言葉、優しい言葉、とろけるような雰囲気、心地よさ、快感に酔う生きものです。動物(人)は本能的に心地よさを求めて生きています。心地よい快感なしに動物・人は生命を保つことはできません。もし食べる行為が、舌の器官がおいしいと感じず、まずく苦しみであるとしたら、動物・人は食べることを避け、死ぬことになります。また子孫を残す生殖行為も、苦を伴うものであれば、性行為はしないでしょう。そこに快感があるからこそ、人はその行為を求めます。それが生命の不思議な本来的にもった能力、つまり本能であり命の法則の一つなのです。
しかし心地よいものには、魔(命を奪う働き、仏教では奪命者と言う)が潜んでいます。「君子危うきに近寄らず」と、甘い誘惑を見抜いたのが孔子です。まず、甘いささやきの裏を見抜くことです。そして近寄らないことです。世間一般でも、「うまい話は詐欺」は本当です。それには、先を見通す「知の光」が必要です。知の力で行動を制止(コントロール)するのです。これができないのを愚痴(愚かな病んだ知)というです。
私の体験ですが、15歳の頃、同級生で麻薬を吸っていた人から、麻薬を誘われたことがありますが、そのとき、年上の人の「一度やったら、脳が破壊され、人生が終わる」という知識を思い出し、その場から逃げるように離れました。具体的には、これが知の行動制御の力です。無知は不幸行きになります。正しい知、正知をどれだけ身につけるかが大事になります。そのためにも先人、先輩、古人に学ぶ、書に触れ、正しい知識を得ることが大事なのです。
知識には正しい知識と悪知識があることを知らなければなりません。
悪知識は実に巧妙です。人間は甘い言葉に、どうしても脇があまくなり、たぶらかされてしまいます。この世にうまい話は絶対にありません。世間や人生や人間を知らない地方出身の若い女性が怖い歌舞伎町で毒グモの甘い心地よさの香りをもった密に絡まった話が最近マスコミで報道されました。
人の中に棲む魔は甘く、巧妙に演技し、あなたの歓心を誘い、喜ばせ、快感の絶頂を感じさせ夢心地のよさの中で徐々に蜘蛛の糸にはめてしまい身も心も奪っていくのです。後は蜘蛛の腋に溶かされ、少しずつ食べられ、命を奪われることになります。そして生き地獄に入ります。とても怖い話です。
これは詐欺などの甘い話だけではなく、専門家、権威ある人たちも巧妙に自らの私利私欲を心にしまい、無知な学ばない人をだまし自分だけ利益を貪るため愚かな人たちの心の隙間に這い込み利用します。善人を装い巧妙です。
常に学び、正しい知識を身につけ、善悪を見わけ、意識を磨くことが、正しいマインドをコントロールにつながっていきます。
銀河の旅人