質問
私は22歳の成人で、最近オートバイの免許をとりました。
もともと乗り物が好きで、ツーリングで後ろに乗ったこともあり、どうしてもオートバイに乗りたいと思い、自分でアルバイトで稼いだお金で教習所に通い、無事免許を取得しました。
しかし自分が女性で小柄なこともあり、母親からは、「私(質問者)には似合わない」などといい、オートバイに乗ることに反対しています。
危険だとしても、それは自分次第ですし、自転車でも歩行でも事故にあうことはありますし、世の中に完全に安全なものはないと思っています。
母親は普通車オートマチック限定のみ免許を持っていますが、ペーパーで、乗り物自体好きではない人で、安全面などを伝えても好きだと言っても分からないと思います。
母親を何がなんでも説得するべきなのか、
自分の人生だと思って割りきる方がよいのか、迷っています。
いずれにせよ、オートバイは買うなら自分の貯めたお金です。
回答
臨床心理シランの室です。
親は大人の目では、普通なら若い女の子のバイクの危険性を心配して反対するでしょう。それに対して、あなたの言い分…バイク同様に車も歩行も事故に遭うときは遭うし危険性は同じだと…。
子の心と親の心がすれ違っています。少なくとも、あなたはそのように感じているということです。
親というより大人の目と、子どもの目の違い。大人が生きている現実社会と子どもが生きている世界は大きく異なります。人生の先輩であり、親ならば、子ども時代を生きてきたのであれば、子どもを理解して当たり前と思うでしょうが、現実は違います。
「子の心親知らず」であり、「親の心子知らず」が普通と言ってよいでしょう。当然価値観は異なってきます。
あなたは人生や社会に対して、生きたいように生きたいし、やりたいことはやりたい。夢もあり、好奇心も強い。何でもできることはやりたい。純粋であり、一途であり、理想的です。反面、単眼思考で一面的であり、現実社会を知らない危うさも持っています。それゆえ、失敗する可能性も大きいという欠点もあります。
しかし、親は大人社会で生きており、現実の中で生きているが故に、理想よりも事実を重視して生きています。反面、現実を知るがゆえに、純粋な心は失われがちになり、現実に妥協したり迎合したりして生きるという術を身に付けています。そうしなければ、社会で生きていけないからです。
「タレントになりたい」「漫画家になりたい」「医者になりたい」などといった夢や理想は、高校、大学、社会人になるにつれ、社会の現実を知るにつれ、夢は修正され、いつしか平凡な仕事に就くと言うのがほとんどの人の人生になっています。
現実社会で長く生きれば生きるほど、世間に染まり、夢は夢であり、現実は現実ということを、いや応なしに知らされます。いわゆる平凡になり、現実社会に妥協するようになり、あたり障りがなく生きるようになります。危険は避けるようになります。
冒険心もなくなり、好奇心も薄れ、無難を選ぶ生き方になります。しかし、現実を知り、社会で生きる術は、若者のあなたよりはるかに長けています。
親の意見を聞き、考えを尊重する姿勢は大事だと思います。しかし、相容れない時は、自らの道を自自己責任のもとで選び、貫くことも大事でしょう。自分の行為に責任を担うということが大人の証だからです。
自分で自分の人生の責任が持てるのなら、自分の選択した道を進むとよいと思います。悔いを残さないためにも…。
私も若い頃、自己責任で自分の道を進みました。結果、紆余曲折し苦難の道を歩みましたが、責任は自分で負いました。(HP記載「失敗もいいものだよ」ノンフイックション小説に詳細記載)