すべての生あるものは、生まれた時から死に向かって行進している。人間も例外ではなく、死に向か
って瞬間瞬間、進む。生あるものの最終ゴールは死である。 ハイディガー、哲学者より
スティーブジョブ氏 最後の言葉
一代で巨万の富を築き世界的名声を得た、アップル創業者のスティーブジョブ氏は、すい臓がんのため55歳でこの世を去りました。死の直前、病床で語ったこと…「富や名声は死に際して何の役にも立たない。いのちが大事だ、私の病気と替わってくれる人は、だれもいない。私は、まだ大事な書をまだ読んでいない。それは、健康に生きるための本だ」…。私たちは自分の死と向き合ったとき、はじめて自らのいのちの有り難さに気づくのかもしれません。
生命は 瞬間瞬間 意識できない世界で 動き 変化している
私たちのいのちは、五感覚(目、耳、舌、鼻、身)器官が反応しながら、瞬間瞬間流れています。あるときは何気なく、あるときは意識をもって…。私たちは今の自分が感じている世界が、自分のすべてと思っています。しかし、今の瞬間の心身は 常に一定のところにとどまることなく 流れ続けて(注1)ていますが、私たちは、それを意識できません。ほんの一例ですが、血液は常に、体中を流れ、酸素と栄養を全細胞に届けています(滞れば、細胞が死滅し、私たちは死にます)が、私たちはそれを意識できません。私たちが、自分がいつ死ぬのかを、意識できないのは、生の営みが無意識活動中心に行われているからです。
注1 仏教では、こうしたいのちの流れを2600年前に、既に解明していました。それを諸行無常・諸法無我という言葉で表現しています。万物、存在するものは常に変化し、縁起で生起し、やがて滅していく、顕在と潜在のかたちを織りし、一定の自分はないと説きます。また潜在状態の存在を「空、くう」ととらえます。今の最先端の量子力学が、遅らせながらそれを証明つつあると言われています。
意識できる世界は1% 99%は意識できない世界で 人は生きている
瞑想(注2)を実践し、自分の身体や心を一心に観察し、想像力を磨いていくと、私たちが意識できている世界は1%以下ということに辿りつきます。99%以上は意識できないところで心身は活動しています。私たちは無意識的活動を意識できないため、その活動に気づくことができません。ですから、その働きの、あり難さを感じることもありません。正しい知識に基づいた想像力によって、はじめて真実の把握ができ、心身の働きの偉大さに気づくようになります。瞑想の素晴らしさはそこにあります。
「想像力は知識より大事である 知識には限界があるが 想像力は無限である」 アインシュタイン
注2 瞑想…もともとは、仏教の禅波羅蜜(せんはらみつと読む。禅によって最高の不動の境地に至る)という修業から生まれたもの。心を一所に定めて、心を観じること。感覚に反応せず、自らの深層を観察すること。心身は動いているので、つかまえることはできません。その動いている心身になりきるには、心身そのものになるしかありません。それを直観、インスピレーションなどと表現する人もいますが、ブッタ(一応は釈尊を指す言葉、真意は覚者)は「悟り」と表現しています。それは心が浄化された人しかできないとされています。私たち凡人は、五感覚のもたらす欲望で心が濁っています。ですから、心の動きを、言葉やイメージでいったん止めて、真実に迫っていく方法をとります。その言葉は悟った人の真実を表現したものでなければ、真実に到達することはできません。言語道断(言葉で表現できない真理の世界)という世界に入るには、凡人は先哲・覚者の言葉を信じて、そこに入るしかないのです。そうしないと、心の浄化も進まず、迷いから迷いの世界に入り込み、部分の知を悟りと錯覚し、真理に至ることができなくなります。
我思う、故に我あり‥意識こそが 生の証拠との考え方
16世紀の有名な懐疑哲学者デカルトは、すべてを疑うが、疑っている自分の存在を真理と認め「我思う、故に我あり」との名言を残し、近代合理主義哲学を開いとされています。
つまり、私たちが今、感じている意識こそすべてという哲学です。意識できない世界は闇に閉ざされることになりました。合理主義のもと産業革命が進み、物質科学は日の出の勢いのごとく発展を遂げ、量子力学、原子爆弾、光の研究は精緻さを増し、やがて月にロケットが着陸するという、ウサギの餅つきつき神話もあっけなく崩されることになりました。
科学万能主義が 新しい病を次々に産み続ける
やがて科学万能主義の時代が到来し、人間は神をも恐れない存在となり、科学を崇拝する科学信仰、物質・お金信仰を招きました。科学や可視化できる世界がすべてであり、科学が何でも解決してくれると…。
しかし置き去りにされてきた、意識できない世界である心については、ほぼ16世紀のままと言ってよいでしょう。深層心理学のフロイトやユング(注3)がその闇にかすかな光をともしましたが、科学性に乏しいとされ看過されています。
注3 フロイト、ユング …19世紀の心理学の先駆的役割を果たした人たち。フロイトは、催眠や夢という現象から無意識層を仮説し、神経症やトラウマを治療したとされています。ユングは一時フロイトに師事していましたが、無意識層の理解が異なり、ユング自らの深層心理体験を基にして、個人無意識、集合無意識を仮説、曼荼羅なども図顕しています。無意識層の展開は、既に仏教の唯識思想によると2000年前に、第七識無意識世界としてマナ識、第八識無意識世界としてアラヤ識が説かれていますが、両者の見解と深遠さは根本から異なっているとされています。
心の病は 精神病薬で 根治できないのは あたりまえ
しかし、20世紀の終わりから、心の病は不増えていきます。そして21世紀に入るとさらに増加し、さまざま身体の病気に加え、心の病も多様化しています。現代の精神医学は、精神より物質、脳の働きに注目し、薬学で対応しています。つまり精神医学も物質医学になりつつあるため、心の病の根治(注4)が出来なくなりつつあります。精神、心は脳を介在して顕在しますが、脳そのものの働きが心ではないからです。今、量子力学など先端の物理学が、物質と意識の関係を模索していますが、確かなことは未だ分かっていません。
注4 「心の病の根治」日本が生んだ精神療法家、森田正馬は精神科医でしたが、「神経症の根治法」という書の中で、神経症は薬で治らないと現場治療の現実から悟り、森田療法を考案しました。そして強迫観念、パニック障害、不安症、各種恐怖症等を独自の精神療法で、90%以上根治したとされ、全国から患者が殺到したと言われています。
今 生きている、それは 記憶された過去の シナプス現象
ところで私たちが生きているのは、意識できる部分、意識できない部分の働きを合わせたもの全体が私たちの心身の活動の事実です。五つの感覚(眼・耳・舌・鼻・身)で刺激情報を感受し、それを意識が快・不快などの感情として受け取り、感情と言語・イメージとして記憶していきます。こうして無意識層に記憶されたものが自動的に次の活動時に生起し反応します。
今、生きていることはこれまでの人生で習得した記憶が意識化されて生きていることなのです。つまり、心身全体の過去の記憶が自動的に再生されたもので生きています。記憶を失う疾患の一つ、認知症の例を考えれば、生きる活動が記憶に支えられていことが理解できます。私たちが感覚し意識できるのは、体を動かす運動神経と感覚神経の一部ぐらいで、実際に働いているものの1%以下にすぎません。
身体の働き それが神
少しだけ例を挙げてみます。呼吸で吸った酸素は鼻腔を通過し気管支を通り、肺にある約4億個ある肺胞に入ります。その肺胞一つ一つは、それぞれ湿度100%を保っています。4億の肺胞の周囲にめぐらされている毛細静脈と毛細動脈でガス交換を行います。そして心臓を経て全身の細胞を巡り酸素を配り、二酸化炭素を持ち帰ります。心臓の一回の鼓動で約70mlの血液が送り出され、約30秒で全身を巡り、心臓に戻ってきます。こうして、酸素と栄養は全細胞に配られ、私たちは生を保っています。止まれば死にます。こうした呼吸の活動は全く意識されません。
また食べたものを私たちは口で咀嚼(そしゃく)します。舌には数千個の「味らい」が五味(うま味、甘み、塩味など)を感じます。味らいが正常に働かなければ、食べ物を食べても私たちは、おいしいと感じなくなります。さらに気管と食道の入口の弁(魔の弁と言われている)の操作で、誤飲することなく食道に至ります。そして、食道のぜん動運動によって、胃に送り届けられます。胃には食べ物を腐らないようにするため、胃酸を出し37度の温度で数時間保存しながら消化しやすいように砕きます。また空腹感を防ぐため数時間は保存します。そして、砕いたものを十二指腸におくります。
十二指腸で本格的な消化活動が開始されます。膵液から消化酵素が出され、消化活動が順調にできるように働きます。その後、6メートル-ほどの小腸で、24時間から48時間かけて消化・吸収されます。その働きを担っているのが腸壁の粘膜です。その粘膜を広げると、テニスコート一面ほど広さになります。こうしてエネルギーになったものが各細胞に血液によって運ばれ、細胞は生を保っています。体のごく一部の活動ですが、こうした活動は、私たちは意識できません。一体どこで、だれが指令を出しているのでしょうか。アインシュタインは、神が存在するとすれば、このような働きを神と呼びたいと言い、汎神論(注5)を信じていました。
注5 汎神論 スピノザが提唱した。簡単に言えば、神とは万物の創造者ではなく、万物そのものがもともと神の働きをしているという説。全ての存在が神であるという考え。釈尊が捉えた仏性と似た概念。
細胞は 瞬間瞬間、細菌やウィルスと闘い 生命を守っている
体の中で毎日新しいがん細胞が成人の場合で約3000個生れているという事実があります。私たちはボーとしていますが、体の内部で白血球が熾烈な戦いをし、マクロファージという細胞が、がん細胞を食べたり、攻撃したりして、がん細胞を駆逐しています。そんな活動に対して私たちは、全く意識することもできません。
風邪を引き発熱し、のどが腫れた時など、白血球が菌やウィルスと戦い、そこは戦場となり炎症を起こします。また赤くはれたり、発熱したりするのは激しい戦いの跡だからです。
このように私たちの身体は、意識できない世界で、涙ぐましい戦いを至るところで展開しています。私たちが意識して指示しているわけではありません。体の各部分が、体を守るために、本来的使命に生きているのです。生きぬくための熾烈な戦いをしています。仮にウィルスに負けてしまうと、体は死ぬからです。破傷風などの菌に負けると、やはり命を保つことはできません。
弱肉強食が生物界の生体の秩序の一つのルールです。人の体の内部も白血球が負ければ強いウィルスが勝ち、体を支配し、人は死にます。身体自体が壮絶な破壊と創造を織りなしているのが生の現実です。
動きを止めれば 生あるものは 死んでしまう
人は動きを止めればやがて弱り、死滅していくしかないのです。体の内部の戦いのように動き、前進するしかありません。宇宙や自然は常に変化し流動しています。人間も宇宙の一部であり、変化に合わせなければ生き残ることができないのが自然の道理なのです。
地球は生きている それを神通の力(注5)という
地球は生きています。私たち生物と同じように…。地球は地球自らのものであり、自分の役割を誠実に果たしながら 自分の使命を果たしています。
地上の大気中には、私たちの生命活動の根本である呼吸に必要な酸素がほどよく存在しています。また各惑星、月、太陽との絶妙なバランスと、ほどよい距離感と大きさによって重力や引力が均衡し、今の領域を正確に保つため一日で一回転し、太陽の周りを高速度で一年をかけて一周します。だれの指示でもなく、自らの本然の力で回っています。
そうした神秘的な智慧のおかげで、私たちは宇宙に浮遊せず、大地に足をつけ、太陽光の強烈な紫外線にさらされることもなく、適度な水と温度、湿度の恩恵に浴し、生きていくことが出来ています。
生きとして生けるものすべてが、生まれ、そして自分の役割を演じ、生を終えていきます。地球も生物も人も同じ生命体です。これを生命現象の「生住異滅」といいます。
注5 神通力 生命が発する不思議な力。鳥が空を飛ぶのも神通力。動物が鳴くのも神通力。人間が言葉を話すのも神通力。地球が自転し公転しているのも神通力。すべて思議できない不思議な力に支えられている。
地球は 慈悲と智慧の体現者
地球の活動は慈悲を根本にした智慧の律動に支えられています。慈悲とは苦しみを抜き楽しみを与える働きです。地球上のあらゆる生物の苦しみを和らげ、楽しみを与えゆく慈悲の実行者にして慂出する力それが智慧です。あらゆる生物は、地球の恩恵に浴し、慈悲と神秘な智慧に守られながら生きることが出来ているのです。
地球上には大気圏が地上から、約10万キロmまであり、宇宙空間からくる電磁波などから守られています。地上の生物や動物や人が生きていけるのは、酸素が存在し、海があり、人間の血管のように河川があり、血液が流れるように水が流れているからです。
地球の自公転や水が生物の生を支えています。私たちは、普段当たり前のこととして、それらの恩恵を享受していますが、けっして当たり前のことではなく、奇跡なのです。
地球の有り難さの一部を感じるのは、地震や気温の急激な上昇や線状降水帯発生などの時ぐらいでしょうか。そんなときも、地球そのものについて深く考えることはせず、自分たちが生き延びることしか考えていません。どこまでも自己中心的な欲望に生きているのが人間です。
地球の兄弟星、火星や月には酸素がほとんどありません。金星は温室効果ガスの影響て表面温度が460度の灼熱の惑星です。美しい輪を持つ土星の輪は、氷の粒と岩石の集まりでありガスの惑星です。太陽系では地球だけが生物が住める不思議な惑星です。
太陽からの距離が絶妙な位置にあるため、地球上では生物が生きていけます。太陽が光を程よく調和するかのように、可視光線、赤外線、紫外線などを届けてくれています…。太陽の光のおかげで、暗闇の宇宙に光が灯され、私たちはものを見ることが出来ます。絶妙な気圧のおかげで振動をキャッチし音や声を聞くことが出来ています。私たち生物は、とても不思議な働きに守られています。
地球を 無断拝借している 人間
地上の生物は、無料で地球に棲んでいます。人間は、地上のあらゆるものを勝手に使い、加工し破壊しています。地球全体の働きを考えず、自分の利益になる部分を切り刻み、自分たちの生を保とうとしています。他の生物に比べ知能が発達しているため、自己中心的欲望にまかせ、他の生物の生態系を壊し、母船である地球そのものを壊しつつあります。このままの愚行が進めば、生物は少しずつ絶滅し、人類も滅びてゆくことになります。今しか考えない、救いようのない愚かさが、拍車をかけています。
地球を壊しているのは 人間だけ
森林伐採と砂漠化、工場が出す煤煙と汚染水で海や川が汚れ、多くの生物が死滅しています。二酸化炭素の排出と気候の温暖化、食用のために動植物の殺、養殖。鳥瞰的客観的な目で見れば、人間のしていることの恐ろしさに唖然とするのではないでしょうか。
地球が生命ある存在ということを知らないようです。地球は傷つき、血を流しているのが見えないのでしょうか。科学が進歩し、物理天文学、量子力学も日進月歩しています。スマホ一つで、用が足せる便利社会になり、子どもから大人まで、楽しさやおもしろさに溢れる視覚快適感覚に脳が麻痺し思考する苦労をしなくなり、自己中心的に快楽を追い求め、生物や地球環境のことを思いやることを忘れています。
何のための科学の進歩なのでしょうか。見えるものしか追いかけず、大事な心を見ようとしない人間の生命の濁りが社会や時代の濁りを生み、あらゆる心身の病気を招き、応急対処的な症状除去の医療に身をまかせ、根本を見ることをせず、人類や生物を破滅に導いているのです。
気候変動、地震や自然災害、地球はSOSを出しています。しかし、そのサインをだれも読み取ろうとしていません。真の科学者はいますが、多くの自己保身者や自己中心者に消されているかのようです。
地球上の生物の90%は植物です。地球の主人公は植物ともいえます。地球は植物の惑星です。
残りの10%が動物・昆虫・微生物などです。動物の中でも人はごく微小で、人一人に対して、ありは一万五千匹の比率です。地球の動物の主役は昆虫です。
生物、特に動物は弱肉強食の本能の法則で生きています。最も限度を知らない自分勝手な動物が人です。少しばかり、脳が発達し、道具を開発し、言葉を持ち、記憶化した知識で、地球を支配するかのような錯覚に生きています。その錯覚がやがて地球を荒廃させ、生物が住めない惑星にしてしまうでしょう。
誰のものでもない地球、地球は地球自らのものです。「ここの土地は自分のものだ」と言い張り、人を平気で押しのけ殺す人たち…その極致が戦争です。戦争は自己中心性のもつ人間魔性の仕業です。
宇宙に浮かぶ地球を想像することができれば、地上の生物や人はみな地球号に乗った運命共同体と自覚できます。無知な自己中心的な政治家や権力者や富豪たちが、やがて地球を破滅させてゆくでしょう。
恩を感じ 恩に報いる心は 美しい
未来の地球に生きる人たち、今の子どもたち、他の生物、動物を思うと人間の愚かさと貪欲、そして傲慢さに怒りがこみあげてきます。地球の恩恵をありのままに感じる純な心をもつことこそ、人としての正しい道であり 幸福になる道なのです。