相談室(ブログ)

 喜びも宝もすべて自分の心の中にあります。それを開くマインドフルネス調和法

2024.05.21

人は苦しみの底までいくと、浮上していきます。そして、つかの間の楽境に至ります 苦しみは長く、楽しみは短い、それが生きることの真実の姿です。

苦も楽も大海の波のようなものです。生じては消え、消えては生れます。波を生じさせる海そのものになれば苦も海の一部であり、楽も海の一部と自覚できます。苦楽は一体なのです。ただ海の別表現に過ぎません。苦も楽も仮の姿なのです。そのような自覚をもたらすものがマインドフルネス調和法です。

マインドフルネスの淵源をたどっていくと釈尊の瞑想にたどり着きます。釈尊は瞑想で何を覚知されたのでしょうか。

釈尊自らの瞬間の生命の中に、宇宙、自然、一切の生命を貫く不可思議な法・ダルマを研ぎ澄まされた思惟力と一念集中で直観されました。

「想像力は知識より大事である。知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」

アインシュタイン博士の発見を貫いた内的世界を語る名言です。現象や出来事を想像力でつなぎ、想像で広がった世界を思考で精緻化し、組み合わせ、相対性理論を完成させました。既成の知識だけでは到達できない世界を可能にさせたのは集中力で研ぎ澄まされた思惟力・想像力だったのです。それが閃き・発見を産んだのです。完全な知識に裏打ちされた思考、それを内包した想像力こそ創造の源泉です。

それらの思考法と想像力をもとにしたものが、マインドフルネス調和法です。心に感じる苦しみは、もともと楽しみをもたらす生命の働きを根源にしています。同じ根底から湧き出た苦しみという一表現であり、また楽しみという別表現なのです。根源の生命に還れば苦しみは、楽しみに変ります。厳密に言えば、苦もなく楽もない世界、苦楽を産み出す純粋世界です。釈尊の覚知・叡智の光はそこまで届いていたと思われます。その悟りの働きを弟子たちはブッタ・覚者・仏と言葉で表現しました。

釈尊はあらゆる病を治した医王と言われています。釈尊に会った人たちが病を治せたのはなぜでしょうか。苦からどのように解放されたのでしょうか。それは釈尊が森羅万象を貫く生命現象と、その目に見えない働き・性質を貫く法を覚知され鏡に映すように、病者の生命を明らかに見たからです。

あたかも太陽が昇れば、その光で地上の闇がなくなり一切が照らし出されるようなものでした。

物質科学の物理・天文、量子力学等は、あくまで物質を貫く法則の覚知です。全ての存在物は、光であり、電気であり、波であり、粒子であると覚知されたニコラ・テスラ博士も、可視化できず分析できない心的(神のような働き)に対しては、あまり語っていません。

釈尊は自分という存在(人のかたちをした肉体と思考したり感覚したり心を持つ不思議な存在)を通して、壮絶な禅定・三昧(瞑想)を繰り返され、分析知の及ばない心の働きを言葉を超え、ありのままの世界の働きそのものになりきったのです。(比ゆ的に言えば、波長と振動、周波数の重ね合いのようなものが起きたといえます)

ニコラ・テスラ博士やアインシュタイン博士や偉大な科学者たちが、かいま見た宇宙の諸現象を現象たらしめている見えないが確かに存在する不思議な法。その全体を直観智されたといわれる釈尊の世界…生命と生命が共振・共鳴・合奏したかのような世界に周波数をあわせることで、あらゆる生物や人も安穏安心、喜びのリズムを奏でます。その接近法がマインドフルネス調和法です。