相談室(ブログ)

苦しみの人生を、楽しく生きる方法はありますか? 20代男性

2024.08.16

回答

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
江戸幕府を開いた徳川家康の言葉です。今川家の人質として青少年期を不自由に過ごし、長じては、気性の激しい信長に忍耐づくめで仕え、さらに秀吉の顔色を窺い、自分の思いを心に沈め、重荷を背負って生き続けました。天下を支配し統一した家康ですが、果たして彼は幸福だったのでしょうか?

生きるとは苦しみなのでしょうか。仏教に『四苦八苦…生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみを四苦という。さらに求めても得られない苦しみ、嫌いな人と会い接しなければならない苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、自分の性格・気性がもたらす苦しみを合わせて八苦」という言葉があります。人生の大半が苦なら、生きる意味はあるのでしょうか。

反面、人生とは、生きる意味を生涯をかけて探す道のりとも言えます。それは苦を楽に転換する生き方の探求でもあります。昔の聖者や賢人はそのように人生を生き抜いた人たちです。

生きている今の瞬間の生命は絶えず変化し止まっていません。瞬間の一念には苦もなく楽もなく、過去も未来もありません。あるのは今の瞬間だけです。それは純粋な経験であり、苦楽を超えており、善悪で評価できないものです。それを苦と感じるのは五感覚で感じた意識です。過去の記憶化された潜在意識が意識を染色した結果なのです。本来の瞬間の一念は純粋経験であり、清く澄んでいます。

古来より生命錬磨の修行をされた先人たちは、人間の欲望こそが苦の原因だと究明しました。その三大欲…貪り(利へのあくなき執着)、癡・おろか(後先考えず、目先の欲に走る本能的な心)、瞋り・いかり(思い通りにならないことがらを攻撃し憎む心)を三毒としました。

毒は苦しみをもたらし、不幸にさせます。この三毒に加え、四つ目を慢としました。自分は優れていると慢ずる心、傲慢な心、現代的な言葉を借りれば「マウントする心」です。これも不幸の原因になります。これら四つを悪趣といい、悪への行為につながるものとし、自戒、抑制の道を求めたのです。

心を浄化させれば楽が得られると考え、苦行に徹しました。何日も断食したり、寒い中で水行したり、火の中に飛び込んだり、針の山のようなところを裸足で歩いたり、不眠の修業したり、異性を遠ざけたりして自らの欲望を断じようとしました。

全て苦からの解放の道を求めてのことであり、苦をもたらす欲望を克服した後に真の楽があると信じた行為でした。ブッタ(釈尊=釈迦)もその修行を一時期されたと言われています。

人の意識や感覚や行動のコントロールは難しいことなのです。人間が生きている、換言すれば、欲望に従って生きていると言えます。その欲望が苦にもなり、楽にもなります。つまり、苦楽は一念の裏と表の関係であり、どちらが出ているかで、その人の人生が彩られます。

聖者は苦即楽(苦はそのまま楽になる)、楽即苦と悟っりました。しかし、凡者は苦は苦と思い、苦を遠ざけようとして、楽ばかり追い求め、結果として苦しみの人生を生きています。ことわざに、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありとあるります。人生の真実を穿った言葉だと思います。

楽を意識して強く一念を定て生きれば、一念は楽に染まります。そのように色付けするのは、今の意識であり一念なのです。意識を磨けば、どの瞬間も楽となり、楽しんでいけます。これが真の楽観主義です。ブッタ(生命を悟った人)の覚知でした。

そこには磨き抜かれた意識が求められます。一念が研ぎ澄まされ、清らかになれば、その純粋な一念に宇宙の慈悲の波が共鳴し、私たちの一念に慈悲が脈打ち、生きていることが楽しくなります。我が一念が宇宙の慈悲の一念と重なり共鳴する時、歓喜の周波数に包まれます。それが最高の楽であり、聖者・賢人が求めた世界なのです。
そのためは、意識を純化させ、正しく感覚・感情を磨き、行動を正しくし、正しい思想を作りあげることが必要になります。それが聖者たちの修業でした。

「生きている。ありがたい」と自分の心身の働きに素直に感謝できる心、地球や自然や太陽の恩恵に感謝できる心、一切の生き物、身近な人たちに心から感謝し恩恵に報いようとする澄んだ心に、喜びがわき起こってきます。それが宇宙の慈悲の周波数に人が心を合わせる一つの方法だからです。宇宙の働きは本来慈悲の周波数なのです。

しかし、人々は世の中の快適を誘うものに対して、過剰に反応し、とらわれ、心身を偏らせ、バランスを失い、少しずつ生命を濁らせ、ぎこちない周波数を出し、自然のその周波数と重なり苦海に入ります。

その人たちは、自然や社会の恩恵を当然、当たり前と思い、自らの驕りに気づいていません。結果として欲望に翻弄されている自分を見つめない浅い思想に生きることになります。思想は日々生きることを支えている無意識から自動的に起きる言葉であり、感情を伴っています。人生はどんな思想に生きるかで、幸福不幸も決まるとブッタは看破しました。

本当の幸福は澄んだ清らかな心田に種を下ろし、発芽し実ってゆくようなものです。真の幸福は清らかな澄んだ生命、欲や障壁に負けない強い心に宿ります。それを目指しているのが当室のマインドフルネス心身調和法であり、深い思想哲学に根差したものです。一緒に学んでみませんか。