相談室(ブログ)

私をいじめている人の絵(死体)を描くことについて、どう思いますか(高校生)

2021.02.22

質問
私は高校生です。クラスでいじめられている子が居て、その子は毎日とても辛そうでした。でも、私は例えどんな人でも簡単に傷つけたらいけないと思います。だから、その子の味方になろうと思いました。今、クラスの中で私とその子は皆から悪口を言われたり、馬鹿にされたりしています。勉強を真面目に頑張っても、やさしい気持ちで誰かに接しても、いつも私達の事を傷付けようとする人がいます。でも、私は絶対に間違ってないはずです。

だけど、先生に相談しても上手くいかなくて、散々後ろ指を刺されて、どうしても我慢出来なくなった時がありました。私は元々、絵を描くのが好きだったのですが、その時はじめて死体の絵を描きました。

私はどんなに傷つけられても、けしてその人たちの事を陰で貶したりせず、良い所も少なからずあると信じていました。でも、怒りの気持ちが我慢できなくて、クラスメイトの何人かの絵を描きました。

私はこれが悪い事なんじゃないかと悩んでいます。酷いことをしてしまったかもしれないという気持ちと、絶対にこれからも人を傷つけたりしないから、この絵を描く事だけは許して欲しいという気持ちがぶつかります。
死体の絵を描くのはやめた方がいいですか?また、こんな事をしていては優しい人間とは言えませんか。

回答
あなたの葛藤、本当に辛いと思います。
いじめられている同級生に寄り添い、味方になり、二人でいじめと戦っていることは、
あなたが言うように絶対に間違っていないし、正しいことだと思います。また、あなたの優しさの表れだと思います。
先生に相談したが、「うまくいかない」、いじめ解決の難しさをみる思いがします。だからといって、いじめという悪に対して、泣き寝入りをすべきではないというのは同感です。

いじめをしている人に対する怒りを相手に向けるか、自分に向けるか…。あなたは、相手に向けるべき怒りを間接的に絵で表現しました。絵の中で、相手を徹底的に攻撃し痛めつける…「死体の絵」という表現方法で。

人間の相手に対する表現は、実際の行動(殴る、無視するなど、目や体でわかる)つまり「身(しん)」、言葉(傷つける言葉を相手にぶつけるつまり「口(く)」)、それと心の中で思うこと「意(い)」の三つがあります。あなたの絵の表現は、「心の思い」(意)であり、実際には相手には伝わっていないかもしれませんが、あなたの心の中の動きは、『意』で相手を傷つけています。つまり実際に相手を傷つけていなくとも、そのような絵を描くことで、あなたの善性は傷ついていきます。そして意識の下に沈められていくでしょう…悪の行いとして。

善とは、「人の命を活かしたり、育んだり、幸福をもたらす」身・口・意に対して、悪は「人の命を傷つけ、委縮させ、不幸にする」身・口・意になります。

善を人に向ければ、自分の善が育まれます。逆に、悪を人に向ければ、そのまま自分の心の悪が蓄積されます。まさに鏡の原理です。全部、自分に還ってきます。今、いじめをしている人たちは、悪の行為を重ね、それは彼らの無意識層の貯蔵庫に貯められ、やがて、本人たちを苦しめることになるでしょう。悲しいかな、すぐに結果がでないだけに、人間は悪を重ねてしまうものです。人間の心の因果に対する無知のなせる業であり、心の妙法が見えないからできることです。

せっかく、絵を描くのであれば、表現の仕方を変えて、世の中に発信してみたらどうでしょうか。例えば、「〇〇高校でのいじめのイメージを絵に描いてみました」と、いじめている人といじめられている人、周りの傍観者や先生などを取り入れた絵を描いて、SNSやユーチューブなどに発信し、世の善なる人たちに訴えてみるのです。「怒り」を「公憤」に変え、同じようなことで苦しんでいる人たちを助けていくのです。

あなたの絵の能力がそのように活かされていけば、最高の善なる行いになると思いますが、どうでしょうか。