相談室(ブログ)

不快なこと、嫌なことに耐えられない子どもや大人が増えてきている

2022.11.11

 科学の進歩は暮らしに快適な環境をもたらしてきました。60年前は、ほとんどの家に電話はなく、連絡は実際に相手に会って話をするか、もしくは、手紙を書くかしていました。手紙の場合は、遠いところでは2、3日かかったものです。特に文通などは、その間、いろいろな気持ちが湧き上がったり、想像したり、待ち遠しい期間でもあり、気持ちを抑制したり耐えたりする時でもあったのです。手紙は、ある意味一方通行の要素があるため、相手のことを想像したり思いやったりなど優しさが醸成されるものでした。

 行楽地に出かける場合は、公共交通機関を調べ、時間をかけ、何度も乗り継いだりして、目的地にたどりついたものでした。楽しい目的のため、忍耐しながら途中の風景を楽しみ、行く先々で道を尋ねたり、人とちょっとした会話を交わしながらの旅でした。ところが今は、自家用車で家から目的地まで直行できます。途中で自然や人との交流はほとんどありません。

 寒い日は今は暖房のスイッチを押せば部屋が温かくなります。昔は練炭に日をつけ、炬燵で暖をとっていました。練炭がおきるまで時間がかかります。しかし、炬燵は家族が一堂に会し、自然にたわいのない話ができていました。
 洗濯、料理など、日々の家事も便利になり人の手がかからなくなっていきました。それに比例するように人の温もりや温かさが失われつつあります。

 スイッチ一つで多くの用をたすことができるようになりました。動かなくとも快適な生活ができます。スマホ一つで寝ころびながら心地よい時間を過ごすことができます。その裏には不快に耐える心、不便さに耐える心が徐々に失われています。
いつの間にか、不快・不便さがストレッサーに感じられるようになってきました。多くの人が待てなくなりました。また、ちょっとしたうまくいかないことにイライラするようになってきているのです。

 思い通りにならないのが人間生活なのですが、便利さと快適さに慣れた人は、少しの不快なこと、不便をもたらすものに、イライラしたり、怒ったりしてしまいます。また不快なことを受け入れることが苦手になり、それから回避したり、逃げたり、攻撃したりしてしまいます。

 不快の対象がものであればいいのですが、人間の場合、対処がさらに困難になります。そして多くは心の不調につながり、環境に適応できない状態になってしまいます。つまり、「不適応」もしくは「適応障害」となってしまいます。苦しみや不快は、まずそのまま受け入れることができれば、活路は開けるものです。