質問
最近、親しくしていた親友に裏切られました。彼氏をめぐってのことです。出し抜かれた感じです。全くそんなそぶりを見せなかった人でしたから、正直驚くとともに、人の心が分からなくなり、人間不信になっています。思えば、中学校の時も、友達と思っていた人に外され、逆にその人に攻撃されたことがあります。そのときもその人の心の変化に傷つきました。人の心がわかりません。どうすれば、人の心が分かるようになるのでしょうか。それとも、人は自分の都合で平気で人を裏切る存在なのでしょうか。人が恐ろしくなりました。何かアドバイスをいただければ嬉しいです。
回答
人の心を知る、とても難しいことです。他人の心、自分の心がわからないから人は苦しむことになります。波風なく、平穏に生きている間は、そんなことは考えたり、思ったりりしませんが、何かあったときに、人は、人間の心について考えるようになります。
有史以来、あらゆる思想家、哲学者、宗教家、学者がこのことを探究してきました。しかし、物質科学のように解明されてはいません。なぜかといえば、心がどこにあるかわからないからです。苦しいとか、楽しいとか、嬉しい、悲しいなどの働きは感じられるのですが、その全体像はわかっていません。わかっているのは、ごく一部です。
心自体が見えない働きをもったものであり、つかみどころがないからです。現代科学の力では及ばない世界だからです。見えない心の世界は想像することによって接近できます。あくまで接近です。また、人の感情表現、パフォーマンスから心を読み取る努力をすることによって、やはり人の心に接近できるでしょう。
心は不可思議であり、科学で解明できず、見えない、わからない世界であるがゆえに、部分や一部からものをいう人たちが人々を惑わし、苦しみを倍増させたりします。心を対象にしたもの…その筆頭は宗教であり、占いなどです。次は、精神科領域(精神科や心理学)や心理カウンセラーの世界です。全ては部分の解明であり、心全体がわかってやっているわけではないのです。人間の不幸の一つは、部分を全体とみてしまう、認知バイアスであり、潜在意識の偏り、歪みにあります。
絶えず心の浄化作用をしていないと浅い部分観の思想にマインドコントロールされ不幸の坂を転げ落ち、生き地獄にはまってしまいます。現在テレビなどで報道され社会問題になっている宗教などもその一例と言ってよいでしょう。
人の心を知る方法を、ここでは二つ提案します。一つは、日常生活の現実的な人との関わりの中で人の心の本質に接近するやり方です。相手の言葉を深くかみ砕くことです。言葉自体は記号に過ぎません。記号と意味をもったものです。しかし、大事なことは、言葉にはその人の心が表れています。ですから表面的な記号的側面の言葉から、その人の心を読む訓練をしていくことです。そうすれば心が少しずつ読めるようになります。と同時に、言葉以外の振る舞い、パフォーマンスをよく観察し、そこに込められた心を読む努力をすることです。私も、これらのことを日々努力して心を磨いています。
もう一つ人間理解、人の心理解に役に立つのが古今の名作文学に触れることです。名作には人間の本質、人間の心が描かれています。私も若き日より名作に親しんできました。印象に残ってている作品がいくつかあります。夏目漱石の作品は、ほぼ全部読みました。彼の作品の中で心深く刻まれたのは、「こころ」という作品です。三島由紀夫も一時はって、ほぼ全作読了です。『金閣寺」が心に残っています。倉田百三は私の卒業論文の主題だったので、もちろん全作品を読破しました。「出家とその弟子」が印象に残っています。太宰治は中学校の教科書にのっていたこともあって興味を持ちました。「人間失格」「走れメロス」が人間の本質を描いた深い作品だと思っています。
その他の愛読書では、吉川英治の歴史小説で100冊以上は読みました。中でも、「三国志」「太閤記」「宮本武蔵」からは人間模様、人の欲望、美しい生き方、醜い生き方、私欲と奉仕の心など、人の心のありかたを多く学び考えさせられました。欧米文学にも親しみました。ヘミングウェイの「老人と海」や「誰がために鐘は鳴る」やヘルマンヘッセ「車輪の下」などの作品が心に残っています。
伝記は人間に生きる希望や努力の大切さを教えてくれます。ヘレンケラーや千円札の野口英世は今も私の生き方のモデルになっています。日本の臨床心理学者「河合氏」は昔話の大切を語っています。昔話や中国の故事には人間の心が描かれているからです。
文学や伝記や昔話には人間模様や人間の心の本質が多く描かれていますので、人間理解が大いに進むと思います。20歳、これからいろいろ学び、人格を高めていかれてください。人格の向上こそ幸福の門だからです。
文責 松岡俊子