相談室(ブログ)

死にたいという心のささやきに苦しめられています。気になることは来世があるかどうかです。教えてください(中学生女子)

2023.05.31

回答
 この問いには、今のあらゆる科学も宗教も推定でしか答えられないと思います。なぜなら死者は語らないし、実際に死なないとわからないからです。 以下に、私が50年近く学んだ科学や思想・宗教をもとに、この「死・来世」の問題について考察してみます。説明が、かなり難しくなりますが…。
 来世があるかどうかは、つまり今の意識が考えていることですから、その意識を解明することから始まります。今の最新科学は一つの細胞すら作れません。つまり生命については説明できないのです。せいぜい、細胞の構造や働きが限界のようです。

 この問いの解答は西洋科学では解明できないと言われています。キリスト教は神のみが知る世界です。その問いに、直観智で肉迫したのが、東洋思想、なかんずくブッタの思想が一番ではないかと思っています。なぜならブッタの悟りとは、「今の生命に永遠(前世・現世・来世に続く生命の真実の相)を覚知した」と言われているからです。つまり、今、この瞬間の生命は永遠であると悟ったのです。
しかし、永遠という概念は言葉で理解できできても、真の意味するものは理解できません。なぜなら分析知という知識ではとらえられない世界です。同様に生命は無始無終というブッタのとらえた世界も分析知てはとらえることはできません。その理解は直観智でしかとらえられないといわれています。実感の世界であり、それが悟達といわれるものです。
 ですから以下の説明は比喩的な表現になります。
 
身体は滅びても生命の働きそのものは永遠に続いていくものだというエネルギー保存の考えに近いものです。これは、輪廻転生という考えではなく、個の生命の特性の連続性を教えているのです。つまり、あなたの我(真我)は、あなたのまま続くというのです。今、動物のように、本能のまま、弱肉強食的な生き方をして死ねば、その生命の個の継続は、来世は前世の生き方にもっと適した身体を選び、つまりこの場合は、動物として生まれてくるという生命思想です。
 
 生命は三世に続くものですから、当然来世はあるという考えになります。それも個の生命の傾向、生命の働き、特性が継続するという考えです。人間らしい生き方をすれば再び人間に生まれてくるし、畜生(動物・昆虫など)の生き方をしていれば、来世は自らにふさわしい形の身体を選び、なんらかの畜生の種として生まれてくるというのです。ここには、厳しい生命の因果律があります。人の目はごまかせても、自分の生命は、生き方は因果として刻印され、誤魔化せないという考えです。

 人間は意識して自分を高めたり、精神的に向上することができます。つまりこの地上の生命種の中で人間だけが自分を成長させることができます。動物は、それができません。本能のまま生きるのが精一杯です。しかも、強いものに呑まれ、食べられるという強烈な恐怖に晒されたうえ、強いものに食べられ、殺されるという「残害の苦」を味わうとされています。
 あたかも、今の人間が多くの牛、豚、鶏、魚を殺しているように…。彼らは殺される前には、「残害の苦」という殺される恐怖におののいているのです。ですから、過去の仏教修行者は肉食をしなかったのです。この思想に照らせば、現代人の罪は計り知れないものがあるようです。
 
 意識で自分を高め、変えていける人間の生命形態こそ地球上では最高の生命なのです。私たちが人間の生命を保っているということは、最高の宝を持っていることと言えます。「無上の宝珠 不求自得…むじょうのほうじゅ ふぐじとく」(無上の宝、この上ない宝を求めていないにもかかわらず、自然と自分に具わっているというブッタの教えです)
 
 死ぬことを考えることは横において、ひとまず生き抜いて自らの宝を活かしたり、使ったりすることを考えたほうが価値的だと思いますが、どうでしょうか…。