相談室(ブログ)

ひきこもり、うつ、大学生

2019.06.05

質問
こんにちは。20歳の大学二年生です。
高校2年生の時、拒食症から過食症になり高校三年生の一年間を不登校で過ごしました。
その後一年の留年の後、通信制高校をなんとか卒業しAO入試で大学に入学することができたのですが、それから少しずつ行けない日が増えていき、課題や授業についていけなくなり一年の間で半分の単位を落としました。
二年からフル単位で取らないと三年生に上がれないのにどうしても通えなくなり罪悪感からくる過食や過食嘔吐で疲れてしまい引きこもってしまっています。
もう前期の単位はほとんど落としていると思います。

精神科にかかりましたが、重度の鬱と簡単なペーパーテストからADHDと診断されました。(テストを受けたのは私自身ですが、私と両親はADHDは違うかな、と感じています。母は、小さい頃から大人しく変わっていたし、HSPでは?と言っています。)

バイトも、サークルもごく普通にこなしていましたし、大学で友達がいなかったわけでもないです。ただ、何かわからないけどすごく疲れます。一人になったとき死にたくてたまらなくなります。涙が勝手に溢れます。

外に行くのも人と話すのもしんどくて大好きだったダンスも絵を描くことも出来なくてひたすら寝る状態です。高校で不登校だった一年間もずっとそんな感じで、それからも浮き沈みもあって順調ではなかったのでここ何年かはずっと辛い状態で、また一気に沈み込んだ感じです。

何も考えられないしただただ辛いです。このまま誰からも忘れられて消えちゃえたらなあと思うばかりです。
もしこのまま留年するなら、留年してでも大学は卒業したいという気持ちと、通える自信がないから新しい道を探すべきかなという気持ちどちらもあって、母はもうだらだら続けないでやめて働いたら?と言うのですがちゃんと働けるかも自信がないです。

いつまでここにいるのかという焦りもあるし何もできないけど何もしたくないしこのまま一生辛いのは耐えられないし
精神科でお薬は処方されますが、それだけでない何かのような気がして、お話を聞いてほしかったのでここにたどり着きました。
何かアドバイスなど頂けましたら嬉しいです。よろしくお願いします。

回答
はじめまして。臨床心理シランの室です。

人生の先輩として、少しアドバイスをさせてもらいます。
高校2年時の拒食、そして過食嘔吐、不登校…終わらない思春期のように思えます。
あなたの課題…自分の気持ちと、いかに向き合い、自分をいかにコントロールし、自分の気持ちに折あっていくかが鍵だと思います。
未だに、高校2年時の課題が未解決になっているような気がします。この根本課題を解決しなければ、あなたの未来の人生に、何かあったときに影をおとすことになると思われます。

幼少期や子ども時代の親との関係…親に認められたいという無意識、意識的な行動によって、いつしか、ストレス脆弱性気質となり、自立心が育たず、依存的になり、自分がなくなってしまっていたのかもしれません。

こうした自分の真実を知るためにもカウンセリングが必要だと思います。摂食障害専門のカウンセリング…キャリアのある臨床心理士か精神科医による認知行動療法、もしくは対人係療法が効果的だと思います。薬物療法のみでは、あなたが感じているように、一時的な対症療法に過ぎず、根本的な解決は見込めないでしょう。何よりも今のあなたは、自らを正しく理解し(心理教育)、ストレスノコーピングやリラクセションなどを身につけることが大事と思われます。

発達障害(ADHD)という診断は、あなたの未成熟部分を診ての診断だろうと推測します。あなたとお母さんの意見に私も賛成です。

今のあなたには、かなりの鬱症状がみられます。大学生活に対するストレスコーピングがうまくいかず、不適応症状=鬱状態になっているような気がします。その意味でも、認知行動療法カウンセリングをお勧めします。大学の相談室でそれを実施していれば一番よいのですが、もし実施できないというのであれば、最寄りのカウンセリングルームなどを紹介してもらうといいと思います。

せっかく入学した大学ですし、卒業したいという考えもあるわけですから、大学卒業を当面の目標にすべきでしょう。
参考になればとの思いから、私の大学時代の体験を少し述べます。

私は紆余曲折したあげく、23歳で大学に入学しました。最初の二年間は、深夜のアルバイトにあけくれ、昼夜逆転の生活で授業にもほとんど出席せず、取った単位はわずかでした。当時、大学を中退して小説家にでもなろうかという「はかない夢」を持っていました。

生活リズムを無視した生活がたたり、2年目の冬に心臓神経症(不安障害…現パニック障害)になりました。バイトもできなくなり病気療養のため休学し、故郷で療養しました。療養中に人生を考え、生き方を振り返ってみたりしました。

「これからどうしよう」と何度も考えた末、最も現実的で確実な方向…それは「せっかく入った大学だから、とにかく卒業しよう」と進むべき道を決めたことでした。

3年目の前期から復学し、一心不乱に単位を取りました。最も苦労したのが、英語と第二外国語の単位取得でしたが、後輩たちの中に交じって、恥も外聞も捨て愚直に勉強しました。私は既に両親と死別していたので、経済的な支援もなく、新聞配達、塾の講師で生計を立てながらの大学生活でした。6年間大学に在学し、最終的に教師の道を選び、29歳で中学教師になりました。その道に人生を賭けたのです。(HPに詳細は書いています) 中学生や保護者に貢献できたという思いが最高の充実感をもたらし、今も心の宝になっています。

病気療養中、地獄をさまよっていた時、私の心の支え、生きる勇気を与えてくれたのが次の詩です。

「私は この世に人間の旅に出たのだ    生命究極の目的まで
疲れても 歩まねばならない       風の日も 雪の日も
野宿の時も覚悟しながら         私はひたすら歩むのだ」

前を向いて、歩み続けて、よかったと思っています。