人は自らの本来のありのままの姿を知らないところから苦しみを招いています。自らを知り本来の自分に目覚めれば、不調は調和され、今まで以上に健康になっていきます。本来の生命は健康そのものだからです。
人間は長い歴史の中で、「よりよく生きる」ために生命の真実に迫り、その解明に取り組んできました。人の身体についての解明は、現代科学の恩恵のもと、実験、研究、分析の結果、多くの身体疾患の原因も究明され、今日まで不治の病とされた感染症(結核など) を始め多くの身体疾患が治療できるようになりました。一方、身体医学分野でも難病は増加し、原因不明の病気は数多く多くあります。世の中の変化、自然の変化、人間の変化に伴って新しい厄介な病気も増えています。結論すれば、新たな病気は全て人間が作り出していると言えます。その自覚に立てば、病の原因も見つかると思います。
2000年以上前に、ギリシャ哲学の祖であり人類の教師と言われているソクラテスは「汝自身を知れ」と叫び、「無知の知」を説きました。
人間は、何もわかっていないのに知ったように生きている。自分が生きていることの不可思議さ、自分の肉体、心、意識… なぜ、意識していないにもかかわらず私たちの生命は活動をしているのか。また自分の心身を動かしているのは、何なのか。 この命の働きは一体どこからくるのか。生とは、死とは?などなど、知らないことだらけだというのです。
以来2000年の時が流れましたが、人間の心は何一つ解明されていないといってよいでしょう。脳と意識の関係、脳が先なのか、意識が先なのか?
なぜ夢をみるのか、なぜ意識できない世界があるのか、人間の意識の指令はどこからきているのか、何故意識もしていないのに血液は全身を休むことなく巡っているのか?人間の意識を支配しているのは無意識なのか…など。
何一つ科学的解明、実験実証がなされていません。それなのに、なぜか精神疾患名だけが年々アメリカ精神医学会で新しいものが作られています。つまり精神障害名の増加です。その根拠は、症状判断です。○○障害と診断されるマニュアル基準によってなされるという、主観的曖昧診断であり、およそ科学的とはいえません。
さらに曖昧なのが、その診断のもとに投与される精神病薬です。心が解明されておらず、原因も分かっていないにも関わらず、どこを的にする治療薬なのでしょうか…。抗ガン剤はかつて「殺細胞剤」と医療界では呼ばれていたそうです。がん細胞も殺しますが同時に健全細胞も殺します。副作用とは、健全細胞を殺すということです。免疫力が下がるのは当然の帰結でしょう。
「医は算術なり」
悲しいかな、それが現状ではないでしょうか。潤っているのは、心療内科(精神にかかわるクリニックなど)、製薬会社、そして政治家。苦しんでいるのは精神不調の心を病んだ人です。大いなる矛盾ですね。
心の不調は、それを作り出した自分が治すしかありません。なぜ心の不調に陥ったのか。全ては自分の心の働きが原因なのです。つまり自分の生き方、自分の意識、自分の感情や欲望に原因はあるのです。ですから解答も解決策も治療法も全て自分の中に潜んでいます。自分を知れば心の病は治ります。本来人間生命には、いかなる病を治す力を秘めているのです。それを宗教的な言葉でいえば、「神の力」であり「仏の力」というのです。教育的表現をすれば「無限の可能性」とも言えます。
日本の哲学者西田幾多郎は「善の研究」の中で、それを「本源的欲望」と名付けました。また、フランスの生命の哲学者ベルグソンは「エラン・ビタール」(生の躍動)と表現しています。「神は死んだ」(書ツラツウストラ)という言葉で有名なニーチェは超人と比ゆ的に述べています。
その不思議な力は関係性によって内から発動してきます。人間は常に関係性(対境とも縁とも環境とも表現できます)の中で生きています。何に縁するのかが大事になります。自分の力を最大限に引き出すために、古来から師の存在の重要性が説かれてきました。人生の善き師、善き先生、善き先輩などの存在が自分を引き出してくれます。
例えば、あらゆる病を治したと言われる医王のブッタ(釈迦)、ソクラテスのような人類の教師と言われるような人、あるいは人の善き道を教えた孔子、老子…、 または古人の書が善縁となる人もいるでしょう。平凡な民衆の中にも優れた人格をもった善き人はいます。ほとんど無名の小欲知足の人ですから、社会的には目立たない人が多いと思います。本物の人物は、小欲であり、富を求めず名誉を求めず、人の喜びを喜びとし、人の苦しみを自分の苦しみとするような人です。
自分の潜在する力を引き出せるかどうか、それは善き人(善縁)に出会えるかどうかにかかっていると言えます。