相談室(ブログ)

スピリチュアルや霊的なものは、オウム真理教、統一協会の霊的な世界の二番煎じで、科学性に乏しく、行き着く先にあるものは不幸に染まった人生行路です。

2024.12.08

心は見えません。そこに心に関係する霊的なものや、妖しい宗教が、心が揺れて不安定な人に甘美な声で囁きます。「幸せになれます、運気が上がります、幸福の波動を教えます、運命が変わります、お金持ちになります、苦しみの原因をとりのぞけます、第六感が冴え幸運を呼び寄せます」などなど、見えない世界のことだけに、どんな虚言も作り話も本当らしく聞こえます。

この世の物質やものの多くは、分析でき科学の対象になります。しかし心や内的な世界や不思議な働きは把握が困難です。そこに作り話が入り込む余地があり、迷信、邪な教、偏った思想、魂や霊を扱うスピリチュアルなものが、手っ取り早い金儲けの道具と化します。

特に、スピリチュアルとカタカナ(欧米風)を使えば、アカデミックな印象を与え、曖昧模糊とした世界が、神秘さを増し、無知の彷徨える魂をひきつけます。昔の占いや迷信と紙一重とも知らずに…。

無知で不平不満が強く、愛情希求の心が強く、心が不安定で弱い人ほど、その蜜の甘さに騙されやすくなり、すぐに信じてしまいます。やがて毒が回り、思考することを忘れ、主観世界に埋没し、飛んで火に入る夏の虫のように、この世の地獄を見ることになります。

なぜなら生命の部分観しかあつかっていないものを生命の全体を扱っていると決めつける自己背信の過ちを犯しているからです。生命の部分観は部分観として見るなら問題はありませんが、部分を全体と見て信じてしまえば、生命の真理に到達できず、価値は生れないどころか、反価値的(不幸)現象を産むことになります。本当の幸福は、生命の真理を解明した全体観に則っとった法に生きる中にあるからです。

そもそも第六感やインスピレーションという言葉の曖昧さです。通常動物は人間を含め、五感(眼・耳・舌・鼻・身)で外の世界を識り、意識という第六感のインスピレーションで行動化します。この六番目の意識こそ、第六感・インスピレーションの正体です。意識は、現在の脳科学でも分析できていない謎の領域です。この能力は昆虫や鳥類や動物は特に優れており、人間はこれらの動物の第六感には及びません。

一番怖い存在は、殺人者、強盗者、詐欺者、猛毒の蛇コブラなどよりも心や魂を麻痺させる思想や言葉、そしてそれらをうまく操り人の善心を破り、思考の中心である意識を麻痺させる人たちです。身体だけでなく心、そして生命の核を破壊されるからです。覚者ブッタは、そのような人を奪命的存在と呼び、明らかに見わけ、遠ざけるように警告しました。

神のお告げを聞いた、霊的世界に感応した、テレパーシーを感じた、神のご神託があった、啓示を受けた。多くの邪な教祖の口癖でした。お告げも啓示も他の人には見えません。本人の主観世界であり、夢の世界であり、独善の世界です。

意識は、人間の心のごく一部の働きに過ぎません。人間の心には、意識の深層に広大な無意識世界があるとされ、フロイトやユングがその一部を実証しています。仏教では、既に2500年前にの世界を覚知しています。(注1)第七感(七識…自我に執着する世界、自己愛といってもよい)、第八感(八識…行動がすべて記憶化された蔵のような世界で業の蔵といい、サンスクリット語でカルマという)、第九感(九識…宇宙意識、自己と宇宙万物が根底で融合渾然一体となった世界)というすべての個や宇宙万物につながる広大な世界で、その働きはエネルギー不滅の法則のように無始無終と聖人は覚知された世界。

先人の言葉の蓄積された宝庫もなく、論理性や哲学性に乏しく、科学的実証性は皆無です。それをまことしやかに語り、邪な教えは広がります。彼らは甘美な響きがある魔性の言葉を巧みに駆使することに長けています。彼らは、信じる人が不幸になっても貧乏になっても病になっても、決して責任を取ることはしません。信じたあなたの信念が足りないのが原因だと開き直ります。

このような教祖まがいの人の言動を受け入れ、信じる民衆はいつの時代もいました。そして今の時代は、なおいっそう多くの人たちが惹かれてゆきます。時代が濁り、生命が弱り、不安が広がり、心の不幸が充満し、満たされない多くの人に溢れ、皮相や軽薄を好み、本物を嫌う民衆に満ちた時代だからです。さらに気候変動などの天変地異、各地で起きている紛争、戦争がそれに拍車をかけています。

「宗教は民衆のアヘン」といったカール・マルクスの言葉は有名です。彼は宗教(思想)のすべてをアヘンといったわけではなく、当時の倒錯した社会がつくった、当時のキリスト教思想を批判したものでした。多くの民衆を思考麻痺に導いた宗教思想をアヘンと言ったのです。人はだれしも、それなりの思想をもち思想を頼りに生きているからです。

最近ではオーム真理教の教祖がその類でした。空中浮遊という現象に多くの人が霊的なものを感じたと言われています。空中浮遊することが出来ても、現実の中で価値は生れませんし、幸福にもなれません。鳥やトンボやセミのほうがよほど超能力者といってよいと思います。

人の不幸を予言し、仮にそれが的中しても、何の価値も生じません。幸福の道を示し、現実的に幸福になれるなら、その教えは本物といってよいでしょう。その教えの実践で、どのくらいの人が幸福になったのかが科学的実証性というのです。それがない教えは迷信であり、地獄行きの思想といってよいでしょう。

一万メートルの上空を流れる時速300㌔のジェット気流を感知し、その流れに乗って遠くまで移動するコハクチョウは、そのことを本能的に知っています。まさに超能力者です。人間は、こうした動物や昆虫の超能力に遠く及びません。

人間(生物)には五つの眼(注2)があるとされています。肉眼は、遮るものがあれば見えなくなる人間の普通の眼です。二つ目に天眼があります。天眼は、昼夜遠近を問わず見ることが出来る天人の眼で、禅定(瞑想)を修した人が得る眼です。

釈尊の十大弟子の一人、目連は天眼第一と言われていたそうです。母が死後、地下深くにある餓鬼の世界に堕ちて食べ物もなく苦しんでいる姿を見たとされています。その母を救う行為から盆の食べ物の供養が始まったそうです。その他、(注1)慧眼、法眼、仏眼があります。

歴史上、精神世界、心の世界を高め人々の幸福に無私無償で尽くした人がいました。インドの釈尊、ユダヤのイエス・キリスト、多くの仏教継承者(竜樹菩薩、天親菩薩、弥勒菩薩、天台智顗、最澄、日蓮など)老子、孔子など…最近では、ヘレンケラーなど、いずれも結婚せず、世俗的なもの(お金、財宝、地位や名誉、人気など)を求めず、布施などで質素な生活をしていました。その姿そのものが本物の魂の救済者の証拠といえます。

彼らは聖者・聖人・賢人と言われ、一生をかけて、見えない心の世界、生命や正しい生き方を探究し、苦悩する人たちの救済や幸福実現のために命を賭けた人たちです。そして、不思議な生命そのもの(一端)を悟ったと言われています。

現代の霊者やスピリチャル系の人たちが、果たして世俗の欲を離れ、結婚もせず、名声、財物お金を求めずひたら、悩み苦しむ人に尽くしていく行動者を私は見たことがありません。こうした人たちには哲学や精緻な論理性や言行一致の思想がなく自己中心性(私利私欲)を脱し切れていない人の証拠です。

現代の物理天文学の最先端である量子力学は釈尊や天台智顗の生命の理論(注2)や因果、不可思議な法を証明しつつあります。光が波と粒子の二面性をもつことが明かされました。また全ての物質は周波数でかたちが決まるということも証明されつつあります。塵も石も生物も空気も粒子であり波であるということです。私たち人間と動物の違いは、量子力学的観点から言うと、周波数の違いということになります。

人体の細胞も光子(注3)を出しています。また粒子と波を持った存在です。やがて意識が光の一部であるということも証明されるでしょう。私は、意識は言葉と感情で成り立ち、意識は光であり、言葉やイメージは粒子であり、感情は波であるとの仮説をもち、日々思索と検証を繰り返しています。

「我思うゆえに我あり」近代合理主義思想の基盤を作ったとされるデカルトの有名な言葉です。確かに意識なしに私たちは、生きていることも周囲のものを認識することもできません。意識つまり認知機能がなくなった重度の認知症を患った方は、自分が何者かが分からなくなりますし、周囲を認知することが難しくなります。

認知機能の中心である意識の正体こそ、心の不思議さを説く鍵だと言われています。今、その世界に最も接近した科学は量子力学とされていますが、2500年前にブッタは既に、それを覚知されていたことが証明されつつあります。

人間、あらゆる生物、かたちを持った万物は、かたちに応じた周波数をもっています。それらの生物の周囲に存在するものも周波数を奏でながら振動しているというのが聖人の悟りであり、量子力学が遅まきながら辿りついた発見なのです。

正統派仏教の哲学思想にある、「縁起」(注4)や「空」の思想、瞬間の生命は「10世界の境界」を持ちながら常に「生死」を繰り返し、「空」で無のようなかたちで潜在したものが「縁」で有のかたちに生起すること、すべては生死

を繰り返しながら変化していることなど膨大な哲学理論を持っています。

今のスピリチャルや霊能者、偏頗な部分観の宗教は、仏教の深遠な哲学のごく一部を利用し、金儲けにつなげている人たちと言えるでしょう。

何も考えず 権威に従うことは 真実に対する 最大の敵である  アインシュタイン

※権威とは今で言えば、いわゆる専門家、宗教者、マスコミ、スマモ、ユーチューバ・SNSで発信するものなど

注1  人間の心の世界…眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識、根本常識の

  九つに理論体系している。

注2 五眼…仏教哲学の一つ、竜樹菩薩が大智度論で展開している。世界や宇宙や生命を把握・洞察する眼を五つに分けている、いわゆる肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼がある。

慧眼は、深い知識を持ち、想像力を研ぎ澄ますことによって宇宙や物理現象の一部を悟る眼、ニュートンの万有引力やアインシュタインの相対性理論、ノーベル賞受賞者の発見などがこれにあたる。

法眼は人々を救済するために、宇宙や自然や生命の真理から一切の事物・事象を判断する菩薩の眼。弥勒菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩、薬王菩薩、文殊菩薩、その他、イエスキリスト、ガンジー、ナイチンゲール、ヘレンケラー(サリバン女史)などに具足していた眼と考えられる。

仏眼は一切の事象や事物を三世十方…過去・現在・未来、生命現象の永遠性と宇宙の無限性を見る仏の眼。妙法蓮華経という宇宙の実相を覚知した生命に具わる眼。釈尊は仏教の流れを1000年単位で予言。

正法時代1000年(解脱の時代、禅定瞑想の時代・像法時代1000年、仏教の経典を書写したり読誦したりする時代、多くのお寺が造られる時代、末法時代、未来永遠、思想や宗教が乱立し、深い思想を嫌がり浅い思想を好む人たちが生まれてくる時代であり、釈尊の仏法では救われない民衆が生まれてくるとされている。そんな中、釈尊の仏法に替わる新しい法が流布する時代と立て分け、どんな仏教が流布し、民衆がどのような行動をするか予言し的中させている。

また天台智顗や最澄も末法の仏教流布の流れを予言し的中させている。日蓮も、天変地異の起きる原因を洞察し、元寇襲来の時期を予言し的中させている。聖人(サ・ダルマ・プンダリキャ・スートラというサンスクリット語を漢訳した妙法蓮華経…始めもなければ終わりもない、無始無終の因果俱時不思議の一法を覚知された行者)は、仏教史上で四人いるとされている。釈尊、天台智顗、最澄、日蓮。それに近い人では竜樹菩薩、天親菩薩(空の思想、唯識思想を完成させた)などがいるとされている。

※注4「縁起」「空」「10世界の境界」「生死」「縁起で生起」…いずれも深遠な仏教哲学思想の根幹をなす言葉。釈尊に始まり、付法蔵の正師に継承され、竜樹・天親を経て天台智顗で一念三千理論(瞬間の生命、一念は三千の生命の法則で成り立つ、宇宙も自然もあらゆる生物、無生物、存在するすべてのものは、一念三千の妙法蓮華経の生命現象と理論化した)として完成されたという仏法の深遠な理論体系。

文証(継承された文献・経典)・理証(空・唯識・一念三千理論などの科学的知見を備えた理論)・現証(実践すれば、効果的な結果が出る、六根(眼・耳・舌・鼻・身・意)が清浄化され、生きる歓喜が湧き起こり幸福になる)を兼ね備えた完全な法体系で科学的である。

量子力学の発見が、これらの言葉の意味する世界を証明しつつあるとされている。霊的なもの、スピリチャル系には、科学的裏付けがない。主観の世界観で閉じている。科学性の有無は実証性にある。仮にある宗教思想や哲学思想を実行した結果、全員が幸福になったかどうかが証拠になる。

◎当室は宗教団体とは一切関係ありません。室長は20歳の頃から、哲学、倫理学、思想、芸術、文学、天文物理学、生物学、孔子の教え、老子の教え、キリスト教、仏教を学び、研究してきました。最近は特に量子力学・諸科学・人体学と妙法蓮華経(釈尊・天台智顗・最澄・日蓮の流れと竜樹・天親の空や縁起、唯識思想)の相関性について研究し、心理療法への応用展開を模索しています。