相談室(ブログ)

自分がいつ死ぬのか?…潜在意識だけが知っている

2024.02.26

 
 先日、同級生が急逝しました。突然のことで驚くと同時に、生前の彼の言動で気になることが思い出されました。彼も私も同窓会の幹事をしていたのですが、打ち合わせの度に、「今回の同窓会で最後です」ということを彼はしきりに繰り返し述べ、同窓会ではだれよりも一番精力的に動いていました。彼にとってまさかの最後の同窓会になり、今思えば、とても不思議な感じを受けます。まるで死の予兆だった気がしてなりません。

 このような話はよく耳にします。事故で急逝した人が、前日に机の中や持ち物をきちんと整理していたという話を聞いたことがあります。彼らの潜在意識の所作だったのかもしれません。人の命は測りがたいものです。これが分かる人は多分いないでしょう。しかし自分の潜在意識だけはそれを知っていると言えます。
 
 なぜなら、生きるも死ぬのもすべてあなたの所作だからです。それを決めるのは、意識、無意識を統合したあなたなのです。ですが意識で自覚できないところにいのちの不可思議さがあり、人は生きていくこともできるのだと思います。

 私たちが意識して行為したことや無意識で行たったこと…口で言ったこと、心で思ったこと、行動したこと、また無意識的活動すべては、私たちの脳に記憶され、心の深い部分、無意識界に蓄積されます。私たちの無意識界は、私たちのすべてを知っています。
 
 人の目は欺くことができても、自分の無意識界は欺けません。脳におまけも割引もなく厳然と記憶されるからです。善い行いをしている人は、未来に幸いをもたらします。一方、悪い行いをしている人は、無意識界に貯蔵されたものが、あなたの未来に暗雲をもたらします。その悪行が未来に発芽し、あなたにとって不幸な結果をもたらします。

 つまり、悪い行いは、いつの日かあなたの人生や意識できる世界に悪い結果をもたらすということです。これを因果応報といい、自業自得とも言います。この見えない生命の因果律を知ることが大事てす。

 よい行いと何か。人の心を高める、人の生き方を向上させる、卑近な言葉で言えば、人の人生を正しい方向に向かわせ、人の幸福に貢献する行動を善い行いと言います。悪い行いは、その反対の行いです。人を不幸に導く思想や考えや生き方です。一見、甘い言葉や振る舞いで人の心を誘い、人の心や命をコントロールし、やがて破壊していきます。

 現代社会は、善悪混淆で、悪は実に巧みに人の心の中に入り込み、心地よさを与えながら語りかけ、人の善心を破っていきます。専門家、有名人、著名人、マスコミ情報、宣伝、コマーシャルの中に悪が巧みに入り込みます。これを偽善といいます。善は人知れず尽くす行為であり、目立たず縁の下の力持ちのような働く行いで、偽善とは正反対です。人に理解されることも少なく、陽にもあたりませんが、善をなす人の心の中には崩れない宝が蓄積されていきます。善を成せば、人は必ず栄えるという意味です。反対に悪を成せば、長い目で見ていくと、必ず滅びていきます。

 簡単にいえば、自分だけの利益や栄え、つまり利己主義的な生き方は悪につながるということです。逆に善なる行為は、自分も栄え他者も栄えるという共栄・共存の生き方を目指すものです。

 これは人間世界だけのことではありません。自然、あらゆる動植物と、人は共存、共栄の道を歩むことが正しい生き方なのです。今、地球上で、人間が自然や動植物を思うままに利用し支配して生きていますが、これは人間の傲慢性のあらわれであり、目先の欲にかられた愚かな行為です。自然は見ています、地上の生物や人の行いを…。地球にも心があります。痛みも喜びも感じています。人にはその心は見えないかもしれませんが、覚者は地球の波動から心を見ています。
 
 今、人類は天災というしっぺ返しを自然から受けていますが、その原因に気づいていません。多くの人は経済至上主義、拝金主義、科学主義、物や名誉が幸福をもたらすという砂上の楼閣的思想を信じ、それに血道を上げて束の間の楽園の快楽・快感に酔っているようです。砂の上にいくら立派な1000階以上の建物を建てたとしても、いつ壊れるかわかりせん。それよりも善なる行為をして、自らの心の中に壊れない宝の城を建てたほうが賢い生き方なのです。

 人間の行為の結果は厳しい因果律に則り、宇宙の法則の網の目から逃れることはできません。自らの行いの結果は、自らが受けるのが道理なのです。結果は幸不幸という厳然としたものとして目の前に必ず現れてきます。

 いつ死んでもよい生き方を常日頃からしていれば、死が突然訪れたとしても受け入れることが出来るでしょう。

    見えない世界の探求者