今日まで多くの失敗をしてきましたが、その中でも20年近く私が苦しめられた失敗体験を以下に述べてみます。
多くの人の不幸は一面から言えば、無知から起きていると言えます。その一つが、専門家ということで、確かめもせず盲信してしまうことです。特に怖いのは、命にかかわる専門家…医師への盲信です。全ての医師が正しい診断をし、正しい処方をしていると思ったら痛い目にあうことになります。
私はかつて、運動中に足首を傷め7度の手術をした経験があります。最初の診断をした整形外科の町医者は私に対して「たいしたことはありません。普段通り運動してもいいですよ」と言いました。それで、単純な私は、専門家の医師が間違えるはずはないと信じ、言われた通り運動を続けていたら、足首は大きく腫れ徐々に歩行困難になっていきました。
その間、整骨院などで数カ所の診療所で治療を受けましたが、悪化するばかりでした。そこで九州で有名な整形外科をもつ大病院で診察をしてもらいました。すると、そこの整形外科医は『治療法はありません。やがて歩けなくなるでしょう』との絶望的な言葉を私に投げかけのです。私は、有名な病院の医師の言葉だから正しいのだろうとその見立てを受け入れ、その医師の言葉の暗示にかかったように、やがて本当に歩けなくなり、松葉杖生活になってしまいました。「仕事ができない、経済的に家族を養なっていけなくなる」という人生の大きな危機に瀕し地獄を彷徨う日々が続きました。初診の町医者の誤診に始まり、次の医師の見立てと処置の悪さが重なり、脚の痛み、歩行困難という苦しみは既に10年近くになっていました。
医師は医師免許を持った専門家だから間違いないと思っていた私の安易な盲信に近い考えは間違いであると、その時に気づいたのですが、既に時遅しでした。人は失敗から一番多くを学ぶと言いますが、その通りでした。医師の診察、診断が人生を大きく変えてしまうことを骨身に染みて知った辛く苦しい経験でした。
苦しむのはいつも患者であり、診察診断した医者は、誤診であったとしても、責任をとることもありません。不幸に泣くのは患者なのです。だからこそ愚かであってはならないのです。賢明さが必要なのです。
話は戻りますが、当時の私は「藁をもすがる思い」で必死に、いろんな人に聞いて回り、情報を集めました。生き続けなければならなかったからです。特に家族を守るために、治療をしてくれる医師を探し回りました。ある人の紹介で、整形の名医に出会い診断してもらったところ、「大丈夫、歩けるようになりますと関節固定術」を勧められました。名医と評判の医師でしたが、途中誤診もありました。患者の私の症状の報告と申し出を受け入れてくれ結果、MRIでの撮影が正確な診断に結びつき、間違った手術を回避することができたのです。最終的には、その医師の六度の手術で痛みなく歩けるようになりました。
20年間苦しんだ、歩行に伴う痛みはなくなりました。走ったり、膝を深く曲げたりはできませんが、運動は50%できる状態に戻りました。痛みなく歩けることの素晴らしさを感謝できるようになりました。この足に対する長年の苦悩が私の身体に対する傲慢さを少し浄化してくれたようです。
この時私が知ったことは、患者も医師であるということでした。私こそが脚の痛み、痛みと全身の関係などの症状を熟知していたからです。その報告を参考にしてくれた整形の医師こそ名医たる所以であったと私は思っています。患者に学べる謙虚さを持った医師こそ、名医の条件の一つではないでしょうか。
外科や内科にはレントゲンやMRIなどの最先端の科学的な武器があり、さらに各種の検査があります。それでも誤診は少なくないと言われています。
心の不可思議な世界を扱う精神科には最先端の科学的な武器は何一つないのです。どのように診断するのでしょうか。ある著名な医科学の大家は「心理的な事柄の多くが科学的に解明されていない以上、診断することに無理がある。似たような症状群に対処するしかない」という趣旨のことを述べています。つまり心理的原因は分かっていないのです。わかっているのは患者の症状だけなのです。
医師の評価は、最終的に実際に何人の患者を治したかで決まります。病院設備がきれいとか、評判がよいとか、○○大医学部出身、専門指定医とか、博士号とか外国留学の経験とか、著名な人に師事していたとか、ホームページや宣伝がいいとか、口コミにいいことを書いているとか、別問題です。大事なのは優れた技術を持ち、見立ての正確さがあり、現実に何人の人を治したのか、それが全てです。
これは、心理士やカウンセラーも同じであり、すべての専門家に当てはまる真実だと私は思っています。
日本人は昔から権威(専門家)に弱く、権威(専門家)に盲信する傾向を持っています。「お上の言うことは絶対」などと。そうした風土の中で生きているからこそ、権威や専門家を正確に見る目を養わないと私のように苦しむことになります。
専門家を盲信せず、自分の目で確かめ、丁寧に吟味し学ぶ賢明さが必要です。最終的に苦しむのは患者なのですから。