喜びの振動 悲しみの振動 苦しみの振動 恐怖の振動 怒りの振動 破壊の振動 慈しみの振動 快適な振動 不愉快な振動、満たされた振動、不満な振動など…この宇宙は万物の存在が発する無数の振動に満ち混沌としています。
動物にも無数の振動があり、植物にも幾つもの振動があり、細菌も、ウイルスも塵も石も空気も振動を発しています。その振動を秒単位で計測したものを物理学者は周波数と名付けています。
宇宙万物本来の振動は、喜びと安心に満ち慈しみと愛、そして常に進化し創造する無限の力を秘めた律動を奏でています。インスピレーション、啓示を受けた宗教者などは、その振動を神、仏などと、地球の言葉を使って名付けました。名付ける前から、その振動そのものは無始無終の在り方で存在し、今この瞬間も振動していますが見ることも感じることもできません。
宇宙のあらゆる存在は周波数でかたちが決まり、それぞれが固有の周波数を奏でています。天にも昇る喜びの周波数もあれば、地の底に閉じ込められる苦しみの周波数もあります。動物も、その個に応じた周波数を出しています。人は通常は穏やかな周波数を出しています。それが人間界の特徴の一つとも言われています。
人面を持ちながら、弱い者をいじめ支配し、強いものにこびへつらう動物以下の周波数が基本になっている人もいます。人の発する周波数は言葉や外面で操作することはできません、心が澄んだ人は、他者の周波数を直感で正しく感じとり、その心を見ぬくことができます。
例えば光は二つの側面を持っています。それは粒子と波という二面です。以下は私の仮説ですが、人間の心の表現としての意識は、言葉・イメージと気分感情いう二側面があります。言葉・イメージは粒子であり、気分感情は波に譬えられます。人間の意識表現としての言葉は感情・気分という波動性をもっていると推測でき、そこに人の周波数の秘密が潜在しています。
生物・人間の波動・周波数の種類は八万四千波(覚者、ブッタの悟り)と言われています。それを解明すれば、不可思議な周波数の問いや喜びの周波数のなぞは解けるでしょう。
この地球上、そして宇宙には生物、無生物、物質、塵などあらゆる存在、見えないが存在しているものなどが発する様々な波、光、闇波、電磁波、声、声なき声などが飛び交い無数の周波数に満ちています。
最新の量子力学などで、素粒子の世界や動きから周波数の一部は解析できている部分もありますが、ごく一部であり、ほとんどが闇の中です。あらゆる生物、物体、人間や動物も固有の周波数を出しているからです。しかもそれが固定的なものではなく、絶えず変化し、相関性の原理で生起しているのが真相だから分析できないのです。(最新の光の二重スリット実験の結果など)その意味では素粒子の究極の世界と似ています。
つまり宇宙の物体は周波数によってかたちができ、その周波数も刻々と変化し、相関性(縁起)で成り立っているということです。
あなたは、今の瞬間、あなた独自の周波数を出して生きています。しかも刻々と、対境(縁)によって変化する周波数なのです。その周波数の持ち主は、この宇宙であなたしかいません。持ち主のあなた自身の各細胞が発する周波数の組織化された総合波を瞬間にあなたの意識が感知しているに過ぎません。細胞は30数兆個(正確な数はつかめていない)あります。人間も動物も植物も地球も太陽も、みんな独自の周波数を出しています。
波動を高めるとか運気をあげるとか、周波数を合わせるとかいっても、宇宙、生命の真実相がわからないと、どこに周波数を合わせるかさえわかりません。指標なき盲目の方向は危険です。苦海行きの周波数や人をだまし(グルーミングなどの優しい言動など)苦しみを誘う周波数で満ちているのが地球世界の真実相です。心が濁っていると、見る目が曇り、真実が見抜けなくなり、偽物を本物と見てしまいます。結果、不幸な人生をさまようことになります。
見えない世界をあつかう、宗教やスピリチュアル系や思想・考え方の怖さはそこにあります。今、問題になっている宗教がそのよい例です。そもそもお金や営利の心がある人や団体には気を付けなくてはいけません。正しい思想の人は、お金や名声名誉を求めず真実の探求を第一に誠実に生きています。なぜなら真実の探求と悟りで心が喜びと充実感に満ちているからです。
周波数の解明は宇宙すべての生命現象の解明なくしては分からない難問です。生命の真実相を求めてこの地球では有史以来あらゆる聖人、賢人、物理学者、数学者、医学者、哲学者、思想家、宗教者が格闘してきました。そして到達した世界を書物や対話などで残してきました。その数は膨大であり、一生かけても探究できません。
最も生命の真実に迫った人たちは2500年前ぐらいのインドに端を発しているようです。自分のすべてをかけて生命の真実に迫ろうとしていました。世俗の欲を絶って生命の真実と格闘しました。その代表が釈尊・ブッタ(ブッタとは生命の真理を悟った人との意味)とも言われている)です。
五欲(眼・耳、舌・鼻・身が感じる快感)は、どうしても過剰が止まらず、生命の濁りをもたらします。その濁りを浄化しないと、本来的清浄の自己に冥合できないからです。五感覚がもたらす快不快、好き嫌い、他者支配欲や承認欲などを基本にした生きるため生命に本来的に具わっている本能的智慧は抑制する目ことが難しいようです。
生命の欲がもたらす必然的な濁りを浄化するのが釈尊をはじめとした修行者の課題でした。具体的には生きものを殺さない、肉食しない、妻帯しない、他者を傷つけたり支配したりしない、悪口を言わない、ウソをつかないなどの正しい行いをすること(釈尊は八正道を説いた)で生命の濁りをコントロールしようとしました。欲望・便利社会を生きる現代人には、とても不可能な実践です。
ブッタとは、生命の覚者、宇宙の真実相の覚者と言われています。知的理解では到達できないのです。知識は生命の一部しか理解できません。ブッタの悟りは直観智であり、生命全体で識ることでした。それは心身全体をかけた実践・修行のなかで意識を浄化する果てに訪れる生命の直観知なのです。
欲望に染まった生命を浄化することによって、本来の純粋な自己が発する周波数にはじめて冥合が可能になります。本来の自己つまり宇宙本来の自己の周波数は、万物を創造し育み慈しむ慈悲・愛の音律であり波であり光なのです。慈悲の実践者にして初めて可能になります。
欧米世界やイスラム世界では、その存在を神と命名し、人間世界のはるかかなたに祭り上げ、その存在の探求や思考をやめ、崇め信じることを第一義にしてしまいました。
最高の周波数に合わせて生きるためには、覚者・釈尊の通った道に学び、その言葉を師標として修行実践するしかありません。万物本来の歓喜の周波数は、その師標に基づいた実践体得の中に脈打ちます。言葉では表現できない不可思議な因果俱時の音律がもたらす周波数です。
◎当室は宗教団体とは一切関係ありません。室長は20歳の頃から、哲学、倫理学、思想、芸術、文学、天文物理学、生物学、孔子の教え、老子の教え、キリスト教、仏教を学び、研究してきました。最近は特に量子力学・諸科学・人体学と妙法蓮華経(釈尊・天台智顗・最澄・日蓮の流れと竜樹・天親の空や縁起、唯識思想)の相関性について研究し、当室の心理療法への応用展開を探索しています。