私たちは生れた瞬間に同時に私たちの身体に死も誕生しています。生と死は常に同時に私たちの中に存在しています。私たちが、どんな成長を遂げ、どんな人間になっていくのか、幸福な人生を送るようになるのか、それとも不幸の人生になっていくのか、それは不確実で、その人の意志と努力で変っていきます。
しかし、死は努力や意志に関係なく誰人にも平等に確実に訪れます。人間の真の平等性は、すべての人は必ず死ぬということです。天皇も、総理大臣も、世界一の金持ちも、ノーベール受賞者も、金メダルを何個も受賞した有名なアスリートも、死は平等に訪れます。死はその人の外面を飾っていた名誉、財宝、地位などすべて剥ぎ取り、その人を裸にします。そして、私たちの生命は心に積んだ徳だけを持って、宇宙に帰ってゆくのです。死こそ、すべての人に平等に訪れる飾りなき厳粛な生命の不思議な働きです。
人にとって人生最大の難問は、自分がいつ死ぬのかがわからないことです。どんな科学者も哲学者も宗教者でもそれはわかりません。これを運命とか、宿命とか寿命とか言います。癌患者が医師から、余命○○か月とか宣告されることがありますが、科学的経験から推定された見立てであり、もちろん確実ではありません。ですから余命3か月と言われた癌患者が、10年以上生きているケースもたくさんあります。医師はその人の寿命を量ることはできないのです。
その人の寿命は、その人の生命に宿っていますが、自覚はできません。意識、無意識を統合した生命全体を覚知できれば自分の寿命が分かると言われています。世俗の欲に染まった生命では深層を流れる命を覚知できないからです。昔の修行者が世俗の欲を断つため、世間を出て修業し、生命の浄化を求めた理由もそこにあります。
深層の生命と交流できる時、人は安心立命の境涯を得ることができると言われています。安心立命の境涯は、三世にわたる幸福境涯への道と言われ修行者の最終目標だったのです。