質問
大学四年生ですが今まで彼氏ができたことがありません。自分を良いと思えません。
先日、高校の時のクラスメイトの女の子が、高校から付き合っている彼氏と今でも続いていることを知りました。
それを知って、なんで私には彼氏ができないのかと悲しくなり、泣きました。
高校生の頃、私の事を好きになってくれた人がいて、私もその人の事が好きでしたが、自分に自信がなかったせいで、自分も好きだといえず、その人の事を避けてしまったりして、なんの進展もなく高校を卒業しました。そんな記憶を思い出して、後悔して、「私もあのときああしていれば、もしかしたらその人と今でも付き合ったりできたのかな」などと考えてしまい悲しくなります。
昔から自分に自信がなくて、人と比べて自分はだめだとか、告白されたとしても、「私と付き合うより他の人と付き合った方が良いよ」とか思ってしまい、チャンスを逃してきました。
この年齢になってくると、同級生が結婚したというニュースを聞くことが増えました。悔しかったのは、中学の時に私をいじめていた女子が結婚したことです。そのとき、どうして悪いやつほど幸せになるのかと悔しくなり、泣きました。
私は精神的に不安定でよく不安になるし、無口でつまらない人間ですし、容姿も自信がありません。自分を良いと思う思えなくて辛いです。妬み感情や、嫉妬の感情が沸き起こります。情けないし、悲しくなってきます。
この先良いことが起こると思えません。いっそのこと全くの別人に生まれ変わりたいです。顔も性格も変われるのなら、変わりたいです。
そして、こんな風に思う自分も大嫌いで、いま、辛くて仕方がないです。
こんな状況で、私は自分を良いと思える日はくるのでしょうか。
回答
はじめまして 臨床心理シランの室です。
自分をよいと思える日は必ず来ます。
あなたが否定的な思考や自己否定から肯定的思考や自己肯定と変化していくとき、自分が好きになり、人を羨むこともなくなっていくでしょう。
自己肯定感とは、どんな自分も肯定できる自分…成功したときも失敗したときも、人に認められている自分も、認められず批判されている自分も、自分の嫌いな部分も、全て同じ自分であると受け入れられる自分のことです。
どんな自分もそのまま、受け入れられること、自分のあるがままを受け入れることになります。
反対に、自己否定は自己を受け入れず否定することです。人間は、全ての自分を否定するわけではありません。気に入った自分や好きな自分は受入れ、嫌いな部分、劣った部分、醜い部分、他者に嫌悪されたり、受け入れられていなかったりする部分を否定する傾向があります。
ある仕事を7割程度出来たとします。10割でないので価値がないと考える人にとっては、7割は無価値になります。半面、6割を超えれば合格と思う人にとっては、7割はできの良いほうになり、価値があると思えます。つまり、物事の成否は、その人の価値基準によって左右されます。自己肯定感は、ありのまま全てを受容するので、評価や価値の有無とは無縁になります。
自己肯定感を阻むもの…美醜、快不快、苦楽、財産の有無、能力の有無など…他者との比較相対で価値が位置づけられます。また他者は、その人の持っているもので価値を評価する傾向があります。自分も他者の持っているもので人間全体を評価してしまう傾向があります。こうした、価値基準で人間の評価をしている間は、自己肯定感は育ちにくくなるでしょう。
自己肯定感は、価値の比較相対を超えたものだからです。例を挙げれば、醜い顔の自分もそのまま自分として受け入れ、「自分は自分なのだ」と肯定する心です。貧乏でお金がない無職の自分でも、ありのまま受入れ、「自分は自分なのだ」と受け入れることが自己肯定であり自己を受容することになります。
つまり、自他の価値評価に左右されない心です。
これほど安心でき、強い境地はないでしょう。いつもありのままの自分に生き、支えられているからです。
心は見えないので、人はそれを見落としがちになり、大事にしない傾向があります。人は見える世界を大事にし、表面に流され、物事の本質を見失いがちだからです。それが自己肯定感を低くする一因にもなっています。
では、自己肯定感を高めるにはどうすればよいのでしょうか。
「どんな自分も自分である」と受容するためには人間観が必要です。「人間はどんな人も等しく、可能性を秘めた存在であり、かけがえのない個性をもち成長していく存在」という信念です。
仮に、今は未熟な自分であったとしても、それは発達途上の自分であり、磨けば輝く存在になると信じて努力できる信念です。
ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨きをかけていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。どちらもダイヤです。ですから、黒い石の自分も「そのまま受け入れる」ことが自己肯定なのです。自己肯定には、「黒石もダイヤも同一の存在であり、黒石も磨けばダイヤになる」という思考の転換と信念に裏打ちされた努力が必要です。その努力の積み重ねが個性を開花させダイヤと自己を高めていくのです。
具体的には、一日の終わりに、あったことを振り返ります。今日できたことをあげてみます。
例…朝、無事に学校に行けたこと。○○と○○の授業を受けることができたこと。
○○に挨拶し、会話したこと。○○という本を読んだこと。夕飯を自炊したことなど。
どれも当たり前のことのようですが、当たり前のことができること自体素晴らしいことなのです。
病気になれば、当たり前のことができなくなり、そのありがたさが身に染みてわかります。また台風被害のように、当たり前の日常が壊された時、人間は、日常の自然現象をありがたく感じます。
毎日電気がつく、水道の水が出る、太陽が昇るという日常、本当はとてもありがたいことなのです。毎日生きていること自体最高にありがたいことなのです。自己肯定は、「感謝する心」があれば強められます。
一日の終わりに、当たり前のことができた自分を「よかった」と認めていけば自己肯定感は高められます。そうすれば、あなたの問題は解決されるのみならず、確かな幸福の道を歩むことになるでしょう。
「よいことはカタツムリの速度で進む」とガンジーは言われました。時間はかかりますが、忍耐強く着実に実行していけば、必ず成就できるでしょう。