(質問)
創作が楽しくなくなり、虚無感やら孤独感が襲ってきて、誰かに殺してほしい、死にたいと思うようになりました。
親切にしてくれていた創作の仲間、その人に私の楽しみを全部奪われたような憎しみが湧いてきます。
恐らくその人がいい方向へいって自分は上手くいってない嫉妬からだとおもわれます。
1年以上嫉妬と妬みの感情に襲われ続けて頭がおかしくなります。
仕事はまだ手につくのですが、他にもやらなくてはいけないことがあるのに手につかなくて困っています。
どうすれば、この状況が変わるでしょうか?
(回答)
臨床心理シランの室です。
一年以上も嫉妬に囚われ続ける心…心が落ち着くこともなく揺れ続け自分を苦しめ続けたでしょう。お察しします。
執着がいかに人を苦しめ、どんなに人の心を蝕んでしまうか…この執着から解放されるため、かつて人は世俗を捨てて出家したほどです。
それほど、執着を断つことは難しいようです。なぜなら、人間は人の間に生きているからです。人のいない世界だったら、どんなに楽だろうと、夏目漱石も小説で表現していたほどですから…。
執着を断つ…それには、まず執着を明らかに見究めることだと言われています。
あなたの場合であれば、嫉妬・妬みは他者という存在がいて初めて生ずる感情です。嫉妬は優劣という他者比較の中で生まれる感情です。
あなたの場合、「その人」がいなければ生まれない感情でしょう。他者がいなければ、嫉妬は生れようがありません。
その根底には、他者と競い、絶えず、他者より優位に立ちたいという欲望が潜んでいます。それは人間の欲望の一つでもあります。他者より勝ったときは「優越という自己満足感」になり、他者より劣ったときは、「劣等」となり、その劣等感を素直に受け入れられず、他者を攻撃することにより自己防衛しようとします。それが嫉妬です。嫉妬は、自分を高める方向には向かわず、相手を自分と同等か、それ以下に引きずり落とそうとする、人間の醜い心の働きの一つです。そこには、人間としての成長はありません。ゆえに苦しくなります。
他者との比較相対に生きている限り、優越しても、逆に劣等になっても、まるで鏡の表裏の関係であり、どちらも充実感は乏しく、優越したとしても一時的な満足であり、本質的には空虚感に苛まれることになるでしょう。
他者と競い、「より上位を目指そう」「一番になろう」という欲望は、良い方向にも悪い方向にも向かいます。悪い方向の例は、優劣に執着し、嫉妬したり、人を下に見たりする方向になります。よい方向は、他者貢献につながります。競争自体には善悪はないと思います。それ自体は、人間の努力の源泉になるものだからです。あらゆる試験は、競争の形をとっています。競争することで、人は互いに切磋琢磨し、高みを目指していけるからです。競争に勝たなければ、目標も達成できません。大事なことは、何のため一番を目指すのか、人より優れた創作をするのは何のためなのかという目的観です。それによって、充実度も全く異なってきます。
例えば、一番優れた作品を創作して、多くの人に喜びや楽しみを与えるといったような、他者の幸福にも貢献する、役に立つという気持ちがあれば、大きく開けていくでしょう。例え、失敗したとしても、競争相手を妬む気持ちも起きないでしょう。なぜなら、一番になることで、人より優れた創作作品を作ることで、他者の幸福に役立つという目的があるので、未達成の場合は、自らの努力や方法などを反省し、次につなげることができるからです。
その人の優位をありのままに認め、自分の不足を見つめ、足りなかったことを努力していく方向にエネルギーを向ければ、自己成長につながります。
つまり、他者との比較相対ではなく(その人との比較ではなく)昨日の自分と今日の自分、昨年の自己作品と今年の自己作品の比較というように、自分内比較、自分対自分の比較、評価に生きることです。それは、表面的な結果に左右される自分から離れ、過程の努力を評価するという絶対評価に生きることになるでしょう。そこに不安定な揺らぎはなくなります。死にたいと言うような気持ちはなくなるでしょう。
自分対自分という、欺けない絶対評価の生き方が確立できれば、今の苦しみから離脱でき、よりよい人生を生きることができるようになると思います。