相談室(ブログ)

人の顔色を必要以上に気にしてしまう(20代女性)

2020.09.22

(質問)
25歳会社員です。いつ頃からか分からないのですが昔から相手の顔色を必要以上に気にしてしまうことに悩んでいて、その原因と
そのような考えから脱する改善策やトレーニング方法を教えていただけたらと思います。

顔色を気にするあまり、悩んでいるのは具体的に下記になります。

→嫌われるかもしれない、どう思われてるのか常に恐怖でいっぱいになる
→自分の考えがわから無くなり自分が曝け出さない
→自分の考えが述べられない、相手にこれでいいのかいちいち確認や共感、同意を求めてしまう(反対されると強く落ち込んだり、批判してしまう)
→周りの評価に左右されやすい(うまくいっている時はできたり、怒られるとできなくなってしまったりする)
→複数や大人数の前で会話、演説、自己紹介が苦手
→新学期や新しい職場など新しい環境になかなか溶け込めず孤立してしまう
→恋人から私に対して意見、指摘があった(肯定してもらえなかった)時に必要以上に落ち込み、嫌われた、捨てられるかもしれないと言う不安から、恋人に気を遣わせたり、必要以上に束縛しすぎてしまう
→危険性や失敗を恐れて身動きが取れない
→怒っている相手を目の前にすると気持ちが高揚してしまい、言いたい事が言えなくなったり、怒りをぶつけたり、逃げようとしてしまう
→注意や指摘をする人(親、上司、恋人)を敵だと思い込み、避けようとしてしまう(結果自分の欠点を直せない)

どうか原因と改善策を教えていただけたら幸いです。宜しくお願いします。

(回答)
 臨床心理シランの室です。

原因は、あなたが分析されている通りだと思います。
心理学の研究では、人間は環境と遺伝の二つの影響をほぼ半々に受けるという考えになっています。
あなたの場合、持って生まれた素質的要因と養育環境の響ということになります。

人は安心を脅かす周囲の人間に対して、その恐怖や不安から、自然に自分を守ろうとします。当然、周囲の人に対して警戒するあまり自由に自分をさらけ出すこともできなくなるでしょう。また、自分を守るため、人によく思われるように繕うようになることも自然な自己防衛のなせることです。

人の目が気になることは誰にでも起こることですが、普通は、それが一過性のものとして時間が立てば忘れてしまうものですが、あなたの場合は、過去の行為の長期にわたる体験の反復から、人に対する反応が習慣化されているようです。

ひと目が気になり、自分の行動がままならなく、つまり行動が不自由になってしまうと、苦しくなってしまいます。過去の自分からもたらされる反応、人に対する時の行動パターンやイメージや認知…こうした行為によってつくられた習慣化されたもの(心理学では学習によって負の強化されたものと言います)を少しずつ変えていく必要があります。

一番よい方法は、認知行動療法を専門にされている臨床心理士のカウンセリングを受けることと思います。あなたの今の心理状態からしますと独学で克服するのは、難しく思われるからです。アドバイスを受けながら進めれば、数回のカウンセリングで自立できるかもしれません。あなたには向上心や治そうとする強い意欲を感じるからです。

具体的な学習目標(対応)を以下に少しあげてみます。
・自分の内部で起こっていることや、自分がどう、うまく振る舞うかということに焦点をあてすぎないようにします。代わりに、自分が加わっている会話で、話に耳を傾け自分も参加することに集中するようにします。
・他人は、あなたがどれほど不安に感じていても、ほとんど気づかないことを覚えておきます。あなたが考えいるほど、不安が目に見えて表れることはありません。
・他人は必ずしもあなたの言動に注意を払っているわけではありません。彼らの注意はほとんど自分自身のことに向けられていることが多く、自らの問題になによりも関心をもつものです。立場を変えればわかります。
・自分らしく自然体であればよいのです。ありのままの自分を受け入れることです。
・人と関わる状況では、不安感はあなたしかわからない体験であることを学びます。
・誰でも不安になることはあります。毎回の会話で全て完璧に振る舞う必要はありません。
・人前でのできが、思っている以上に悪くないことにも気づくことが大事です。実際、あなたよりスキルの低い人はたくさんいるからです。

結論から言えば「自分自身に生きる」ように心がけます。
ひと目、人の思惑、人の評価に生きることから、自分の生き方、自分の行動、自分の考えという自分の外面に見える姿ではなく、内面の心を大事にする生き方…自己評価に生きることです。

人の中で何か行動する時、行動そのものを重視し、その行動を精一杯やり、その行動がどうであったかを省みて、自分を高めていくようにします。

内向から外向、受け身から積極的・能動に動けばよいのです。見られている自分から、人を見る自分に変っていくことです。人は、あなたが思っているほど、あなたのことを見ていないし、気にもしていません。

謙虚に人から学び、世の中から学び、あらゆるものから積極的に学び、自らを向上させ、あなたが立派な人間になることです。あなたが人間的に向上していけば、あなたの周りに、あなたにふさわしい友達が出てくるものです。つまり、あなた本人と環境は、本体と影のような関係であり、一体なのです。

今を絶えず「精一杯生きる」こと、そして、受け身ではなく能動的に行動すること、さらに学びと向上心があれば、いつの間にか、人目を気にすることさえ忘れている自分になっているでしょう。