相談室(ブログ)

虐待を受けて育った大人は幸せになれますか?(20代女性)

2019.06.08

相談内容

最近になって普通だと思っていた自分の家庭で虐待があったかもしれないことが分かりました。

小学1年生の時に親が離婚し、お金がなくなり、イライラしていた親から毎日怒鳴られ物を投げつけられていました。
その頃は、自分は捨てられるかもしれないという恐怖心をずっと抱えていました。

小学4年生で再婚し、妹が生まれました。
新しい父親から血が繋がっていないと言う理由で、持ち物を取り上げられる、妹と扱いに差を付けられる等、差別を受けていました。

周りの大人からは一番大変なのは親なんだから、育てて貰ってるんだから、と言われ、社会に貢献していない自分はこんな扱いをされて当たり前なのだと思うようになりました。

戦争がある国で生まれた子供の方が可哀想だと言われ、自分より可哀想な人がいるから、自分は苦しんではいけないと思うようになりました。

辛い子供時代を終え、今では社会人になり社会に少しは貢献するようになりました。自立した自由な大人になって幸せになれると思っていました。

でも、自分の納めている税金より国から受けている恩恵の方が多いことに気付き、やっぱり自分が生きていることそのものが世の中にとって負担で、悪なのではないかと思うようになりました。

日本で暮らしている限り、一部の富裕層以外は納めている税金の額より受けている恩恵の方が多いと思います。

でも、私は自分以外の皆が国から恩恵を受けることが悪だとは思っていません。私だけが世界から歓迎されていなくて、だから恩恵を受けたら罰を受ける必要があると思ってしまいます。

最近ご飯を食べている時に、世の中に貢献していない自分がご飯を食べて命を繋いでいることが滑稽に思えて、辛くて泣いてしまうようになってしまいました。

ずっと親から甘えていると言われて育ってきたので、つい最近までは自分が虐待を受けていたと思うこと自体も甘えだし、悪だと思っていました。

育ててくれただけでも感謝するべきだし、もっと不幸な人もいるから、自分が虐待の後遺症で苦しんでいると思うことは甘えで、言い訳で、弱いダメな大人だからそう思うんだと思っていました。

でも最近になってその考え方で生きることに限界を感じました。

こんな考え方だから自分のしている仕事に自信が持てなくて、たまに仕事に粗が出てしまいます。せっかく頑張って信頼されて少し大きな仕事を任されても、怖くてあれこれ言い訳をして逃げてしまいます。人が怖くて信用できないので、人間関係も上手くいきません。

結果的に低収入になり、子供も作らないので本当に生産性の低い人間になってしまいます。

私は虐待を受けていたと考えて問題ないのでしょうか?甘えているだけなのでしょうか?この精神状態は虐待の後遺症なのでしょうか?

こんな私でもカウンセリングや心療を受ければ幸せになれますか?
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回答
はじめまして、臨床心理シランの室です。

辛い思いをしたてきたあなたは、きっと人の心のわかる優しさをみにつけていると思います。朝の来ない夜はありません。生きて生き抜いて、優しさの少ない今の社会の中で、恵まれない環境にいる人たちの味方になってください。そのためにも一日も早く前を向いて生きてください。

世界の偉人もみな酷いいじめ(迫害・虐待)に遭いましたが、それを乗り越えたからこそ偉大な人間になってとも言われています。
ガンジーしかり、キング牧師しかり、数え上げたら枚挙に暇がありません。あなたの生きる権利は絶対であり、幸福になる権利も絶対です。

「汝の運命の星は汝の胸中にあり」(ドイツの詩人シラーの名言)

あなたの運命を決するものは、あなたの心の中にあります。幸福・不幸もあなたの今後の生き方にかかっています。環境は私たち人間に大きな影響を与えます。とくに子供時代は環境の大きな影響から免れることは困難です。周囲の大人に依存しないと生きていけないからです。

あなたの子ども時代の親の養育態度…親から毎日怒鳴られたり、親のイライラの八つ当たりをされたり、物を投げたり、また継父の差別的態度などは、あきらかに虐待と言えます。それらの出来事は、トラウマとなり、あなたの心に刻まれ、あなたの行動に何らかの負の影響をもたらしたとしても不思議ではないでしょう。

あなたは甘えているというより、むしろ逆です。あなたは他者や社会に甘えることができず、他者を信頼することもできなくなっています。それは過去の養育環境で作られたもののようです。虐待が、人間に対する恐怖や不信を増幅させたと言えるかもしれません。子ども時代に親に甘えて生きた人間の多くは、人に甘えることができ、信頼することもできると思います。

私的な事例で恐縮ですが、私も子ども時代、今でいう虐待を受けながら育ちました。母親を7歳で亡くし、父親は酒まみれの生活を送り、酔っては子どもに包丁を振り回したりしていました。家に食べ物もなく放置され、食物を求め飢えたガキのように山野や市場をさまよい、学校にも行けなくなりました。見かねた地域の方が心配し、養護施設送りになりました。当時の養護施設は今と違って、弱肉強食の世界であり、上級生の暴力いじめはひどく、職員の体罰や差別は露骨であり、学校でも上級生から「施設の子ども」といじめられました。先生すら平気で差別する時代でした。

いつしか、私はかなり皮肉くれた、悪たれ坊主になっていたようです。しかし、そんな少年にも、よくしてくれる人がいました。施設の一人の保母が目をかけてくれました。また、中学校1年時の担任の先生が私に期待してくれていました。そのおかげで人間を信じることができたようです。施設を出て自由になったにもかかわらず、高校時代に自分がわからなくなり、非行に走り、高校中退しました。

単身当てのない東京で再出発をはかりましたが、目標もなくパチンコ、競馬にふける日々でした。そんなとき仕事先の牛乳店で、年上の青年に出会いました。彼は、突っ張り粋がり虚勢を張った私をありのままに認めてくれたのです。私は彼に心を開いていくようになりました。
それ以降、私の人生は大きく転換していったのです。後年、私は広島大学に入学し中学教師になったのも、彼との出会いがあったからでした。拙著「失敗もいいものだよ」ノンフイックション自伝小説(文芸社)に詳細は記載しています。

もとより、生きている時代も性別も異なります。ですが基本は変わらないと思います。
人は人によって傷つきもし、人間恐怖になったり、不信になったりするのも事実です。しかし、逆に人によって人間の温かさ、情、優しさ、温もり、この世界の美しさなどを知り、心を開き、人を信じることを覚えます。それらは、生きる活力となり、希望となっていきます。
あなたにも、きっといい出会いが訪れると思います。そのためにも、前を向いて、今を誠実に真心こめて生きていくことだと思います。

トラウマの癒し…自己治癒について少し説明します。
少し難しい内容になるかもしれませんが、長期間の虐待による複雑的心的外傷体験(トラウマ)は、ある意味「瞬間冷凍された体験」のようなものです。冷凍されているが故に、心はその体験を過去のものとすることができず、いつまでも新鮮なままで抱えることになります。いわば「現在に生き続ける過去」として、さまざまな心理的な機能に影響を与え続けています。心的外傷を癒すということは、その凍りついた体験を解凍し、本来の認知的枠組みの中に消化吸収していくことだと考えられます。自力での浮上が難しいのであれば、心理カウンセリング(認知行動療法)が効果的だと思います。

幸せで快適な出来事は心的外傷の癒しに重要な役割を果たします。楽しく、未来が展望できるような、積極的生き方ができるようなできごとを日常生活の中で作ることが大事です。そうした生活をたくさん経験し積み重ねていくことで、あなたも自然自己治癒されていくでしょう。