相談室(ブログ)

  生きている  どんな財宝や 名声にも まさる  不可思議な 有り難き 心の流れ 

2025.01.01

私たちの新進は 24時間 意識できない世界で 変化し続けている

私たちは何かを感じ何かを考え、瞬間を生きています。ある人は何気なく、ある人は何も考えず、ある人は意識をもって、今を生きています。私たちは今の自分が感じている意識が、自分のすべてと思っています。そのことを深く考えることは、ほとんどありません。今の瞬間の命が 常に一定のところにとどまることなく 流れ続けていることを 意識することはできません。

意識できている世界は1%以下、99%以上は意識できていない

冷静に自分を観察し想像力を働かせてみると、私たちが意識できている世界は1%以下なのです。99%以上は意識できないところで心身は活動しています。私たちは無意識的活動を意識できないため、その活動に気づきません。その働きの、あり難さを感じることもありません。正しい知識に基づいた想像力によって、はじめて真実の把握ができ、心身の働きの偉大さに気づくようになります。

「想像力は知識より大事である 知識には限界があるが 想像力は無限である」 アインシュタイン

(われ)思う、(ゆえ)に我あり

16世紀の有名な懐疑(かいぎ)哲学者(てつがくしゃ)デカルトは、すべてを疑うが、疑っている自分の存在を真理と認め「(われ)思う、(ゆえ)に我あり」との名言を残し近代合理主義哲学の()とされています。

つまり、私たちが今、感じている意識こそすべであるということです。意識できない世界は(やみ)に閉ざされることになりました。合理主義のもと物質科学はめまぐるしく発展を()げ、原子爆弾や光速度の研究、やがて月にロケットが着陸するという、ウサギの(もち)つきつき神話もあっけなく(くず)されることになりました。現実の月は、地上で見る月とは異なり、でこぼこだらけで美しいものではなかったのです。

科学万能主義の時代が 心の世界を置き去りにした

やがて科学万能主義の時代が到来(とうらい)し、人間は神をも恐れない存在となり、科学を崇拝(すうはい)する科学信仰を招きました。科学がすべてを解決してくれると…。

しかし置き去りにされてきた、意識できない世界である心については、ほぼ16世紀のままと言ってよいでしょう。深層(しんそう)心理学のフロイトやユングがその闇にかすかな光をともしましたが、科学性には(とぼ)しいとされ看過されています。

今生きているのは、心身に記憶されたものが自動再生しているに過ぎない

ところで私たちが生きているのは、意識できる部分、意識できない部分の働きを合わせたもの全体が私たちの心身の活動の事実です。五つの感覚(眼・耳・舌・鼻・身)で刺激情報を感受し、それを意識が快・不快などの感情として受け取り、言語化して記憶していきます。こうして無意識層に記憶されたものが自動的に次の活動を生み出します。

今、生きていることはこれまでの人生で習得した記憶が意識化されて生きていることなのです。つまり、心身全体の過去の記憶が自動的に再生されたもので生きています。 

私たちが感覚し意識できるのは、体を動かす運動神経と感覚神経ぐらいで、実際に働いているものの1%以下にすぎません。私たちの体を俯瞰(ふかん)すれば、その事実に気付きます。

身体の働きは神そのもの

少しだけ例を挙げてみます。呼吸で吸った酸素は気管支を通り、肺にある約4億個ある肺胞に入ります。その肺胞の中は、それぞれ湿度100%を保っています。一つ一つの肺胞の周囲にめぐらされている毛細静脈と毛細動脈でガス交換を行います。そして心臓を経て全身の細胞を巡り酸素を配り、二酸化炭素を持ち帰ります。心臓の一回の鼓動で約70mlの血液が送り出され、約30秒で全身を巡り、心臓に戻ってきます。こうして、酸素と栄養は全細胞に配られ、私たちは生を保っています。止まれば死にます。

また食べたものは口で咀嚼(そしゃく)され、気管に入ることもなく、食道のぜん動運動によって、胃に送り届けられます。胃には食べ物を(くさ)らないようにするため、胃酸を出し37度の温度で数時間保存し、空腹感を防ぎ、やがて十二指腸におくります。体のごく一部の活動ですが、こうした活動は、私たちは意識できません。

生きるために、私たちの身体は瞬間瞬間、熾烈な闘いをしている 

体の中で毎日新しいがん細胞が成人の場合で約3000個生れているという事実があります。私たちはボーとしていますが、体の内部で白血球が熾烈(しれつ)な戦いをし、マクロファージという細胞が、がん細胞を食べたり、攻撃したりして、がん細胞を駆逐(くちく)しています。そんな活動に対して私たちは、全く意識することもできません。

風邪を引き発熱し、のどが()れた時など、白血球が菌やウィルスと戦い、そこは戦場となり炎症(えんしょう)を起こします。また赤くはれたり、発熱したりするのは激しい戦いの(あと)だからです。

このように私たちの身体は、意識できない世界で、涙ぐましい戦いを(いた)るところで展開しています。私たちが意識して指示しているわけではありません。体の各部分が、体を守るために、本来的使命に生きているのです。生きぬくための熾烈な戦いをしています。仮にウィルスに負けてしまうと、体は死ぬからです。破傷風(はしょうふう)などの(きん)に負けると、やはり命を保つことはできません。

弱肉強食が生物界の生体の秩序(ちつじょ)の一つのルールです。人の体の内部も白血球が負ければ強いウィルスが勝ち、体を支配し、人は死にます。身体自体が壮絶(そうぜつ)破壊(はかい)と創造を()りなしているのが生の現実です。

私たちは 動きを止めれば死滅する

人は動きを止めればやがて弱り、死滅していくしかないのです。体の内部の戦いのように動き、前進するしかありません。宇宙や自然は常に変化し流動(りゅうどう)しています。人間も宇宙の一部であり、変化に合わせなければ生き残ることができないのが自然の道理(どうり)なのです。

地球は生きている それを神通力という

地球は生きています。私たち生物と同じように…。地球は地球自らのものであり、自分の役割を誠実に果たしながら 自分の使命を果たしています。

地上の大気中には、私たちの生命活動の根本である呼吸に必要な酸素がほどよく存在しています。また各惑星、月、太陽との絶妙なバランスと、ほどよい距離感と大きさによって重力や引力が均衡し、今の領域を正確に保つため一日で一回転し、太陽の周りを高速度で一年をかけて一周します。だれの指示でもなく、自らの本然の力で回っています。

そうした神秘的な智慧のおかげで、私たちは宇宙に浮遊せず、大地に足をつけ、太陽光の強烈な紫外線にさらされることもなく、適度な水と温度、湿度の恩恵に浴し、生きていくことが出来ています。

生きとして生けるものすべてが、生まれ、そして自分の役割を演じ、生を終えていきます。地球も生物も人も同じ生命体です。これを生命現象の「生住異滅」といいます。

地球の営みは慈悲を根本にした智慧の発動

地球の活動は慈悲を根本にした智慧の律動に支えられています。慈悲とは苦しみを抜き楽しみを与える働きです。地球上のあらゆる生物の苦しみを和らげ、楽しみを与えゆく慈悲の実行者にして慂出する力それが智慧です。あらゆる生物は、地球の恩恵に浴し、慈悲と神秘な智慧に守られながら生きることが出来ているのです。

地球上には大気圏が地上から、約10万キロmまであり、宇宙空間からくる電磁波などから守られています。地上の生物や動物や人が生きていけるのは、酸素が存在し、海があり、人間の血管のように河川があり、血液が流れるように水が流れているからです。

地球の自公転や水が生物の生を支えています。私たちは、普段当たり前のこととして、それらの恩恵を享受していますが、けっして当たり前のことではなく、奇跡なのです。

地球の有り難さの一部を感じるのは、地震や気温の急激な上昇や線状降水帯発生などの時ぐらいでしょうか。そんなときも、地球そのものについて深く考えることはせず、自分たちが生き延びることしか考えていません。どこまでも自己中心的な欲望に生きているのが人間です。

地球の兄弟星、火星や月には酸素がほとんどありません。金星は温室効果ガスの影響て表面温度が460度の灼熱の惑星です。美しい輪を持つ土星の輪は、氷の粒と岩石の集まりでありガスの惑星です。太陽系では地球だけが生物が住める不思議な惑星です。

太陽からの距離が絶妙な位置にあるため、地球上では生物が生きていけます。太陽が光を程よく調和するかのように、可視光線、赤外線、紫外線などを届けてくれています…。太陽の光のおかげで、暗闇の宇宙に光が灯され、私たちはものを見ることが出来ます。絶妙な気圧のおかげで振動をキャッチし音や声を聞くことが出来ています。私たち生物は、とても不思議な働きに守られています。

私たちは無料で地球に棲んでいる

地上の生物は、無料で地球に棲んでいます。人間は、地上のあらゆるものを勝手に使い、加工し破壊しています。地球全体の働きを考えず、自分の利益になる部分を切り刻み、自分たちの生を保とうとしています。他の生物に比べ知能が発達しているため、自己中心的欲望にまかせ、他の生物の生態系を壊し、母船である地球そのものを壊しつつあります。このままの愚行が進めば、生物は少しずつ絶滅し、人類も滅びてゆくことになります。今しか考えない、救いようのない愚かさが、拍車をかけています。

地球を傷つけているのは人間の自己中心的欲望

森林伐採と砂漠化、工場が出す煤煙と汚染水で海や川が汚れ、多くの生物が死滅しています。二酸化炭素の排出と気候の温暖化、食用のために動植物の殺、養殖。鳥瞰的客観的な目で見れば、人間のしていることの恐ろしさに唖然とするのではないでしょうか。

地球が生命ある存在ということを知らないようです。地球は傷つき、血を流しているのが見えないのでしょうか。科学が進歩し、物理天文学、量子力学も日進月歩しています。スマホ一つで、用が足せる便利社会になり、子どもから大人まで、楽しさやおもしろさに溢れる視覚快適感覚に脳が麻痺し思考する苦労をしなくなり、自己中心的に快楽を追い求め、生物や地球環境のことを思いやることを忘れています。

何のための科学の進歩なのでしょうか。見えるものしか追いかけず、大事な心を見ようとしない人間の生命の濁りが社会や時代の濁りを生み、あらゆる心身の病気を招き、応急対処的な症状除去の医療に身をまかせ、根本を見ることをせず、人類や生物を破滅に導いているのです。

気候変動、地震や自然災害、地球はSOSを出しています。しかし、そのサインをだれも読み取ろうとしていません。真の科学者はいますが、多くの自己保身者や自己中心者に消されているかのようです。

地球上の生物の90%は植物です。地球の主人公は植物ともいえます。地球は植物の惑星です。

残りの10%が動物・昆虫・微生物などです。動物の中でも人はごく微小で、人一人に対して、ありは一万五千匹の比率です。地球の動物の主役は昆虫です。

生物、特に動物は弱肉強食の本能の法則で生きています。最も限度を知らない自分勝手な動物が人です。少しばかり、脳が発達し、道具を開発し、言葉を持ち、記憶化した知識で、地球を支配するかのような錯覚に生きています。その錯覚がやがて地球を荒廃させ、生物が住めない惑星にしてしまうでしょう。

誰のものでもない地球、地球は地球自らのものです。「ここの土地は自分のものだ」と言い張り、人を平気で押しのけ殺す人たち…その極致が戦争です。戦争は自己中心性のもつ人間魔性の仕業です。

宇宙に浮かぶ地球を想像することができれば、地上の生物や人はみな地球号に乗った運命共同体と自覚できます。無知な自己中心的な政治家や権力者や富豪たちが、やがて地球を破滅させてゆくでしょう。

地球の恩恵を感じる心が地球や人類を救う

未来の地球に生きる人たち、今の子どもたち、他の生物、動物を思うと人間の愚かさと貪欲、そして傲慢さに怒りがこみあげてきます。地球の恩恵をありのままに感じる純な心をもつことこそ、人としての正しい道ではないでしょうか。