相談室(ブログ)

試験の不合格以来、無気力になり、自分はだめだと思ってしまう。

2021.02.19

回答

不合格は辛いものです。その試験に時間と労力を費やした分、不合格はいっそう辛くなります。また合格率によって周囲の多くの人が合格し、その中で自分が不合格という結果を招けば、自分は否定され、だめな人間と思いがちにもなります。その結果、自責の念は強まり、悲しくて、悔しくて、自分が愚かだという思いに苦しむことになりかねません。抑うつ状態になることもあるでしょう。

ですが、不合格には意味があります。不合格は、あなたに「力をつけることが必要だよ」と教えてくれているのです。しっかり知識や実力をつけ、自分を高めていけば、親の恩に報いるだけでなく、社会や困っている人の力にもなれ、大きな恩返しができるようになります。

私のことで恐縮ですが、大学受験では3年間浪人し、受験した大学ことごとく不合格。不合格通知をもらう度に、悲哀や自責の念を強め、自尊心の低下を招き、社会に無用な存在と思う気持ちに苛まれ、憂鬱感情に沈んでいました。周囲の人の支えのおかげで、自分を見つめることが出来たような気がします。最後と決めた、12校目で合格通知をもらいました。やがて教師となり、浪人時代の失敗経験もかけがえのない体験として、生徒に語れるようになり、何らかの役に立つことができたと思っています。

「合格=人間として価値があり、認められた。」「不合格=人間として価値がない、自分が否定された」というように思考は、二極思考であり、「0か100か、オールかナッシングか」であり、人間の価値を狭め、可能性の芽を摘んでしまいます。

0と100の間にはたくさんの数字があります。つまりたくさんの考え方があり、選択があり、判断があり、行動があり、可能性があるのです。

柔軟な思考になれば、いろいろな考えができ、人生の幅も広がり面白くなります。がんじがらめに、一つの価値観にとらわれると窮屈になり、かえって息が詰まるでしょう。立ち止まって見方を変えてみると、違う生き方、人生が見えてくるはずです。

地球上の生命体の中で、人間生命だけが、自らの意志と決意で自分を高めて、自らを変えていけるという可能性を秘めた存在です。人間生命そのものに、私たちの考えが及ばない無限の可能性が内包されているからです。だからこそ生きるということに絶対的な至高の価値があるのです

新たな道を歩んでみませんか。そのとき、暗い過去も、苦悩の過去も、色彩鮮やかに、あなたを潤し、あなたの進む道を希望の光で照らしてくれるでしょう。