私たちが今生きていることの実感の一つが気分という感覚です。言い換えれば意識ということですが、意識には言葉が伴っています。この言葉と気分の関係が自覚できれば、抑うつ気分をコントロールすることができるようになります。
まず気分の浮き沈みは心のリズムということを知ることです。
人間の気分と自然現象の天候は似ています。日々の空模様、晴れたり曇ったり、雨が降ったりして変化し、一定ではありません。これは気分の比喩でもあります。気分も空模様のように日々変わるという事実を、自覚し受け入れなければなりません。
受け入れても受け入れなくとも、雨の日は雨の中で生きていくしかありません。同じように気分が落ち込んでいても、一日は一日で流れ過ぎていきます。つまり、気分に囚われ、もがき苦しむより気分をそのまま受け入れ、流れにまかせて生きていけば楽になります。ただ抑うつ気分がずっと続くのは、梅雨の長雨のようなものであり、それなりの理由があります。
次は抑うつ気分への恐怖、とらわれがないかを知ることです。
晴れが好きで気持ちがいいから、いつも晴れてほしいと願っても、それは現実的ではありません。それは事実を無視した妄想です。雨が降らなければ地上の生物も人も動植物も生きていけません。生物は自然の天候と共存して生きています。同じように、人もたとえ、どんな嫌な気分であっても、その気分と共存して生きることが正しいありかたなのです。
抑うつ気分への囚(とら)われと、気分よく生きたいとう気分の良さへの執着を明らかに見ることです。抑うつ気分も意味があって起きている気の流れです。雨が降ることに意味があるように…。抑うつは、あなたに何かを教えてくれているのです。その意味がわかれば、抑うつ気分から解放されていきます。
三つ目は、自分を安全に守りたいという気持ちの強さの程度を知ることです。
気分に囚われる人の特徴として、いくつか理由が考えられます。一つは快や安心への執着が強いことです。換言すれば自分を安全に守りたいという本能(本来的な動物がもつ能力のことで、優れた働きの一つ)の執着が強いということです。だから、不快から逃げたり嫌な気分を攻撃し排斥しようとしたり、嫌なことを避けようとします。裏を返せば、自分を守り、よりよく生きたいという生の欲求の強さの表れと言えます。改善すれば、この生のエネルギーがあなたの能力の開発の力になります。
改善方法は、不快気分から逃げたり闘ったりせず 忍耐して受け入れることです。
気分の落ち込みや不快感は避ければ避けるほど、逃げれば逃げるほど気分の落ち込みは追いかけてくるように、ずっとあなたにまとわりつきます。いわゆる、反芻思考になってしまいます。反対に落ち込みと直面し、受け入れれば、いつしか消失していきます。
気は流れ変化していくものだからです。その気の流れをとめているのが、あなたの囚われと執着、気が済まないとかすっきりさせたい、そうしないと次に進めないなどの気持ちです。不快気分を受け入れる忍耐力が求められます。また気分は時間がたてば変わると信じることで落ち込みから解放されていきます。
気分は自然に流れていくことを信じて、落ち込みという嫌な気分に耐えることです。これは知識では修得できません、日々の実際の生活から身につける智慧です。
過去の記憶の余習(強い刺激は心に強く記憶され、気分の余韻が続くこと、楽しいことも、いやなことや怖いことも)から生起する無意識層から自動的に起きる反芻思考への対処が必要です。反芻思考は過去の嫌な失敗などから自動操作的に生起し、未来へ不安をもたらし、行動を狭めたり、止めたりします。それに従ってしまえば、抑うつ気分を強化する結果となり、いつまでも不快気分に苦しめられてしまいます。
抑うつの不快気分の受け入れは、受動的ではできません。抑うつ気分に直面し、それを観察し、そのままに流し、気分をやりくりしないことです。気分をやりくりしてしまうのは、今の瞬間を惰性に生き目的がないからです。私たちの心身は絶えず目的を持って生きています。
銀河の旅人