相談室(ブログ)

苦は煩悩から生まれる、それを浄化するのが除夜の鐘?

2022.12.30

 独特の音色が心に染みわたる「除夜の鐘」。除夜の鐘とは、大晦日の深夜0時をはさんでつく鐘のことを言います。
 
 人には百八つの煩悩(ぼんのう)があると言われ、その煩悩を祓うために、除夜の鐘をつく回数は108回とされています。煩悩とは、人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心のはたらきのことを言い、仏教における考え方からきています。一種の御払いです。このようなことで、果たして人間の心の苦しさや心の汚れがきれいになるのでしょうか。
 
 そうなれば、みんなもっともっと幸福になっているような気がします。しかし、今の世界の人間の多くは煩悩に覆われ、その濁りから、戦争、飢餓、貧困、経済戦争、コロナウィルス感染症、気候変動による地球の病気化を招いています。全て、地球人の煩悩の汚れが原因とも言えるでしょう。

 除夜の鐘が煩悩を浄化してくれれば、これほど簡単なことはありません。気ままに好き放題に自分勝手に生き、除夜の鐘で汚れを落とす。とても楽な発想ですね。
 これは他力本願の教え(神や仏などの力あるものに依存する)に基づいた発想です。自らの煩悩は、自ら浄化し、コントロールするというのが、ブッダ(生命を悟った覚者)の真意です。ブッタは八万宝蔵という膨大な教えを残したと言われています。ブッタの真意、真実の教えは、晩年の八年で説かれた法華経という隋随意(ずいじい・自力本願)の教えにあるとされています。
 
 他力本願の教えは、幸不幸(罰や利益)はすべて外からくるという教えになっています。そうなると、聖職者をありがたく敬う思想になってしまいます。今世間で問題になっている宗教もこのような危険性を持っています。
 
 ブッダが説いた煩悩とは何か。それを正確に把握することが肝要です。ブッダは最終的に煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい。生命活動そのものを煩悩とといってよいでしょう。自己中心的欲望に生きると、煩悩は汚れます。他者の生命を育み、活かす方向に煩悩を使えば、浄化されます。そのとき煩悩は菩提となり、悟りになります)を説きました。しかし、これは修行で得られる智慧であり体得なのです。煩悩の浄化は修行という実践でしか体得できないとブッタは説きました。
 
 自分の汚れた心を自分以外の何かによって浄化しようということ自体が間違いなのです。どこまでも、ブッダは自力本願「自己変革」を教えているのです。それには、自らの生命に対する正しい知識、智慧、そして正しい修行が求められます。悪知識(誤った安易な思想や考えや知識)こそ、人を不幸にさせる根本原因とブッタは厳しく諭されました。