相談室(ブログ)

死相が物語る その人の本性 その後に来世のかたち(動物・昆虫・植物・人など)と行き先が決まる

2025.01.19

今地球上に生きている人たちは、120年後には、誰一人この地球上には存在していません。みんな死んでいるからです。人生は不確実ですが、死だけは誰人にも確実に訪れてきます。生まれたものは必ず死ぬというのが生住異滅(注1)という変化を持つ生命の真実相だからです。だからこそ、死ぬ存在の自分を真剣に考えることが大事になります。それは、この人生をどう生きるのかという問いにもなります。

死ほど厳しいものはありません。人生をどのように生きたのか、その総決算が臨終の場面です。そして、その人の人生模様が死相として表現され、その人の人生の本性を語ることになります。人生は長さではなく、深さであり、何を為したかが問われるのが臨終の儀式です。

生きているときの虚飾の衣は剥がされ裸一貫の人間にされ、生きざまが明らかにさらされます。生まれてから死ぬまで身口意(身体、言葉、心)の三つの行為でしたことを、すべて自己検証する儀式が臨終です。社会的地位や財産や名誉や人気など全く役に立ちません。それらは今世を飾る一次的なものであり、執着すれば来世の足枷・苦しみになると聖人(注2)は警告しています。

人の目はごまかすことができても自分を欺くことはできません。死の瞬間は自分が自分の人生全部を評価し裁く厳粛な時なのです。仏教説話などで比喩的に説く三途の河や奪衣婆(だつえば)、縣衣翁(けんねおう)や閻魔大王の責めなどの儀式のことです。これらは分かりやすい比喩であり、真実は自分の身体が死滅し、身体と心が乖離(かいり)する瞬間に自分の生きざま(主として善悪の行為の総量)を自分が検証し、心の深層(阿頼耶識・貯蔵識、注3)に整理して刻印し、来世の生のかたちを決める時なのです。

身体は消滅しても、その働きを支えていた心法・心の働き(注4)は、そのまま「空」(空…くうと読む。竜樹・世親らの生命観)の状態で続くと竜樹菩薩(注4)は大智度論で展開されています。そして初七日(最初の七日間)で次の生のかたちが決まる生命もあります。長くても49日内に次の生命のかたちが決まると聖人は説いています。

人生で、善の行為が多かったのか、悪の行為が多かったのか、もしくは善悪に関係しない生き方が多かったのかなどが自己検証の基準になります。

善とは、他者や他生物の命を慈しみ、育み、守る慈悲の行為であり自己中心性とは逆方向の、ある意味自己犠牲(自己中心性を抑制したり昇華したりすること)を伴う行為です。

悪とは、他者や他生物を傷つけ、支配し、壊し、憎み、攻撃し、破壊したりする自己中心のままに生きる行為です。

善を多く成した人は、死相が安らかで、眠るような表情になります。体も軽く、色は白くなり、死後硬直もなく体は生きているように柔らかく弾力性があり、腐敗も三日以上はありません。そのような死相の人は人間界以上の世界(人界、天界、菩薩界、仏界)(注5)に旅立つと聖人は説いています。

逆に悪の多い人生だった人は、死後まもなく硬直し、顔の表情は苦渋に染まり、悔しさ、などの表情になり、体も重くなったり、顔色も黒ずんだりし、見るのも恐かったり辛くなったりします。体の腐敗も早くなります。そして、地獄の世界、餓鬼の世界、畜生の世界、修羅の世界(注5)に赴くと聖人は説いています。

これらは私が多くの人生やその臨終を実際に見てきた事実からも言えますが、聖人が説いています。人生は長さではなく、何を為したかが大事なのです。

最近最愛の姉が73歳で亡くなりました。生前は、人のため、子どもたちのため、孫のため、婿のため、病弱を省みず誠実に真心こめて行動し尽くしていました。がん闘病で、余命半年と言われていましたが、約3年生きました。そのうちの2年半は普通に生活していました。亡くなる前の半年前から入退院を繰り返していました。

辛い闘病期間もあったようですが、臨終後、顔は穏やかで安らかになり、体も白くなりました。もともと色の白い人であったようですが、若返り、きれいになりました。葬儀、火葬までの三日間、私もまじかで接し、指や腕に触れましたが、柔らかく、腹部はかすかに上下し、呼吸をしているような感じで安らかに眠っているようでした。

硬直もなく腐敗もありません。孫たちは祖母に手をつないだりして何度も触れていました。柔らかく、手が握れるのです。腕の脇の部分などは、火葬の日まで温かでした。このような死相の人は、そうたくさん見たことがありません。その人の母親も同じような状態であったと記憶しています。私がまじかで見た死相で、このような状態で臨終を迎えたの人はわずかです。いずれも人に誠実に尽くすように生きてきた人たちです。それ以外の人は、死に顔を見るのも辛くなるような状態の人の方が多かったような気がします。

「臨終のことを まず学びて、他事を学ぶべし」と聖人は言われました。死にゆく存在であるわたしたち人間。私たちはいかに死ぬのか、それはいかに生きるのかの問いになります。最高に価値ある生き方、意味のある生き方、充実した人生とは、菩薩道(注7)であると聖人は教えてくれています。

◎当室はいかなる宗教団体とも無関係です。室長は若き日から、万般の哲学、思想、宗教、心理学、文学、科学を研鑽し、最近は法華経を集中的に研究しています。

注1 生住異滅 じょうじゅういめつと読む。仏法哲学の生命観の一つ。この世界のすべての存在は、生れ、安定した形で住み、やがて老化したり壊れたりする異なる形になり、すべて滅していくという過程をたどる。生物、無生物すべてに当てはまる。地球や太陽、石や塵、植物、動物、人間、すべて生住異滅の法則に則っている。

注2聖人… 妙法蓮華経(略して法華経)正統継承者の中では、三世の生命、未来の宇宙・自然・社会・万物を悟った人を聖人と呼び、この地球上では四人いるとされています。インドの釈尊、中国の天台智顗、日本の最澄と日蓮の四人です。この四名の聖人は、いずれも未来世を予言し、それを的中させ、その証拠をもとに聖人と呼ばれるようになりました。また、それに近い人で竜樹・天親菩薩がいます。彼らは人間生命の深層を探り、空観や唯識思想や死後の世界を究明したと言われています。

阿頼耶識・貯蔵識、注3…唯識思想では意識の下に、無意識層として、第七識として末那識(自我執着意識)、その下に第八識、阿頼耶識を説きました。七識、八識は意識できない世界に潜在していますが、縁に触れて生起し、意識に影響を与えます。脳に記憶化されたものと考える理解しやすいかもしれません。天台智顗は八識下に根本浄識としての九識を覚知されました。それを法性・仏性といい、あらゆる生命、万物の根底の生命であり釈尊の妙法蓮華経や如来と同義であると説かれています。

注4心法…生命は色法と心法の二面性をもつと天台大師は理論づけています。色法とは、簡単にいえば肉体的側面で分析可能な部分です。心法とは、簡単にいえば心性です。色法の働きを可能にする性分・性質であり、分析不可能な不可思議な働きで「空」の状態で存在しています。色心不二が究極の生命の真実相とされ、仏性や如来と表現されることもあります。

注4竜樹菩薩… 2世紀ごろのインドに生れた仏教僧。ナーガールジュナという。空(くう)は竜樹菩薩の中心思想の一つ。存在するものを「有」存在しないものを「無」というとらえ方を超えた生命のとらえ方。分析できないが確かに存在するあり方。例えば電波を例に考えるなら、ここには無数の電波が存在していますが、混線せず存在しています。見えませんが、無数の電波が「空」のかたちで潜在しています。チャンネルを合わせると、一つの電波が受信され、目に見えるかたちをとります。つまり、「空」のかたちで潜在しているものが、「縁・対境」によって生起し有のかたちになる。「空」は有無の二つの在り方をとる生命現象なのです。

注5人間界以上の世界(天界、菩薩界、仏界) 注6 地獄の世界、餓鬼の世界、畜生の世界、修羅の世界

釈尊以前のバラモンの教えは、六道輪廻といって、人間は六つの世界を巡るとされていました。その六つとは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天界でした。天界が最高位です。世間で言われるところの欲望が満足された極楽のような世界です。しかし、生命の真実を覚知された釈尊は、生命の境界は10種類あるとして、それを法華経如来寿量品で説きました。中国の天台大師は、それを理の一念三千論として体系化し展開され、生命の10の境界を明確に説明しています。

「瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡は畜生、諂曲なるは修羅、平らかなるは人、喜ぶは天…」と

分かりやすく現代的に説明します。

〇地獄の世界…苦しみ・地獄の世界―地下の牢獄(ナラカという、サンスクリット語)―最低の生命境涯
・生きていることが苦しい、何も見ても不幸、どうにもならないうめき声。生命力の枯渇。
・怒りがもたらす破壊の働き…自傷や他傷、殺人や戦争の原因
・焼けつくような苦しみ、求めても得られない苦しみ。強いものに巻かれる苦しみ
・苦の波長…本来の波長が失われ、逆流し、混乱し生命は限りなく疲弊し生のエネルギーを奪う

※死後に赴く世界…地下深くにある八大地獄に象徴される間断なく苦が充満する世界。

〇餓鬼の世界…「〇〇したい、○○がほしい」 充たされない焼けるような枯渇した世界-餓鬼の世界―
・欲望の過剰やとらわれ、執着に心がつながれ、不自由になり苦を感じる。
・ギャンブル依存などあらゆる依存は欲望の執着がもたらしている
・飢餓的欲望の波長…一時的に速度を増し、竜巻のように自己破壊を伴う。

※死後に赴く世界…地下深くにある渇しても渇しても得られない、生命が焦がれ焼かれるような苦しみの世界。

〇畜生の世界…先を見ず目先で行動する愚かさの世界…畜生の世界…残害の苦…強いものに食べられる苦しみ
・生きるための本能、食べる、生殖活動、自分を安全に守る働き。
・弱肉強食の世界、自分の中に規範がない。強いものに巻かれたり、食べられたりする恐怖の世界。
・後先を考えない本能に支配されて行動する愚かさ。
・波長は、どんよりして遅々として進む。けだるい感じ。以上の三つの世界を三毒とも三悪道ともいう

※死後に赴く世界…残害の苦を伴う世界(強いものに食べられる苦しみのある世界)

〇修羅の世界…他者と比較し、常に他者に勝ろうとし、心が休まらず安定しない修羅の世界
・他人と比べ、自分が優れ、他人が劣っていると思う心。
・自分は素晴らしいと思う自己像を持ち、その自己像を壊さないためにエネルギーを費やす。
 外面は善い人…仁・義・礼・知の振る舞いで本心を隠し偽り、人に諂う。素直でない。
 内面と外面が異なる。偽りの自分を守り、保つためにエネルギーをつかう。心は安定しない。
・自分の優位性を保ち、劣等を隠すため、心は戦々恐々として休まるところはなく不安定。

※死後に赴く世界…海の波が間断なく打ち寄せ、戦々恐々とした安心できない世界。

〇人の世界…平穏な境地、人間らしい境涯…自分に勝つ生き方の第一歩…人間の世界
・正しい人生の軌道を歩むことによって心が安定してくる、内面化された規範に生きる。人らしさを保つには努力が必要になる、人間を超えたものに畏敬の念を持ち、尊敬することで自分を豊かにする。「三帰五戒…人間らしい生き方」は人に生れると唯識哲学は教える。
・欲望のコントロール、抑制する努力、倫理や道徳を守る。教育によって、人は人になる。教育が大事になる。

※死後に赴く世界…安らかで穏やかな平和な世界。

〇天の世界…欲望が充足された喜びの世界…天の世界
・人々は天を仰ぎ、敬い、憧れた。 自分に打ち勝つ先に得られる喜びの世界。
・欲望世界・色界・無色界…三界無安、火宅のごとし。五衰を受ける。

※死後に赴く世界…満ち足りた満足を感じる世界。

〇声聞の世界 反省、内省的自我…諸行無常を探究。存在の有無、真理を追究し自分を高める世界
 一切のもの、一切の生物、人、社会に学び、人間完成を目指す心。見えないが確かに存在する心を見る。空や縁起を学ぶ。

※死後に赴く世界…充実を感じる世界。

〇縁覚の世界…「空」を悟る境涯。諸法は無我と悟る。色即是空を悟る世界。代表的な人に、夏目漱石、吉川英治などの文豪、ベートベーンなどの音楽家、アインシュタイン、ニコラテスラ、ニュートン、アリストテレス、ゲーテ、トルストイ、ダビィンチなどの覚りを得た人たちの世界。

※死後に赴く世界…深い充実感のある世界。

〇菩薩の世界…他者を守り、支え、育む慈悲・愛の心に満ちた世界。自然や宇宙の根本法則、慈悲の周波数に自分の周波数を重ね合わせるようにして生きる。…菩薩の世界
その慈悲の周波数に生き続けるとき、あらゆる生命、人間は本来の調和を奏で最高の自分を発揮し充実し安定する。真の幸せ郷に至る。代表的な人に、孔子、老子、イエスキリスト、キング博士、ガンジー、中村医師、ヘレンケラー、ナイチンゲール、観世音菩薩、弥勒菩薩、不軽菩薩などの無数の菩薩がいる

※死後に赴く世界…喜びに満ちた深い充実に満ちた世界。仏国土や寂光土、霊山浄土などと表現されている。死後赴く世界で、最高の境界の世界。生前、菩薩道を実践し、菩薩の心が定着した人が赴く世界とされている。

注7 菩薩道 人々に内在する仏性(最高の生命状態、智慧、生命力を持つ、妙法蓮華経ともいう)を礼拝し、仏性を開くために、相手に尽くす生き方。人のすべての面を受け入れ、守り、大事にし、生の向上・成長のために尽くす生き方。お腹の中の子を守る母親の生き方は菩薩道そのものである。

母親の菩薩の行為を考えると、毒親という考え方は生命の真実の在り方に反する言葉になり、その言葉を発する人自体が、逆に毒を飲むことになり、不幸になっていくといのが生命の因果の法則です。