苦しみは 本当の自分を忘れた 迷いの姿であり
生命は懐かしい本当の心の故郷に還ることを願っています。
本来の自己に還り 本来の自分に生きる時 苦しみはなくなり
人生の生きる意味に目覚め 深い充実を感じるようになります。
本来の自己とは何か…古来、人間が求め続けたきた難問でした。
自己とは何か? 生命とは何か?
心とは何か? 意識とは何か? 死とは何か?
さあ 一緒に歴史上の賢聖を尋ねててみましょう
漂流し苦悩にさまよう 自己の平和を取り戻すために…
人はどこから来たのか 偶然にこの世にやってきたのか?
ニコラテスラ氏(20世紀の物理学者・詩人)は、誰も死んだ人はいない
光は物質を産み それはエネルギーに変り 物質は消え 光に戻る、と‥。
人という物質のかたちは宇宙に還っても その物質のもっていたエネルギーは宇宙に溶け込み
変化しただけであり やがて縁によってかたちを作る つまり生命は永遠に続くとの見解を
述べました。
今は人として生きていても かたちはなくなり 次のかたちは植物かもしれない
動物のかたちかもしれない 鳥のかたちかもしれない 昆虫のかたちかもしれない…
地球一の聖人・賢者・覚者と言われ、生命現象を悟ったとされている釈尊(ブッタ)は
過去世で鹿の王のかたちで生き 仏道を修行したことがあると自らの過去世の一端を説きました。
釈尊によると、人は偶然に、この世に誕生したのではなく 生命はかたちを変えながら 個の我は
連続していると覚知されたそうです。
夢を見る前の自分と 夢から覚めた自分は別人ではなく 同じ我を持ち一貫した存在です。
つまり 今世の人生で行為として積み上げた善悪の行為の蓄積(カルマ=業の集積)されたものが
次の生のかたちを決めるとブッタは説かれました。
人らしく人間の戒を守って生きれば 人として生まれ
畜生のように生きれば 畜生(動物や鳥や昆虫)のかたちに生れ
欲望に執着した生き方であれば 地下深くの餓鬼の世界に生れ
人や自然や生物を傷つけ続けて生命は 苦しみの連続する 地獄に生を受け
徳を積み 人に施し 他の生命を慈しみ 守った生き方は 宮殿に生れ天人となり
知的探求 真理を模索して生きた人は ソクラテスやアインシュタインやノーベル受賞者
のような知的世界に囲まれた場所に生を受け
いつも苦しむ人のために その苦を抜く行動を突けた人は 弥勒菩薩 観音菩薩 イエスキリスト 老子 孔子 マザーテレサ ヘレンケラーのようなメシア的存在で生れるといいます。
つまり 今どんな生き方をしているのか 善を積んでいるのか 悪を行っているのか それらは脳に記
憶され 無意識世界に刻まれ 次の行為に影響を与え そして次の生のかたちを決定すると釈尊は説い
たのです。
これを因果といい それが報いとして目に見えるかたちをつくるとブッタは妙法蓮華経譬喩品で説かれました。
つまり今の自分は自分の生き方が作ったものであると知ることが、根本的な苦を抜く正眼視というので
すです。
人間は人間のことを何もわかっていないと、無知の知…無知であることを知りなさいと、ギリシャの若
者に生命の真理に目覚めるように説いたのは 哲人ソクラテスでした。
私たちは自分の身体がなせ動いているのかを知りません 脳や各器官や臓器がどのように統一され連系
され生を営んでいるか知りません。
意識がどこから起きているのかも知りません なぜ周囲を感知できるのかもよくわかっていません。
自分が自分であることは なんとなく記憶された言葉で認知しているに過ぎず
記憶は既に過去であり 今の瞬間の自分が何者なのかがわかっていません。
ソクラテスの問いは真理をついた言葉であり 当時の知識層といわれた詭弁学者は彼を恐れ
彼に嫉妬し 牢屋に送り 法を順守するソクラテスの正義感につけ込み、毒を送ったと言われています
ソクラテスの問いは 今も私たちの心に鮮明に響いてきます
自分のこと 自然や宇宙 生命についてほとんどわかっていないという
学べば学ぶほど多くのことが分かっていない自分に気づきます
まさに無知の自覚です。そこから本当の自分の探求が始まりす。