相談室(ブログ)

心の病を改善する…マインドフルネスは仏教医学の現代的展開

2024.01.18

 うつが長引き治らない人に対して、最近マインドフルネス認知療法が治療法として取りいれられているようです。また、生き方などにも応用展開され、企業研修にも使われていると聞きます。今の瞬間に評価せず意識を集中して生きるというマインドフルネスは簡単なようですが、奥がとても深く、仏教の禅の修行と悟りなくしては体得できません。生半可な知識は、けがのもとになります。
 
 そもそも、マインドフルネスは、アメリカのジョン・カバットジン氏による西洋医学では、お手上げの人たちの苦痛低減治療として、約30前に産み出されました。彼は日本で禅の大家について禅を学んでいます。その治療法は「マイドフルネスストレス低減法」(直訳は、生命力が蘇る瞑想健康法…こころとからだのリフレッシュ)という本で日本にも紹介されました。日本のマインドフルネスは彼の教えの二番煎じのようなものであり、彼の体得とは異なります。彼に弟子入りした人は別ですが、二番煎じは所詮二番煎じであり、出がらしで効力は少ないと思います。
 
 禅は仏教の一部の教えであり、ブッタのある時期の真実に至る入口のような教えでした。6世紀ごろ中国の達磨(ダルマ)によって考案された教えは、日本の鎌倉時代に武士の間に禅として広がりました。この教えを究めることは困難であり、アメリカ人のジョン・カバットジン氏の悟りは驚嘆に値すると私は思っています。
 
 ブッタの教えの真実に迫らないとマインドフルネスも心の部分観に終わり、治療としては危険性があります。実際、私はジョン・カバットジン氏ほどの日本の禅を体得した外国人を知りません。アメリカ人の彼は、彼独自の解釈と悟りを基本にしています。日本の禅の教えがアメリカで加工修正されたのちに逆輸入され、日本で広まっていることに、皮肉な感じを受けるのは私一人ではないと思います。
 
 なぜそのようなことが起きるのかといいますと、日本人に本当のブッタの教えと実践がなくなっているからです。日本の仏教は一部の世俗化された僧侶の職業になってしまい、檀徒は葬祭をお願いするという形式になっています。そこにはブッタの精神もないし、本物の仏道修行もありません。ゆえに仏教の教えがわからないし、マインドフルネス(禅の瞑想)をありがたがれるのです。真面目にそれをやっている、専門家風を装っている人が、私には滑稽に見えます。現在日本で、マインドフルネスを弘めてたり、使ったりしている人がいますが、本当に悟りを得ているかどうか私には疑問です。
 
 ブッタの教えは宗教と言うより、人生における苦しみの解決法であり、思想であり医学と言えます。、当時のインドで最大の医師といわれていたギバはブッタに教えを受けたと言われ、ブッタは万病を治す医王と呼ばれていたそうです。その思想の根本は、修行で得た体得であり智慧であり知識ではありません。心に対する、命に対する厳格な克己を課した修行なしには体得できないものなのです。マインドフルネスを体得できれば、自らのマインドコントロールができるようになり、生き方が楽になります。苦しみの乗り越え方ができるようになるからです。
 
 知識で心の病が解決できないようにマインドフルネスも知識では悟れません。実践・体験修得、修業という実践の中で身につけるものです。つまり生き方そのものの質を高めることと同じなのです。
 
 東洋医学は、仏教医学を源流としています。その目指すものは、自らの苦と徹底的に向き合い、厳格な修練の中で得られる智慧です。不断の努力を怠れば、その悟りも通用しなくなります。地球が自転公転し、太陽が銀河系の中を動き、万物は生々流転してゆくように、人も動き、変化に則っとていくためには、自らを絶えず向上させゆくしかありません。これが生きるということの真実でり、健康の本当の意味です。 
 銀河の詩人より