カウンセリングCOM質問者(10代後半女性)への回答
はじめまして。臨床心理シランの室です。
「生きていることが正解なのか」という質問…あなたが生きているということそのものが、自分にも両親にも、社会にも価値をもたらすことなく迷惑や不利益になっているのではないか、そんな人生に生きる意味があるのだろうかという人間存在の本質への問いになっているようです。
人間の幸福、運命、生死、病気、生命、持って生まれた差異などは古来、宗教家や哲学者のテーマとなり、彼らはそれを追求してきました。イエス、釈迦、マホメット、ソクラテス、デカルトなど歴史上数多くの著名な方がその道を探究し究めたようです。
特に世界三大宗教と言われるキリスト教(イエス・キリストが創始者)仏教(釈迦が創始者)イスラム教(マホメットが創始者)の教えは、あなたの質問…「生きていることが正解なのか」に対する回答を、それぞれの立場から回答しているようです。
人間存在の意味…。私も大学時代に、病気を患い、自分がわからなくなり、生きる意味がみいだせず、悩み苦しみました。「人は何のために生きるのか…」と煩悶し、哲学、宗教、人生論の本を読みあさったことがあります。
ここで私が当時、一番読みあさり勉強した仏教(法華経)のことについて少し紹介します。
仏教の開祖、釈迦(ブッタ)は何不自由のない王子として生まれ育ちましたが、心に煩悶を抱き、人生に悩んでいたと言われています。
有名な四門遊観…王宮の東門で老人を見て、人は老いる苦しみを免れないと知ります。西門に病人を見ては、人は病気の苦しみを避けられないと知ります。南門に死人を見ては、人は死ぬ存在という苦しみを持っていることを知ります。そして北門で高徳の人を見て、19歳で、全てを捨てて出家したと言われています。
人生は生老病死(生きる・老いる・病になる・死ぬ)という四つの苦しみから逃げることはできない。その四苦に代表される人間の苦しみの解決のために、釈迦は出家し求道の旅に出たのでした。
人生の意味を探究し修行を続けた結果、釈迦は生命の真実、宇宙の実相を悟ったと言われています。
釈迦の悟り…生老病死という四苦は無常ですが、その背後に常住不変の生命を悟ったといわれています。それが法華経に説かれ、奈良時代、平安時代に貴族の間に親しまれ、紫式部の「源氏物語」などにも登場しています。
釈迦の生命観…誰人の中にも等しく内在する可能性の生命…創造的で幸福になっていける生命と知恵が具わっている。自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めて)も幸福にしていくという共生、連帯の生命観と言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという生命観です。
一日の人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。この世界で、人間だけが、自らの可能性を信じて自らを変えていける「聖道正器」の存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きています。
その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。しかも、どんな境遇、運命も宿命も、自らの生命に具わる可能性を信じていけば、転換できるとも説かれています。
自らに内在する尊極の生命を信じられるかどうか。釈迦は信を強調されたと言われています。簡単に言えば、自分の生命の可能性を信じて行動し生き抜きなさいと教えたのです。
話は変わります。
あなたは若いのですから、薬や双極性障害について、学ばれ、正しい知識を身につけ、自分理解・把握をされたほうがよいと思います。自分の病気を治す最高の医師はあなた自身だからです。
今は治療費の件で、ご両親に負担をかけているようですが、あなたが元気になり、仕事に就いていけば、恩返しはいくらでもできます。今は、健康になることに全力を注ぐことです。
障害者サポートセンターなど公的機関に相談され、経済的な面や社会復帰のことなども同時に進めていかれるとよいと思います。孤立してしまうと心はどんどん落ち込んでいきますし知識や情報も得ることができませんから。
最後に私が苦境の頃に励まされた言葉を贈ります。
「一度(ひとたび) 病に倒れたとしても 決して屈してはいけない
多くの人が立ちあがり 一生満足を送っていることを考えれば
君の生きゆく資格は 絶対と知ってもらいたい」
「私はこの世に人間の旅に出たのだ 生命究極の目的まで
疲れても歩まねばならない 風の日も雪の日も
野宿の時も覚悟しながら 私はひたら歩むのだ」