学校や職場に安心した場がなくなると、人は自然に安心した空間に戻ります。それは巣であり、今のこどもにとっては家になります。それは動物・人の本能だからです。
一度不登校状態になった児童生徒は、所属する学級に戻ることが難しくなります。小学校の低学年であれば、学級に戻ることに対しては、そんなに困難は伴いませんが、小学校の高学年から中学校の全期間・思春期の時期の再登校が一番困難になります。
それは思春期特有の心身の不安定さや自意識・他者意識の過剰性も関係していますが、より本質的原因は人間がもつ生きること、つまり安全に身を保つということに起因しています。
これは、小中高生だけの問題ではなく、短大、専門学校、大学生、ひいては社会人の引きこもりも根本的には同じです。当芝蘭の室には、小学生から、30代の引きこもり者まで、多くの社会回避のひきこもり者が訪れます。その中から見える特徴を中心に述べてみます。
ある人は、小学校の低学年から中学校の全期間不登校になり、そのまま引きこもったまま20歳の成人となり、社会復帰を決意して当室を訪れました。
また中学生は男女を問わず、一度不登校状態に陥ったら、中学三年の進路の時期まで不登校が続く生徒が大半です。進路先決定の時期になると、将来に向き合わされ学校の特別教室などに出向き、進路先を決定します。そして、通信制の高校に進んだりしますが、そこでも困難を感じる生徒は少なくありません。なぜなら本人の根本的課題が解決できていないからです。
不登校、引きこもり者は、安全空間に籠る、つまり動物でいう巣ごもり活動に似ています。子どもは籠っている間、身体は成長しますが、心の発達は止まりがちになります。心の成長が止まった分、社会復帰・学校復帰がますます困難になっていきます。特に人間関係、人間集団の中で生きる能力の成長が止まりがちになります。結果、対人不安症傾向を呈してしまいます。
今から65年前の戦後のベビーブームの頃は病気以外の不登校は社会にいませんでした。まれに親の手伝いをさせられたり、子だくさんで、子どもの世話を手伝わされたりの理由で学校に行かせてもらえない子がいたくらいです。
今のように学校を休んでも家に居場所や安心して籠れる空間がなかったのです。逆に学校の方が安全で面白かったのです。
現在は、多くの家には個室という子どもの籠る安全な場所があります。籠っても食事はついています。テレビもあるし、漫画もスマホもあります。子どもにとって最もおもしろいゲームやユーチューブにも触れられます。最高に安全で、快適でおもしろい場、それが現在の多くの家なのです。
嫌なこと、脅威を感じる学校、おもしろくないところには足が向かないのは当然なことです。
将来を考えず、その日ぐらしに生きる多くの不登校者は、家こそ最高に安全快適な場所であり、学校は脅威に満ちた場なのです。中学卒業後の進路が頭を掠めることがありますが、先のこととして考えないようにし、今をごまかすように生きて大事なことを忘れようとします。
ですから、学校、勉強、将来のことに触れられると、不快と恐怖を覚え、怒り出したりします。立ち向かわなくてはいけない学校という脅威から逃げている自分を感じているからです。
そもそも不登校のきっかけになった出来事は、嫌な出来事、脅威に感じる出来事、不快を感じること(学級・学校内で起きた人間関係や失敗など心理的傷つき体験)の多さなどが考えられます。その結果、学校に行くという闘いをやめ、身を安全に守るため家に回避・逃走するように自室に籠ります。
一度、家の快適さを味わうと、あえて不快や脅威を感じる不安の場・学校には行けなくなります。人間も動物種の一種であり、身を守ることを第一に優先する生き物だからです。