私の目的は、個々の人が、自分自身の翼で飛ぶという意識を取り戻すことを教えたい
ニコラ テスラ (20世紀の物理学者・詩人)
自分が分からず どう生きてよいのかわからない
人間にとって最も大事なことは何があっても、自分らしく自分を表現し、どんな環境や出来事にも立ち向かっていける強い心、賢さ、そしてしなやかな心を持つことです。
この世界に、あなたの顔が一つしかないように、あなたの人生もあなた独自の道になります。ガイドラインやマニュアルは机上の知識です。残念ながら数学的な解答は人生にはありません。自分で解答を見つけるしかないのです。
環境の変化に うまく適応できていない
めまぐるしく変化する現代社会に大人も子どもも適応することに難しさを感じています。この世界の人も、ものも、自然も、すべては常に変化していますが、普段は意識できません。変化が小さいときは無意識的に反応し、今までの記憶化された心身の習慣力で適応できるからです。しかし変化の波が大きいと、適応できない人や生物や自然が増えてきます。それが、ひきこもり、不登校の一因になります。
急速な変化に適応できず、自分でも原因が分からず、今まで普通にできていたことが出来なくなっていきます。専門家は社会不安障害、うつ、適応障害、ひきこもり・不登校という名前をつけることで解決したかのように錯覚していますが、その中身は曖昧であり、人間の部分しか見ていないため、的に当たっていないのが現状です。なぜなら人間の心の働き全体が分かっていないからです。
物質的豊かさ 便利社会がもたらす 忍耐力の不足
科学技術の急速な発達により、物質的豊かさは年々増し、我慢しなくてよい便利社会が到来し、過剰サービス社会が人間の忍耐力や思考力を脆弱化しています。結果、人はすべてのことを当たり前と思うようになり、科学技術を盲信し、いつしか驕りという毒を飲まされ、人間の素直な.心を失い、自分の外にあるものに感謝の念が持てなくなりつつあり、今生きていることの有り難さに鈍感になっています。
視聴覚という感覚反応中心の生き方は 情緒が育たない
スマホ・パソコン、テレビなどの電気製品の普及に、使用はできているが、私たちの心身、脳は適応できず、心身のバランスを崩していることに気づいていません。見える情報、聞こえる情報に操作され、視聴覚という快感覚反応中心になりつつあり、思考や想像力を培う場を失い、嫌なことに耐える力が身に付かない生き方になっています。
想像力と忍耐力と思考力の不足は人間関係を難しくします。引きこもり・不登校は、環境適応できず、社会から逃走し、家という安心空間への回避した状態といってよいでしょう。
安心空間を広げることが 不登校・引きこもりの 解決の良薬
会社や学校で嫌な出来事に遭っても、それに対する反応は人それぞれです。みんなが、そこから回避するわけではありません。では、引きこもりや不登校は、なぜ家という安心空間に回避したのでしょうか。その原因について考えることが大事です。そうすれば、その人独自の解決の道が見いだせるはずです。
本質的な原因の把握なしに学校・社会復帰させようとして、関係機関に相談し、子どもだけをなんとかしようとする無駄を繰り返しているのが現状です。的を外した対処に改善はありません。逆に悪化させ、ひきこもり・不登校を長期化させることになってしまいます。
安心空間を広げるには 正しい知識と行動が求められる
親も子どももともに人間としての新たな学びが必要になります。学ぶことによって変化をもたらしている波を知り、変化の中で生きる自分を知り、変化する環境と自分への適応力に気づくことができるからです。つまり人生が変化の連続なら、幸福に生きるためには大人になっても学び続けるしか変化に対応できないからです。
学歴を得るために学ぶのではなく 自分を高めるために学ぶことが こころを強く賢くする
学校の学びは、学歴や社会的ステイタスを得ることが目標の知識偏重になり、知識がモノ化され現実の生きる力になっていないのが現状です。学校で学んだ知識は過去のものであり、多くは今の変化に対応できなくなっています。
「学べば学ぶほど、私は何も知らないことがわかる。自分が無知であると知れば知るほど
より一層 学びたくなる」(アインシュタイン)
芝蘭の室では、人間教育を重視し、体や心を知る、身体と心の関連性を知る、自然や社会を知る、人との関わり方、人生を知ることを学びます。
そして、その人らしい個性を表現して輝いていける自分らしい生き方を探究します。
正しい知識と智慧の獲得を目標にします。智慧とは生きる最善の対処法です。どんな環境下にあっても自分に負けず、生き抜く力です。
自分を高め 周囲の人を その光で照らす学びと生き方が 正しい生き方
最終目標は、人として「一隅を照らす」生き方ができるようになることです。それは、中村哲医師(注1)の生き方の指針でした。
アフガニスタンの困窮難民のため身を削って人道の道に生き、流れ弾に当たって命を落とされた中村哲医師のような方こそ、本物の人であり、現在の菩薩(慈悲と愛の心で他者を育み守ることを第一義にして生きる人・幼子を守るために自らを省みず献身する母親もその一部)の一人だと思います。このような真の利他の振る舞いをする大人が増えれば、その国の民も心が潤い、自然や国土も潤い、災害も減少していくでしょう。
注1 中村哲氏の座右の銘「一隅を照らす」平安時代の人、最澄の言葉。意味は、「一人一人が自分のいる場所で、自らが光となり周りを照らしていくことこそ、私たちの本来の役目であり、それが積み重なることで世の中がつくられる」