相談室(ブログ)

不登校・ひきこもり 解決のための 最善策2

2025.05.02

年々増加する 不登校とひこもり‥その背後に潜むもは

不登校・ひきこもり状態にある人の多くは、心身の不快の感覚(ストレス)に耐えられず、家という快領域(癒しの場)に回避した状態です。その内実は、人や出来事に対する恐怖や不安、行為の後に訪れる嫌悪感や恥ずかしさなどの不快感情です。人は本能的に不快を避けます。不快はストレスとなり重なると、心身の不安定を招きます。不快を避けるのは、生きるための生物・人の大事な保身行為の一つだからです。その背景要因を、さらに詳しく考察していくことにしましょう。

便利・物質的豊かな社会が 忍耐力の不足を招き 心を弱くしていく

日本は世界でも有数な安全平和社会であり物質的に豊かな便利社会です。それなのに、なぜ社会不安障害、適応障害、うつ、ひきこもり・不登校などの心の不調者が増加するのでしょうか。

物質的豊かさの追求とその享受、便利社会の恩恵に反比例していくのが、心の豊かさの喪失現象です。便利さや不自由のない生活は、生きていく上での大事な忍耐する力の養成の場を奪っていく面があります。つまり、心はますます貧しく、乏しく脆弱になっていくということです。「忍耐こそ大成の礎」という言葉は深い意味があります。

快適志向が生きる力の一つの要因

人は生きるため快適さを欲し、安全を求めます。これはあらゆる生物、動物の持つ本能です。人も動物の一種です。本能とは本来的に持つ悩・神経の働きです。1万メートルの上空をすいすい飛ぶ鳥、神業です。また水圧に抗して生きる深海魚、神秘としかいいようがありません。

人も、どんな動物にも負けていない不思議な本来的な生き抜く身体を持っています。

一例をあげれば、人は生き抜くために、空腹を感じる働きをもっています。空腹感がなければ、人は食べることをしなくなるでしょう。また舌の味覚がうまさを感じなければ、食べものを求めなくなるかもしれません。空腹感も味覚も人に具わっている不思議な生き抜くための悩・神経・心の働きなのです。

快を求め 不快・嫌悪を避けるのが 人の行動原理

人が他の動物と異なるのは、二本足で歩行ができ、手が使えること、大脳皮質が発達し言葉が使え、記憶をもとに思考できる働きを持っていることです。

人は生きるために不快を避けます。恐怖を避け安心を求めます。つまり好きか嫌いかという感覚が生きるために最初に反応します。それは人間の行動原理の第一法則です。誰人も、この法則に則って生きています。社会的な犯罪を犯す人の大半は、本能から生起する欲を制御できないために起きています。

苦しみは 欲求がうまく通らない結果の感受反応

今の苦しみや楽しみは、人の五感(目・耳・舌・鼻・身)に発した生きるための欲求の結果です。欲求が満たされれば快感覚を味わえます。うまくいかないと不快感覚に支配され、怒りや嫌悪、恐れなどが記憶されていきます。不登校・引きこもり状態にある人は、不快感覚がもたらした恐怖や嫌悪というストレス状態の一つの解決策として家に籠った状態です。

不登校・引きこもりは病気ではない 対処を間違えると 本当の病気になる

自らの欲求の中身を知り、その調律の仕方を知ることが心の不調(不登校・ひきこもり・不適応)を改善する要諦になります。不登校・引きこもり・不適応が長くなれば、抑うつ症状、対人恐怖症が出るのは普通の心理現象であり、病気でも何でもありません。対応や処置を誤ると、さらに不調状態を長引かせ、本当の心の病(抑うつや対人恐怖症)になってしまいます。心のことがよくわかっていない、専門家まがいの人が、心の病を悪化させることはよくある話です。自らの心を明るい鏡に映せば、真実が見えてきます。

快を求めすぎると 心身の不調を招き 痛みや苦しみを感じるようになっていく

人の生き抜くため行動に潜む「癡・おろかさ」について述べてみましょう。

痴…おろかとも表記します。知が病んでいる状態、間違った知識というのが言葉の意味です。ものごと、人間、自然の法、因果や道理がわからず、目先の感覚的欲求に抗しきれなく行動する心的状態です。

「飛んで火に入る夏の虫」暗闇の光を求め、火に入り、焼け死んでいく虫たち。このようなことは人間社会にもたくさんあります。お金のため、有名校に入るために大事な人の心・情緒を失うのも愚かさ、好きなものを食べ過ぎたり、飲み過ぎたりして病気になるのも愚かさ、専門家の誤った知識に騙されるのも愚かさ、人を傷つけることも、殺し合うのも愚かさが原因です。

すべて生き抜くために自分を守るための行動が発端になっています。生物・人間の本質は自己中心です。自己中心を発動させないと生き残れないからです。しかし、自己中心性だけに生きると、弱肉強食(争い・戦争など)世界に生きる他の生物や動物と同じレベルになってしまいます。人間と動物の違い‥それは他者への思い遣りという想像力を働かせた心の働きです。自己中心性を克服する鍵は、人の情緒の働き、優れた想像力にあります。

病気の多くは、正しい知識不足 道理がわかっていないことが原因

病気や不調の多くは、正しい知識の不足、道理や因果が分からないことから生じています。正しい知識や情報を身につけることが病気を予防します。「知は力なり」(フランシス・ベーコンの名言)は真実を穿(うが)っています。

病の治療を重視する日本の医療界は、既に後手に回っています。真の文明・文化国は、病気にならないための予防に重点を置き、健康維持に先手を打ちます。病気になってからは、すべてが遅くなり、回復までの手立ても数倍かかります。結果、心療内科の予約が三か月待ちになる現象が起こります。

軽薄情報の氾濫が 人の快を増長させ 病を増産させている

世の中、偽りの情報、利己的金儲けのための巧みな情報、偽善に満ちています。無知な人たちをだます似非専門家たち。視覚情報に弱い人間心理につけ込むコマーシャルやユーチューブ動画など。見抜くのは大変なことです。甘言で人の保身を増長しています。

この愚かさの病・痴病が現代人を覆っていると言えます。国民に本当の学びが少なく、表面的な浅い思想につかりきっているようです。拝金思想、刹那主義、コンビニ信者が先進国を席巻しています。

仮初(かりそめ)の平和に守られ、便利さに忍耐心を失い、人々は自らの生をよりよく保とうと快適情報にますます依存し、生きる力を弱め、脆弱性(ぜいじゃくせい)を強めています。

正しい知識の獲得がもたらす智慧が 正しい人生につながる

その結果、心の病はますます増産されていきます。生きること、身を守ることに潜む愚かさが原因と気づかずに…。それを乗り越える方法は、まず正しい知識を身につけ、正しい情報を見抜く智慧を培うことから始まります。

不確かな心を 明確化する意識の在り方

安心領域は、個人によってすべて異なります。個々の心的状態の把握なしに解決は難しくなります。心の在り方、感情と思考と行動の関連性、記憶と潜在意識など個人の反応のしかたを正しく知ることから、安心領域の拡大が可能になります。つまり自分の意識・心を、どこまで正しく明確に見ることができるかが全てなのです。

正しい知識に導いてくれる師・先生の存在が必要

そのためには、正しい師・先生が必要になります。正しい師とは、病める人を確実に改善し、その人の人生を高め、幸福の方向へ導くことができる人です。例を挙げれば、ブッダ・釈尊のように多くの人を現実的に救い、幸福の人生に導く人です。私利私欲なく無私の志を持って生きている人です。洞察眼を磨けば、自然もその一つであることがわかります。

偉人が遺した名言

宮本武蔵の名言「我以外、皆我師‥われいがい、みな、わがし」。ここで言う我(われ)は、人だけなく、すべての生命ある存在、万物を指しています。フランスの思想家ルソーは「自然に還れ」と叫びました。老子は「自然のままに生きよ』と言いました。含蓄に富む名言です。名言は、人を正しい方向に導いてくれる指標になります。

芝蘭の便り㉕