心が持つ不思議な働きと力
強い怒りを感じても一週間もすれば、怒りは半分以下になります。愛する家族を亡くし、悲しみにうちひしがれていても、半年もすれば悲しみは半減し、時間の流れとともに、やがて思い出として心に収まっていきます。どんなに嫌な辛かったことも時間が立てば、日常生活が普通にできるように回復していきます。これは誰人も、持っている心の不思議な力によるのです。心には、どんな苦しみも辛さも癒し、もとに戻す力が具わっているのです。これを「蘇生力・そせい…よみがえる力」とも「妙なる働き」とも言います。名医はこの法の一部を発見し、その働き(注1)を巧みに使って、病者を治します。
私たちの身体(細胞)は よりよく生きようと 常に最善を尽くしている
この法に則れば、すべての心病をなくすことができると言われています。もちろん、ひきこもり・不登校も改善し、心の健康を得ることができるようになります。40数兆個の細胞(その統一体が私たちの生命)は、よりよく生きよう生きようと新陳代謝し、環境の変化に適用し、常に闘っています。闘いをやめれば、死滅するしかないからです。体(細胞)に即して現れる心も同じです。
注1 妙なる法(古代サンスクリット語で、サ・ダルマと釈尊は名づけました。中国4世紀の名訳僧、鳩摩羅什・くまらじゅうは、妙法と漢訳しました)…釈迦は2600年前頃に、心(生命)の妙なる不可思議世界の法(ダルマ)を修行と瞑想で悟り、ブッタ(覚者)になったと言われています。ブッタになった人間釈尊は、あらゆる現象を貫く法(妙法)に精通した博学の人であり、万人の不幸や苦しみを抜き、健康、幸福にする道を説き実践し、医王と呼ばれました。竜樹菩薩(りゅうじゅぼさつ・ナーガールジュナ、インド200年ごろの天才・空観…認知できないが、確かに存在する法…などを説いた)は、その不思議な法を「治し難きをよく治す、故に妙と為す」「大薬師の毒を変じて薬と為す」(大智度論による)と解釈しました。本来の心(生命)に具わる不可思議(妙)な働き・法を悟ったと言われています。
名医と言われた方の一人に、森田療法の開祖、慈恵医科大学の精神科初代教授、森田正馬氏(1874-1938)がいます。彼は自らの神経症体験の内省から「あるがまま」という不思議な心の働きを発見し、薬を使わず、神経症(強迫観念、パニック障害、対人恐怖症、睡眠恐怖症、不安症など)で苦しむ90%以上の方を完治させました。彼の療法は自覚療法と呼ばれ、心の中の法・ダルマに焦点を当てたものでした。(「神経衰弱と強迫観念の根治法」森田正馬著による)。
またアメリカのジョン・カバットジン氏(現マサチューセッツ大学医学部名誉教授)もその一人です。日本で仏教の禅を修行し、それにヒントを得てマインドフルネス(生命力がよみがえる瞑想健康法ー心と体のリッフレッシュー著書「マインドフルネス・ストレス低減法」)という言葉で表現し独自の療法を開発しました。心の中に流れるダルマ(法)の悟りを基本にした、その療法はアメリカのみならず、日本や多くの国に広がり、病める多くの人を救い、高い治療実績を残しています。
わが子が不登校・引きこもりになったとき、親が 考えなければならないことは…
子どもが不登校・ひきこもり状態になったとき、親が考えないといけないことは、原点に戻ることです。この場合の原点とは、苦しんでいる子どもの心です。ですから、子どもの心と向き合い、子どもの心を知ろうと努めることが最初にやるべきことなのです。なぜ、このような状態になったのか。その要因はどこにあるのか。何が過不足だったのか、どこの部分を支援すれば、子どもが人間的な健全成長を遂げることができるのかを考えることです。子ども自身も、なぜ今の状態に陥ったのかがわからないこともよくあります。
不登校・ひきこもりという出来事は、ある視点から見れば、苦であり、毒に感じるかもしれませんが、視点を変えれば、親も子どもも一緒に、人間的に成長する、またとない機会を与えてくれたかけがえのない出来事と見ることができます。そのようにひきこもり・不登校という心のありさまを前向きにとらえることができれば、それは薬に変えていける因を積むことなり、本質的解決の道に入ることができます。
母親が持つ わが子に対する無条件の愛の力
子どもが、どんな状態になっても、子どもをそのまま受け入れ、大事に守っていくという無条件の愛(注2)を親が持つことができれば、子どもは必ず良い方向に向かっていきます。また、親自らが誠実に子どもの成長を願い行動している姿は、目に見えたかたちに現れなくとも、必ず子どもの心に届き、やがて心を開いてゆくようになります。苦悩する子どもにとって、親の真心の愛情に勝る良薬は、この世界にはありません。ユダヤのことわざに「母親は百人の教師に勝る」とあるのはこの意味です。
(注2) 無条件の愛…ヘレンケラーを世界的偉人に育てた陰の支援者はサリバン先生です。目が見えなくなり、三重苦から自暴自棄に荒れ狂うヘレンに対して、彼女は忍耐強く「無条件の愛・肯定的関心」を持ち続け、終生ヘレンに尽くし、彼女の持つ可能性を開いたとされています。ヘレンの偉業はサリバン先生なくしては成し遂げられなかったと言われています。ヘレンは「私を作ったのはサリバン先生です」と生涯サリバン先生の恩に報いる行動を貫いたと言われています。
付録1「子どもの心がみえるとき」荒れ狂う生徒たちに対して、無条件の愛を根本にして忍耐強くかかわり、心を開いていった中学教師のかかわりの記録の本。
専門機関の選択は慎重に考えるべき
短絡的に精神科や心療内科に連れていくのは考えものです。それは、結果的に、多くの場合、症状を長引かせたリ、悪化させたりしてしまいます。これは心療内科だけではなく、心の専門性の低い相談期間は同じことが言えます。芝蘭の室を訪れる長期不登校・ひきこもり者は心療内科にかかったものやカウンセリングルームに通所した経歴の持ち主がほとんどであり、それも数カ所を巡った人も少なくありません。ほとんどの人が、改善せず、逆に悪化させて、芝蘭の室に来所しています。なぜ、そのようなことになるのでしょうか。
心そのものがわかっていないのが 最先端科学の現状
脳の神経伝達物質(セロトニン、ドーパーミン、アドレナリンなど)を標的にする精神病薬では、心の問題を解決することは困難であり、本質的な対処にはなりません。解熱剤ぐらいの一時的効能はあるかもしれませんが、あくまでも一時的な症状緩和であり、本質的解決をもたらしてくれるものではありません。なぜなら、心とは何か、意識とは何かが現在の最先端の量子力学・諸科学でも解明できていないからです。ただ分かっていることは、心は脳をはじめとした身体を通して、「苦しい、死にたい」「心が重たい、何もする気がしない」などの苦しみの言葉や気分、もろもろの症状として表現されるということだけです。その身体の主要な一部の働きを担っているが脳ですが、すべての細胞に心の働きがみられる(注3)のも事実です。だから難解なのです。
精神病薬の依存性と副作用の弊害
苦の原因は心から生じているので、精神病薬で苦の原因を根本的に取り除けないのは、理解できたと思います。服薬することで、依存性を高めたり、副作用による身体の不調を招いたりして、結果、不登校状態を長引かせるばかりか、二次的な症状(対人恐怖・社会不安・関係被害妄想)を強化していくかもしれません。それは複雑な心を診ようとしていないことの結果です。これは心の見立てができない相談期間も同じことが言えます。心の病は見立てと対処を間違うと悪化するのは、身体の病気の誤診と同じです。ただ心の場合は誤診していても、曖昧にすることができます(注4)。心自体が解明されていないからできることです。だからこそ慎重に賢明にならないと心を健全に守ることもできなくなります。
注4 ●「誤診」(心の科学、NO164…精神科臨床における誤診、薬物療法偏重と誤診、うつ状態の鑑別診断と誤診、大人の発達障害と誤診などが編集されている)
●「ブラック精神医療」(米田倫康著)‥知ってほしい精神医療現場の驚愕の真実 ●「発達障害のうそ」(米田倫康著)‥専門家、製薬会社、マスコミの罪を問う。 ●「精神科臨床はどこへ行く」(心の科学・井原裕編)‥薬を巡る諸問題、治療現場で起きていること、PTSDの乱発―心のケアのいかがわしさなど
不登校、ひきこもりは 環境順応能力の問題
一言で言えば、不登校、引きこもりの大多数は、時代の産物であり、現代の教育環境が作ったものであり、病気でも何でもありません。環境順応能力の問題です。わたしが子ども時代には、今のような不登校は一人もいませんでした。学年に1名程度、家の手伝いのため学校に行けなかったり、身体の病気の治療・入院のために行けないというのが理由でした。現在の不登校の理由は、全く異なっています。人間は変化する社会や時代の影響を受け、社会変化がもたらすものに教育され、なおかつその変化に順応して生きていくしかありません。人間が社会的存在である限り…。
不登校の原因の90%は 子どもの教育環境にある
人間は人間に教育されることによって、人間になっていきます。かつて狼に育てられた少女は、人間の行動や心が育たず、狼の習性を持ったまま、短命で命を終えました。彼女たちは人として生まれましたが、養育環境が狼社会であったため、狼の行動習性を身に付けてしまいました。この貴重な事例は教育の本質を教えてくれています。どんな教育環境にいるかで、子どもは変わります。子どもを取り巻く教育環境は大きく分けて、1、家庭環境 2、学校環境 3、社会・情報環境と私は考えています。ここでは持って生まれた生得的要因・遺伝的要因・素質は横に起きます。
教育は善悪にわたる
教育によって人は人にもなりますが、動物以下の生きものや魔物にもなります。戦時下のかつての学校・思想教育では、天皇は神に祀(まつ)られました。神である天皇のために死ぬことは、報国であり最高の美徳とされたのです。そのため、神風特攻隊や人間魚雷などで若き青年が命を落としました。背く者は非国民とされ、その思想に反対する者は獄につながれ、拷問を受けました。また多くの外国人を殺すことが英雄になったのです。すべては誤れる教育や神国思想が、人をそのように仕向けたのです。教育・思想の恐ろしさです。正しいものを見極める基準が大事になります。その基準とは、地球上のすべての人が幸福になれる思想・教育こそ、正しい教育であり、思想・宗教といえます。
不登校・引きこもりをつくりだす 家庭養育環境
不登校・ひきこもりで当室を訪れる家庭に共通している要因を挙げてみます。一番は母親の過干渉です。二番は虐待・無関心・子への愛情不足です。三番は親や祖父母の過保護です。四番目は母親の心の不調・うつなどの病気です。共通してよく見られる要因が夫婦の不和(家族の不和)です。少子化や核家族化や共稼ぎ、学歴偏重社会の影響を受けています。芝蘭の室で面接し改善した特徴的な事例を付録2に載せています。
不登校を産む 学校教育環境
子どもにとって学校とは学級を意味しています。家庭以外で自分が存在する場所です。その学級は日本人の行動様式の基本である、かつての「ムラ」意識が今も支配しています。「ムラ」は個や自律を認めません。「ムラ」は集団規範を守る人、集団規律に従う人で成り立ちます。集団は他律が成員を支配します。
学級のルールは「みんなの目」です。「みんな同じように」「みんながやっている」などが規範になります。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という集団論理が生まれます。正しいかどうかは二の次です。集団の正しさとは集団の掟のことであり、集団に存在する暗黙の規範のことです。みんな平等という表面的な平等主義が学校を支配しています。本当の平等主義は、違いや異質という個を認めたうえで成り立ち、人間の尊厳性に基づく理念です。異質の排除の考えが、いじめや無視などの集団同質化行動を産み出します。また行き過ぎた管理教育が、自立を損ねていきます。これらが不登校を産み出していきます。以下詳細は、付録3
不登校を作る スマホ・パソコン情報教育社会
最後は社会・情報環境です。現代社会では、この社会・情報環境が一番の影響力を持っているかもしれません。中学生以上の国民の大半がスマホ依存という、異常なスマホ情報依存環境に生きていますが、その異常性に多くの人が気づいていません。スマホ、パソコン、テレビから流される情報に子どもも、大人も知識(最近はAIが多い)を得て教育されているのが現状です。その知識の真偽も精査せず、心に深く記憶化されていきます。それは以後の行動に無意識的に作動し、判断や選択に影響を与えることを自覚できている人はほとんどいません。また、このような情報環境を親も教師も制御することは困難です。
不登校・ひこもりの心…
不登校・ひきこもり状態にある人の多くは、心の不安定感(過度のストレス)に耐えられず、家という安心領域・癒しの空間に回避した状態です。そのこころは、人や場に対する恐怖や不安、行為の後に訪れる嫌悪感や恥ずかしさなどの不快や自責の念です。人は本能的に不快を避けます。不快への過敏感覚はストレスとなり重なると、心身の不安定を招きます。不快を避けるのは、生きるための生物・人の大事な保身行為の一つだからです。その心を、さらに詳しくみてみましょう。
便利で豊かな社会が 心を弱くしていく
日本は世界でも有数な安全平和社会であり物質的に豊かな便利社会です。それなのに、なぜ社会不安障害、適応障害、うつ、ひきこもり・不登校などの心の不調者が増加するのでしょうか。物質的豊かさの追求とその享受、便利社会の恩恵に反比例しているのが、心の豊かさの喪失現象です。便利さや不自由のない生活は、生きていく上での大事な忍耐する力、思考したり、想像したりする場を奪っていく面があります。つまり、心は貧しく、乏しく脆弱になっていくということです。
不快・嫌悪を避ける 不登校・引きこもり
人が他の動物と異なるのは、二本足で歩行ができ、手が使えること、大脳皮質が発達し言葉が使え、記憶をもとに思考できる働きを持っていることです。人は生きるために不快を避けます。恐怖を避け安心を求めます。つまり好きか嫌いかという感覚が生きるために最初に反応します。それは人間の行動原理の第一法則です。誰人も、この法則に則って生きています。社会的な犯罪を犯す人の大半は、本能から生起する欲を制御できないために起きています。今の苦楽は、人の五感(目・耳・舌・鼻・身)に発した生きるための欲求の結果です。欲求が満たされれば快感覚を味わえます。うまくいかないと不快感覚に支配され、怒りや嫌悪、恐れなどが記憶されていきます。
不登校・引きこもり状態にある人は、不快感覚がもたらした恐怖や嫌悪というストレス状態の一つの解決策として家に籠った状態です。その引きこもり状態に大きく影響しているが、人間だけが持つ知的な記憶力です。嫌な出来事を知的に記憶してしまうところが、他の動物と異なるところです。世間でいう、トラウマ(個々の傷体験の思い出)現象です。
過剰性が HSC(高度感受性反応…神経過敏)状態を招く
生き抜くため行動に潜む「癡・おろかさ」について述べてみましょう。痴…おろかとも表記します。知が病んでいる状態、間違った知識というのが言葉の意味です。ものごと、人間、自然の法、因果や道理がわからず、目先の感覚的欲求に抗しきれなく行動する心的状態です。
「飛んで火に入る夏の虫」暗闇の光を求め、火に入り、焼け死んでいく虫たち。このようなことは人間社会にもたくさんあります。お金のため、有名校に入るために大事な人の心・情緒を失うのも愚かさ、好きなものを食べ過ぎたり、飲み過ぎたりして病気になるのも愚かさ、専門家の誤った知識に騙されるのも愚かさ、人を傷つけることも、殺し合うのも愚かさが原因です。
すべて生き抜くために自分を守るための行動が発端になっています。生物・人間の本質の一つが自己中心です。自己中心を発動させないと生き残れないからです。しかし、自己中心性だけに生きると、弱肉強食(争い・戦争など)世界に生きる他の生物や動物と同じレベルになってしまい、共同生活ができなくなります。人間と動物の違い‥それは他者への思い遣りという思考・想像力を働かせた心の働きです。自己中心性を克服する鍵は、人の情緒の働き、優れた想像力のもたらす、思い遣りの振る舞いにあります。
刺激的な情報が 環境順応力に影響
世の中、偽りの情報、利己的金儲けのための巧みな情報など玉石混交状態になっています。無知な人たちをだます似非専門家たち。視覚情報に弱い人間心理につけ込むコマーシャルやユーチューブ動画など。見抜くのは大変なことです。甘言で人の保身を増長してゆきます。愚かさの病が現代人を覆っていると言えます。人々は表面的な浅い思想につかりきっているようです。仮初(かりそめ)の平和に守られ、便利さに忍耐心を失い、思考することを麻痺させられ、人々は自らの生をよりよく保とうと快適情報にますます依存し、生きる力を弱め、脆弱性(ぜいじゃくせい)を強めています。そのうち、あらゆる病気が生活習慣(基本は思考、行動、情緒の在り方)病と言われるようになるかもしれません。
正しい知識と対処力が 正しい人生を開く
その結果、心の病はますます増産されていきます。生きること、身を守ることに潜む愚かさが原因と気づかずに…。それを乗り越える方法は、まず正しい知識を身につけ、正しい情報を見抜く智慧を培うことから始まります。人の心の安心領域は、個人によってすべて異なります。個々の心的状態の把握なしに解決は難しくなります。心の在り方、感情と思考と行動の関連性、記憶と潜在意識など個人の反応のしかたを正しく知ることから、安心領域の拡大が可能になります。つまり自分の意識・心を、どこまで正しく明確に見ることができるかが重要になります。
正しい知識に導いてくれる師・先生の存在が必要
そのためには、正しい師・先生が必要になります。正しい師とは、病める人を確実に改善し、その人の人生を高め、幸福の方向へ導くことができる人です。例を挙げれば、ブッダ・釈尊のように多くの人を現実的に救い、幸福の人生に導く人です。現代社会に、そのような人がいるのかと思うでしょうが、います。私も何人かに出会い、そのおかげで今の私があると思っています。ブッタの志(注5)を実践している人はいますが、表に現れていないだけです。私利私欲なく無私の志を持って生きている人です。洞察眼を磨けば、自然もその一つであることがわかります。
(注5) ブッタの志…ブッタは菩薩道に終生生き抜きました。菩薩の道を行く人はブッタの志を生きる人です。最近では中村哲医師がいます。アフガニスタンの困窮難民のため身を削って人道の道に生き、流れ弾に当たって命を落とされました。彼のような方こそ、本物の人であり、現在の菩薩(慈悲と愛の心で他者を育み守ることを第一義にして生きる人・幼子を守るために自らをかえりみず献身する母親もその一部)の一人だと思います。 中村哲氏の座右の銘「一隅を照らす」平安時代の人、最澄の言葉。意味は、「一人一人が自分のいる場所で、自らが光となり周りを照らしていくことこそ、私たちの本来の役目であり、それが積み重なることで世の中がつくられる」この最澄の生き方は、菩薩道そのものです。
心、体、自然、ものとの相関性についての気付きが解決の良薬
自分の心をみつめ、正しく知識することがまず一番大事になります。自分の意識や感情を知ることです。自分の身体の働きについて正しく知識することです。生きていることの不思議を感じるように自己観察力を磨くことです。地球・宇宙や自然や環境や他者との関係性で生きていることを想像力を磨いて実感するようにしましょう。正しい人間観、社会観、自然観を身に付けることです。全体を網羅した知識がもたらすものが気づきを産み、行動を変えてゆくからです。それらが心の良薬なり、一回りも二回りも成長した人格に成長していくことになります。そのとき乗り越えられない心の壁はなくなり、不登校・ひきこもりる必要がなくなり、社会・学校に適応順応できるようになります。
偉人が遺した名言に学ぶ
ニコラ・テスラ(注6)は「私の目的は 個々の人が自分の翼で飛ぶという意識を 取り戻すことを教えたい」と、自ら考え自立の人生を歩むことを教えてくれています。宮本武蔵の箴言(しんげん)「我以外、皆我師‥われいがい、みな、わがし」。ここで言う我(われ)は、人だけなく、すべての生命ある存在、万物を指しています。人間的に大成するためには、あらゆるの環境に謙虚に学ぶことの重要性を教えてくれます。アインシュタインは「想像力は知識より重要だ 知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」と自由に思考することで人間は心の自由を得ていくことを教えてくれます。偉人の名言は、人を正しい方向に導いてくれる指標になります。
注6 ニコラ・テスラ…アインシュタインに比肩する20世紀最大の天才物理学者。交流電圧を発明し、300以上の発明、発見をしたと言われています。物理学者よりむしろ、詩人であり、哲学者であることが彼の卓越性を表しています。生涯独身を貫き、人類福祉のための発明に一生を捧げました。彼も菩薩の一人と言えます。「私の脳は受信機に過ぎない。宇宙には中核となるものがあり、私たちはそこから、知識やインスピレーションを得ている。私は、この中核の秘密に立ち入ったことはないが、それが存在することは知っている。」「宇宙には始めもなければ終わりもない。だれも死んだ人はいない。死は元のエネルギーに戻った姿にすぎない」などの名言を残しています。アメリカのイーロン・マスク氏は、ニコラテスラの崇拝者として有名です。
付録1 「こどもの心がみえるとき」当時、市内一荒廃した中学校に赴任し、荒れ狂う生徒たちに真正面からかかわった一中学教師のノンフィックシヨン小説(松岡敏勝著・文芸社)。テーマは、荒れた子どもに対する「無条件の愛・可能性を信じる心・忍耐・誠実」。ペスタロッチ(教育の父と言われている)の志を胸に抱いて、2年間かかわり、苦闘の末、子どもの心を開き、共に大きく成長した物語。
付録2 〇いじめ事例。中学時代の部活コーチの度重なる暴言が心の傷になり、高校2年でトラウマを発症し、不登校になった女性の事例 〇親の過干渉事例 小学時代から一流大学進学路線に載せられ、大学入学後に挫折が始まり、社会に出て適応できず、数カ所転職後、長期の引きこもりになった男性事例。〇いじめ、親の放任事例。小学校の低学年のとき、いじめに遭い、人が怖くなり、以後不登校となり、中学校も全欠席、卒業後20歳まで引きこもっていた女性の事例。 〇親、祖母の過干渉と夫婦不和の事例。習い事や宿題、勉強を完璧にさせようと、親と祖母が指示、強制圧力をかけた結果、習い事をいかなくなり、学校も行かなくなる。小学校3年の秋から全欠席になった男児の事例。〇教師の高圧的言動の事例。担任教師の恐怖感を与える言動に怯え、不登校が始まった小1女児の事例。
付録3「不登校を量産する学校教育環境」
中学校が荒れていた頃、小学校も学級崩壊などが起こり、多くの学級は無秩序状態を経験しました。鎮静化のため、学校では管理体制が強化されました。荒れた中学校の矢面に立ったのが強面(こわもて)の体育会系教師で、暴れる生徒を取り押さえる力が求められました。
暴れていた生徒の大半は、低学力生徒か家庭崩壊傾向、愛情不足傾向の生徒たちでした。当時は「落ちこぼれ」と言われたりしました。かつて私が関わった生徒の中には算数の九九もできない非行グループの番長もいました。
彼らは、今風で言えば「知的障害傾向者」であり、「ADHD・ASD」傾向者と言われるでしょう。当時の学級は、そんな子どもが学級に混じり、学級自体の均質化・秩序化を妨げ、デコボコ状態を醸し出していました。今のように学級で緊張したり、人目を意識したりすることが少なく、失敗や異質を受け入れる容量が学級にはあったのです。
二度と荒れた学校にさせてはいけないと、学校の管理体制は強化され、秩序を乱す異質の存在は学校から排除されるようになりました。その頃、特別支援教育も学校に導入されます。かつて暴れていた低学力の子どもは、教室から影を潜めます。管理は強化され、教室は同質化された子どもだけが残りました。
異質の混在は、同質化の防波堤になっていました。しかし、それが減少していく中で、異質的存在は学級に居づらくなります。みんなと違う、普通でない子どもは、どこに行ってしまったのでしょうか…あるいは家で生活するようになったのでしょうか…
集団が作る同質性は、異質性をますます排除していきます。異質であることは控えなくてはいけません。「みんなと同じでないといけない」「みんなと違ってはいけない」「普通でないといけない」などと子どもは異質になることを恐れ、集団の中で無意識的に緊張しています。失敗を過度に気にします。失敗すれば集団から排除されるかもしれないからです。過剰に人目を気にします。排除されては、その集団の中で生きていけなくなるからです。
学級成員の神経過敏状態は強まり、HSC(ハイリー・センテンシィブ・チャイルド=高度感受性をもつ子ども)なる子どもが増産さます。
小学校に行くと、「学校は失敗するところ」などの掲示をよく目にします。しかし実際の教室は、学級成員によって、失敗は異質性の一つとして冷ややかに見られがちです。小中学生は過度に失敗を恐れるようになりました。かつての学級には、失敗しても平気な子、人に笑われても平気な子が混じっており、失敗に対して集団自体が寛大でした。外れた異質の子どもの存在が教室に笑いをもたらし、リラックスさせたり面白くしたりなどの潤滑油的役割をもたらし、異質性を持つ成員の居心地をよくしていたと私は思います。
子どもは異質になるまい、みんなと同じようにしようと、過剰に神経を遣いHSC状態になる子どももでてきます。ある子どもはストレスで一杯になり、他者に暴力を振るう形で発散させたりします。またある子どもは、その過剰さに神経を使い果たし疲弊し、学級に居れなくなります。そしてやむなく不登校という回避行動をとるようになるのです。小学生の暴力の急増の原因、不登校増加の原因の一つは、ここにあると考察しています。
芝蘭の便り