(質問)
高一の女です。自分がどうしたら今耐えられるかわからないです。
小学生の頃から気付いたら常に頭の中に『死にたい』という単語があり、何故かそこはどんなに楽しくても笑っていても変わらないみたいです。
母も精神が弱いこともあり、これ以上母を傷付けると家庭が崩壊しそうなのですが、これ以上我慢をすると私が壊れてしまいそうです。もうこの世にいたくないです。
家に居たくない、ってなっても高校生が行ける所なんて限られていますし、精神的な病院に入院するとしても私はそこまでの状態でない気もします。
勉強もしたいのですが、うつ病と診断された中学一年からどんどん記憶力も理解力も下がり、今じゃ教科書をノートに写そうとしてもその間に忘れてしまい何にもなりません。大学受験、就職も視野に入れなきゃ行けないのに今のままじゃ未来が見えません。不安です。毎日毎日我慢し続けてもう限界です。
(回答)
臨床心理シランの室です。
生き辛さの中で、希望もなかなか見いだせず、なんとか今日まで生きてきたのですね…。生き抜くということは大変なことです。寝たきりになっても、なお周囲の方が必死に介護をしながら生きようとしています。また身体にひどい障害を持ったり、半身不随になったり、認知症になったりしても、なおかつ生き抜こうとしています。そんな人たちの人生を見るとき、「生きる」ということは何なんだろう‥と考えてしまいます。
人生の意味を追求し、あらゆる宗教・哲学が生まれと言われています。
ブッタ(仏教の創始者、釈尊)…彼は何不自由のない王子として生まれ育ちましたが、人生に悩み(心から楽しみを感じることができる人生とは何か)‥悶々として解決を求め、すべてを捨てて出家したと言われています。修行を貫き続けた結果、悟ったといわれています。
ブッタの思想…誰人の中にも等しく内在する不可思議な生命…創造的で幸福になっていける生命と智慧が具わっている。自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めて)も幸福にしていくという共生の哲学と言われています。いかなる運命や不幸をも転換できる生命の働きをもつという哲学思想です。
人の命は宇宙の宝すべてよりも尊い。この世界で人間だけが、自らの可能性を信じて自らを変えていける「聖道正器」の存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きています。
その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。しかも、どんな境遇、運命も宿命をも転換できると説いています。
生命は、誰人も創造(幸福)と破壊(不幸)という二面があるというのがブッタの思想です。生きるというのは、自分との戦いでもあります。善(創造、幸福の働き)が勝つか、それとも悪(破壊・不幸の働き)が勝つか…。自分の可能性を信じ、自分に勝たなくては、幸福は得られないと説きます。自分による自分の変革を説いたのです。
今の苦しみは、あなたがそれを乗り越えた時、同じような苦しみを持つ人を支援することにつながります。ハンディーが最大の長所や持ち味に替わるのです。それが生命の不思議さなのです
マズローという心理学者は欲求の5段階説を唱えています。1,生理的欲求 2,安全欲求3,社会的欲求4,尊厳の欲求5,自己実現の欲求という5つです。
最初から三つまでは環境から与えられます。4つ目からは、自らの努力の結果得られる内的な充実感になります。尊厳の欲求、自己実現の欲求が満たされれば、心が満たされ心の充実がもたらされます。
生きる確かな目標をもち、その達成のため努力していく日々の中に充実がもたらされます。多くの心理学者、宗教家は自らを高めながらも、他者貢献の生き方を目指すところに深い充実感がもたらされると説いています。
充実した生き方は豊かな環境から与えられるものでも親の愛情から得られるものでもなく、自らの目標に向かって生きる生き方の中に生まれると言われています。
一人で今の状態から脱出するのが難しいのであれば、人の助けを借りましょう。あなたを支援してくれるところはたくさんあると思います。
まずは高校のスクールカウンセラー(無料)に相談されることを勧めます。それが難しければ、民間のカウンセリングルーム(有料)でカウンセリングを受けられたらどうでしょうか。
質問
最近、人目が気になって精神的に疲れてしまいます。
自宅で家族と過ごしているときは全く気にならないんですが、学校だと、人目が気になって、挙動不審になってしまっているような気がして、周りからどう思われているかを考えてしまい、精神的に疲れてしまいます。中学の時はこういう事は無かったんですが、高校に入ってから、友達もできず、こういう状態が続いています。昼食を食べるときも、人目が気になってしまい、食べるスピードが遅くなってしまいます。
回答
臨床心理シランの室です。
あなたの短い文面からは、あなたの背景や境遇がよくわかりませんが、一部分から推察した私見を以下に述べてみます。
人の目が気になることは誰にでも起こることですが、普通は、それが一過性のものとして時間が立てば忘れてしまうものですが、あなたの場合は、既に囚われつつあるようです。
ひと目が気になり、自分の行動がままならなく、つまり行動が不自由になってしまうと、苦しくなってしまいます。今のあなたは、そうなりつつあるようですね。
考えられる理由はいくつかあります。
まず一つは、環境の変化…高校生になり、学校も級友も変わり、今現在友達もいない。つまり今のあなたは、環境に適応できず、とても不安定な状態にあります。孤立し、学級に安心した居場所がないようです。
二つ目は、青年期に起こりがちな他者を過剰に意識してしまう時期的なものです。この時期の人にありがちなことですが、それにとらわれてしまうと、人目に囚われ、行動が不自由になってしまいます。昼食を食べる時も、人から見られているようで、意識は人目に向いてしまい、本来の食べると言う行動に支障を来しています。
三つ目は、あなたは内向的になり、受動的になり、自己内省的になっていることです。積極的に人に関わるより、人からの関わりを待つような受動的姿勢になっています。人は受け身に回ると弱くなり本来の力が出せなくなってしまいます。
ではどうすればよいか…内向から外向、受け身から積極的・自発的に動けばよいのです。見られている自分から、人を見る自分に変っていくことです。人は、あなたが思っているほど、あなたのことを見ていないし、気にもしていません。逆の立場になってみたらよくわかることです。
勇気を出して、積極的に人と関わっていくことです、そのうち、あなたにふさわしい友達が見つかるでしょう。すべては、あなたの勇気ある行動で決まります。
今は、謙虚に人から学び、学校の勉強から学び、世の中から学び、あらゆるものから積極的に学び、自らを向上させ、あなたが立派な人間性のある人物になることです。あなたが人間的に向上していけば、あなたの周りに、あなたにふさわしい友達が出てくるものです。つまり、あなた本人と環境である友達は、本体と影のような関係であり、一体なのです。
自発的、積極的学びと向上心があれば、いつの間にか、人目を気にすることさえ忘れているでしょう
質問
小6の息子からが春の休校中からどんどん変わってきました。今までも癇癪もちではありましたが、ささいなことからキレ始め、母親の私の言い方批判、妹ばかりかわいがってる等不満、死にたい、殺してくれ、私に対して、消えろ、出ていけ等最近では主人がいないときはほぼ毎日何時間も続き、その度に抱きしめ落ち着いて話をするよう続けてきましたが、頻度も増え精神的に参っています。
本人もやめたいのにやめられない、本心ではないのに、言い出したら止められない、感情のコントロールができてないことが辛そうで、スクールカウンセラーに一緒に相談しようかと言ってみたところ、自分は病気じゃないとまた騒ぎ出し、暴力も振るわれるほど。学校や担任には知られたくないようで、今までも、学校では問題なく真面目な態度で問題を起こしたことはありません。子供からして、主人は厳しいタイプで逆らえず、すごく恐れているのですが、最近は主人との約束も守らなくなってきました。
主人とも相談し、今までの私達の育て方など、反省することもあり、向き合っていますが、もう改善どころか、よりひどくなってるのが現実です。もうどうしたらいいのか、全寮制の学校に入れる選択肢もありますが、年齢的にもまだ一緒にいたい気持ちもあります。以前のように普通の日常会話が当たり前にできるようになりたい。家庭内がしんどくて辛いです。私は親としてどうしてあげてらいいのでしょうか。
回答
臨床心理シランの室です。
辛い毎日、お察しいたします。あなたの文面だけから、息子さんや家庭など背景が一部しかわからず、全体がつかめませので「見立て」ができません。
ただ、息子さんが「学校や担任には知られたくないようで、今まで、学校では問題なく真面目な態度で問題を起こしたことはありません」という部分と「主人は厳しいタイプで逆らえず、すごく恐れているのです」というところに鍵があるような気がします。
学校では問題なく生活する、どちらかというとよい生徒…一生懸命、本人なり努力し、無理を重ねてきているようです。そのはけ口が、家庭であり、自分の本音が出せる唯一の人が母親になっているかもしれませんね。
あなたと息子さんの力関係は徐々に逆転しつつあります。健全な親子関係を取り戻すのは、かなりの覚悟が求められますし、父親(夫)の協力なしでは乗り越えていけない段階に来ています。
対応策として考えられることは次のことですが、時間はかかると思いますので、焦らず、粘り強く気長に構えていくことです。
母子密着に切れ目を入れるために、夫婦の絆を強めていくということです。
母子密着の強さが思春期前期の息子さんの自立を阻んでいます。今のように母親に依存する…母親に密着し何か嫌なこと、不快なこと、困難なことやうまくいかないことがあれば、息子さんは、それらのことに直面し、対決する代わりに、母親の懐に逃げ込み、発散させようとしています。正しい解決方法ではないとわかつつ…。
物事にぶつかったときの困難を乗り越える力、嫌なことに耐える耐性不足など息子さんは、家庭教育の影響を大きく受けています。母親がよかれと思ってやってきたことが、残念ながら本人の心の的に当たっていなかったということです。
全寮制の学校に入れることは、親に対して「見捨てられた」という思いを強くさせ、改善にはならず、親子の関係をさらに悪化させるでしょう。今は、どんなに辛い状態であっても、避けず、逃げず、真正面から対決するしかありません。息子さんにも「よくなっていこう」という善性が潜んでいるからです。必ず、よくなります。
息子さんの常識では考えられない要求に対しては体を張ってでも向き合わないといけません。今は両親が役割を明確にして協力して息子さんの教育に当たらなければなりません。
今は父親(父性)が求められる時です。父親の出番です。反発されても関わっていく必要があります。常識に反することや道理に合わないこと…好き勝手な行動に対しては、父親が毅然と対決しなければ息子さんが壁を超えることができないでしょう。ご両親が真剣に体を張って息子さんに善悪を教える役目があります。そうした親の行動に、息子さんは反発するかもしれませんが、心の底では自分に真剣に向き合ってくれたことに内心ほっとしているのです。それが一つの壁を乗り越え、自立の原動力なっていくと思います。
夫婦で子育てをしっかり話し合い、協働して息子さんに関わらなければ今の状況は打開できないでしょう。役割を分担し、しっかり話し合い協力し、方向を模索していく。それがここでいう夫婦の絆です。
息子さんが親以外との人間関係をもつことが抑止力(感情のコントロール)になります。誰かとの安定した人間関係を築くことが、信頼感、自己評価の回復につながり、それが「困難を克服する力」にも繋がっていきます。このような人間関係を築く上で大事なのは同一化のモデルになるような人物とのかかわりです。兄、祖父、近所のおじさん、いとこ、学校の先生、友達、先輩など…。親以外との人間関係によって息子さんの視野や価値観が広がるからです。
今一番悩まれている母親のあなたが、メンタルを維持する上でもカウセリングを受けることが必要でしょう。誰かの支えなしでは、今の状況を乗り越えられないと思います。気力もエネルギーも低下しているようですから、学校のスクールカウンセラーに、まず母親のあなたが相談するのも力になると思いますよ。
(質問)
幼い頃から現在(高校3年生)まで爪を噛む癖が直りません。
私は友達も沢山いて、部活や勉強、遊びにも充実していると感じており、学校生活も楽しいです。
性格は元気で明るく、短気でやんちゃ、ハマりやすく飽きっぽかったりとてもこだわりがある部分があります。
それに加え、気分の浮き沈みが激しく、ちょっとしたことでもすごく落ち込むことがあります。
他にも物を無くしたりゴミを捨てられなかったりなど不注意で抜けている部分がすこしあります。
不格好で不清潔な爪を友達に見られることが嫌で、この癖を何度も直そうと思い、マニキュアを塗ってみたりつけ爪つけるなどしたのですが直せませんでした。
友達もいて、センス良い、面白いと慕われ、学校などで明るく華やかなグループにいるので、この爪の癖のことを人に知られて引かれることが怖いです。
他にも、人の目につかない場所で頭皮のかさぶたをとったり、鼻をほじったり、指の皮をむしるする癖があります。
頭皮や、指から血が出ても続けてしまいます。みっともないことだと分かっており、注意するのですが無意識にしてしまいます。自分のこの、人とは違う部分がとても嫌いです。この癖を直したいです。
回答
臨床心理シランの室です。
行き詰りや失敗の原因は自分を知らないところから生まれると言われています。あなたは、症状や現象として可視化された世界のものは理解されているようですが、その背景にあるもの‥なぜ爪を噛むのか、皮膚や頭皮をむしるのか、感情の起伏が激しく、落ち込むのかなどの行為を生み出している原因はどこにあるのかがわかっていないようですね。
ストレスの対応として無意識に爪を噛んだりして、自分の心のバランスをとり、それが習慣化されているような気がします。ある意味、それらの行為はあなたの緊張や不安を防衛するという役割を担っていたのかもしれません。
心のバランス(調和)が保てるようになれば、そうした行為は減少し、やがて消失すると思われます。年齢を重ね、人生経験を積み重ねていく中で適応への学習が自然に進み、社会や他者と徐々にうまく適応できるようになるようです。そうれば、それらの症状は減少するものと思われます。
自分を知る…自分の能力や適性、行動パターンなどを理解すること。そのためには、あなたを映し出す他者の存在が必要でしょう。あなたが自分を語ることによって、あなたは自身を客観視できるようになるからです。第三者の相談者(カウンセラー)と対話することがよいでしょう。もう一つは、あなたの行動特性や能力適性などを客観的に知る心理検査(WAIS)を受けるとよいと思います。
あなたは今、青春真っ只中です。人生、これからです。あなたの決意一つで、自分を大きく成長させることができます。自分の成長を願い、大いに学び向上してしていけば、必ずよき人生は開けるでしょう。
ソクラテスは「汝自身を知れ」と言われました。私たち人間は、あまりにも自分のことを含め、知らいないことがたくさんあるということです。幸福になるには、自分を知ることが大事なのです。自分の可能性を知るためにも学び向上し続けることが幸福につながるでしょう。あなたは、既にその一歩を踏み出していますよ。ここに相談することで…。大丈夫です。必ず克服できます。
(質問)
仕事も、プライベートも、不自由ない生活です。
家族とは疎遠ですが、職場の人間関係は常に良く、人には恵まれていると思います。
仕事や、人と会うときは、身だしなみや外見にも気を使い、ネガティブなことは言わないようにしています。
そのため、周囲から「いつも幸せそうで、うらやましい」と言われたりもします。
私自身も、寝る所があり、少なくても収入があり、五体満足で、本当に恵まれていると思います。
実際は、毎日をなんとか生きる事で、疲れ切ってしまい、休日は朝から晩まで、横になっていることが多いです。
そして、ふとした時に「明日、このまま目が覚めなければ良いな」「自分の存在が、消えていたらな」と、思います。
理由が分かりません。
ただ、そのような思いを抱えて、日々を過ごしているうちに、だんだんと感情が無くなっていきました。
笑っていても楽しくないし、悲しくても涙が出なくなりました。楽しいとか、悲しいという感情も、あまり感じなくなりました。この掲示板で、このような抽象的なことを、お伝えしても、読んでいる方々が困ってしまうだろうな、と申し訳なく思います。
誰かがこの文章を読んでくれていた、というだけで良いので、こちらに投稿させていただきます。
とりとめのない文章を読んでいただき、ありがとうございます。
回答
臨床心理シランの室です。
太陽は今日も地球上のすべての生き物を育むために昇ります。雨の日も風の日も雪の日も…。自然の山や川や植物は本来、太陽と同じく他の生き物を育むように生きています。他の生命を育む…慈悲と言われるものです。人間も本来、慈悲をもった存在です。例えば、母親は無償で子の命を守り、育むものを誰人も持っていると言われています。
当たり前と思っている日常の出来事は、実はとても有難いことに溢れています。
今のあなたの苦しみには意味があります。それは新たな自分の生まれ出る疼きのようなもです。新生への種子であり、薬のようなものです。苦(にが)く辛いですが…。
あなたの心の中から、慈悲の心が疼き、あなたを救済しようとしているようです。
あなたには自己治癒力があります。あなたが願い努力すれば、その通りの自分になるでしょう。
あなたは今日まで本当の自分を生きてこなかった…つまり「自分がない」「自分が空っぽ」みたいになっていたようです。なぜそうなったのか、親の養育の影響もあるかもしれません。
あなたは、親や周囲の大人に対して、とてもよい人として振舞ってきたと思います。周囲の大人に対して従順で、素直で…。人の目にはあなたは、とても良い人に映ってきたようですね。結果的には、悩みもなく幸せに生きているような像を作ってきたのかもしれませんね。
しかし、もう疲れました。そんな生き方は限界になりました。あなたの本当の自分が、心の底から叫んでいるようです。本当の自分が窒息しそうで悲鳴をあげているようです。犠牲になってきたのが、もう一つの自分…つまりあなたの本当の自分のようです。
感情を抑え、人に対してわがままを抑え、したいことや言いたいことも抑え、周囲の人に合わせてきたようです。
これからは、自分の気持ち、自分の意志、自分のしたいことを、自分を抑えず振舞うことです。ありのままの自分を…。
青年期の一つの課題…「同一性の確立(アイデンティティ)…一貫して変わらない自分の存在」確立の時期ですが、その同一性が拡散状態になっているかもしれませんね。一般的に、青年はだれでも大なり小なり「同一性の確立」に悩み苦しむのであり、あなただけの特別な課題ではありません。ただ幼少期からの発達課題の積み残しが「同一性の確立」を他の人よりいっそう困難にしているのは事実でしょう。
同一性の拡散…自分がわからない、選択できない、判断できない、何がしたいのか、何が好きなのか…孤独、何もかもが空しいなど…。
しかし、あなたの努力で新しい自分を築いていこうという今の原因が、あなたの素晴らしい未来の人生という結果をもたらします。人間には可塑性が(柔らかい粘土はどんな形にも作り直せる)あります。ましてやあなたは、まだ20代の青年です。新しい自分を作っていけばいいと思います。
これからは環境に左右されるあなたではなく、自分の人生は自分で作っていく…自分の努力で、自分らしく生きる中で、あなたしかない持ち味・個性が発揮され、周囲の人があなたを認め、自己肯定感、自尊感情も高まっていくでしょう。自己実現の欲求が満たされれば、心が満たされ「空っぽな心」は充たされていくはずです。
充実した生き方は豊かな環境から与えられるものでも、親の愛情から得られるものでもなく、自分の目標に向かって生きる自らのき方の中で作っていくものです。
犠牲になってきた、もう一つのあなたを癒してあげてください。感情を温め、自由にさせてください。五感を使って心を癒すのもよいと思います。
目…心を癒すものを見る。朝焼け、夕焼け、海、空、花、自然、山、川、絵など…
耳…癒される音楽、鳥の鳴き声、せせらぎ、好きなラジオ、好きな人の声など
舌…好きな食べ物、コーヒーや紅茶、ハーブティー、など
鼻…いい匂い、アロマ、花の匂いなど
身体(触)…散歩、運動、複式呼吸、温泉、入浴など
意識…読書、友達との楽しい会話、日記を書くなど…。
質問
はじめまして。現在29歳、妊娠中のものです。
私は学生時代、簿記が好きで積極的に学んでいたこともあり、大学を卒業後は地方銀行から内定をいただくことが出来ました。就職氷河期だった時期に必死で努力して内定を得られた先がこの銀行でした。
まさか自分が銀行員になれるなど思っておらず、嬉しかったことを今でも覚えています。
研修や資格制度も充実していましたし、担当のお客様や職場の方とも非常に仲が良く、多忙さでしんどいこともたくさんありましたが毎日勉強になっていて充実していました。人見知りだった私が接客のやりがいを初めて知りました。
せっかく接客の楽しさを知って自信もついたことですし純粋にお客様を大切に出来てサポート出来る仕事に挑戦してみよう!と5年目で転職することに。「転職するなら20代の今しかない!」「退職は辛いけど転職先ではもっとお客様のためになれる場所が待ってるんだ!」と、変な焦りと自分はもっと上にいくんだという気持ちで、今思えばすごく考えが甘かったと思います。
退職してから仕事を探しましたが、行きたいと思える会社が無く、全然上手くいかなかったのです。
理想の仕事など存在しないと辞めてから気付きました。
1年経たない間に病気が見つかり、仕方ないですが手術や治療のために退職し、1年ほど無職に。
銀行を辞めたことをずっと後悔していて、いい加減前に進みたいですし、またイキイキと働きたいです。
一度無謀に挑戦して挫折しているので、不安もあります。はりきりすぎても現実は厳しいからなぁ…と。
ただ、せっかく学生時代から努力してきたのに、中途半端なところで終わりたくないです。
客観的に見て、どのように感じますでしょうか。銀行を辞めて後悔した執着に縛られているだけですかね…
アドバイスいただけたら幸いです。
回答
臨床心理シランの室です。
後悔はあるでしょうね…。しかし、時間がやがて解決してくれると思います。あなたは既に失敗から冷静に学び、次につなげているような気がします。
あなたは、上昇志向が強く、向上心旺盛な人だと思います。それはとてもよいことなのです。ただ、時を知り、社会を知り、世の中の動きを知り、人を知り、自分を知ると言うことに関して、若いがゆえに、やや不足していたのかもしれませんね…。
人生は海の潮の流れに似ています。上げ潮の時は、全てが順調に進み、ものごとがうまくいくものです。上げ潮に乗っているとき、人は幸運な波に乗っている自分を忘れ、自分を過信し、失敗の原因を作ることがよくあります。
一方、引き潮のときは、何をやってもうまくいかないし、努力しても努力しても波に乗れない感じをもちます。しかし、そのときこそ、人は一番成長する時なのです。
「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」…人は成功した時、うまくいっているとき、失敗の原因を作りがちです。人はそのとき油断すると言われますが、その油断の中身は自己過信であり、慢ずる心が生ずるからです。つまり、傲慢になりやすいのです。それが、失敗の原因なのです。
あなたは、自分の波を読み誤ったのかもしれません。
しかし、「人生、塞翁(さいおう)が馬」です。今回の銀行辞職が、あなたに幸いをもたらしています。病気も見つかり、早期治療もできたし、子どもも授かり、勉強もでき、キャリアカウンセラーもものにすることができました。さらに、自分が今後、本当にしたいこと、「人の相談に乗り、寄り添い、ともにより良い方向を探す」という対人支援・サポートの仕事の方向が固まり、その方向に進みたいと思っていることです。あなたの素晴らしいところは、仕事を通して、支援した人の喜ぶ顔に接すると、自分も幸せな気分になれるという思いです。
その他者貢献の心と自らを高めようとする向上の心を保ち続ける限り、どんな分野に進むにせよ、あなたは、必ず自分にふさわしい道に進むことができると思います。何よりも、あなたは若さという最高の宝を持っています。
私は29歳で大学を卒業し、中学教師になりました。また、55歳で教員をしながら通信の大学院に通い、60歳で臨床心理士資格を取得し、今は大学や小中学校で非常勤の心理カウンセラーをしています。目標を持ち、あきらめず学び努力し続けた結果と思っています。
あなたも努力し向上する自分を信じて目標に向かって進めばよいと思います。そうすれば、あなたは銀行員時代以上の人生を必ず歩むことができるようになります。
質問
私は現在精神科に通っていて、診断名はわからないですが、気持ちを落ち着かせるのに、薬も一応飲んでいるのですが、親にも病院の先生にもなかなか自分の感情を話すことができません。自分が思っていることがあっても病院の先生とかに、なかなか診察時に声をかからないし、保健室の先生とかに相談に行けても先生からどう思ってる?とかって聞かれても自分の感情が声にならず、結局首を傾げてごまかしてしまいます。
でも、自分の中のストレスや感情はいつもいっぱいいっぱいで、どうしていいかもわかりません。どうやって感情を周りに伝えればいいのでしょうか。
回答
ストレスがたまり、緊張状態になりがちなあなたは、自律神経を調える工夫されたらよいと思います。それは遠まわしに思えますが、あなたにとって着実な道のりであり、あなたの自立を促進してくれると思います。
たぶん、今あなたが心療内科で投薬されている薬は、セロトニンを増やす薬だと思われます。セロトニンの欠乏を招くのは、夜型生活、スマホ、携帯、電磁波、食事、運動不足などです。現代の生活はセロトニンを欠乏させる事柄がいっぱいといってよいでしょう。その欠乏は、自律神経の乱れを招き、うつ、強迫性障害、不安障害などの心の病の原因にもなっています。セロトニンを増やす薬に代わるのが自然療法です。ごく普通の半世紀前までの日本人の生活といってよいでしょう。
まず自律神経をリセットする方法です。
・太陽の光を朝と夕方30分ぐらい取り入れる。そのためには、自然のよいところを朝夕30分、散歩するのがよいでしょう。
・リズム運動(ウォーキング、運動)、複式呼吸、咀嚼(そしゃく)(食べ物を最低30回は噛むようにする)
・食べ物…大豆製品(豆腐、納豆、みそ、しょうゆなど)乳製品(チーズ、ヨーグルト、バター)ナッツ、バナナ、玄米食…トリプトファンという必須アミノ酸をとるようにします。
・正しい生活リズム(早寝、早起き、太陽のリズムに合わせた生活、体内時計に則った生活)、スマホやパソコンは寝る2時間前からは避ける。ブルーライトが自律神経を過緊張させます。
次にリラクセーション法としての呼吸法です。
気が散らないように、目を閉じて行う。横になるよりは、椅子などに座って行うほうがよい。大事なことは、長く息を吐くことです。長く吐くことで心身が「癒し・リラックス」されるからです。
呼吸法
・息を吸う…交感神経優位(緊張) ・息を吐く…副交感神経優位(弛緩・リラックス )
①身体を締め付けるものを緩める。腕時計などは外す。楽な姿勢をとる。目を閉じる。
②新鮮な空気が鼻から入って、それが全身に広がっていくことを思うようにする。
③落ち着いてゆっくりした呼吸を行う。腹部に空気が入るようにする。
④鼻から大きく腹部まで吸い込み、ゆっくり、長く、口から吐く。
(20秒~30秒と長く吐き出せるようにすると効果が大きい。)
⑤一回に10回程度行い、一日3回行うようにする。
最後に、気持ちや感情を表す言葉を紙などに書き出してみましょう。ありがたい、ありがとう、感謝しています、安心だ、穏やかだ、落ち着いている、平和だ、素晴らしい、見事だ、楽しい、美しい、素敵だ、見事だ、すごい、感動的だ、憧れる、嬉しい、好きだ、興味がある、関心がある、おもしろい、など書き出します。また書き留めておくとよいでしょう。
これらの言葉は、感情を良い方向で表出させ、あなたの心を高めてくれます。
それらの言葉を散歩しながら、自然の花、植物、木、動物などに語りかけてみましょう。ペットがいれば、ペットをなでながら話しかけるとよいと思います。
とくに「ありがとう」という言葉は、人間を最高に幸福にしてくれる波動を持った言葉と言われています。一日に何度も「ありがとう」と表現してみましょう。感謝できることを探し、「ありがとう」と言ってみましょう。また、未来に向かって「ありがとう」と感謝してみましょう。最後に感謝できない事柄に対して「ありがとう」と言えるようになれば、あなたは最高の生き方に近づいているでしょう。
また日記をつけ、感情や気持ちを表現するのもよいでしょう。歌を歌ったり、楽器を演奏したり、絵を描いたり、
詩をかいてみたりするのもよいと思います。また、児童の文学や絵本、文学小説に触れるのも感情表現を豊かにしてくれるでしょう。できるものから無理をせずチャレンジされるとよいと思います。
(質問)
私は極度のあがり症と慢性的な孤独感や生きるのが辛いという気持ちに悩んでいます。
今年の2月からコンビニでバイトをしていましたが、緊張のあまり出勤時ほとんどレジで手が震えていたり
学校の勉強でする暗記は得意なのに仕事をなかなか覚えられなかったり、考えたらわかることもわからなかったり、普段なら普通にできることができないなどで辞めてしまいました。
バイト以外では、通っている通信制高校の2週間に1度の登校日や、試験会場や、自己紹介をする場面で特に緊張します。
酷いときは全身が震えます。
その上友達が1人もおらず、普段は母親としか会話することがありません。
自分に自信がないからか人に負い目を感じやすいので、なかなか打ち解けられないのと、過去の馬鹿にされたり見下された経験から人と接することがが怖く感じます。
母親に相談しても「若いときはそういう時期もある」と片付けられてしまいます。
確かに若さ故の恥の意識の強さがあると思いますが、昔は人前で発言するのも、自己紹介するのも難なくできたんです。
私は病院に行くべきでしょうか?
(回答)
あなたは、あなたが望むような人間に必ずなれます。なぜなら、あなたには、その可能性が潜在的にあるからです。ただ、表面に出てないだけなのですから…。
その可能性を触発し発掘させるには、先人の知恵や優れた人に触れることが必要です。
人は教育(学校教育だけでなく、あらゆるものから学ぶという広い意味)によって、自らの可能性を開発することが可能になるからです。これは、人生のあらゆる領域に当てはまることです。芸術、スポーツなどに見られる子弟関係では、弟子は師匠から学び、一流になっていきます。
人生も、ある意味「人間道」ともいうべきで、優れた人格者を師匠に持ち、その弟子になって、学んでいけば、優れた人間になっていくことができます。
その意味からすれば、孤立はその機会を失う大きな損失状態といってよいと思います。孤立すると人は弱くなりますし、人から学ぶこともできません。生きた人間に学ぶことが、自分を高める最大の道でもあるからです。もちろん、先人の優れた書物から人間の生き方を学ぶことはできますが、それですべてが解決できるものではありません。
人という文字…お互いが関係しあい、支え合っていることを表す文字は、昔から人は人の中で、支え合い、人間を学び、人になってきたということだと思います。
人は、確かに人によって心の傷を負うこともありますが、心を癒してくれるのは、やはり人の温かい心なのです。人はひとによって癒され、高められ、成長していく存在でもあります。
一人になってはいけません。人の中に入り、人から学び、自らを鍛え、自らを作っていくのです。そうした学びと向上の心がある限り、あなたは必ず良くなります。
価値ある青春を開くもの…それは、今までがどうであったかではありません。これから、どう生きるのか、この力強い前向きな心で決まります。今の自分を超える苦難の道に絶えず挑戦していく、その向上する心こそ青年の本質と言われています。
当室には、引きこもり者や不登校の人が来談します。彼らに共通していることがあります。それは、「対人恐怖」のような症状を持っていることです。
ひきこもりや不登校…人との関係を避けてしまえば、人を気遣う必要もなく、緊張もなく、人目を気にする必要もなく、楽な面もあります。反面、その生活を長く続けると、人の目が気になるようになり、他者の視線が怖くなり、身動きが取れなくなってしまいます。受け身の生き方になってしまい、環境に左右される弱い人間になり、環境(他者)に振り回されてしまいます。
能動的、積極的に、心を強く持って、打って出ることです。相手の視線や人の思惑を気にするという受動的な生き方から、相手を見る、相手を観察するという、能動的、主体的な姿勢に生き方を変えるのです。
過去の出来事や失敗は、心の中で、一つのイメージをつくり、あなたの行動を阻んでいるようですが、そのイメージは、あなたが勝手に描き出しているにすぎません。
本来、心は自由です。歯の痛みがあれば、歯の中に入ってしまうような心、そうかと思えば、天の川に思いを馳せ、宇宙を想像するような気宇広大な心にもなります。心は変幻自在なのです。
「心は巧みなる絵師のごとし」と仏典にあります。心は、何でも自由に描けるし、人の心はそれほど不可思議なものなのです。
心に描くイメージを未来に開き、新しいものを描く…なりたい自分…その道を勇気をもって進めばよいのです。
もう一度、人の中に入り、自分にチャレンジしたらどうでしょうか。バイトに再挑戦するとよいと思います。「手が震える」「顔が引きつる」「声がかすれる」「人前でドキドキする」
「私は、あがり症なんです」「私は、人見知りなんです」「私、今緊張しています、すみません」とありのままの自分を認めていくことです。あがり症のまま、バイトをしていけばいいのです。「緊張してはいけない」とか「手が震えてはいけない」とか、ありのままの自分に逆らわず、そのまま受け入れるのです。「私はあがり症なのです」と、苦手から回避せず、無理に、何かになろうとせず、そのままのあなたで、バイトをし、人の中で行動していくことです。そうすれば、いつの間にか、「あがり症」から解放される日が来るでしょう。
心の弱い人に幸福はありません。
心の強い人に幸福は宿ります。
心の清き人に福は宿ります。
さあ、新しい自分の建設に向かって、心を強く持って一歩、前進しましょう。
(回答)
人間は生れたときは自意識がありませんが、自他の区別ができる、いわゆる自意識が芽生えたころから対象との関係の中で、自分という存在の価値を意識していきます。思春期・青年期までは、環境に大きく支配されます。特に周囲の大人、なかんずく親による価値評価に大きな影響を受けます。
人間の価値形成は、人が自分をどう評価するのかという他人評価と自分が自分をどう評価するかという自分内評価によって形成されていきます。他者評価と自分内評価を合わせたのが自己評価になり、その評価が高い人は、自己肯定感が高くなり、自己評価がいつも低い人は、自己否定感が強くなります。
(問い)
自己否定感は、生き方によって作られるものなのでしょうか。
(回答)
その通りです。具体的に説明します。
自己を低く評価する(自己否定)原因について述べます。まず自分内評価についてです。それは自分が掲げる目標設定基準によります。例えば、ある仕事の達成目標を、10に置くとします。
その仕事を7割程度出来たとする。10割でないので意味がないないと考える人にとっては、7割は無価値となります。また6割を目標にする人は、7割はできのよいほうになり、大いに価値があると思えるでしょう。そして満足感、達成感を味わうことができます。逆に前者の場合は、不満足であり、自分をだめな人と見ていくことになります。つまり、目標設定度数によって本人の中での価値評価は変わっていきます。
(問い)
つまり、考え方、物事のとらえ方によって作られると言うことなのですね。その場合、考え方の傾向などがあるのでしょうか。
(回答)
あると思います。前者の考え方・物事のとらえ方として、よく言われるのが、「完璧主義」「白黒思考」「べき思考」「理想が高い」などと言われます。このような背景には、過度な目標設定があります。その原因は、万能感に浸っていたり、あるいは自分の現実が分かっていないなどがあります。また、幼いころの愛着や絶対的な自己信頼としての安全基地の問題、過干渉や過保護などの養育環境があります。
自分内評価のもう一つは、目標の到達、つまり成果以上に、過程(プロセス)を重視する自己評価です。目標に対してもどれだけ努力、工夫したのかというプロセスを評価の対象にします。成果に左右されないので、努力の有無が評価の対象になりますので、次の意欲つながります。この評価こそ、物事や出来事に左右されない自己肯定の源泉になります。
(問い)
納得できるような気がします。ですが、現実の社の中で生きていると、他者の存在や他者との比較や優劣が自己否定感の原因になっているような気もしますが、どうでしょうか。
(回答)
大事な点だと思います。
つまり他者比較、競争、他者との優劣による評価が自己否定感につながるということです。
他者との競争では、他者に劣ると価値がないと考えることがあります。例えば、1番でないと価値がない、2番以下は無価値とする考えです。入学試験で、志望校以外でないとだめだとする見方などです。成功は価値があり、失敗は無価値という考えにつながり、失敗の積み重ねは、やがて自己否定につながっていきます。
さらに周囲の大人や親がそうした評価の仕方をすると、ますます自己否定感は強まり、自己無価値感の強い人間になっていくおそれがあります。
便利社会、経済効率社会の現代社会は失敗の許容度が低く、失敗を許さない成果至上主義の傾向にあります。社会で仕事をする人は、失敗の積み重ねによって、自己否定感…「自分は駄目な人」との思いを強めることになります。この自己否定感、自己存在無価値感が適応障害、うつなどの原因の一因にもなっています。
(問い)
今までの回答からしますと、自己肯定感を高めるには自己内評価が大事ということですね。
絶対評価(自分内評価のプロセスを大事にする生き方)に生きる時、今までよりできた自分、努力した自分、結果も含めて、全ての自分を受け入れるようになれるということですね。結果として自己肯定は高められていくと…。
(回答)
その通りです。自己内評価…プロセスを大事にするという生き方は、対象の相対に左右される自信と違って、何があっても崩れない自分の土台になります。
(問い)
何かをするとき「自信がない」、「自信が持てない」などと言う人がいます。自信は対象や物事に対して変わっていくような気がするのですが、いつも自信をもって物事に当たることは可能なのでしょうか。
(回答)
自信は成功や勝利や達成や成就体験の積み重ねで得られる感情や気持ちです。仕事、試合、技術、能力などの自信を支える対象や要素が必要になります。成功体験ややり遂げた体験があればあるほども次のものごとに向かうとき、自信を持つことができます。逆に大きな失敗で、能力が発揮できなかったり、怪我をしたりという理由で、能力が発揮できなくなると自信は一気に失われます。つまり自信は置かれた状況により変わるものであり、相対的なものであり恒常的なものではないということです。
(問い)
確かに、今まで経験し、うまくいったことに似たようなものごとに対しては自信をもって望むことができますが、未知の分野や強い相手に遭ったときなど、自信が持てなくなってしまいます。つまり、自信は相手や対象、物事の内容によって変わると言う意味では、相対であり、対象が変れば自信も変わるということなのですね。では安定した自信、不動の自信というものはないのでしょうか。
(回答)
敢えて、換言するなら、何があっても自分を維持できる自信とは自己肯定感の強弱によるとも言えます。
(問い)
自己肯定感ですか…具体的に説明してもらえますか。
(回答)
どんな自分も肯定できる自分です。成功したときも失敗したときも、人に認められている自分も、認められず批判されている自分も、自分の好きな部分も、嫌いな部分も、全て同じ自分であると受け入れられる自分のことです。
つまり、自分というありのままの存在そのものを、絶対価値として無条件に受け入れることになります。
例えば、ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨いていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。原石が人間にとって価値のあるダイヤにもなるし、価値のない単なる黒い石にもなります。つまり、黒い石もダイヤも本体は同一のものです。どちらの面が出ても、そのまま受け入れることが自己肯定なのです。あるがままの自分を受け入れるということでは自己受容とも言えます。
ものの存在の価値は関係性で決まります。「猫に小判」という言葉が、それを物語っています。猫にとって小判は無価値です。魚一尾のほうが大きな価値をもつでしょう。しかし、人間には小判のほうが価値になります。ダイヤと原石も同様の関係です。価値は関係性で決まるものなのです。
人間存在そのもの、生命そのものに絶対価値を見出してきたのが、歴史上の多くの思想であり哲学であり、なかんずく仏教思想です。もともと、人間にはダイヤのように輝く可能性や能力を存在的にもっていると教えています。
(問い)
つまり存在そのものには、善と悪、長所と短所などの二面を持っているとの考え方なのでしょうか。では、良い面を表出させるためには、どうすればよいのでしょうか。
(回答)
黒い石であっても、正しい方法で磨いていけば珠になるという考え方です。
それを可能にするのが「教育」なのです。人間は教育によってはじめて人になるのです。狼に育てられた少女を例に出すまでもないでしょう。
ある教育者は「教育とは人間の可能性を最大に引き出し、人間の本当の幸福を成就させるものである」と言っています。だからこそ、生涯学び続け、人格を完成させていくことが必要になります。
(問い)
つまり、潜在的な可能性があるので、それを信じて努力していけば、良い面が出るようになるということでよいのでしょうか。
(回答)
その通りです。正しい思想への信念と努力という行動が必要になります。