相談室(ブログ)

試験であがらないようにする方法を教えてください

2022.01.27

試験(面接)での緊張や不安を軽くするためのもっとも簡単な方法です。

入学試験や面接試験が近づいてくると、だれしも不安が強くなったり、緊張や興奮したりするのが人間の普通の感情です。そうした緊張を軽くし、目の前の試験や面接に集中するのには個人差があります。
ここでは、だれでも簡単にできる方法を紹介します。それは丹田呼吸をすることです。丹田とは、御臍の下の部分です。

御臍の下を意識し長く吐くことをこころがける深い呼吸法です。
人は「息(いき)を吸う(すう)」とき緊張します。逆に「息(いき)を吐(は)く」ときリラックス します。人は緊張するとき呼吸が
浅くなっています。例えば、怒りで興奮した時に「深呼吸する」と少し落ち着くのはこのためです。

以下に方法を簡単に説明します。
・椅子に座って、少し目を閉じ気味で行う。
・吐くことに注意して呼吸を始める(へその下から息を吐ききるようにこころがける)
・新鮮な空気が鼻から入って、それが全身に広がっていくことをイメージする。
・鼻から大きく腹部まで吸い込み、口からゆっくり長く吐く。(20秒~30秒と長く吐き出せるようにする。)
・一度に数回繰り返すとよい。
これは、座ってしないと効果がないというものではありません。極端に言うと、いつでもどこでも、歩きながらでもできる呼吸法です。なぜなら私たちは、いつも呼吸をしていめるからです。呼吸が止まると死ぬからです。ですから意識して少しでよい呼吸をすることです。それは酸素を一杯取り入れる呼吸なのです。

試験前夜など、緊張・興奮で寝付けないときも実行してみるとよいでしょう。
受験生のみなさん、ありのままの自分で試験に臨んでください。
自分は自分以上でも、自分以下でもないのですから…。

気持ちの切り替えが上手な人とはどんな人ですか?

2022.01.27

質問
 気持ちの切り替えが上手な人とはどんな人ですか

回答
 新型コロナ感染症が急拡大する中、私たちにも不安の波が押し寄せているようです。生きるということはさまざまな感情を体験する過程であるといってよいでしょう。その感情は心地よい、心が躍るようなものだけではなく、辛い苦しい不安な感情も日常的に経験しています。あることで傷つき、強い怒りを感じ、その処理に困っている人もいます。人生に行き詰まり、深く落ち込んでいる人もいます。人をおそれ、不完全をおそれ、失敗をおそれ、身動きが出来なくなっている人もいるかもしれません。また、いつまでも続く嫌な感情に悩んでいる人もいるかもしれません。しかし、それらの感情はすべて人間の自然な感情なのです。

 とらわれやすい人の感情の特徴
一般にとらわれやすい人、苦悩に陥(おちい)りやすい人は感情に関して特徴があると言われています。一つはもともと激しい感情の持ち主であるということです。そのため人よりも激しく強い感情を体験します。人よりも激しく怒り、喜び、傷つきます。これはこの人の個性と言ってよいでしょう。また激しく悩む人の感情は一般に長く続きます。つまり感情へのとらわれが強くなります。結果、自分の気分や感情が変化せず、特に不快な感情が持続し、そのぶん苦しむことになります。結果、心の不調をきたすこともあります。(社会不安や強迫性など)

 気持ちの切り替えが上手な人…嫌な不快な感情をそのまま受け入れられる人
感情は、そのままにし、自然の流れのままに従えば、その経過は山形の曲線をなして、ついには時間の経過とともに自然に消失します。強い不安、恐怖などの感情は、それをそのまま放置することができれば、自然に消えてゆくものす。つまり感情は、元来つねに流動し、変化しているものです。人はその感情がどんなに激しく辛いもの(例えば失敗した時の恥ずかしさや怒りなどの感情)であっても、それが一時のものと見きわめれば、その感情に耐えやすくなります。そしてそのまま受け止めることができるようになります。「気持ちの切り替えが上手な人」は、こうした感情の流れを経験から体得している人といってよいでしょう。

過去の行為(盗撮など)が自分を苦しめる

2021.07.30

(質問)
大変自業自得なのですが…過去に犯してしまった罪の罪悪感によりこの先 生きる希望が見いだせません…。時期は曖昧ですが、中学3年〜高校1年の間?にやってしまった盗撮、
痴漢に近しい行為(盗撮動画は盗撮後すぐに消去していたため、
自首するかとても悩んだのですが、盗撮痴漢、どちらも被害者の方はこの事に気づいておらず、打ち明けても、盗撮、痴漢されたという不快極まりない事実を知らせてしまうだけだと思い、この事は誰にも言わずに、自分自身の中のみで戒めとすることにしました…
何も知らない家族から、「優しいね」や「偉いね」って言われる度、
家族にこの事を黙っているのが酷く、辛く感じます。
家族から見た僕は普通の僕ですが、僕から見た僕は、偽りの仮面を被った僕なのです…
全てが嘘で塗り固められた、薄汚い人物なんです…
僕は一体、どうすれば、前を向くことができるのでしょうか…?

(回答)
ありのままの現実を綴られた告白の文章…葛藤もあり、辛さもあったと思いますが、勇気を出されてありのまま自分をさらけ出されたことに、一歩前進した心を見る思いです。

過去の受け入れがたい醜く感じる自分を曝すことは、等身大の自分を受け入れることにつながると思います。
もし、人の心が透視される機械ができたとしたら、ほとんどの人が人の中で生きていくことができなくなるでしょう。

例えば、人間の体も様々な臓器があります。糞も尿も体の中にあります。ありのままにそれらが、外に出たら、見えるとしたら、美人はいなくなるでしょう。外側の皮膚が中を隠し覆ってくれているからこそ、人に自分を見せることができます。

心の中も同じです。動物的な心、渦巻く種々の欲望、人を憎んだり、嫉妬したり、淫欲があったり、貪る心があったりなど、それらは口に出すこともなく、心の中にひそかにしまい込まれています。それらが、外に出ないように自制しているだけです。

悪につながる欲望を自制することが人間の智慧なのです。動物は、空腹を感じれば、他の動物を殺して食べます。本能的なさかりがくれば、みさかいなく交尾をします。人間は、それらの欲望をうまく抑制しているので、社会の中で生きていけるのです。

誰しも人に話せない欲望や思いや醜い心の一つや二つ持っているし、人に話せない、過去の失敗を持っています。それらを心の中に包み込み、しまい込んで生きています。
それらの苦い過去の出来事は、確かに時間とともに薄れていくものですが、決してなくなるものではありません。忘れているだけなのです。また、時間がたつにつれ、痛みも不思議と薄れていきますので、耐えていけるのです。

青春時代は心も純粋です。理想も高いものです。それゆえに、過ちが許せなくなることもあります。理想が高ければ高いほど、完全指向が強ければ強いほど、自分を苦しめます。

その解決や昇華のため、文学が生まれ、芸術が生まれ、宗教的な心が芽生え、哲学者にもなれるのです。著名な宗教者、親鸞もそうした一人のようです。

過去の出来事は、意識するしないにかかわらず、何かに触れて頭に蘇ったり、侵入したりしてきます。受動的に、求めもしないのに…。人はその過去の出来事やイメージに、ある時は縛られ、またある時は執着し、またある時は、苦しみ、またある時は絶望すら感じたりします。

諸行無常は仏の智慧です。流れゆき、一定したものはないにも関わらず、それが同じようにあると思う誤れるものの見方を糾しているのが「諸行は無常」という智慧ではないでしょうか。
人はともすれば、心に描いた理想とかけ離れている現実の自分を、なかなか受け入れられないものです。観念と現実の不一致…

そこに、人間は苦しみ、不満、怒り、罪悪すら感じるようです。

苦しみは苦しみとして受け入れ、今を誠実に生きるしかあなたを救済する道はないと思います。希望の未来を豊かにイメージしながら…。

過去のトラウマはどのように忘れたらよいのでしょうか?(女子高校生)

2021.06.27

(質問)

私が小学四年生の頃に親が離婚しました。離婚した理由は簡単に言うと母親の浮気です。
難しく言うと母のパート先で母にストーカーをしてくる人がいました。その人は昔捕まっていたこともありました。その人から「今の旦那とわかれて俺と住まないとお前の子供二人とも殺してやる」と言われたそうです。
そして母はとても私たちのことを大事にしていたので別れてそのストーカーと私と私の兄と4人で住むことになりました。一緒に住むにつれて私の日常は地獄になっていきました。毎日のように母にDVをする光景を見せられてきました。殴ったり、蹴ったり、根性焼きを入れられたり。私達に危害が加わらないように母は私たちを守ってくれました。

ある日母が首を絞められ殺されそうになったので「助けて」と叫び続けました。そしたらあいつが「それ以上叫んだらお前を最初に殺すから」と言われました。7年経った今でもその光景は鮮明に覚えています。その後の記憶は全くなくて、なんとか全員生きてきました。

中学生時代は小学校時代の自分の生活を必死に忘れていましたが、高校生になり、また思い出してしまいました。そこから毎日晩に泣いてしまい、学校に行く気力もまったくでてこず、集中も出来ません。友達にも「どうして、貴方だけが幸せそうに暮らせるの?」と思ってしまいます。過去のトラウマはどのように忘れたらよろしいのでしょうか?

回答

辛い思いをしたてきたあなたは、きっと人の心のわかる優しさを持つ人だと思います。朝の来ない夜はありません。生き抜いて、優しさの少ない今の社会の中で、恵まれない環境にいる人たちの味方になってください。そのためにも、今の苦境を乗り越えられ、心の強い賢明な人となり、前を向いて生き続けてください。

世界の偉人もみな酷いいじめ(迫害・虐待)に遭い、逆境の中で、それを乗り越えたからこそ、心が鍛えられ強く賢い人間になってとも言われています。
ガンジーしかり、ヘレンしかりです。あなたの生きる権利は絶対であり、幸福になる権利も絶対です。

「汝の運命の星は汝の胸中にあり」(シラーの名言)

あなたの運命を決するものは、あなたの心の中にあるという意味です。幸福・不幸もあなたの今後の生き方にかかっています。環境は私たち人間に大きな影響を与えます。とくに子供時代は環境の大きな影響から免れることは困難です。周囲の大人に頼られないと生きていけないのも事実です。

あなたの子ども時代…悲惨な家庭環境、そして養父のDV。
それらの出来事は、心の傷となり、消化されることなく、あなたの心に沈んでいるかのようです。そして、時折疼き、あなたの行動に負の影響をもたらしているような気がします。

私的な事例で恐縮ですが、私は母親を6歳で亡くし、父親は酒まみれの生活を送り、酔っては子どもに包丁を振り回したりしていました。兄弟は7人。家に食べ物もなく、ほったらかされ、食物を求め山野や市場をさまよい、学校にも行けなくなりました。やがて養護施設収容になりました。当時の養護施設は弱肉強食の世界であり、暴力いじめはひどく、職員の体罰や差別は露骨であり、学校でも「施設の子ども、汚い、近寄るな」などと暴言を浴びせられました。

いつしか、私の心は屈折していたようです。しかし、そんな少年にも、ある保母が目をかけてくれました。また、中学校の先生が私を信じ期待してくれる人もいました。そのおかげで人間を信じることができたようです。施設を出て自由になったにもかかわらず、高校時代に自分がわからなくなり、非行に走り、高校中退しました。

東京で一人で再出発をはかりましたが、目標もなくパチンコ、競馬にふける日々でした。そんなとき仕事先の牛乳店で、ある青年に出会いました。彼は虚勢を張った私を認め、人間として尊重してくれたのです。私は彼に心を開くようになりました。それ以降、私の人生は大きく転換していきました。後年、私は大学に入り中学教師になったのも、彼との出会いがあったからでした。拙著「失敗もいいものだよ」ノンフイックション自伝小説に詳細は記載しています。

もとより、生きている時代も性別も異なります。ですが基本は変わらないと思います。人は人によって傷つきもし、人間不信になったりするのも事実です。しかし、逆に人によって人間の温かさ、優しさ、温もり、この世界の美しさなどを知り、心を開き、人を信じることを覚えます。それらは、生きる活力となり、希望となっていきます。

あなたも、生きていれば、きっとよい出会いが訪れると思います。そのためにも、前を向き、今を誠実に真心こめて生きていくことだと思います。

トラウマの癒し…自己治癒について少し説明します。
長期間の虐待による複雑的心的外傷体験は、ある意味「冷凍された体験」のようなものです。冷凍されているが故に、心はその体験を過去のものとすることができず、いつまでも新鮮なままで抱えることになります。いわば「現在に生き続ける過去」として、さまざまな心理的な機能に影響を与え続けています。心的外傷を癒すということは、その凍りついた体験を解凍し消化吸収していくことだと考えられます。自力で難しいのであれば、スクールカウンセラーに相談するとよいと思います。

幸せで快適な出来事は心的外傷の癒しに重要な役割を果たします。楽しく、未来が展望できるような、積極的生き方ができるようなできごとを日常生活の中で作ることが大事です。

自己治癒力を高めるいくつかの方法をのべてみます。できることからやってみるとよいでしょう。
・親戚や友人らと良好な関係を維持する。
・危機やストレスに満ちた出来事でも、それを耐えがたい問題とみないようにする。
・変えられない状況を受け入れるようにする。
・現実的な目標を立てて、それに向かって進む。 
・不利な状況であっても、決断し行動する。
・長期的な視点を持つ。
・希望的な見通しを維持し、よいことを期待し、希望を思い描く(イメージする) 
・心と体をケアし、定期的に運動し、自分の気持ちに注意を払うようにする。

私をいじめている人の絵(死体)を描くことについて、どう思いますか(高校生)

2021.02.22

質問
私は高校生です。クラスでいじめられている子が居て、その子は毎日とても辛そうでした。でも、私は例えどんな人でも簡単に傷つけたらいけないと思います。だから、その子の味方になろうと思いました。今、クラスの中で私とその子は皆から悪口を言われたり、馬鹿にされたりしています。勉強を真面目に頑張っても、やさしい気持ちで誰かに接しても、いつも私達の事を傷付けようとする人がいます。でも、私は絶対に間違ってないはずです。

だけど、先生に相談しても上手くいかなくて、散々後ろ指を刺されて、どうしても我慢出来なくなった時がありました。私は元々、絵を描くのが好きだったのですが、その時はじめて死体の絵を描きました。

私はどんなに傷つけられても、けしてその人たちの事を陰で貶したりせず、良い所も少なからずあると信じていました。でも、怒りの気持ちが我慢できなくて、クラスメイトの何人かの絵を描きました。

私はこれが悪い事なんじゃないかと悩んでいます。酷いことをしてしまったかもしれないという気持ちと、絶対にこれからも人を傷つけたりしないから、この絵を描く事だけは許して欲しいという気持ちがぶつかります。
死体の絵を描くのはやめた方がいいですか?また、こんな事をしていては優しい人間とは言えませんか。

回答
あなたの葛藤、本当に辛いと思います。
いじめられている同級生に寄り添い、味方になり、二人でいじめと戦っていることは、
あなたが言うように絶対に間違っていないし、正しいことだと思います。また、あなたの優しさの表れだと思います。
先生に相談したが、「うまくいかない」、いじめ解決の難しさをみる思いがします。だからといって、いじめという悪に対して、泣き寝入りをすべきではないというのは同感です。

いじめをしている人に対する怒りを相手に向けるか、自分に向けるか…。あなたは、相手に向けるべき怒りを間接的に絵で表現しました。絵の中で、相手を徹底的に攻撃し痛めつける…「死体の絵」という表現方法で。

人間の相手に対する表現は、実際の行動(殴る、無視するなど、目や体でわかる)つまり「身(しん)」、言葉(傷つける言葉を相手にぶつけるつまり「口(く)」)、それと心の中で思うこと「意(い)」の三つがあります。あなたの絵の表現は、「心の思い」(意)であり、実際には相手には伝わっていないかもしれませんが、あなたの心の中の動きは、『意』で相手を傷つけています。つまり実際に相手を傷つけていなくとも、そのような絵を描くことで、あなたの善性は傷ついていきます。そして意識の下に沈められていくでしょう…悪の行いとして。

善とは、「人の命を活かしたり、育んだり、幸福をもたらす」身・口・意に対して、悪は「人の命を傷つけ、委縮させ、不幸にする」身・口・意になります。

善を人に向ければ、自分の善が育まれます。逆に、悪を人に向ければ、そのまま自分の心の悪が蓄積されます。まさに鏡の原理です。全部、自分に還ってきます。今、いじめをしている人たちは、悪の行為を重ね、それは彼らの無意識層の貯蔵庫に貯められ、やがて、本人たちを苦しめることになるでしょう。悲しいかな、すぐに結果がでないだけに、人間は悪を重ねてしまうものです。人間の心の因果に対する無知のなせる業であり、心の妙法が見えないからできることです。

せっかく、絵を描くのであれば、表現の仕方を変えて、世の中に発信してみたらどうでしょうか。例えば、「〇〇高校でのいじめのイメージを絵に描いてみました」と、いじめている人といじめられている人、周りの傍観者や先生などを取り入れた絵を描いて、SNSやユーチューブなどに発信し、世の善なる人たちに訴えてみるのです。「怒り」を「公憤」に変え、同じようなことで苦しんでいる人たちを助けていくのです。

あなたの絵の能力がそのように活かされていけば、最高の善なる行いになると思いますが、どうでしょうか。

試験の不合格以来、無気力になり、自分はだめだと思ってしまう。

2021.02.19

回答

不合格は辛いものです。その試験に時間と労力を費やした分、不合格はいっそう辛くなります。また合格率によって周囲の多くの人が合格し、その中で自分が不合格という結果を招けば、自分は否定され、だめな人間と思いがちにもなります。その結果、自責の念は強まり、悲しくて、悔しくて、自分が愚かだという思いに苦しむことになりかねません。抑うつ状態になることもあるでしょう。

ですが、不合格には意味があります。不合格は、あなたに「力をつけることが必要だよ」と教えてくれているのです。しっかり知識や実力をつけ、自分を高めていけば、親の恩に報いるだけでなく、社会や困っている人の力にもなれ、大きな恩返しができるようになります。

私のことで恐縮ですが、大学受験では3年間浪人し、受験した大学ことごとく不合格。不合格通知をもらう度に、悲哀や自責の念を強め、自尊心の低下を招き、社会に無用な存在と思う気持ちに苛まれ、憂鬱感情に沈んでいました。周囲の人の支えのおかげで、自分を見つめることが出来たような気がします。最後と決めた、12校目で合格通知をもらいました。やがて教師となり、浪人時代の失敗経験もかけがえのない体験として、生徒に語れるようになり、何らかの役に立つことができたと思っています。

「合格=人間として価値があり、認められた。」「不合格=人間として価値がない、自分が否定された」というように思考は、二極思考であり、「0か100か、オールかナッシングか」であり、人間の価値を狭め、可能性の芽を摘んでしまいます。

0と100の間にはたくさんの数字があります。つまりたくさんの考え方があり、選択があり、判断があり、行動があり、可能性があるのです。

柔軟な思考になれば、いろいろな考えができ、人生の幅も広がり面白くなります。がんじがらめに、一つの価値観にとらわれると窮屈になり、かえって息が詰まるでしょう。立ち止まって見方を変えてみると、違う生き方、人生が見えてくるはずです。

地球上の生命体の中で、人間生命だけが、自らの意志と決意で自分を高めて、自らを変えていけるという可能性を秘めた存在です。人間生命そのものに、私たちの考えが及ばない無限の可能性が内包されているからです。だからこそ生きるということに絶対的な至高の価値があるのです

新たな道を歩んでみませんか。そのとき、暗い過去も、苦悩の過去も、色彩鮮やかに、あなたを潤し、あなたの進む道を希望の光で照らしてくれるでしょう。

登校しようとすると吐き気が強くなり、嘔吐、過呼吸になる(高校生女子・面接概要)

2021.02.16

〇面接の概要

初回は親子で来談されました。初回面接は同席で、問題や課題の聞取りをしました。

〇面接から見えた本人の課題、カウンセリングの方向
「私が思い出すのは、冷たい人の顔だ」「私が残念なのは、人は簡単に裏切るという点だ」
 私が忘れられないのは、みんなが私を疑うあの顔だ」⇒人間不信の体験・傷つき体験の積み重ね

「私のできないことは人を信用することだ」⇒他者不信

「私の失敗は、なんかもうすべて。」「どうしても私は、自分のことが好きになれない」「私の不平は、なぜ自分はこうも弱いのかということだ」「私を不安にするのは、言いようのない劣等感のようなものだ「私の気持ちは不安定だ」「私はよく不安になる」➡トラウマ体験がもたらす自己不信・否定的な認知や感情・不安

他者がよく見える・願望⇒「私が羨ましいことは、自分の好きなことをして輝いている人だ」「私が心惹かれる人は、自分を貫ける人だ」

傷ついた心身を消去し、きれいな心身に戻りたいという願望➡「ときどき私はきえてしまいたくなる」「もう一度やりなおせるなら、あかちゃんからやり直したい」

本質的な問いとして生きる意味を問う⇒「私が知りたいことは、私がなぜ生きているのかだ」

〇本人の病状の見立て

激しい症状としては、吐き気、嘔吐、不眠、過呼吸、意味もなく涙が出る、不安、怒り、いらいら感、自己信頼の低下などです。学校生活に適応するのに、かなりの困難な状態にあります。とくに侵入体験(フラッシュバック)による不眠が強くなっていました。複雑性PTSD傾向(心的外傷体験)からくる強いストレス反応と思われます
面接が進む中で、中学時代のかなりひどいいじめが明らかになり、そこから対人不安や恐怖、そして「ものごとのとらえ方の偏り」が生じていることが判明しました。いじめによるトラウマは解決していない限り、ずっと本人を苦しめるということです。

〇用いた心理療法
本人を苦しめている主症状の改善と心的外傷(トラウマ)の緩和をはかるため、心理教育(心的外傷体験の構図、無意識世界など)、認知行動療法・自覚対話療法、アサーショントレーニングを中心としたカウンセリングを行いました。

〇本人の症状形成の原因を知るために心理検査を実施
 ・東大エゴグラム、簡易ストレスチェック、バウムテスト、文章完成法

〇男女のカウンセラーで対応し、母親面接2回、本人面接6回で改善し終結しました。

〇本人は、現在、将来の目標に向かって大学受験に取り組んでいます。

人の視線が気になり素の自分が出せない

2021.02.06

質問
私は他人との会話の中で、相手の反応に対して
嫌な感じで取られたかなと思いこんだり、自分を表現しようとすると、なんて思われるかなと
気にしたり、常に他人の目線ばかり気にしています。そのため、自分の気持ちを伝えることができないことが多く、
人の中で、いつも不自由を感じているようです。もっと自由に素の自分を出せるようになりたいのですが、どうすればよいのでしょうか。

回答

あなたの悩みは、だれしも一度はぶつかり、悩むものだと思います。人間が社会の中で、対人の中で生きる限り、「他者」を意識せずにいられないからです。そして、他者との比較、その中で、ある時は、優越感を持ち、またある時は、劣等感を持ちます。さらに、劣等を受け入れられず、他者に嫉妬したりして、自己嫌悪に陥ったりします。
どんな人間にも優劣を意識する心理が内在しているからです。その心理(欲求)をどう昇華し高めていくかが、人生の幸不幸に影響すると思っています。

私事で恐縮ですが、私は小さいころから負けず嫌いで、人に勝つことに必死になっていました。同級生に対しては腕力でも勝りたいと、自分を鍛えたこともあります。また学校の勉強では、人に勝りたいと一生懸命勉強し、一番を目指しました。人の上をいきたいという気持ちの強さがあったので、大学入試も突破できたと思います。その気持ちは大人になっても変わらず続いていました。しかし社会人になって、人に勝りたいという気持ちだけでは、うまくいかないことに度々出くわし、悩み、不安に苛いなまれるようになりました。

いつの頃から、人に勝るより、「自分に負けない」「過去の自分に勝つ」というように「自分対自分の比較」に変っていくことで、不安がなくなり、安心、本当の自信がついてきたような気がします。何よりも嫉妬や劣等感に苛まれることが少なくなり、心が平和に安定するようになっていました。

「人に勝りたい」「一番になりたい」という気持ちは、人間を努力させ、高みに引き上げてくれる原動力になりますが、勝ることにだけに囚われると相手に勝とうと、姑息な手段を使ったり、人を蹴落としたり、卑怯な手を使ったり、嘘をついたり、騙したり、嫉妬したり、劣等感に苦しんだりという負の面に、自己嫌悪するようになります、そして不幸な人生になってしまいます。

何のために、人より勝ろうとするのか、一番になるのか、第一人者になるのかという根底の考えが大事になってきます。一番になることで、人々に喜びを与え貢献し、役に立つという思いがあるかないかです。

人より勝った人間になるのは、その勝ったもので、他者に貢献できるからです。他者貢献という思いがあれば、不安になることはありません。限りなく自分を向上させることができます。

「一番になる」、「人より優れる」、そのためには、他者に勝つことより、「自分に負けない」、「自分に勝つことです」。必然、努力の過程を重視する生き方に変ります。結果として他者より優れることになるでしょう。

他者と比べるという評価から、自分対自分という自己評価を大事にされるとよいでしょう。

「見るもよし、見ざるもよし、されど我は咲くなり」
私の好きな武者小路実篤の言葉です。私は、この心に近づこうと努力し続けています。
自分は自分以上でも、自分以下でもない。ありのままの自分を受け入れ、そして高みを目指し、今日も向上していこうと心がけています。

友だちを作りたい(大学生)

2021.02.03

質問

医療系の大学に通う大学生です。友達ができません。もう皆グループができています。そもそも自分は今ままでクラスの端にいるような人たち(自分もクラスの端にいた)と仲良くしていたので大学となると(クラスが存在しないので)どうやって友達を作ればいいのか、どうしたら気が合う人を見つけられるかわかりません。どうすればいいのでしょうか。
友達を作る為に大学に入った訳ではない事はしっかり認識しているつもりです。それでも友達がいないたったそれだけで大学生活が苦しくて仕方ありません。

回答

「待つ」という受け身の姿勢では、友達はなかなかできないでしょう。積極的に動き、何かをすることです。

ものの見方を変えることも一つの方法です。友だちを人間に限定するのでなく、「本の中の人」や「学問すること」などに変えてみるのも一つの方法です。私のクライエントで大学入学早々、近くで接する人と友達になったため、今、不登校気味になっています。その人が嫌になり離れたくとも離れられないと苦しんでいます。合わない人と友達になるより、学問を友として、一人で生きる方がよいこともあります。

私の場合で恐縮ですが、ずいぶん昔の話です。長い浪人生活もあり、みんなより4年遅れて大学に入ったため、友達がいませんでした。いや、作ろうとする気もなかったようです。それで、専ら授業、読書、バイト、サークル活動に力を入れていました。
いつの間にか、バイト先で友達ができ、サークル内で友達ができました。また、学食内で、よく本を読んでいたのですが、声をかけられ友達になるなど、いつの間にか、結構な数の友達ができていました。積極的に動き何かをすることです。受け身の姿勢ではなかなか新しいものは生れないと思います。

友人を作る秘訣は、利害や優劣や強弱を関係性の中に持ち込まないことです。
学生時代は、共に学問を志す仲間ということで対等な関係の友ができると思います。

何よりも大事なのは、あなたの思想や哲学であり人間性です。人間として何を最も大事にして生きているのか。

人間として本当に素晴らしい人は、自分を高めようと学問を続け、知識や知恵に満ちた人間、それを社会の役に立てていくような人です。

「友を得る唯一の方法は、自分が人のよき友となることである。」(エマーソン・アメリカ)
という名言があります。

よき友を作ろうと望むら、あなたが確かな人間観や哲学を持ち、「よき人間」になるように向上することです。よきライフスタイルを身につけることです。よい人間には、なんともいえない心から発するよい香りがあります。そのような人になれば、よい人が自然と周りに寄ってくることでしょう。

中学校の部活の顧問が、こどもを差別している、どう対応すればよいのでしょうか。

2020.12.19

(質問)
中学校一年生の娘を持つ親です。
最近、美術部の顧問の先生から通常授業の時に大変冷たい攻撃を受けているのが悩みです。
その先生は、女子に向ける選り好みが激しく、普通の授業中には特定の生徒に、声が可愛い、目が大きくて可愛い、色が白くていい、可愛い女の子に囲まれて嬉しい、などと授業に関係のない事を普通に言うようになりました。
娘は陽気な性格ではないのと、少しほうっとした感じであること、目が大きくはない事、と容姿の好みに反する、または性格的に合わないらしく、段々と疎んじられるようになったようです。

小さなころから描くことが好きでたまたまその先生の顧問である美術部に所属してしまいました。絵もそれなりに上手い方なようですので、当初は顧問からも気に入られていました。
ですが、今では部活では完全に無視となり、一緒に部活に入った友達はその先生が嫌いで部活に行かなくなってしまい、娘だけが独りぼっちに部活しています。

陽気な子たちは集まって部活を愉しんでいますが、その輪にも入れず部活自体が苦しくなっています。
また、通常授業では名指しで大声で注意されるようになりました。
パレットが少し曲がっている、時計を見たのでよそ見するな、隣の子が話したのに自分が注意される、このようなことが美術がある日は毎回になりました。
娘が注意される前は、別の子が目つきが悪い、姿勢が悪い、よそ見をするな、と毎日注意を受けていて、最近から娘にターゲットが移りました。

親としてはとても苦しい思いです。。本人は一生懸命しているのに、なぜ自分がターゲットになるのかわからないようです。
運動は苦手ですが、勉学の方は学年10位以内です。身なりはいつも小綺麗にしています。その他の先生からはお前はいい子やなぁ、と言われてもいます。本人の容姿について生理的に受け付けない差別なら仕方ないのですが、何とかして打開策がないものかと思っています。
内申書のことがあって、部活を辞めるのも怖いし、先生に理由をお尋ねするのも悩んでいます。
ご教授いただけますと幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

(回答)
難しい問題だと思います。しかし、解決の道はありますよ。
私はかつて中学教師を30数年間やっていました。部活の顧問も、20数年間担当していました。担任、学年主任、生徒指導主任も経験しました。

小学校と違って、中学校の部活は、教師はボランティアでやっています。勤務時間外の活動になったり、休日も、給与なしで指導をしています。手当は、微々たるものです。そんな事情が分かっている保護者は、顧問にものが言えないようです。私も一度も保護者から意見だのクレームなど言われたことがありません。(自分としては、この顧問のように生徒を不公平に扱った記憶はありませんが…しかし、不満はあったと思います)

学校の先生にものを言うのは、難しいものです。なぜなら子どもの評定、評価につながるからです。教師も人間です。感情があるので、批判めいたことを言われると、微妙に評価に影響するのも残念ながらあることです。

露骨なひいきや好悪感情を表す教師も、みてきました。あってはならないことですが、残念ながらあります。
ですが、泣き寝入りは、子どもにとっても、保護者にとっても、その教師にとっても、他の子どもたちにとってもよいことではありません。事実を明るみにすることです。そして倫理的判断を仰ぐべきです。

学校に相談できそうな先生はいませんか。こどもにも聞いてみてください。あるいは、こどもの保護者にも。私も学年主任時代、学級担任に対する苦情などを子どもや保護者から受け、何度も解決したことがあります。また今、公立学校のスクールカウンセラーとして、担任の先生に対する子どもの苦情を保護者を通して数件受け、解決しました。

まず、信頼できる学校関係者に相談されてください。