質問
自分の行動、考え方を変える方法についてアドバイスがいただきたく、質問させていただきました。私は周りも同じように生き辛さを抱えながら生きているのだと思っていました、
自分の抱えていることが普通ではない、もっと普通に暮らしている人もいるんだと気が付いたのが2年ほど前です。
私の両親は幼い頃から喧嘩が絶えなく、仲良く話していることよりも喧嘩していることが多いような夫婦でした。特に母は精神的にも少し不安定なところがあるように感じます。小さいころ弟がとても体が弱かったので、母はいつも弟に構いっきりでした。いつも、薬を飲めるのがうらやましい、風邪をひくなんてずるいと思っていたように思います。小学生になるとそんな弟が疎ましく思うになり、弟にきつく当たり、そのせいで母にはしょっちゅう怒鳴られていました。
反抗期には何度も何度も大喧嘩をして、ものを投げつけられたりご飯を作ってもらえないこともありました。
出ていけ!と家の外に引っ張り出されそうになったこともあります。父はそのころ単身赴任で家にいませんでした。
中学生特有で友達ともうまくいかずとにかく生きているのが苦しくて、死にたい、車に轢かれたらいいのにと思っていました。リストカットでなんとか気持ちを紛わせていました。
ですが高校に入り、部活でマネージャーになりました。
自分のしたことで感謝されること、自分が人のための存在になれるということで初めて生きている実感を得たというか、
自分っていてもいい存在なんだと思えるようになりました。
大学に入り、いろいろと辛いことは続いていましたが、医療系の学部でしたがその道には進まず就職活動をしました。
就職して半年ほど経った頃から、また不安定になってきました。
いろいろと理由はあると思いますが、配属されてから親身に育てて下さった先輩方がどんどん退職していきました。もともと環境の変化にすごく弱いタイプなのですが、今度、一番色々と教えて下さった先輩も退職されることになりました。
中途採用で新しい人たちは入ってきていますが、自分が今度は教える側に回らなければいけないというプレッシャーなどもあり、仕事へのモチベーションが壊れていきました。
ずっと「仕事」というものを通して自己肯定をしてきました。仕事があるから自分は必要な存在だと思えることができ、仕事で認められることが唯一自分の存在を認められることでした。だからその仕事環境が崩れてしまうと精神的にもすごく弱ってしまいます。彼氏に依存してしまって、また関係が悪化してしまいました。
自分のことを自分が一番愛せるように、ありのままの自分を好きになって、そのうえで彼氏のことも愛せるように、就職活動をしていたあたりの時期にはできていたことで、その時はすごく自分のことが好きだったし人生も楽しいと思えました。ですが、簡単には変えられなくて、彼氏ともうまくいかないのがとてもつらいです。
回答
あなたは賢い人だと思います。内省しようとする気持ちがあり、自らを変えようとする意志を持っているからです。その心がある限り、あなたの願いはかなっていくでしょう。
人は心で願っている通りの人生を歩むと言われているからです。
あなたの自己分析の結論―自分のことをちゃんと自分で認めてあげられたら、環境にも振り回されず、どんな自分でも愛して感情も安定できると思います―
しかし現実はなかなかうまくいかない…。
それは感情(愛着・気持ち)が知性(頭、思考)ではコントロールできない性質のものだからです。感情には感情の法則があると言われています。それは、どんな感情も、時間が立てば変わっていくということです。恐怖や不安、嫌悪感、憂鬱感も、時がたてば変化していきます。
水が流れるように、人の心は一定のところにとどまることはできません。すべては変化するというのが、この世の真実のすがただからです。だからこそ、よい方向に変化させる努力が必要なのです。
また、人は環境の影響を受ける反面、環境に影響を与え、環境をコントロールする主体性をもつこともできます。環境(人、ものすべてを含む)は、ある意味、その人の影のようなもので、実は環境と自分は一体とも言われています。環境を見ればその人がわかると…。
人は人によって傷つけられもしますが、逆に、心によって癒され、触発され、大きく変わっていくものです。どんな人と触れ合うのか、どんな人を友に持つのか、どんな先輩にもつのかで人生は大きく変わっていきます。
人や環境に左右されるのは、思想や信念の問題でもあります。心の強さは、どんな信念や思想を持っているかで決まります。それは、あなたが言うところの「考え方」「行動」の土台になるものです。
自分変えることに王道はありません。100人いれば、100種類の方法があります。あなたは、この世で唯一無二の存在だからです。例え似たような顔、性格、境遇、生い立ちの人がいたとしても、あなたとは異なっています。自分を変える方法は、最終的にはあなた自らが探し当てるしかありません。なぜなら、あなたは解決できる力を既に潜在的に持っているからです。
あなたが心の安定を維持するには、それなりの環境(現実的には、打ち込める仕事や人間存在)が必要です。多くの人は環境としての人間によって安定しているようですが、人によっては仕事や人を育てること、人や社会に貢献することで、自らの安定を保っているようです。
あなたも、かつて部活のマネージャーや彼氏の存在、仕事などで安定を得ていた期間もあったと分析しています。
夏目漱石は愛着に問題をもっていたと言われていますが、文学で表現することで心の安定を保ち、漱石門下と言われる弟子を育てる(貢献する)ことで、心の安定をはかり、自己実現したと言われています。
今までのあなたは、環境に依存していた傾きがありましたが、これからは、あなた自身の主体性の確立が鍵になると思います。つまり環境が変っても安定を失わない心の強さです。
それを可能にするのが思想(人間観・人生観・価値観など)だと言われています。
依存と自立のほどよい調和がとれるようになると心の安定は維持されるでしょう。
気持ちが安定した人と関わる…無条件にあなたを受け入れ、肯定してくれる存在…彼氏、友達、先輩、心理カウンセラー。
それ以上に、あなたがあなたを無条件(うまくいっている自分も、うまくいかない自分も、どんな自分も)で肯定し受け入れることができるようになれば、あなたの課題…考え方や行動はかわっていくでしょう。
質問
私は現在大学三年生で、そろそろ就活の準備をしなければなりません。
しかし自己否定・過小評価がひどい私はいくら考えても良い長所がなくて悩んでいます。
だいぶ前に母親に私の長所は何かと尋ねたところ「ええなんだろう。・・・・・マイペース?」と言われました。母親には絞り出すように考えた結果でた答えがマイペース。正直マイペースは長所ではないと思うし、とても悩まれたことが少しショックでした。
正直私は人と比べて変わっていると思います。とても感情的に動くタイプの人間で、理性的に考えることが出来ません。バイトでは天然でドジっぽいといわれいじられています。店長にとても素直でいい子だ・嘘つけない子・悩まなさそうと言われたことがありますが私にはしっくりきません。もっと思いやりがあるとか人に対して何かいいことができる長所が自分にはないのかと思います。
そんな中ネットの性格診断では私の素晴らしさは後先考えず緩くいきているところと診断されガッカリしてしまいました。私の人生観はとても就活向きではないと。向いている職業もクリエイター・デザイナーなど専門学校にいかないと今の進路では難しいし、ずば抜けた才能がないとお金にはできない難しい特性だなと思いました。もっと責任感や理解力がある人など何故私はこんな人間なのでしょうか…
どうやったら自分の長所をみつけれるでしょうか。バイトの先輩が引退する時に、芯がしっかりしているから、今後職場で縁の下の力持ちとして頑張ってねとかかれていました。なぜかとても涙が出ました。芯がしっかりしているが抽象的ですが性格で褒められて嬉しかったのです。
回答
「自己否定・過小評価がひどい私はいくら考えても良い長所がなくて悩んでいます。どうやったら自分の長所をみつけれるでしょうか。」というあなたの悩みは、先の質問とも根本は共通しているようです。
大学3年生、就職活動を開始しなければいけない時期になり、あなたは、モラトリアムという時期から社会的役割を見出し、アイデンティティの確立を求められる時期に入ったようですね。
その時期になると、だれしも大なり小なり、アイデンティティの確立を巡って悩み不安定になりがちです。とくにそれ以前の発達課題の到達度にも左右されますが…。
かつて私もその時期に悩み、不安定な日々を過ごした一人です。社会での自分の役割、進む方向もはっきりせず、モラトリアム期間に逃避していたような気がします。結果、6年間を大学で過ごすことになりました。
当時の私はアイデンティティの確立に伴う悩み…つまりアイデンティティの拡散現象になっていたようです。当然、自分が分からず、不安定でした。自分の短所はいくつもあげられますが、長所やよいところを見出すことができず、同級生と比較しては、彼らが優れているように映り、落ち込んだり、焦ったりし、課題に対決直面することを避け、ますます迷走していたようでした。
そんな不安定な自分を脱出することができたのは、追い込まれた末に目標設定せざるを得ない状況に追い込まれたからでした。目標達成に全力で努力し始め、その結果、中学教師になりました。面接などで長所を問われると「努力家」「向上心旺盛」と、とりあえず答えていました。
長所と短所は表裏関係とも言えます。それは性格の表裏でもあります。
性格についてですが、私は短気という性格の持ち主です。悪い出方は、他者へ怒りがすぐに出たりする癇癪のような出方をし、「短気は損気」と言われるように失敗しがちです。よい出方としては誰れもがしり込みするようなことでも、気が短いので、即断、即行動ができます。悪に対しても、怒りを、正義の行動に変えることもあります。
他の性格も同様で、性格自体には善悪はなく、どんな性格であっても、鏡の表と裏のような関係で、どちらを出すかで価値が変ります。よい出方をするには、それなりの努力とものの見方の柔軟性や多様性が求められますが…。
「マイペース」というのは中立です。よい方向で見るなら、周囲に左右されず、自分のペースで自分の道を進むことができるという「よい面」になります。つまり、「芯がある」「信念がある」「意志を貫く」などの長所になります。
あなたが言われる、自分中心で考えてしまいます。という部分は、マイペースの一面になることがあります。他者との関わりの中で、協調すべき時にマイペースを貫くと、マイナスになるからです。
自らの性格という、持って生まれた中立的なものを、いい方向(価値を生む方向)に使うように心がければよいと思います。
出来事、物事、(性格も含め)は、必ず二つ以上の見方・とらえ方ができます。
例えば、今の行き詰まりや悩みを不幸・苦しみと捉えるネガティブな見方と、未来のために自分の足りないところを補い、大きく成長するときというポジティブな見方をするのかです。
悩んだとき、壁にぶつかったときは、必ず別角度から多面的にものごとを見るようにすると開けていくと思います。
結論から申します。可塑性(かそせい)に富み、可能性を秘めた年代です。人生これからです。
十分に新しい自分を作っていけます。多くの人が変っていったの見てきました。あなたも必ず変れます。
人は、精神面は今の時期が一番成長する時です。まさに、人間としての心の部分の成長はこれからなのです。可塑性とは、柔らかい粘土が、こねると柔軟にいろいろな形に変化するような柔軟性をさしています。今のあなたの年代は、可塑性と可能性に富んだ貴重な時期なのです。
失敗の修復も早いし、新たな挑戦から学べる時です。吸収も早く心の成長の早い時期です。「青年は未来があるというだけで幸福である」(ゴーゴーリー)かけがえのない貴重なときであり、二度とこない黄金の時です。人生の本当の土台を作る時なのです。人生の中で可能性と可塑性に一番富んだ時だからです。
目標を持ち、目標に向かって努力していくというプロセスを大事にしていけば、自己肯定感は少しずつ高められるでしょう。その目標も、自己実現と結果としての他者貢献という要素があれば、気力もわいてくると思います。
良書にふれ善友やよき先輩、善き人と交わっていくことです。
質問
最近死について考えてしまいます。僕は死後の世界があると思います。でも死んだら無になると考えると家族や友達と一生会えないのかと思いとても辛くなります。どうしたらいいんですか。
死の恐怖について
回答
はじめまして 臨床心理シランの室です。
あなたの質問は、生ある人間にとって一番大事な問題だと思います。なぜなら、生ある人間は必ず死ななければならないからです。人生は不可解なことがいっぱいあります。わからないこともたくさんあります。しかし、はっきりしていることは生ある人は必ず死ぬということです。有名な哲学者は次のように言いました。「生とは死への行進である」と…。
人間にとって「死」は最も重要なことでありながら、現代の人間は生に驕り、死ぬことに蓋をし、欲望の海に呑み込まれたかのように生きています。
あなたの質問に正解を与えられる人は残念ながらいないと思います。なぜなら、死者は語らいからです。死後の世界から誰人も生還していないので、真実はわかりません。
ただ、死について真剣に命を懸けて模索探究してきたのは宗教です。
ここでは、世界三大宗教の一つ、仏教につして少し説明してみます。仏教に、カルマの思想があります。カルマとは業ということであり、行為という意味です。今の世界(今世)で行った個人の行為の集積がカルマになります。そのカルマは、心の無意識世界に貯蔵され、今世を左右するだけでなく、来世の生を規定すると言われています。
例えるならば、ある人が前の日(前世)に苦しんで、1億円の借金をもって眠った(死)とします。眠っている間は借金のことは忘れていますが、眠りから覚めれば(今世・新たな生)、一億円の借金はそのまま残っています。
つまり個人の業は連続しています。割引もおまけもなく、あくまでも自己の行為の責任なのです。自分の行為の責任は自分が担う。それが業思想であり、転生の基本になっています。このことを生命物理学者は生命保存の法則から、連続性を説いています。
苦しんで死ねば、苦しんだ姿で生まれると言われています。楽しく今世を終えて死ねば、次はまた楽しみの姿で生まれると言うのです。動物的な生き方をすれば、動物に転生するかもしれないのです。怖いことです。これが、転生の正しい仏教の因果のカルマの教えなのです。
臨死体験1000名近くの方のデーターを基に死の世界を探究されたアメリカの医学者にキューブラー・ロスという有名な方がいます。名著「死ぬ瞬間」「続死ぬ瞬間」という本を著しています。そこには、人間の死ぬ過程が描かれています。一度読まれるとよいと思います。彼女は、仏教の業思想(カルマの法則)を信じると言われています。業思想とは、自分の生き方や行為に責任をとるという生き方なのです。
仏教の開祖、釈迦(ブッタ)は王子として生まれ育ちましたが、心に煩悶を抱き、人生に悩んでいたと言われています。
人生は生老病死(生きる・老いる・病になる・死ぬ)という四つの苦しみから逃げることはできない。その四苦に代表される人間の苦しみ…死すべき存在…生と死の解決のために、釈迦は出家し求道の旅に出たのでした。
人生の意味(死)を探究し修行を続けた結果、釈迦は生命の真実、つまり生と死の真相を悟ったと言われています。
釈迦の悟り…生老病死という四苦は無常(一定のところにとどまっておらず、絶えず変化していく)ですが、その背後に常住の生命の法を悟ったといわれています。それが法華経に説かれ、奈良時代、平安時代に貴族の間に広がり、紫式部の「源氏物語」などにも登場しています。
釈迦の生命観…誰人の中にも等しく内在する不可思議な生命の法…創造的で幸福になっていく生命と知恵と慈悲が具わっている法…自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めあらゆる存在)も幸福にしていくという共生、連帯の生命の法とも言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという生命哲学です。
人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。この世界で、人間だけが、自らの可能性を信じて自らを変えていける「聖道正器」の存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きているようですから。
その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。
自らに内在する尊極の生命を信じられるかどうか。釈迦は信を強調されたと言われています。簡単に言えば、自分の生命の不可思議な法を信じて行動し生き抜きなさいと教えたのです。
生命は断絶するものではなく、永遠に続いていくものです。今の生き方がそのまま来世につながる。生きたように死に、そして朝になれば昨日の続きのように生まれると言うのです。
また「袖触れ合うも他生の縁」と言われるように、今、縁して関わっている人、親兄弟、友人などとも、また来世で会えるというのです。カルマの思想からすれば納得ができることです。
あなたは、自分に偽りなく、自分の幸福のため、同時に他者の幸福のために、正しく生きていくことです。その生き方を貫いていけば、死の恐怖も和らいでいくことでしょう。
(質問)
現在20代後半の男性です。1年前にパニック障害になりました。心療内科で薬物治療を受けていました。
また認知行動療法を勧められ、集団認知行動療法を数か月受けましたが改善が実感できません。休みをとりつつもなんとか、仕事は続けていますが、心臓発作に対する恐怖、広場恐怖、息苦しさ、のどの詰まり感覚、そして非現実感などもあります。夜は呼吸が息苦しく、なかなか寝付けません。日々の生活が苦しく、何をやっても楽しくありません。今は心療内科には行っていませんし、服薬もやめました。
ネットで調べてみると、森田療法が効果的とありました。そこでは1か月の入院治療が必要と説明されていましたが、
入院治療しか方法はないのでしょうか? もし通所指導やカウンセリング治療があれば、受けてみたいと思います。
(回答)
当室では、外来の個人面接のみをやっています。あくまで森田療法を中心に位置づけ、認知行動療法や心理教育、心理検査も取り入れ、多角的な取り組みをしています。
回復例としては、あなたと同じような不安神経症タイプ(パニック障害、不安障害)と強迫性障害があります。
日記療法、自己観察記録をもとに面接しています。症状は、あくまでその人全体の一部分であり、症状除去のみではなく、人間全体(生活リズム、性格や気質の活かし方、生活習慣、考え方の癖など)の変容が課題になります。
当室で面接した人に共通して見られた傾向として、内向、神経過敏、不安定、ちょとしたことが気になるという特徴がありました。神経過敏が恐怖と結びつき、その呪縛から抜け出せなくなり、不安維持させています。
神経過敏は過度の緊張と興奮から起きます。神経過敏が体の少しの異常感覚をとらえ、恐怖、死に至る病→根底に死の恐怖)の引き金になっています。神経過敏は、疲れ、強度のストレスなどだれにでもあることですが、問題はそれがあるとき恐怖と結びついたとき、このからくりから抜け出せなくなってしまうようです。
不安と生理の連動…不安は自分のイメージが作り出しているということです。すすきが幽霊に見えるのは、不安が作り出す不安のイメージの投影でもあります。不安を除こうと、安全確保しないことです。異常感覚があっても放置してみるとよいでしょう。回避行動や安全確認をせず、そのまま不安にみをゆだねるもつまり曝すことです。大丈夫と思って、身を任せることです。その体験の積み重ねが自信になっていくでしょう
そもそも健康とは、雲の一片もない青空ではなく、雨あり、嵐あり、風あり、そして晴れがあります。これらすべてが
人間の健康の一面といってよいでしょう。健康に対しての要求が強すぎているようです。生きる欲望が強いようです。それはとても素晴らしいことですが、それが身体の健康へ囚われてしまうと、苦しみになってしまいます。
健康とは、一つの完璧な状態ではなく、日々変化するものです。不快感もない快適さを保った状態はありません。快状態と不快状態は表裏であり、健康と病気は鏡の表と裏の関係ともいえます。不快があるから、快適さのありがたさがわかるのです。いつも快適でありたいという良く自体が誤った考えなのです。不快感を受け入れるようになることです。不安や恐怖は不快のさいたるものでしょう。しかし苦痛は苦痛として痛みは痛みとして、言葉で「評価」せず、そのまま受け入れます。
それが、今を受容するということであり、「あるがまま」(森田療法のキーワード)の体得です。
恐怖や不安と一緒に、戦わず逃げず、時の経過に身を任せます。そうすればやがて、不安や恐怖は消えていきます。その繰り返しの経験の中で、自己受容が進み、安心、そして自己信頼感が強くなっていきます。それが全治といえるでしょう。
今年の4月より高校生になる者です。進路と部活動について質問させて下さい。
私は中学3年間吹奏楽部で活動してきました。私の通っていた中学校では部活動よりも学業が中心だったので
それなりに楽しく活用をすることが出来ました。私が4月より進学予定の高校は(私学の高校なのですが)
比較的 学業よりも部活動に力を入れており吹奏楽部もかなり厳しい練習があるそうです。
母は中学からやってきたのだから高校でも吹奏楽部を続けて欲しいと言います。高校卒業後同系列の私学の大学に行くのは費用的に厳しいので公立の大学への進学を目指しています。これについて母は私の住む地域で一番難関の大学に進学して欲しいと言っています。正直 私は高校でも吹奏楽部をやりたいとは考えておらずどちらかというと勉強に専念したいと思っています。
しかし母には吹奏楽部を全力でやり成績は常に上位を心掛け難関公立大学へ合格しろ と言われます。
どうすれば良いでしょうか。母に伝える場合でもどのように伝えれば良いのでしょうか。拙い文章ですみません。回答宜しくお願い致します。
回答
臨床心理シランの室です。
母親の敷いたレールに乗って生きるか、それとも自立の道を進むのか…悩むところですね…。
15歳で自らの進路と方向をある程度持たれているというのは立派なことだと思います。
親をはじめ大人は過去の経験知から子どもに、失敗させたくないという思いからアドバイスするのが普通です。人生の先輩として多くの経験をしており、社会を知っている部分があるからです。その意味では親をはじめとした大人の言うことは謙虚に耳を傾けるべきことだと思います。
しかし最近、少子化の影響もあってか、過干渉になる親が増えています。親の希望する通りに子ども操作しようとする傾向が見られます。
子どものことを考えているようで、実は子どもを手段として親の希望を通しているのです。そこに、子どもの自立や本当の子どもの幸福は欠落しているような気がしてなりません。最近の多くの社会的事件になった失敗事例がそれを物語っています。
自分の進路は自分で決めるべきです。自分の人生なのですから…。ですが、自由には責任が伴います。自ら決めた進路には、最後まで責任を持つべきです。それが自立した大人の行為だからです。
親は、15歳の子どもの進路選択には当然不安を抱くでしょうが、助言しながら、本人と対話すべきです。そして、本人の選択を尊重すべきだと思います。
あなたは、親と一個の人格対人格として対話すべきだと思います。「自分の人生を生きたい。自分の進路選択に、最後まで責任を持つ」と、親を納得させなければなりません。こういう問題は、母親よりも本当は父親とすべき内容だと思いますが…。
以下は私の昔の失敗体験です。何かの参考になれば幸いです。
高1は何も考えず登校していました。ところが高2になると、通学が苦痛になり午前中は家で寝てしまい、遅刻・欠席が続きました。どうしていいかわからなくなり、横道にそれ、結果的に2年生の欠席は70日。高校中退に追い込まれました。
なぜ学校から足が遠のいたのか…自分の行きたい学校ではなかったということ(家の経済事情で大学進学が無理であったこと、また友達に誘われて高校を選んだという安易な進路選択でした)。勉強に対して目標もなくなり、受動的になっていました。結果、いつしか楽しい遊びの世界に惹かれていったのです。また怠けが許される家庭環境であったこと(母親とは7歳の頃死別、以後父子家庭で育つも、父親は酒乱で子どもを放任していた)などが原因だったと思われます。当時の私は全て、人任せで無責任な生き方をしていました。
高校中退後、独立・自立を迫られ、家から追い出されました。身寄りのない東京へ一人で行き、「新聞配達少年」となり一からの出直しを図り、はじめて自立の人生が始まったのです。定時制高校に編入学し、幸運にも善き先輩と出会え、その人と触れ合うことで、啓発されていきました。自信もなく虚勢を張っていた私も、いつしか自分の可能性を信じて行動する自分に変っていきました。
「大学に行って学問しよう。そして学んだことを人のために役立てよう」と、決意し主体的に目標を立てました。また名作や哲学書にふれ、人生に対する姿勢が変わり、「無医村に行って人の役に立ちたい」と「国立大医学部」を目指して猛勉強を開始しました。働きながら目標達成のため3年間努力しましたが、国立医学部の壁は厚く、年齢のことも考え志半ばで方向転換を余儀なくされました。
結果、当時新設された広島大学総合科学部試験に合格し入学。紆余曲折しましたが、最後は中学校の教師の道を選びました。結果的にその道は、自分にふさわしい道だったと、今は納得しています。(自伝的ノンフィックション小説「失敗もいいものだよ」に詳細記述)
親が高校に進むのではありません。あなたの高校進学であり、あなたの高校生活です。親のアドバイスは聞くべきですが、最終判断は、あなたがすべきです。あなたの人生なのですから…。しかし、それには責任が伴います。責任なき自由は単なるわがままになるからです。どんな結果になろうと、責任は自分が取るという覚悟があるのなら、その道を進むべきであり、親にもそれを訴え、納得させるべきだと思います。
「青春の夢に忠実であれ」とは、ドイツの詩人シラーの言葉です。
自立はある意味、困難な茨の道でもありますが、青年には情熱があるからこそ、その困難も乗り越えていけるものだと思います。
(質問)
米国在中の30代半ばの主婦です。40代半ばのサラリーマンの夫と2人で5年前にミシガン州に転勤しました。
私は小学生の時に拒食症になり、精神科に入院し、中学生の頃は3年間不登校でした。高校は夜間を卒業し、短大はとても大変でしたが卒業しました。小学生の時に拒食症になって以来、鬱や気持ちの不安、睡眠障害などを繰り返しています。
現在、米国で慣れない文化と言葉の壁でストレスが溜まり、食べても体重は増えず、この数年間でとても痩せて生理も来なくなりました。
毎日同じルーティーンで生活していないと不安になります。同じ物ばかり買って食べたり同じ所に行ったりしています。
1人で居る時は同じ事を繰り返し言ったり、意味のない言葉も言ったりしています。新しい事が有るとパニックになります。
潔癖症の様な症状もあり、1週間に1回はベッドのシーツと毛布を洗っていますが、割と大変な作業なのでとても疲れます。
1か月に1回くらいにしたいですが、同じ事を繰り返していないと不安になります。強迫性障害かもしれません。
もっと気持ちを緩やかにして生きたいですが、相談する人もいません。1人で自分の殻に閉じこもり1人で悩んでいます。
同じ事を繰り返していないと気がすまないですし、いつも先々の事を考え、疲れています。もっと適度に緩やかな気持ちで生きるにはどうしたら良いでしょうか。
(回答)
臨床心理シランの室です。
海外生活の中で、よりどことなる友人との交流も途絶え、夫との会話も少なくなり、孤立した状態になっているようですね。そうした境遇があなたを弱くし不安を強めているような気がします…。
今のあなたにとって、最も大事なことはあなたの拠り所となる存在、相談できる人を持つことだと思います。
あなたの質問文の中で気になること…「同じ」という言葉が6度使われていることです。
同じことを繰り返さないと、不安であり、落ち着かなくて、気が済まないという心理状態に置かれているようですね。
原因はあなたの心にある不安の強さにあると思われます。その不安を同じことをすることによって緩和させようとしていますが、一時的安らぎに過ぎず、時間がたてば再び不安が湧いてくるので、それがあなたを疲弊させているような気がします。
あなたの不安の強さは、どこから来たのか…おそらく「拒食症」になったころに表面化されたとものと思われます。根本因はそれ以前にあったと思われます。家庭環境を推測するに、ご両親も大変だったと思います。あなたは、拒食症、不登校、鬱などになることによって自分の心を守ってきたのかもしれませんね。
そんな中、夜間高校、短大と精一杯の努力を重ね、学校を出られたことは立派だと思いますよ。
結婚され、「不安」は軽減された時期があったと思いますが、海外生活の適応からのストレスが強くなり、不安の強さが顔を出しているようです。
あなたと同様、多くの人が毎日、同じことを繰り返しています。私の例で言いますと、朝起きて、歯を磨き、顔を洗う、毎朝出勤前に、ラジオ体操をします。夜に軽いストレッチをし日記を書いて寝ます。それらをしないと、なんとなく落ち着きません。安心できないようです。
スポーツ選手には特に顕著に見られます。イチロー選手のバッターボックスでのしぐさ、相撲取りの相撲を取る直前のしぐさ、羽生選手のスケートリングに入る前のしぐさ、これらは一種の儀式のようなものです。そうすることによって緊張を緩和させ、不安を解消させて、落ち着かせているのです。同じことの反復行為には不安・緊張緩和という効果があり人間には必要なもののようですね。
また、「気が済まない」というこだわりの心理は「潔癖」、完璧を求めるあなたの性分に由来しているようですね。そうした性向は芸術家やモノ作りや職人によく見られます。
完全作品を求めて、何度も繰り返し完璧作品を目指していきます。理想作品と現実作品が一致するまで作り続けないと「気が済まない」からです。結果、素晴らしい作品の完成となります。一流のモノ作り人は、こだわりの人であり、強迫性傾向の強さをもった人たちといえるでしょう。あなたの性分もよい方に活かしていけば、きっとあなたに価値をもたらすでしょう。
これらは大事な人間の心理なのですが、ほどよくやることが大事になります。そこには、不安とどう向き合うのかとい課題があるわけですが…。
こだわりや不安の強さは、時に新しい変化に対応することを困難にすることがあります。柔軟性が不足し、思考の固さとなり自己のコントロールの弱さになってしまうことがあるからです。
その結果、新しい環境や出来事に遭うと不適応を起こしたり、パニックになったりすることがあります。
不確かな未来への想像が不安を生み出します。あなたの不安の多くは、あなたの想像の産物であり、頭の中で勝手に作り上げた世界であり現実ではありません。
自分の思考、行動、感情、生理というつながりを知ることですね。
強い不安は、時間とともに薄れるという性質があります。不安に襲われた時、頭の中であれこれ考えると不安は強くなりますので、目の前のやるべきことに専念していけば、不安は薄れます。時間とともに弱まるのも不安の特徴です。
人間には自然治癒力・回復力があり、大海のように何でも受け入れることができる母なる世界が内在していると言われています。それは母親に代わる安全基地になります。最終的には自己信頼の獲得が課題になりますが…。
不安を強める心理として、罪悪感、自責があります。必要以上に罪悪感にとらわれないようにしましょう。
自律神経の乱れから不安を強く感じたりすることもあります。軽い運動やストレッチやウォーキング、朝日を浴び、入浴。複式呼吸、背筋を伸ばした姿勢で歩くなどですも効果的だと思います。
(質問)
人と話すことは好きなんですが、自分から話題を振ることが苦手で話したいことがなかなか話せません。
話したいことがあっても相手はこう思うかなとか答えづらいかなって考えると言葉にすることができなくなります。
彼氏や仲のいい先輩にもうまく話せないので一緒にいてほんとに楽しいのかなって不安になって余計話せなくなることが多いです。
話せない自分が嫌いです。もっとうまく話せたらもっと楽しいのにって思います。
今までもそうですが、彼氏に対して本当の自分を出せていません。
本当の自分でいたいと思うのに出したら嫌われるかもしれないっていう気持ちがあってうまい付き合いができません。
こう思うのには多分過去のトラウマがあって私のことなんて好きになってくれる人いないってどっかで思ってる気持ちが強いんだと思います。
昔から人と目を合わせるのが苦手だったり食べているところを見られるのが苦手だったりします。
色んな人とうまく話せるようになりたいし彼氏にも本当の自分を出したいと思っていますがどうやったら克服できるのか分からなくて
相談させてもらいました。変われるなら本気で変わりたいです。
(回答)
はじめまして 臨床心理シランの室です。
青春の一番よい時代に、本当の自分を表現できず、ある意味、窮屈に生きているあなたの心中、わかるような気がします。かつて青春時代に同じ思いをしたことがあるからです。これまでの各カウンセラーの方々の助言を実行されれば、あなたの成長に役に立つと思います。その上で、少し補足をさせていただきます。
自分の本当の気持ちを伝えるということは、必ずできます。それには「今の自分でよい」という自分の受け入れ、自己の信頼が必要です。つまり、何があっても「自分は自分でいいんだ」という信頼感です。
それは、人に否定されても、人から受け入れてもらえなくても、落ち込むこともない自分です。なぜなら、自分が自分を認めているからです。それが自己信頼の意味です。自分という存在を自分で認めて、わかってあげられるようにすることです。
自己肯定を高めるためには人間信頼が必要です。「人間は、誰人もかけがえのない個性をもった素晴らしい存在である」という思想です。金子みすずさんが詠った「みんなちがってみんないい」という詩の心に生きることです。バラは美しい。しかし、タンポポも可愛い。野菊も素敵です。菫もよい。それぞれかわいらしさや美しさ、それなりの個性があります。大事なのは、自分というかけがえのない個性に生きることなのです。
現実世界は差異と差別に満ちています。美醜、財産や地位や能力の有無など…他者との比較相対で価値が位置づけられています。人は、それらで人の価値を評価する傾向があります。そこからは、条件付きの評価が生まれがちです。「○○だから好き」などという条件付です。こうした○○だからという条件付き承認、つまり比較相対という価値で人間評価をしている間は、自己肯定は高まりません。砂上の楼閣のようなもので、比較の基準が変れば、価値が低下したりし、いつ壊れるか分からない、評価なのです。とても不安定な生き方になります。
他人の思惑や評価を気にして人に振り回されて生きるのか、それとも、自分対自自分という絶対的な自分評価に生きるのか…どちらの方向で生きるのかで結果は天地雲泥の差になるでしょう。他者の目を気にして生きる生き方は、虚飾になることがあり、窮屈であり、心が定まらず、不安定です。反面、自己評価に生きる生き方は、絶対的であり、虚飾もなく、偽りもなく、いつも本当の自分を生きています。たとえ、どんな姿をしていても…。
そこには人間としての確実な成長と本当の自立があり、その生き方は安定しています。「あのようになろう」「このようになろう」と人の振る舞いに左右されるのではなく、「自分は自分の表現しかない、自分はありのままの自分でよいのだ」と受け入れ、認めて生きるのです。例え、人に非難されたり、馬鹿にされたり、見下されたりしても、自分さえ、「これでいいのだ」と自分を認めていけば迷いはなくなります。やがて、あなたは時間と共に輝きを増していくでしょう。
ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨きをかけていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。黒い石も輝くダイヤも同じ自分です。どちらの自分も「そのまま受け入れる」ことが自己肯定なのです。人は輝くダイヤは受け入れることは簡単ですが、黒い原石は受け入れがたいものです。「黒石もダイヤも同一の存在であり、どちらも自分であると、ありのままに受け入れる。」「黒石も磨けばダイヤになる」という信念に裏打ちされた努力が必要です。
目標を持ちその達成に向かって努力していく。結果がどうであれ、努力した自分を認めていくとき、自己肯定感は高まります。結果という表面化されたものより、見えないプロセスを大事にし、努力した自分を認めていくのです。
つくろわず、ありのままの今のあなたでよいのです。そうした素朴な、飾らない、あなたはきっと、見る人が見れば素敵な存在になっていくでしょう。
つまり、変るとは、自覚するかどうかの問題なのです。
(質問)
カウンセリングを受けようとして、ネットでホームページを閲覧していて、迷うことがカウンセラーの資格です。「上級カウンセラー」とか「メンタルカウンセラー」とか「外国認定の〇〇カウンセラー」とか、いろいろな資格があって、何がなんだかさっぱりわかりません。どんな資格のカウンセラーを選べばよいのでしょうか。
(回答)
たしかに、カウンセラーの資格はたくさんあります。心理の国家資格は昨年できた「公認心理師」資格のみです。あとは、民間資格ですから、様々な資格があります。
選択の一つの基準しては、心療内科や精神科、スクールカウンセラーにはどんな資格者が使われているかを見るとよいと思います。大体が、臨床心理士か公認心理師になっています(少数ですが、施設によっては、臨床発達心理士や学校心理士もいます)。それ以外は、心療内科や精神科では採用されていないようです。その事実が資格と責任の重さを物語ってるといってよいでしょう。この二つの資格は、大学院で臨床心理学を学び、かなりの実習を積まないと取得できないからです。
しかし、資格だけで決めるのことにも問題があります。心理カウンセラーには、何といってもりキャリアと実績は重要な要素になるからです。上記の資格を持たなくとも、優れた実績を残している力ある心理カウンセラーがいるのは事実ですから…。
より詳細を知りたければ、このブログの2019年4月頃の「間違いのないカウンセラー選び」を参考にされるとよいと思います。
(カウンセリングCOM質問コーナー)
私は両親、特に母親が過干渉でした。
半年ほど前に過干渉を疑い調べてみると、多くの点で過干渉に該当しました。
・恋愛関係や性事情に口を挟む
・親の価値観の押しつけ…親の信仰する宗教、娯楽(テレビやゲーム、スマホは高校三年生まで全て禁止でした)、習い事
・完璧主義などです。
そこで過干渉は間違っているからやめてほしいと伝えた所、理解は得られなかったものの干渉はなくなり、現在はそこに関するストレスはありません。
ただ、現在の
・自己肯定感が低い
・夢や目標がない
・無気力
・人付き合いが苦手
という自分の悩みが「過干渉を受けた子供の特徴」に一致するために、それらが全て親のせいだと感じてしまいます。
もちろん親の責任は大きいのですが、前向きに取り組まずに親ばかりを恨む現状では何も解決しないと思います。
過去ではなく現在と未来を向くためにはどうすれば良いのでしょうか。
はじめまして。臨床心理シランの室です。
あなたの悩み…親の過干渉の結果としての「自己肯定感が低い・夢や目標がない・無気力・人付き合いが苦手」といった課題があるということですね。
自己内省し、前向きに取り組まずに親ばかりを恨む現状では何も解決しない、つまり「過去ではなく現在と未来を向くためにはどうすればよいのか」と悩んでいるあなたは、必ず今の問題を乗り越えていけると思います。
あなたが感じている課題は、日本の青年期を生きる人間の大半が感じている問題といってよいと思います。過干渉と放任は対極の関係ですが、根本は同じで、あなたがもつような課題を本質的に持っています。つまり、どちらも人間として「ほどよく親から関わられていない」ため、大人になりきっていない状態といったらよいでしょうか…。
アイデンティティーの確立を求めて「自分探し」を始めることが求められているような気がします。信頼できる人に相談することで、自分理解が深まり、視野が広がると思います。
以下は私の昔の失敗体験です。何かの参考になれば幸いです。
高1は何も考えず登校していました。ところが高2になると、通学が苦痛になり、午前中は家で寝てしまい、遅刻・欠席が続きました。どうしていいかわからなくなり、遊びでごまかし、横道にそれ、結果的に2年生の欠席は70日。高校中退に追い込まれました。
なぜ学校から足が遠のいたのか…自分の行きたい学校ではなかったということ(友達に誘われて高校を選んだという依存的進路選択でした)。勉強に対して目標もなくなり、受動的になっていました。だから、授業は興味も関心もなく、本当につまらなく感じ、苦痛でした。結果、いつしか、授業から心が離れ、楽しい遊びの世界に埋没していったのです。完全に目標を喪失していました。また怠けが許される家庭環境であったこと(母親とは7歳の頃死別、以後父子家庭で育つも、父親は酒乱で子どもを放任していた)などが原因だったと思われます。当時の私は全て、人任せ、依存的、受動的な生き方をしていました。
高校中退後、家から追い出されました。身寄りのない東京へ一人で行き、「新聞配達少年」となり一からの出直しを図りました。定時制高校に学び(自発的選択)、善き人生の先輩と出会え、その人と触れ合うことで、啓発されていきました。自信もなく虚勢を張っていた私も、いつしか自分の可能性を信じて行動する自分に変っていきました。
「大学に行って学問しよう。そして学んだことを人のために役立てよう」と、決意し主体的に目標を設定しました。その間、名作や哲学書、思想書にふれ、自分の人生に対する姿勢が変っていき、「無医村に行って、医療に恵まれない人の役に立ちたい」と「国立大医学部」を目指して猛勉強を開始しました。働きながら目標達成のため3年間努力しましたが、国立医学部の壁は厚く、年齢のことも考え、志半ばで方向転換を余儀なくされました。
結果、当時新設された広島大学総合科学部試験に合格し入学しました。入学後も紆余曲折しましたが、最後は中学校の教師の道を選びました。結果的にその道は、自分にふさわしい道だったと、今は納得しています。現在は「心病む人」の役に立てる仕事に従事しています。(自伝的ノンフィックション小説「失敗もいいものだよ」に詳細記述)
自分を見つめるときです。本当の自分を作る時です。友だちや人生の先輩との対話も貴重な鏡の役割をしてくれます。確かな人生のために、今は悩み、自分探しの旅を始め、新しい自分を発見し、歩みを開始されてください。
(2度目の質問)
貴重なお話をありがとうございます。自分だけが上手くいかず自分だけが悩んでばかりいるダメな人間だと思っていましたが、青年期によくある事だと分かりすこし安心しました。今後は自分探しのために親元を離れて暮らし、友人ともっと深く話をしてみようと思います。
ただ、ひとつだけ聞きたい事があります。私は今19ですが、高校入学から4年間、変わろうとしても変われない悶々とした時間を過ごしました。その経験のために、本当に自分を変えられるのか、もう手遅れなのではないかと大きく不安を抱いています。19歳というのは今から新しい自分をつくっていけるような柔軟さが本当にあるのでしょうか。とても不安です。
(ベストアンサー回答)
臨床心理シランの室です。質問にお答えします。
今のあなたは、過去の過干渉という養育環境の影響を受けているのは確かだと思います。それは、あなたが分析しているように自己肯定の低さからくるくる自立心や新しいものへの挑戦の心の低さになっているかもしれませんね。
それがあなたへ不安をもたらしているようです。しかし、厳密に言えば過去はありません。今という現在しかありません。過去は記憶であり、未来は想像の中にあるだけです。今をどのように生きるかで未来も過去も変わります。
結論から申します。19歳、可塑性(かそせい)に富み、可能性を秘めた年代です。人生これからです。十分に新しい自分を作っていけます。多くの人が変っていったの見てきました。あなたも必ず変れます。
人は、身体面では中学生から高校生の時期が一番成長し、19歳の頃には、ほぼ生長は横ばいになるようですが、精神面は20代が一番成長する時です。まさに、人間としての心の部分の成長はこれからなのです。可塑性とは、柔らかい粘土が、こねると柔軟にいろいろな形に変化するような柔軟性をさしています。今のあなたの年代は、可塑性と可能性に富んだ貴重な時期なのです。
失敗の修復も早いし、新たな挑戦から学べる時です。吸収も早く心の成長の早い時期です。「青年は未来があるというだけで幸福である」(ゴーゴーリー・ロシア)青春は金の時間といわれているゆえんです。かけがえのない貴重なときであり、二度とこない黄金の時です。人生の本当の土台を作る時なのです。人生の中で可能性と可塑性に一番富んだ時だからです。それが、あなたの今であり、今後の10年です。
もちろん人間として変わらない部分はあります。それはもって生まれた性格です。例えば短気という性格は変わりませんが、出方が変ります。悪い出方は、他者へ怒りがすぐに出たりする癇癪のような出方をし、「短気は損気」と言われるように失敗しがちです。よい出方としては誰れもがしり込みするようなことでも、迷うことなく直ちに行動しやってのけたりします。悪に対して、すぐに怒り、正義の行動をしたりします。
他の性格も同様で、性格自体には善悪はなく、どんな性格であっても、鏡の表と裏のような関係で、どちらを出すかで価値が変ります。よい出方をするには、それなりの努力は必要ですが…。
目標を持ち、目標に向かって努力していくというプロセスを大事にしていけば、自己肯定感は少しずつ高められるでしょう。その目標も、自己実現と結果としての他者貢献という要素があれば、気力もわいてくると思います。
また人付き合いは、必要な環境に身を置くことで、学びの姿勢があれば身についていくでしょう。
良書にふれ善友やよき先輩、善き人と交わっていくことです。
(お礼コメント)
度々の回答ありがとうございます。勇気をもらえました。
目標と学びの姿勢を忘れないで前向きに人生に取り組んでいこうと思います。
本当にありがとうございました。
2020年2月22日 22時28分
(質問)
去年まで大学生で、付き合っていた彼がいたのですが、その彼の友人たちにある日、一人暮らしをしていた家をあとをつけられていたらしく、家に入るときにいきなり2人に襲われました。
抵抗どころか何もできず、言うことを聞くしかなく写真や動画を撮られて数日間言うことを聞くように脅迫されました。
姉に相談し、警察や病院にも行きましたが1年経った今も体も震えは止まらず、もちろん彼とも会わせる顔もなく生きるのが怖くなり、
どうしたらいいのかわかりません。
(回答)
臨床心理シランの室です。
本当に辛い目にお遭いになられましたね。心中お察しいたします。そして一日も早い回復をお祈りします。
以下に、長くなりますが、トラウマ(PTSD)からの回復についてアドバイスさせてもらいます。少し難しい部分もあるかと思いますが…。
全く突然で予測がつかないなどの条件が重なると、誰でもPTSDに罹患するといわれています。すなわち、異常な状況における正常な反応なのです。あなたの今の症状は、正常な反応であることを知ってください。
PTSDの症状としては「再体験」…出来事を思い出したくないのに、繰り返し思い出される「侵入的再体験」があります。
出来事によく似たニュースを見たり、聞いたり、事情徴収をきっかけに、フラッシュバックが生じ、さらに苦痛に苛まれるます。
「回避とまひ」…出来事に関連する話題や場所などを意識的に無意識的に回避しようとします。未来の展望が困難になり、孤独感、鬱的状態が強くなることもあります。
覚醒・不安の亢進…睡眠障害、集中力困難、いらいら攻撃感情、不安感情などの状態が亢進します。再体験をあおられ、回避的感情や行動が奪われると、この症状は激しくなります。
自分に対する厳しい評価や決めつけをしないことです。トラウマからの回復の本質は、自分自身に対するゆるしにあると言われています。
「コントロール感覚の喪失」という現実に向き合う必要があります。回復のメインは、コントロール感覚の喪失=遭難と向き合うことから始まります。
コントロール感覚を支える基本…自己・他者・世界へのある程度の信頼感です。トラウマを体験すると、この基本的な感覚が失われると言われます。
トラウマ体験は、それまでの日常からの離断の体験、つまり、それまで当然としてあった自己・他者・世界の信頼が失われ、歩んできた人生の道のりから突然突き落とされたような体験ともいえます。それ以前の人生の軌道とのつながりが失われたように感じるようです。
回復目標は、簡単に言えば、新たな役割で、それなりのコントロール感覚をもってやっていけるようになることです。役割の変化、つまりコントロール感覚の回復になります。
役割の変化とは、生活上の変化への適応がうまくいかずに病気につながるときに選ばれる問題領域ですが、トラウマ体験は重要な役割の変化です。
人に話すということは、情動処理の上からも大事です。いつも変わらぬ温かさで接してもらい、無条件の肯定的関心を持つ人と接することです。
その中で、状況が何を意味するのか、感情を通して知っていくことになります。
役割の変化を乗り越えていく、つまり断絶してしまったように見える「人生の道のり」を再び見出すこと。現在地点を知らせてくれるのが感情です。感情を表現し、肯定してもらう作業が大事になります。役割の変化は遭難から抜け出す道標になります。
他人に対する過度の警戒心、対人関係における感情コントロールの困難、怒りの爆発、といった症状を持ちながら、現在の人間関係をこなしていくには、それなりのソーシャルスキルが必要です。現在の人間関係に適応していくことです。結果としてコントロール感覚を増し、病気治療の効果につながります。
自尊心の低下は、ソーシャルサポート(家族、友人、支援者など)によって支えられる部分があります。ソーシャルサポートを増やすことです。
トラウマは、一瞬にして自尊心を破壊する性質をもちます。対人トラウマの本質は、他者に対する信頼の喪失以上に、自分自身に対する信頼の喪失になることがあります。
癒しの根本は自己治癒にあります。
例えば、身体の外傷は本人(自己)の治癒力によって治っていきますが、それは本人が何かをすることによって治っていくものではありません。それを誤解すると、早くかさぶたを取ろうとすると、また出血するようなことになります。自己治癒の自己とは自分の知らない自己であり、自分の知らないうちに作用しているところに特徴があります。これは操作することと対極にあります。
心的外傷体験(トラウマ)は、ある意味「瞬間冷凍された体験」のようなものです。冷凍されているが故に、心はその体験を過去のものとすることができず、いつまでも新鮮なままで抱えることになります。いわば「現在に生き続ける過去」として、さまざまな心理的な機能に影響を与え続けています。心的外傷を癒すということは、その凍りついた体験を解凍し、本来の認知的枠組みの中に消化吸収していくことだと考えられます。幸せで快適な出来事は心的外傷の癒し(ケア)に重要な役割を果たします。楽しく、未来が展望できるような、積極的生き方ができるようなできごとを日常生活の中で作ることが大事です。
一日も早く、専門家のトラウマカウンセリングを受けられることをお勧めします。