(回答)
個人経営の外来の心療内科は、精神科医による薬物療法が中心です。それ以外の治療はほとんどやっていないと思います。
患者が多いのは、薬物療法ではなかなか治らないので、結果として患者が溜まるからです。また患者が薬依存になり、病院依存になっている現実もあります。もし、医者が、患者を治していれば、その病院に通う必要はなくなり、患者は減っています。少なくとも、新規外来と通院終結の数が一緒であれば、内科や外科と同じように、その日のうちに受付られ、一時間も待てば治療に入れるでしょう。身近な、個人外来病院の内科や外科と比べればわかることです。一度で終結したり、数回で改善し終了するのが普通だと思います。
質問
今年33歳になりますが、これからの人生どうすればいいか分からず困っています。
私は昔から、人見知りで引っ込み思案。
小学生の時に自律神経失調症なり、4年~6年生の間、不登校に。
中学に上がる頃には、すっかり人が怖くなり、自分の気持ちを誰かに言うこともなく、自分を守ってきました。
それは、専門学校に入るまで続き、結局人間関係に馴染めず中退。
その後、フリーターから正社員になり、今では販売の管理職を任されています。
仕事では、認めらるようになったものの、人の汚さばかりが見え疲れます。
自分は何をしたらいいか分からない、どうしたいのかも分からない。
毎日笑ってばかりでピエロのようです。
家族ともコミュニケーションは取れず、友達もいません。
恋人は長く付き合っても頼り方や頼られ方が分からない。
自分が何を考えどうしたいのか分かりません。
ただ日々をなんとかやり過ごし、ストレスで過食と、浪費に走り消耗しています。
私は、一体どうすればいいのでしょうか?
身動きが取れず壊れるのを待っているようです。
(回答)
臨床心理シランの室です
あなたは、真面目で心がきれいな人のようです。確かに世の中は汚く濁っています。それは人間の心が欲望に染まり濁っているからです。自分中心の人があまりにも多く、人を省みず、自分の欲望に生きているように見えます。太宰治の「走れメロス」の王様…人は心の底でみな自分のことしか考えず私利私欲に満ちている…だから人は信じられないと。
しかし、メロスはちがっていました。人の心の真実…自分よりも友人の命を大事にするという友愛に命をかけて走り続けました。このような人間もいるのか…王様もメロスの勇気ある行動を目の当りに見て、彼と同じ道を歩むことを決心したのです…人間は捨てたものではないと…。
太陽は今日も、まるで地球上のすべての生き物を育むために昇ります。自然の山や川や植物は本来、太陽と同じく他の生き物を育むように生きています。他の生命を育む…慈悲(愛)と言われるものです。人間も本来、慈悲をもった存在だと言われています。例えば、母親は無償で子の命を守り、育むものを誰人も持っていると言われています。
あなたも慈悲をもった存在なのです。ただ環境の中で、それが発現されず眠ったままなのかもしれません。
あの有名な三重苦の苦しみの中で、サリバン先生と出会うことで、自らの慈悲(愛)に気づき、将来、自分と同じような障害者のために命を注いだヘレンケラーは、どんな宿命や障害も乗り越えられるという人間の力を証明しました。彼女は慈悲(愛)の体現者であり、私たちに限りない勇気と希望を与えてくれています。あなたにもかけがえのない、あなたにしかできない使命があると言われているからです。
世界の偉人もみな苦悩や障壁の中で、苦しみに涙しながら自身を内省し、自分に負けることなく生き抜いてきたといわれています。苦悩を乗り越えたから、人の苦しみに涙することができ、他者の苦しみに同苦することができる人間になったと言われています。
あなたは、過去のできごとが、心の傷となり、それが折に触れ疼き、現在を苦しめ、未来を暗くしているのかもしれません。そして、あなたの認知や感情に影響を与え、否定的な認知や感情をもたらしているようです。そして自己の可能性の芽を摘むかのような自己不信をもたらしているようです。
自己不信は自分の世界や将来に対しても同様に不信をもたらします。あなたの最大の敵は、自己の可能性に対する不信なのかもしれません。「自分を良い方向に変えていける」「自分には未来を拓く可能性がある」「自分にまだ力がある」などという自己信頼の獲得こそ、あなたを幸福に導く最大の要素なのです。
一日も早く苦悩の闇から解放され心が晴れ、明るく前を向いて歩ける日を祈っています。
(質問)
現在新卒で入った会社で就労中なのですが、コミュニケーションが下手で、人と上手く付き合えません。
職場の同期は気がついたら(多分これも私の自業自得だとは思うのですが)私以外を抜いた状態で非常に親密になっていて、それでも優しい方がいて気を使ってランチに誘ってくれたりはしたのですが、全く会話が弾みませんでした。というよりも私抜きで会話が弾んでいて、その場にいるのが申し訳なくなりました。
同期以外にも、職場の同じ部署の同僚の方とランチに行く機会もあったのですが、やはり全然上手くコミュニケーションをとる事が出来ませんでした。そもそも私は非常に仕事の出来が悪く、そうやってコミュニケーションも上手く取れないということで段々職場で腫れ物扱いのようになっていって、仕事の不出来で同じ部署の方ともギクシャクするようになりました。
最終的にその部署からは異動になり、今の部署では仕事上の当たり障りない程度のコミュニケーションは何とか取れている、という状態です。今の部署の方とは親しくもないが仕事上の同僚として問題ない、という感じで、自分としては何とか上手くやれていると安心していたのですが、新人の指導方針で1度同僚の方と衝突して、結局私はまたコミュニケーションの問題を起こすのか、と暗澹とした気持ちになりました。
もともと高校3年の時も同じクラスに親しい友人が居らず、大学も友人作りに失敗して研究室にも馴染めず、先生とのコミュニケーションも上手くいかず、卒論もどうしてあれで卒業させて貰えたのかよく分からないような代物を1人で作りました。大学の時には中学からの友人ともギクシャクするようなことを起こして以来疎遠になってしまい、今はもう大学のサークル時の友人しか繋がりのある人はいません。彼女たちは非常に仲良くしてくれるのですが、中学からの友人の時のように、いつか呆れられるのでは、疎遠になるのではと考えてしまいます。最近会う人とも新たに関係を築くことが出来ません。コミュニケーションの問題、もしくは自分の自意識を変えなければ一生このことに悩まされるのではと思うのですが、どうやって努力したらいいのかわかりません。コミュニケーションはどうやって練習すればよいのでしょうか。
(回答)
臨床心理シランの室です。
話には目的を持った会話と目的のない会話があると思います。目的を持った会話は、あらかじめ話す内容も用意できますから、比較的簡単です。
目的のない会話…人が集まり自然と始まる話…だれが中心ということでもなく、きまりもなく、誰もが自由に発言し、話題にも目的性がなく、いろいろなものに変っていき、話は自由に流れていきます。臨機応援であり、気ままであり、自由です。その流れに入ると結構楽しめます。いわゆる雑談です。
しかし、誰でも簡単にできるものではありません。心の柔軟性や熟練が必要になります。アスペルガーや自閉症スペクトラム傾向の方は、雑談がうまくできません。こだわりが強く、柔軟性が不足しており、場の空気や人の心の流れを読むことが苦手だからです。また、冗談や譬えがわからないという傾向もあります。
会話の中でも、雑談が自然にできる人は会話の上手な人と言えます。雑談は簡単に見えて実は、かなりの会話術が要求されるのです。雑談の上手な人は、知識や情報通であり人間が柔軟な人です。また全体を見ています。また、自信を持っていたり、自己肯定が強かったりします。
雑談のような日常会話ができるようになるためには、自己肯定が高くなくてはいけません。自分が好きで、現在の自分に自信がないと、どんな人との会話にも入っていけません。また主体性が必要です。依存的であれば、会話の場に依存し、主体的に会話に入っていけないからです。
日本人に多いのは、非主張的な表現です。非主張的な人の特徴…弁解がましい。黙る。服従的。承認を期待。相手まかせ。他人本位。依存的。自己否定的。消極的。引っ込み思案。自分に否定的で他人に対しては肯定であり、自他の関係のバランスが崩れています。
自分の気持ちを伝えるという自己表現は、すぐには修得できないかもしれませんが、努力を重ねていけば身につくものです。そのためには、「今の自分でよい」という自己受容、自己信頼、自己肯定感の強さが必要です。つまり、自分が好きだという感覚です。
それは、人に否定されても、人から受け入れてもらえなくても、落ち込むこともない自分です。なぜなら、自分が自分を認めているからです。それが自己肯定の意味です。自分という存在を自分で認めて、わかってあげられるようにする…言い換えれば自己肯定できる自分です。
自己肯定感を高めるためには、人間観が必要です。「人間は、誰人も平等であり、かけがえのない個性をもち成長への可能性を秘めた存在である」という人間観です。
世の中は差別社会であり差異に満ちています。人はその中で自己肯定感が阻まれています。美醜、財産や地位や能力の有無など…比較相対で価値が位置づけられる社会です。人は、それらで人間の価値を評価する傾向があります。
そこからは、条件付きの評価が生まれがちです。「○○だから好き」などという条件付です。こうした○○だからという条件付き承認、つまり相対価値で人間評価をしている間は、自己肯定は高まりません。
「自分を認めること」は、価値の比較相対に左右されない心の問題だからです。「心でみなくちゃ ものごとはよく見えないってことさ 肝心なことは目に見えないんだ」(星の王子さま)とあるように、心が大事なのです。
ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨きをかけていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。黒い石も輝くダイヤも同じ自分です。どちらの自分も「そのまま受け入れる」ことが自己肯定なのです。人は輝くダイヤは受け入れることは簡単ですが、黒い原石は受け入れがたいものです。「黒石もダイヤも同一の存在であり、どちらも自分であると、ありのままに受け入れる。」「黒石も磨けばダイヤになる」という信念に裏打ちされた努力が必要です。
目標を持ちその達成に向かって努力していく。結果がどうであれ、努力した自分を認めていくとき、自己肯定感は高まります。結果より、プロセスを大事にし、努力した自分を認めていくのです。
(質問)
高二女子です。
やる気がなくて授業が聞けません。
ほとんどの授業は寝てるか携帯か喋ってるかです…寝てる割合がほぼです。たまに喋ったり携帯いじったりします。
教えてくれてる先生にも申し訳ないですし成績上げるためにも授業聞きたいです。けど、いざ授業を受けるとなると聞くの面倒だとかもういいやという気持ちになってしまいます…。ほとんどの授業は聞けば分かります。化学だけ分からないですが…それ以外の教科は分からないからという理由からではないと思います…。
授業も聞かなくて自習もしないので成績がどんどん落ちていきます…。
何とかしたいと思うのですが、やろうと思ってもやる気が出なくて、そんな自分が嫌です。
せめて授業だけは真面目に受けたいです…今年に入ってから、中一から高一までは1度もなかった遅刻を20回くらいしているのにも危機感を感じています。
遅刻理由は学校に行くのが嫌だと感じてしまうので少々ゆっくりに行動するせいだと思います…わざと遅れることもあります…人間関係はこれまでにないくらい良好で恵まれてると感じます。ただ、授業が億劫になってしまいます…。
どうすれば授業に対してやる気を出せますか…?聞けばいいという話なのですが分かっていてもできません…。
(回答)
臨床心理シランの室です。
高校2年生、悩み多き時期ですね…。
あなたの悩み…勉強意欲がない、学校がおもしろくない、学校へ行くのが苦痛。自分がわからない。出口の見えない迷いのトンネルの中に入っているような感じですね…。
今のあなたは狭い視野と気分(主観・自己中心)にとらわれ、行動が矮小化されているようです。人間は目標をもち行動することで、自らの力を初めて知ることができるからです。行動しないと何も生まれません。今、掲示板に悩みを投稿したことも一つの行動です。うまくいけば回答の中から何かが生まれる可能性があるように…。
授業への怠け行動を続けることで生じる目に見えない精神的な損失(学問で学ぶ多くのことが学べないなど)は、あなたの将来の人生で穴埋めするしかありません。それはかなりの忍耐と努力が求められます。「自分で蒔いた種は自分で刈らなければならない」…人生の道理だからです。
朝、決まった時間に起きるのは大変なことです。苦痛であり、ゆっくり寝たいという気分に打ち勝って起床します。準備をして登校する、面倒くさいものです。一日8時間以上学校に拘束される、大変なことです。何らかのきっかけ(長期休みでリズムを崩すなど)で、その習慣が崩れたりして、一旦嫌になれば耐えられなくなるでしょう。
私の昔の失敗体験です。
高1は成績も優秀でした。ところが高2になると、なぜか学校がつまらなくなり、電車通学が苦痛になり、午前中は寝てしまい、遅刻・欠席が続きました。どうしていいかわからなくなり、自暴自棄的になり、遊びでごまかし、結果的に2年生の欠席は70日。高校中退に追い込まれました。
仲のいい友達もいたし、成績も悪くなかったし、授業の内容も理解できていました。いじめもなく、そんなに嫌な先生もいなかった…、それなのに学校に行くのが嫌でした。自分で自分がわからず、どんどん無気力で怠惰になっていき下降していきました。
なぜ学校から足が遠のいたのか…自分の行きたい学校ではなかったということと。勉強に対して目標もなくなり、受動的になっていました。だから、授業は興味も関心もなく、本当につまらなく感じ、苦痛でした。結果、いつしか、授業から心が離れ、楽しい遊びの世界に埋没していったのです。完全に目標を喪失していました。また怠けが許される家庭環境であったこと(父子家庭で子どもを放任していた)などが原因だということが、10年後ぐらいの自己分析の結果わかりました。
高校中退後、家から追い出され、「新聞配達少年」となり身寄りのない東京へ一人で行き、一からの出直しを図りました。定時制高校に学び(自発的選択)、善き人と出会った後、明確な目標を設定し、働きながら目標達成のため3年間猛勉強をし(能動的行動)、広島大学に入り、中学校の教師になりました。
何よりも、勉強する意味や、何のために勉強するのという目的の大切さ知りました。(自伝的ノンフィックション小説「失敗もいいものだよ」に描いています)
「生き詰まったら原点に返れ」と言われます。高校入学の目標は何だったのでしょうか。とにかく目標を明確にし、今の「受け身的態度」を「自発能動的態度」に変えることです。
その根本は、「何のために学ぶのか」「学んだことをどう生かすのか…自らの可能性を開き、そして同時に人々の幸福のために貢献する」という純粋な心を根本にすべきだと思います。
自分をしっかり見つめるときです。友だちや人生の先輩との対話も貴重な鏡の役割をしてくれます。一人で悩まないことです。
自分探しの旅を始めてください。
質問
自分の感情が上手くつかめなくて悩んでいます。治療法としては認知行動療法が確実ですか?
回答
臨床心理シランの室です。
喜怒哀楽などに代表される人間の感情を感じることが上手くいかない…悩みお察しいたします。
感情をうまく言葉にしたり適切な言葉で表現したりが苦手…つまり感情の言語化が下手ということですね。感情と身体反応がかけ離れ、悲しい時も悲しみの表情が出なくなる…自分も相手もあなたの感情がわからなくなる…人からも理解されなくなる、自分自身も…。
あなたの課題は、自由な感情表現…喜怒哀楽という感情を自由に表現(言語化)できるようになることですね。笑ったり、喜んだり、怒ったり、悲しんだりという人間の本来の感情表現です。
あなたは、そうした感情が何かでせき止められ、無理に環境に適応する中で身につけた思考などで制止されているようです。その結果、自由な生き生きとした感情の表現ができず、心が閉塞状態になっているのかもしれません。その心の解放こそが一番の課題だと思われます。
過去の養育環境やいじめられ体験や虐待などがあなたの思考や考え方にフィルターや曇りやフレーム、そして歪みを与えてきたのかもしれません…。
対処法としては、自身の感情を受け止めるために、抑圧された感情の解放、心身の緊張を和らげることがよいといわれています。
ストレス緩和法として、認知行動療法のカウンセリングの中で、よく使われる「自律訓練法」や「呼吸法」「筋弛緩法」などを実践され、長く続いてきた緊張を解きほぐすと、自律神経が正常化されていき、感情を言語化するのに役立つと思われます。
また、「出来事」に対する認知を変えていけば、感情も行動も身体反応も変わっていきますので、認知行動療法全般を試みるのも効果的と思います。
認知行動療法が確実とは言えませんが、上記の方法を実践されるのなら、他の心理療法より効果が見込めるでしょう。ただし、認知行動療法(自立訓練法や呼吸法などのリラクセーションの指導ができる臨床心理士など)を専門に行うカウンセリングルームを選ぶ必要があると思います。
私は30代前半の女性です。すごい忘れっぽいです。
例えば、家の2階に物を取りに行って実際行くと何を取りにきたのか忘れて元いた場所に戻ってやっと思い出す。または本来取りに行くはずのものを忘れて他の忘れ物を持って元の場所に戻ってきたり。思い起こせば学生のときも忘れ物は多かったです。
また家では、片付けができず、部屋はちらかっています。何よりも支障をきたしているのが、職場の机上の整理ができていないことです。大事な書類が見つからないこともあり、よく注意されます。
学生の頃は、おしゃべりが多く、先生からよく注意されていました。会話がかみ合わないこともあります。また、興味のあることには、はまってしまい、時間も忘れ、よく夜更かしをしてしまいます。
発達障害があるのかどうか、検査をしてもらいたいですが…。
回答
文面から推測するにあなたは「不注意」や「衝動性」が強いかもしれません。何かを取りに行ったときなど、目に入ったことに注意が奪われてしまい、肝心な目的を忘れるなど…。
それは目に入ったものに関心が向いてしまうために、注意がそちらに向いてしまうからです。不注意というより、注意の過多(気の多さ)であり、そのため注意の散漫が起こり、物忘れになってしまっています。
結果、本来の目的を忘れてしまうことになっているようです。同時に二つのことをするという「作動記憶・ワーキングメモリー」(心理学の専門用語)も弱いようです。
あなたは、短所の面「衝動性―不注意―注意散漫―物忘れ」で苦しんでいるようですが、長短は表裏一体です。長所はあなたの気軽さ、機敏さ、行動の迅速さという面になると思います。
今できる具体的な改善方法は、「しなければいけないこと・約束事」を記録化、メモ化、可視化することでしょうか…。
大事なことをスケジュール化、メモにすれば問題はないと、あなたが言っているように、「メールの返信をすること」などとメモをすることです。小さなことでもメモをして、それを持ち歩く。ポケットに入るコンパしょう。
メモも三色ボールぺンなどを使って大事なものは、赤色などでメモする。または、アラームが鳴るようにするなど、やらなければいけないことを、感覚で知らせる工夫をするとよいでしょう。メモをする、音で合図する、見えるところに、書置きを置くなど、いろいろな工夫ができると思います。工夫してみてください。
今後のこともありますので、当室でWAIS(知能検査・能力の特性を調べる)検査すれば、あなたの特性や能力がはっきりすると思いますし、安心できると思います。
人間は、本来の個性(特性―長所にもなれば短所にもなる)を発揮できれば、それぞれ輝きを放って生きることができます。
タンポポはタンポポのよさがあり、バラはバラのよさがあります。彼らは個性を発揮できているからです。
バランスの悪さは、本来誰人にも内在する固有な個性や特性に偏りがあるため、その人のよさ(個性)がうまく発揮できていない状態と考えられます。
まず、自分の特徴、傾向、得手、不得手などを知ることです。自分の正しい把握や気づきなしに、正しい対処はできないからです。
自分を正しく知るためには、自分を客観視することです。心理検査(WAISなど)や心理カウンセリングは、あなたの客観視に役に立つと思います。
一度来室され、検査を受けられてみてください。
質問
WAIS-Ⅲを受けただけでは発達障害の診断までには至らないと聞きました。
「あなたは〇〇です」ときちんと診断されるには、あとどういった検査を受けなければいけませんか?
診察で医者は「アスペルガー症と言ってもいいと思います。」と濁したような回答で終わってしまいました。それが納得いかないのです。
回答
少しだけ納得がいかないというあなたの気持ちよくわかります。医師の「アスペルガー症といってもいいと思います」という断定を避けた曖昧な言い方であれば、不安は残るでしょう。
医師が断定を避けたのは、「アスペルガー症候群」の診断の難しさにあるようです。
専門機関で研究はされていますが、「アスペルガー症候群」の診断のよりどころとなる心理検査は開発中と言われています。
専門の精神科医でも大人の発達障害を診断できる医師は少ないと言われるほどですから。
アスペルガー症候群は2013年、アメリカ精神医学の診断基準DSM-5が使用されるようになり、日本の精神科医もそれを使用しています。発達障害の分類も変わり、アスペルガー症候群は「自閉症スペクトラム」という名のもとに大きく括られるようになりました。
診断は症状がどの程度あるかによって、診断基準DSM-5に照らし診断します。
診断はまず、本人やご家族からこれまでの発達の過程を聴収することで行われます。とくに小学校に上がる前を含む幼少期、児童期の対人関係がどうであったかが決定的に重要になります。
本人だけの症状の説明や対人関係上の問題だけの説明だけでは、診断が偏ってしまうからです。家族(親)から、本人の発達の経過の説明がなければ診断は困難をきたすでしょう。
WAISの結果には「アスペルガー症候群」の特徴が出ると多くの研究が報告しています。言語性知能が動作性知能を上回るという傾向がはっきり出るからです。しかし、この検査も、あなたが調べたように、一つの資料であり絶対ではありません。
あと「投影法検査」というものがあり、これは検査者が意識的に操作できない部分があるので、かなり有効な心理検査となっています。「アスペルガー症候群」に有効なのは「PFスタディー」という心理検査だと言われています。その他、描画テストやロールシャッハテストなどを組み合わせれば、かなり確実な診断になるでしょう。
以上述べたように、大人の発達障害…アスペルガー症候群の正確な診断は、本人の話、家族の話、心理検査の組み合わせなどが必要になります。
先生はあなたの話とWAISの結果をよりどころにしたのでしょうか? それで確定診断ができなかったのかしれません。もしくは、軽度の「アスペルガー症候群」という診立てだったのかもしれません。
確定的な医師の診断がほしければ、先生に診断の根拠を尋ねるか、セカンドオピニオンとして病院(先生)を替えて診察してもらうかです。
診断は両刃の剣のようなものです。診断名がつけば安心できる部分がありますが、その疾患故に苦しむという部分があります。実際、障害者として生きるのは大変なことですから。
著名な専門家に言わせれば、発達障害は「発達のアンバランスの問題だ」と言っています。一般の人より優れた部分もあるし、また劣っている部分もあるということで、発達のデコボコ状態だと言っています。
健常者(普通の人)でもアスペルガー傾向が見られます。誰でも大なり小なりその傾向はもっているもので、程度の問題なのです。あなたが、日常生活に支障を来していなのであれば、問題はないと思いす。
よく例に出される代表的な有名人…アインシュタイン、ピカソ、ビル・ゲイツなどの方々も、発達障害ではなかったのかと言われています。彼らは秀でた特徴を最大限に生かし、自らの適性を最高に活かした人たちです。
診断名より大事なことは、最終的に、あなた自身が自分の性格や能力や適性をどれだけ理解できるかだと思います。自分をよく知って、欠点を補い、良い面、長所を生かす生き方を積み重ね、努力していけば問題なく生きていけるようになると思いますが、どうでしょうか…。
質問
不安障害「心気症」が再発してしまいました。ちょっとした体の痛みだったりが気にしてしまったり日常生活にまた支障が出てきてしまいました。どうすれば気にせずに大丈夫だと考えられるでしょうか?よろしくお願いします。ほんとに辛いです
回答
臨床心理シランの室です。
毎日のことですから辛いですね。
人間は先のことがわからないときに不安になります。だれしも生きている以上、不安(気にする事)から免れることはできません。生きることの不安、病気への不安、経済不安、将来の不安など…最後は死の不安です。
多くの人は、不安を感じないように生きています。しかし不安はなくなるわけではありません。生きていることと死ぬことは表裏一体です。生きることの中に、安全に生きたいという本能的欲求が存在しています。
この本能的安全欲求が、人類を発展深化させました。一例ですが、恐怖や不安から人間は、火を起こし、明かりをあみだし、道具や武器を作り、風雨をしのぎ、衣食住の安全を確保してきました。不安と恐怖があったからこそ進化発展を遂げてきたのです。
日常はさほど不安を意識せずに生きていますが、大事な行動や重大な決断や選択のとき、将来の結果が見通せないために不安が強まります。ただ人によって、不安を感じる強弱は個人差があります。不安の対象が何かに強く固着し特定されると精神疾患の様相を呈します。心臓の動きに固着すれば、心臓神経症に、他人からどう見られているかという自分にばかり意識が固着すれば対人恐怖症に、体のある器官の動きに固着すれば、心気症傾向になります。
それらの不安の根底には、「よりよく生きたい」「いつもよい自分でありたい」「人に良く思われたい」「いつも健康でありたい」などの現実を度外視した理想の高さや完全欲の強さがあります。その快適さや快感への欲求の強さは、不快感に敏感になってしまいます。また生きる意欲の強さは必然、死の恐怖感を強めます。生と死は表と裏の関係だからです。
不安を軽減するために、人は備えをしたり努力をしたりします。そのように対応をすることで、不安の原因を取り除くことができるからです。不安軽減法の第一は、事前の準備を周到にすることと正確な知識の獲得です。情報収集も大事になります。よく知っている人に相談することも大事です。
事前の準備や正確な情報収集(認知・知識)が完全になればなるほど不安は減少しますが、なくなるわけではありません。あくまでも減少するだけです。不安がなくなれば、よりよく生きようという気持ちもなくなるからです。不安は人間を成長させる貴重な感情なのです。
あなたは養育環境の影響から、人よりも不安を持ちやすい人のようです。
まず「不安」発生のメカニズムを知ることです。不確かな未来への、自分の想像が際限なく不安を生み出しているメカニズムを…。あなたの不安の多くは、あなたの想像の産物であり、頭の中で勝手に作り上げた世界であり現実ではありません。
あなたは、まず現実と感情のたてわけをしっかり区別し、感情本位(不安)から、事実本位(ありのままの事実)に生きることです。
将来のことを予想するときは事実に基づくようにします。また「もし~だったら」という考えは、事実ではなく、空想や想像に過ぎないと見極めることです。あくまで事実第一に考え、行動することです。
次に、自分の思考、行動、感情、生理というつながりを知り、不安軽減の効果的な方法を身につけることです。自己観察記録をつけ、自分の感情と行動と事実の分析をし、自己コントロールを習得することも大事です。
強い不安は、時間とともに薄れるという性質があります。不安に襲われた時、頭の中であれこれ考えると不安は強くなりますので、頭の中の考えは浮かぶにまかせ、目の前のやるべきこと、仕事などの事実に専念していけば、不安は薄れます。時間とともに弱まるのも不安感情の特徴です。
心の安全基地・拠り所…心理的サポーターの存在が大事になります。興味・関心のあることは、心のよりどころになるでしょう。
自己信頼-自己肯定―自分を受け入れる…信頼できる人の存在が大事になります。
どんな自分も受け入れられる自分になること…人間には自然治癒力があり、限りない心の広い世界、大海のように、何でも受け入れることができる母なる世界が内在していると言われています。それこそ、安心立命の境地であり、母親に代わる安全基地になります。
最終的には、自己信頼の獲得が課題ですが、すぐに達成できるものではありません。
不安を強める心理として、罪悪感、自責があります。必要以上に罪悪感にとらわれないようにしましょう。自分をありのままに認めるようにしましょう。
また自律神経の乱れから不安を強く感じたりすることもあります。
規則正しい生活…早寝早起き。規則正しい食生活や甘いもの控え、和食等の自然食傾向にするとよいでしょう。
軽い運動やストレッチやウォーキング。朝日を浴びる。入浴。複式呼吸、背筋を伸ばした姿勢で歩く。弛緩法・自律訓練法を身に付けるなど生活習慣の見直しも効果があると思います。
ふあ
質問
将来どうしたらいいかわかりません。
以前は夢があったのですが、叶わずに仕方なく別の仕事を転々として、長続きしません。
仕事を転々としているため、年齢的にも次の仕事が見つからず、結婚もできません。
昔から落ち込みがひどく、生きていても楽しいことは何もないので親には申し訳ないですがこんな感じだったらもう死のうかと最近考えてます。
ただ死ぬのも億劫で毎日がすぎていきます。
周りは結婚して子供がいて、自分なりに夢に向かって頑張ってきたのに失敗の人生でした。もう疲れました。
回答
はじめまして。臨床心理シランの室です。
外に出て人を見れば、多くの人が、悩みもなく、苦しみもなく、幸せそうに生きているように見えてしまいます。「なぜ、わたしだけが、こんな、苦しみ人の人生を送らなければならないのか」と、このような自分が嫌でたまらくなるかもしれません。人を責め、環境を責め、最後は、自分を責めてしまう。自分や他者を責めれば責めるほど生きる意欲は減退していきます。
太陽は今日も、まるで地球上のすべての生き物を育むために昇ります。自然の山や川や植物は本来、太陽と同じく他の生き物を育むように生きています。他の生命を育む…愛とも慈悲とも言われるものです。人間も本来、慈悲をもった存在だと言われています。例えば、母親は無償で子の命を守り、育むものを誰人も持っていると言われています。
あなたも私も慈悲や愛をもった存在なのです。ただ環境の中で、それが発現されず眠ったままなのかもしれません。
あの有名な三重苦の苦しみの中で、サリバン先生と出会うことで、自らの慈悲(愛)に気づき、将来、自分と同じような障害者のために命を注いだヘレンケラーは、どんな宿命や障害も乗り越えられるという人間の底力を証明してくれました。彼女は慈悲(愛)の体現者であり、私たち人間に限りない勇気と希望を与えてくれています。(一度ヘレンの伝記を読まれるとよいと思います)
あなたの生きる権利は絶対なのです。今の苦しみには意味があります。あなたが他者貢献という慈悲に目覚め、その生き方をする中で、わかってくると言われています。あなたにもかけがえのない、あなたにしかできない使命があると言われているからです。
世界の偉人もみな失敗の連続の中で、その苦しみの辛さに自身を内省し、自分に負けることなく生き抜いてきたといわれています。そうした苦悩を乗り越えたから、人の苦しみに涙することができ、他者の苦しみに同苦することができる人間になったと言われています。
あなたは、過去の失敗が、心の傷となり刻印され、それが折に触れ恐怖や不安となって表出され、現在を苦しめ、未来を閉ざしているのかもしれません。そして、あなたの認知や感情に影響を与え、否定的な認知や感情をもたらしているようです。そして自己の可能性の芽を摘むかのような、自己不信になってしまっているようです。
自己不信は自分の世界や将来に対しても同様に不信をもたらします。あなたの最大の敵は、自己の可能性に対する不信なのです。
「自分を良い方向に変えていける」「自分には未来を拓く可能性がある」「自分にまだ力がある」などという自己信頼の獲得こそ、あなたを幸福に導く最大の要素なのです。
あなたには、癒し(過去の失敗の傷からの解放)が必要のようです。
五感を使って心を癒すのもよいと思います。
目…心を癒すものを見る。朝焼け、夕焼け、海、空、花、自然、山、川、絵など…
耳…癒される音楽、鳥の鳴き声、せせらぎ、好きなラジオ、好きな人の声など
舌…好きな食べ物、コーヒーや紅茶、ハーブティー、など
鼻…いい匂い、アロマ、花の匂いなど
身体(触)…髪型、散歩、運動、複式呼吸、温泉、入浴など
意識…読書、友達との楽しい会話、日記を書くなど
あなたを理解してくれる人に、あなたの過去を少しずつでも語ることです。日記をつけ自分を見つめることも一つの方法です。
その中で、失敗した過去の自分に向き合い、客観的にそれを見つめ直すことです。自分に起きた過去を見つめ、ある時は怒りや悲しみを表現していく。やがて、過去の出来事を思い出しても感情が振り回されたり落ち込んだりすることもなくなります。つまり自己解放(癒し)の状態になっていきます。それとともに、否定的な認知や感情は、肯定的な認知や感情に変っていくでしょう。
一日も早く苦悩の闇から解放され心が晴れ、明るく前を向いて歩ける日を祈っています。
質問
鬱病10年、統合失調症3年。
最近、何をするにも無気力で生きていくのが辛いです。目標、希望、未来が見えません。
今はほとんど家で引きこもり、家事も疎か生きていく意味が分かりません。
回答
はじめまして。臨床心理シランの室です。
統合失調症、鬱を患い10年近く、辛く苦しい日々送られてきたのですね。
心の苦しみは見えないだけに、なかなか人にも理解されません。一人で耐え続けるしかなかったようですね。こうした生活の結果として、
生きる意欲がなくなり、目標も持てず、希望もなくなりがちです。こうした苦しさのなかで、生きる意味とは何なのだろうと問うのは当然のことのように思われます。
人間の幸福、生き方や人生の意味は古来、思想・宗教・哲学のテーマとなり、偉人はそれを追求してきました。イエス、釈迦、マホメット、ソクラテスなど歴史上数多くの偉人がその道を探究したようです。
人間の生きる意味…私も大学時代に自分がわからなくなり、「人は何のために生きるのか…」と悩み、哲学、思想宗教、人生論の本を読みあさったことがあります。その一つに仏教思想がありましたので、少し紹介します。
仏教の開祖、釈迦(ブッタ)は何不自由のない王子として生まれ育ちましたが、人生に悩んでいたと言われています。
有名な四門遊観…王宮の東門で老人を見て、人は老いる苦しみを免れないと知ります。西門に病人を見ては、人は病気の苦しみを避けられないと知ります。南門に死人を見ては、人は死ぬ存在という苦しみを持っていることを知ります。そして北門で高徳の人を見て、19歳で、全てを捨てて出家したと言われています。
人生の意味を探究し修行を続けた結果、釈迦は生命の真実、宇宙の実相を悟ったと言われています。
釈迦の悟り…生老病死という四苦は無常ですが、その背後に常住不変の生命を悟ったといわれています。
釈迦の生命観…誰人の中にも等しく内在する可能性の生命…創造的で幸福になっていける生命と智慧が具わっている。自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めて)も幸福にしていくという共生、連帯の生命観と言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという生命観です。
一日の人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。なぜなら、人間だけが、自らを変えていける尊い存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きています。
その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。しかも、どんな境遇、運命も宿命も、自らの生命に具わる可能性を信じていけば、転換できるとも説かれています。
自らに内在する尊い生命を信じられるかどうか。釈迦は自己を信じるという信を強調されたと言われています。簡単に言えば、自分の生命の可能性を信じて行動し生き抜きなさいと教えたのです。
充実した生き方は環境から与えられるものでもなく、目標に向かって主体的に生きる生き方の中に生まれると言われています。その生き方も他者貢献につながる生き方とされています。
具体的には、今の引きこもり状態から一日も早く脱出することです。
今は人の助けを借りることが必要です。ヘレンもサリバン先生に出会ったからこそ、自分の尊さ(使命)に気付いたのです。あなたも、善き人との出会いがあなたを高めてくれるでしょう。外に出て、能動的に動けば、そのような人に出会えるかもしれません。
具体的には、『就労移行施設』や「若者サポートステイション」「生活困窮者自立支援相談室」(経済的困窮者だけが対象ではない、生活困窮する精神疾患者も対象)をネットで調べ、連絡を取り、まずは相談に訪れるとよいと思います。あなたの場合、就労もありますので、『就労移行施設』
がよいかもしれません。
まず、一歩踏み出すところから、希望が生まれてくるでしょう。よい出会いがあることを祈っています。