質問
悩みや不満が多すぎて 1週間前から 夏休みの終わりに自殺しよう と決心しました。 これまでも試みたことはあるのですがその時は(死にたい) (もうやだ) とか暗い気持ちだったんです。そのせいか戸惑いとかで失敗したのかな?と言った感じでした。 ですが今は なんでしょう。嬉しいというか 楽しみで仕方がない という感じでわくわくが抑えきれないんです笑
何人のも死を見てきましたが決して嬉しいことではないですし むしろ悲しくて泣いたくらいです。
死んでも転生できるとか 生まれ変われるとか **らしいですけど 。 今のボクにはそれが心の支えなんです。
結局何が言いたいかは 自殺するのが楽しみで仕方がないです
回答
はじめまして 臨床心理シランの室です。
「悩みや不満が多すぎて、自殺しようと考えている。支えや根拠は輪廻、転生」
今世(今の生活)がうまくいかないので、来世に期待したい。輪廻転生し、今よりもっと素晴らしい自分に生まれ変わりたいという考えのように思えます。
ゲームであれば、うまくいかなければリセットし、またやり直せばよいでしょう。しかし、現実の生命はゲームと違い、輪廻も転生も不確かです。仮説に過ぎません。
もともと輪廻転生を説いているのは宗教です。なかんずく仏教のカルマの法則、そして永遠の生命という思想が輪廻転生という考え方につながっているようです。一度、真剣に学ばれるとよいと思います。迷信を信じる前に…。
転生や輪廻という教えは、個の生命の連続性が大前提になっています。カルマ、つまり業という考えです。業というのは行為です。今世で行った個人の行為の集積が来世につながるという考えです。
わかり易く言えば、前の日(前世)に苦しんで、1億円の借金をもって眠った(死)とします。眠っている間は借金のことは忘れていますが、眠りから覚めれば(転生・新たな生)、一億円の借金はそのまま残っています。
つまり個人の業は連続しています。リセットはないのです。自分の行為の責任は自分が担う。それが業思想であり、輪廻転生の基本になっています。このことを生命物理学者は生命保存の法則からこの連続性を問いています。
苦しんで死ねば、苦しんだ姿で生まれると言われています。楽しく今世を終えて死ねば、次はまた楽しみの姿で生まれると言うのです。動物的な生き方をすれば、動物に転生するかもしれないのです。怖いことです。これが、輪廻転生の正しい仏教の因果のカルマの教えなのです。
臨死体験1000名の方のデーターを基に死の世界を探究されたアメリカの医学者にキューブラー・ロスという有名な方がいます。名著「死ぬ瞬間」「続死ぬ瞬間」という本を著しています。そこには、人間の死ぬ過程が描かれています。一度読まれるとよいと思います。彼女は、仏教の業思想(カルマの法則)を信じると言われています。業には割引はありません。どこまでも自業自得であり、自分で責任をとるという考えなのです。
仏教の開祖、釈迦(ブッタ)は何不自由のない王子として生まれ育ちましたが、心に煩悶を抱き、人生に悩んでいたと言われています。
人生は生老病死(生きる・老いる・病になる・死ぬ)という四つの苦しみから逃げることはできない。その四苦に代表される人間の苦しみの解決のために、釈迦は出家し求道の旅に出たのでした。
人生の意味を探究し修行を続けた結果、釈迦は生命の真実、宇宙の実相を悟ったと言われています。
釈迦の悟り…生老病死という四苦は無常ですが、その背後に常住不変の生命を悟ったといわれています。それが法華経に説かれ、奈良時代、平安時代に貴族の間に親しまれ、紫式部の「源氏物語」などにも登場しています。
釈迦の生命観…誰人の中にも等しく内在する可能性の生命…創造的で幸福になっていける生命と知恵が具わっている。自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めて)も幸福にしていくという共生、連帯の生命観と言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという生命観です。
一日の人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。この世界で、人間だけが、自らの可能性を信じて自らを変えていける「聖道正器」の存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きています。
その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。しかも、どんな境遇、運命も宿命も、自らの生命に具わる可能性を信じていけば、転換できるとも説かれています。
自らに内在する尊極の生命を信じられるかどうか。釈迦は信を強調されたと言われています。簡単に言えば、自分の生命の可能性を信じて行動し生き抜きなさいと教えたのです。
かけがえのない生命です。大事にされてください。一たび人間の生命を失えば、無量の多生の間、人間に生まれることはできないと仏教には説かれているほどですから…。
質問
夫はお付き合いしている方の過去の恋愛の話を話されるのが嫌で、過去にその事が原因で破局しているので、私にも付き合い始めの頃に話さないでほしいと言われていました。
しかし、私がその事を話してしまい夫の精神が病んでしまい離婚の危機に至ってます。
夫自身は結婚すれば環境も変わり良くなるだろうと思っていたのですが、良くなるどころか悪化してしまい病院でカウンセリングを受けないといけなくなるほど悪化してしまいました。今現在もカウンセリングを受けてますが良くなってません。
このままでは精神的に限界で離婚してもらうと言われました。
私自身は離婚したくありません。
自分勝手な相談ですが夫の精神状態が良くなり夫婦関係が修復するにはどうしたらいいでしょうか?
私はどうしてしていけばいいでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。
回答
じめまして 臨床心理シランの室です。
辛く難しい状況です。ご主人があなたに対して拒否的な状態になっているようですから…。
交際している人の過去の恋愛関係の話を聞くのは、決して気持ちのよいものではないと思います。
今、交際している人が好きであればあるほど、当然独占したいという気持ちが湧くからです。
ご主人の場合は、それに加え、大きな傷つき体験(トラウマ)があったと推測されます。その傷が癒されることなく心に潜在していたのかもしれません。
あなたの過去の交際相手の話は、ご主人が蓋をし、折り合いをつけていたトラウマ体験を再燃させ、さらに新たなトラウマを生み出したかたちになってしまったようです。ご主人の精神の悪化がそれを物語っています。
ご主人の病院でのカウンセリングがトラウマ治療の適切なカウンセリングかどうかも気になります。
トラウマからの回復には、癒しが必要です。癒しの根本は自己治癒にあります。
少し難しい内容になるかもしれませんが、心的外傷体験(トラウマ)は、ある意味「瞬間冷凍された体験」のようなものです。冷凍されているが故に、心はその体験を過去のものとすることができず、いつまでも新鮮なままで抱えることになります。いわば「現在に生き続ける過去」として、さまざまな心理的な機能に影響を与え続けています。心的外傷を癒すということは、その凍りついた体験を解凍し、本来の認知的枠組みの中に消化吸収していくことだと考えられます。
ご主人が、自分に起きた過去を見つめ、ある時は怒りや悲しみを表現していく。際限なくそうした怒りや悲しみが続くわけではありません。やがて、過去の忌まわしい出来事を思い出しても感情が振り回されなくなります。
つまり自然解凍した状態になっていきます。
幸せで快適な出来事は心的外傷の癒し(ケア)に重要な役割を果たします。信頼できる人との関係や会話のような体験…楽しく、未来が展望できるような、積極的生き方ができるようなできごとを日常生活の中で作ることが大事です。
ご主人が、五感を使って心を癒すことも大事です。
目…心を癒すものを見る。朝焼け、夕焼け、海、空、花、自然、山、川、動物、植物、絵など…
耳…癒される音楽、鳥の鳴き声、せせらぎ、好きなラジオなど
舌…好きな食べ物、コーヒーや紅茶、ハーブティー、など
鼻…いい匂い、アロマ、香水、花の匂いなど
身体(触)…散歩、買い物、運動、複式呼吸、マッサージ、温泉、入浴など
意識…読書、友達との楽しい会話など
ご主人にあった「心休まる、癒し」を探し、そっと試みるとよいでしょう。
あなたができることは、まず安定した精神の維持です。ご主人のすべてを肯定的に、無条件に受け入れることかができるかどうかです。また、あなたが安全基地の役割を果たせるかどうかです。
時間はかかりますが、あなたがご主人を信じ、信頼される安全基地になっていけば、ご主人の心は癒されていくと思います。
質問
20代後半、シングルマザーです。
某派遣会社で医療事務をしており、請負先の病院で仕事をしております。フルタイムの正社員です。先月より病院と前派遣会社との契約が終了し、現在の派遣社員となり、自分は会社を移籍という形で病院に残りました。ちなみに、残ったのは約7名ですがほぼ外来で総合受付では私のみが前の派遣会社から残りました。現在1年と8ヶ月目になる医療事務員です。
前置きが長くなりました。ご相談と言うのは人間関係についてです。殴り書きのようになるかもしれません。
10年以上の経験を持つベテランの方が4名総合受付にいて、昔もこちらの病院で勤務されたことのある方々のようです。
その方々の当たりがキツく、辛い思いをしています。
大変なのを覚悟をして残ったのですが…
以前は分担性でそれぞれ仕事をしていたので自分が担当していない仕事については全く分かりません。なので、質問攻めにされ、分からない事は素直に分かりませんと伝えていました。
次第にそれに対し、なぜ分からないの?!と怒られ、前に担当していた人に連絡してあなたがやりなさい!!など言われるようになりました。
前会社からの引き継ぎが2週間という短い間で尚且つ人手不足。全てを網羅することは不可能でしょう。ですが、自分たちが引き継ぎが出来てなかった為に分からないだけであり、私が怒られる理由になりますか?
引き継ぎ時に、あなたの持っている仕事はなに?等の聞き取りは無く。。。
残る人間にある程度の聞き取りをしてそれ以外の業務内容等を重点的に引き継ぎしとくべきでは?
そうは言っても今更ですね(笑)
自分たちが分からない仕事をわたしに丸投げされ、わたしも分からない中困り果てております。
母と各週で娘の学童への迎えをしており、契約の時点で1週間事に残業ができない週があること、レセプト時にその週が被るようなら木曜日のみ残業可能であとの日は30分ほどしか残れないことは話してありました。
が、先月は「レセがあるのにさっさと帰ってるけど !どういう事か!」と、4名のうちのボスよりお叱りを受けました。
わたし契約の時、話しましたよね?と、その旨を派遣社員の支店方に報告は上げました。
契約の時に話したのに…と思うことはまだあり、小児科が好きで以前は午前中は総合受付、午後から小児科におり、同じスタンスでやって行きたいと話しました。
希望通りなのは最初だけ。現在は午前中は総合受付で算定、昼からも総合受付です。
これもストレスを感じています。
他にも多々色々とあり、細かいことを上げればキリがないですが現在「仕事できない」とレッテルを貼られ、ベテラン4名から距離を取られ、目の前で悪口を言われたこともあります。
以前の会社はそんなことなく、みなさん優しく楽しかったので動揺しております。
とはいえ、まだまだレセプトや算定等覚えたいので憂鬱ながら踏ん張っています。
わたしにも非はあるでしょう、あれもやりたいこれもやりたいで、前の会社の時は外来、レセプト、算定全てに足を突っ込み勉強させて頂いていたのでまだ全てが中途半端なのです。
やる気はあっても結果が着いてこないと意味がないのは分かります。
ですがボスは言い方がきつい。自分の思ったことは全て言う。こう思うのが私だけでなく、他にも外来に同じように思う方がいるのが救いですが、総合受付では肩身が狭いです。
人が怖い。
結局愚痴になってしまいましたね。すみません。
どうしたいか、と言えば辞めたい、けれど業務は好き。
土日祝日休みは捨てがたい。
では辞めないなら、どうしたら自分の心が軽くなるのか。
先週末にお風呂場で過呼吸になり、いよいよ自分だけではどうしたらいいのか分からなくなりました。
長々と脈絡の無い分でごめんなさい。
回答
はじめまして 臨床心理シランの室です。
職場でうまくいかないことは、とても辛いことです。転職する人の多くは、仕事内容よりも人間関係に耐えられなくなって離職する方が多いようです。あなたも職場の4名のベテランの中で肩身が狭くなり、ボス的な女性の言動に耐えられなくなってきたということですね。
7月からの職場環境の変化に対して…辞めるか、それとも辛い思いをしてもメリット(キヤリアを積みたい・土日祭休みなど)
があるので、我慢するか、二つの思いが葛藤しています。結果、職場のことを家で思い浮かべて過呼吸を起こす…
あなたは、既に自身のストレス許容量を越えて、適応障害傾向を呈し始めているかもしれません。早期対応されることが必要です。
解決策は次の二つになると思います。
一つは、職場を去ることです。精神的に楽になれるというメリットはありますが、次の職場の不安は残ります。医療事務の資格を持っているようなので、仕事はすぐに見つかると思いますが、今のような待遇やキャリアの蓄積が得られるかどうかが心配になります。
もう一つの方法は、ある程度目標が達成されるまで今の職場に耐えることです。
その職場で耐え続けるためには、あなたの今の総合力ではつぶれてしまうおそれがありますので、サポートが必要です。
そのサポート力になるものを幾つか述べてみます。
一つ目は、ストレスコーピングを身に付けることです。過呼吸は、自律神経の乱れ…交感神経(緊張・興奮など)優位になっていますので、その神経を和らげることです。自律神経訓練法(ネットで調べると出てきます。背景公式、公式1.2ぐらいを実践すれば十分です)を実行してみるとよいでしょう。そのほか、今現在できる癒し(趣味、運動、友達との語らい、子どもとのふれあい、音楽、入浴、散歩、森林浴、好きな食べ物など)を試みるとよいでしょう。
二つ目は、ソーシャルサポートを作ることです。簡単に言えば、あなたの心を支え、支援してくれる存在です。
家族(両親)、友人・知人、他部署の理解のある人、会社で相談できる人、心理カウンセラー、関係書籍など。
ソーシャルサポートは、あなたにとって職場の辛いことを、受動的に耐えるのではなく、積極能動的に耐える力になるはずです。
それはあなたの情動的支え、知性的な支えとなり、あなたに活力や自分力を引き出してくれる源泉になります。特に心理カウンセリング(カウンセリングルームで専門家による認知行動療法が有効)を受けられるとよいと思います。
三つ目は自他尊重の表現力を学び実践してみることです。自他尊重の表現力…さわやかな自己表現(アサーショントレーニングと言います。ネットで出てきますし、書籍もあります)
四つ目は確かな人間観と謙虚さを持って生きることです。
嫌いな人やストレスを与える人と付き合うには、かなりのエネルギーが必要です。それは一種の人間的修業で得られるものです。
江戸時代に、宮本武蔵という剣豪がいました。彼は「我、以外みな我が師」という有名な言葉を残しています。自分以外の人は、みな自分の師匠であるとのことです。自分以外の人は、確かに自分と違う存在です。自分と違う存在(自分にないものを持っている)という一点で、その人から学ぶことができるというのです。
多種多様な人と関わるためには、根本的な人間観が大事になってきます。
人間はどんな人もかけがえのない個性やよさの持ち主であるという人間観です。
苦手な人に対して、今、見えている姿に左右されず、見えない心の部分…「かけがえのないよさと個性の持ち主である」という信念で尊重していくことです。
私的なことで恐縮ですが、私はかつて30年近く中学教師をしていました。生徒の中に私に反発し、暴言を吐き、攻撃的な言動、嫌悪感をもろに出す生徒がいました。そのような生徒とよい関係を作ることは、あまりにも困難なことでした。
しかし、よい関係を作らないと少なくとも1年間は授業もうまくいかないし、学校生活が成り立ちません。どうすれば心を通わせることができるか…。適応障害傾向(不眠、37度余りの微熱、強度の肩こりなど)を呈しながら、苦悩の中で私が実践したのは、「彼の表面の姿に振り回されず、見えない心…彼のよくなりたい、成長したいという心」を信じて、そこにひたすらかかわっていくことでした。
1年近くの関わりが実を結び、反抗的な生徒も、いしつか親和的な生徒に変っていたのです。実は、変わったのは私自身だったのです。そして、よい関係をつくり、彼は卒業しました。(ノンフイックション小説「こどものこころがみえるとき」に描かれています)
鏡に向かって微笑めば微笑みが返ってきます。同様に、相手を尊重すればやがて相手から尊重されるようになります。
困難を突き抜けたとき、あなたは人間的にも大きく成長を遂げ、魅力的な人間になっていると思います。
質問
僕は今、23歳のニート高卒なのですが
高校を卒業してからはなるべく人と関わらないようにしてきました。
今まで、最近は人と自分を比べたり人の顔色を気にしたり
とにかく嫌われないようにを意識して生きてきたため
結果的に今は親や誰かに言われないと何もできなくなってしまいました
また、自分が自分がの性格だと気づき周りの人に迷惑かけているのが申し訳ない気持ちが強いのですが
こんな自分にも生きていく価値がありますか?こんな卑屈な人間なのに他の人のために何かできる事を考えている偉そうな自分にも腹が立ちます。
回答
臨床心理シランの室です。
あなたの生きる価値は絶対なのです。
受動的な生き方は環境に支配され、何かあると不安定になり、もろく壊れていくものです。それに対して積極的、能動的な生き方は環境を支配し、自らを律し、安定した生き方、充実をもたらしてくれます。
「どう生きていけばよいのか」というあなたの質問…自分が自分がという生き方が周囲に迷惑になっているのではないか、申し訳なく思うという気持ち、そんな人生に生きる価値があるのかという人間存在の本質への問いになっているようです。
人間は、自分が自分がという利己主義的側面を誰人も持っています。あなただけではありません。しかし、その生き方だけでは、世界は利益や物質や富を求めて争いが絶え間なく起こり、戦争にさえなります。また、現在の地球環境破壊は人間の「自分が自分が」という生き方の結果でもあります。
「他の人のために何かできる事を考えている偉そうな自分」と嘆き卑下する必要は全くありません。立派な考えなのです。それが実行できる自分になればよいのです。
人間は利己的な生き方だけでは共存・共生できません。利他的な生き方が必要なのです。自分も栄え、他者も栄えるという共生、共存、自他の幸福を目指す生き方が必要なのです。
人間の幸福、生き方や人生の価値は古来、思想・宗教・哲学のテーマとなり、偉人はそれを追求してきました。イエス、釈迦、マホメット、ソクラテス、デカルトなど歴史上数多くの偉人がその道を探究したようです。
人間の生きる価値…私も大学時代に自分がわからなくなり、「人は何のために生きるのか…」と悩み、哲学、思想宗教、人生論の本を読みあさったことがあります。
その一つに仏教思想がありますので、少し紹介します。
仏教の開祖、釈迦(ブッタ)は何不自由のない王子として生まれ育ちましたが、人生に悩んでいたと言われています。
有名な四門遊観…王宮の東門で老人を見て、人は老いる苦しみを免れないと知ります。西門に病人を見ては、人は病気の苦しみを避けられないと知ります。南門に死人を見ては、人は死ぬ存在という苦しみを持っていることを知ります。そして北門で高徳の人を見て、19歳で、全てを捨てて出家したと言われています。
人生の意味を探究し修行を続けた結果、釈迦は生命の真実、宇宙の実相を悟ったと言われています。
釈迦の悟り…生老病死という四苦は無常ですが、その背後に常住不変の生命を悟ったといわれています。
釈迦の生命観…誰人の中にも等しく内在する可能性の生命…創造的で幸福になっていける生命と智慧が具わっている。自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めて)も幸福にしていくという共生、共存共栄の生命観と言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという哲学です。
一日の人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。なぜなら、人間だけが、自らを変えていける尊い存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きています。
その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。しかも、どんな境遇、運命も宿命も、自らの生命に具わる可能性を信じていけば、転換できるとも説かれています。
自らに内在する尊い生命を信じられるかどうか。釈迦は自己を信じるという信を強調されたと言われています。簡単に言えば、自分の生命の可能性を信じて行動し生き抜きなさいと教えたのです。
充実した生き方は環境から与えられるものでもなく、目標に向かって主体的に生きる生き方の中に生まれると言われています。その生き方も他者貢献につながる生き方とされています。
あなたは20代、人生これからです。あなたが自分を築いた分、人生の意味は明らかになってくるでしょう。幸福は環境から受動的に与えられるものではなく、自分で積極的に築くものだからです。
具体的な目標を持ち、努力を重ね自分を向上させるために学び、周囲の人たちの役に立っていく…そうした生き方の中に人生の意味や充実感がもたらされることを先人は教えてくれています。
正しい価値観や思想に生きるためには善友が必要です、また教えてくれる先輩が必要です。よい出会いがあることを祈っています。
質問 30代前半女性
数年働いている職場ですが、仕事量も増えた今年の始めあたりから、仕事内容が複雑になり不安や心配事が増えると原因不明の高熱が出るようになってしまいました。
何軒かの病院に行き検査してもらうも原因不明で、解熱剤も効いたり効かなかったりの状態です。
軽度の体調不良なら我慢できますが、39度越えで座っているのも無理な状態の体調不良に毎回襲われるため、仕事を休まざるを得なくなります。
まだ数回しか起きたことは無いのですが、最近起きた時も「またか」と思い、何の薬も服用せず休んだら39度台から翌日には平熱にまであっという間に下がりました。
ひどい時は高熱と何度も嘔吐、食欲は全くなく、連日ずっと悪寒に襲われます、インフルエンザ症状のような感じです。
この現象が起きるときと仕事の多忙時期が重なるため、仕事のストレスが原因かと思っております。
対策としては退職や休職をすることが一番かもしれません。
しかし、次の自身のやりたいことへのステップのために金銭を稼ごうと、あともう少しだけこの仕事は頑張ろうと思っています。
(実は、今まで何度もやめようと思っていましたが。)
また、今年から少しポジションが昇進し、より上部の社員と関わる部署に就いたこともあり非常に辞めづらくなりました。
職場はできるだけ社員の声を拾い、融通を利かそうとしてくれます。しかしそれほど多い社員数でも無いため社員同士の公私な関係も見えやすくなり、時々窮屈に感じます。
また、職場も緊張感で張り詰めた空気があり、常に神経ピリピリです。
自分でも今の仕事に一定のストレスを感じていることはわかっていますが、これほど体調に反映されると思っていなかったという驚きがあると同時に、こんなことでストレスを感じるなんて、と情けなくも思います。
(初期の体調不良は一人で動くことが無理で、母親に付き添ってもらい、院内を車椅子で移動する羽目になりました。)
課長からもメンタルの弱さを指摘された事があります。
正直、課長にとても苦手意識を感じています。かなり恩はありますが、何でも見透かされている気がして苦しいです。
ただ、仕事は認めてもらっています。完璧主義だと指摘される事があるため落ち着いたほうがいいとも言われますが、正直課長がいると落ち着くことなどできず、より臨機応変さを求められるので(私は臨機応変が苦手です)
落ち着いて入られません。
この人の元であともう少しだけ働くと決めていますが、今後仕事のたびに倒れているとあちらからも「またか」と思われてしまいます。
何とか乗り越えたいです。
もっと肩の力を抜きたいし、もう少し落ち着いて臨機応変にできるようになりたいし、「まあこれぐらいでとりあえず今はOKだ」と自分に言い聞かせて仕事をこなしていけるようになりたいのですが、そのどれもができず課長の目が気になりカチコチで結局疲れてしまいます。
できるだけ体調に反映されないように、ストレスを緩和させたいのですが、どうすればよいでしょうか。
回答
はじめまして 臨床心理シランの室です。
今の高熱、嘔吐、食欲不振はあなたの推測通り、仕事の多忙時期によるストレス反応と思われます。
あなたが感じているように、仕事のストレスに対してうまく対処できていないか、あなたの許容量を既に超えているのかもしれません。結果、不適応症状を呈しているようです。
それも心の状態を体が代わりにサイン(発熱など)を出していると思われます。このサインを無視して、突き進んでいくと、心身とも壊れてしまう結果にもなりかねません。早急な手立てが必要でしょう。
ストレスにうまく対処していくためには、物事のとらえ方や考え方、行動の仕方、感情のコントロールの仕方、ストレス対処の仕方(ストレスコーピング)、ソーシャルサポートなどが必要になります。
現状を改善させる対処法としては、心療内科(精神科)に行くか、認知行動療法カウンセリングを受けるか、自力で心理ストレスコーピング等の認知行動療法をするかの三つが考えられます。
一つ目の方法は心療内科を受診することです。掲示板の内容を医師に話せば、おそらく適応障害か抑うつという診断が下されそうな気がします。もしかすると休職をすすめられるかもしれません。
休職されながら、薬物治療だけでなく、認知行動療法を受けることもよいと思います。
休職の場合は、傷病手当(給与の約70%の手当)の手続きも出来ますし、経済的な心配もしなくてよいと思います。病気であるなら休職は当然の権利ですので、後ろめたい気持ちになる必要もないでしょう。医師の診断、判断に任せるしかありません。
自分の健康は、会社は守ってくれません。自分で守るしかありません。心が壊れてしまうと、修復するのに身体以上に時間がかかるようになります。賢明にならなければいけません。
あなたは頑張り屋さんで、完璧主義で責任感も強く生真面目という美点の持ち主のようですが、今はその美点があなたを追い込んでいるようです。あなたの臨機応変に対応できない、心の硬さのようなものが、物事に対する柔軟性を欠き、心身をコチコチにさせているようです。一日も早く心身を解放させてあげましょう。心の奥深くから悲鳴が聞こえてくるようです。耳を傾け、悲鳴を聞き届けてあげてください。
二つ目は専門のカウンセリングルーム(できれば専門性の高い臨床心理士や公認心理師がいるところ)で認知行動療法を受けられるとよいと思われます。物事のとらえ方-行動―生理―感情という心と体のからくりを理解し修正する方法です。あなたの本質的な心理傾向をよい方向に向かわせるためにも心理カウンセリングを受けるとよいでしょう。この方法は仕事をしながら可能です。
三つ目は自力で、本などを読んで認知行動療法やストレス対処などを実行する方法です。認知行動療法の中に、ホームワークやモニタリング(自己観察)などがありますので、できないことはないと思いますが、自制心や向学心、そして症状が軽いことが条件になると思います。今のあなたの現状では難しいかもしれません。
あなたの症状からすれば、一つ目か二つ目を選択され認知行動療法を受けることが現状の改善にはベストでしょう。
「もう少し、頑張って資金を貯める」などという、あなたの物事の受け止め方は、視点を変えれば、違った見方が出来るようになります。人に話す、他者に語ることによって自らの客観視が出来るようになり、気づきが生まれ、違った見方が出来るようになるでしょう。
根本的な改善のためには、認知行動療法、ストレスコーピングの習得、ソウシャルサポートの獲得は必須だと思います。
すぐにできるストレスコーピング(緩和)を参考までに列挙します。
・生活習慣を振り返る…十分な睡眠はとれているか。規則正しい食生活になっているか。定期的に運動しているか。週に一回以上、仕事を忘れる時間はあるか。シャーワーでなく入浴しているか、など。
・リラクセーション…筋弛緩法、自立訓練法(ネットなどで調べればでてきます)、複式呼吸など。
相談内容
20代前半のころはとてもポジティブで、ネガティブの人の気持ちなんて理解できませんでした。例えば、とても仕事ができる人と一緒のプロジェクトに参加すると、その人の技を盗むことができるとワクワクしてました。他のネガティブな人は仕事ができる人と一緒だと自分の出来なさが身にしみて落ち込むと言ってたことが理解できませんでした。
しかし、その後、移動して昇進してから仕事が思うようにいかず、またそのことで同僚や上司に人格否定されたり、聞こえるように陰口を言われたりしました。そのことがきっかけで、自信を失い、人が怖くなってしまいました。いつも自分の悪口を言われてるんじゃないかと気にするようになりました。その異動先の職場の雰囲気は最悪で、いろんな人の怒りの矛先が私に向き、体調に影響が出るほどきつかった時もありました。
そこで四年ほど耐え、また異動して今に至るのですが、環境が変わっても悪口を言われるんじゃないかと気にしてしまいます。また、ちょっとした失敗をしても、すごく落ち込み、だめな人間だとレッテルを貼られるのが怖くてなりません。むしろ、他の人が失敗しているのをみて安心することもあります。人と比べてはいけないし、小さいことをいちいち気にしてはダメだと頭では分かっています。落ち込んだところで何もいいことはないのもわかってはいるのですがなかなか行動にうつせません。どうしたら、前のようなポジティブな自分に戻ることができるでしょうか?
回答
臨床心理シランの室です。
固定されたポジティブな自分や ネガティブな自分があるわけではありません。たとえですが、「水を得た魚」という言葉がありますが、水を得た魚は、とてもポジティブで、活動的ですが、水がなくなれば、元気がなくなりネガタィブを通り越し、やがて死んでしまいます。
人の心は、時と場所によって変わります。特に、職場という環境、仕事上の立場の変化は、適応に大きなエネルギーを使うため、不適応症状を表す(ひどくなると適応障害と診断される)ことがよくあると言われています。
今のあなたの辛さは前職場で受けたストレス過多にあると思われます。
そのストレスにうまく対処できず(あなたのストレス対処能力を超えていた)、自律神経も乱れた状態になり、周囲の人間から発せられる言動に柔軟に対応する余裕もなくなり、エネルギーも低下、いつしか心の中に傷(トラウマ)となり、未消化のまま、今日に至っているような気がします。
ストレスにうまく対処していくためには、物事のとらえ方や考え方、行動の仕方、感情のコントロールの仕方、ストレス対処の仕方やソーシャルサポートなどが必要になります。
あなたに合った正しい対処法を身につければ、昔のポジティブなあなたに戻ることができます。
現状を改善させる対処法としては、心療内科に行くか、心理カウンセリングを受けるか、自力で認知行動カウンセリングをするかの三つが考えられます。
一つ目の方法は心療内科を受診することです。掲示板の内容を医師に話せば、おそらく適応障害か抑うつという診断が下されそうな気がします。心療内科の医師は薬物治療が中心になると思います。今のあなたの現状は、心療内科というレベルではないような気がします。
二つ目は専門のカウンセリングルーム(できれば専門性の高い臨床心理士や公認心理師がいるところ)で心理療法を受けることです。あなたの症状からすると認知行動療法が適切と思われます。物事のとらえ方-行動―生理―感情という心と体のからくりを理解し修正する方法です。あなたの本質的な心理傾向をよい方向に向かわせるためにも認知行動カウンセリングを受けるとよいでしょう。この方法は仕事をしながら可能です。
三つ目は自力で、本などを読んで認知行動療法やストレス対処などを実行する方法です。認知行動療法の中に、ホームワークやモニタリング(自己観察)などがありますので、できないことはないと思いますが、自制心や向学心、そして症状が軽いことが条件になると思います。
あなたの症状からすれば、二つ目を選択され心理療法を受けることが現状の改善にはベストでしょう。
あなたと似たような状況にある方を最近カウンセリング(認知行動療法)しました。30代の方です。二度、適応障害を繰り返していました。一度目は、出張が多く、適応障害となり心療内科受診。会社が配置換えという環境調整をしてくれたため改善できたそうです。(適応障害は環境調整が、一番効果があると言われていますが根本的な治療にはなっていません。配置換え、休職、転職など)
二度目は最近のことで、上司のパワハラと離婚騒動が重なり心療内科受診。3か月の休職。傷病手当受給。心療内科では薬物療法のみだったので、休職期間中に根本的に治療したいと当シランの室に来所されました。
心理検査で心理、生物、社会的要因をアセスメントし、ソウシャルサポートの確認、ストレスコーピング、認知の在り方、ホームワークなどを実行しながら5回程度の面接で改善し職場復帰を果たしました。
あなたの現状からすると、前のようなポジティブな自分に戻るためにも、認知行動心理カウンセリングを受けることが一番ふさわしい道だと思われます。
相談内容
2ヶ月ほど前から始めた飲食のバイトで、小さなミスを何度もしてしまい一緒に働いている方に少し叱責されただけで不甲斐ない自分に心が折れて勤務中にも関わらず涙をこぼしてしまいました。
わたしは幼少期から感情がたかぶってしまうとすぐに泣いてしまうクセがあります。最近は気持ちをコントロールする術を少しずつ得ている!大丈夫だ!と思って勤務していたのですが、今回は制御できませんでした。
大学受験が上手くいかず、落ち込んでしまい社会と関わることが一年ほどできなかったのですが、最初はひとと関わらない物流関係の仕事から始め、ここ半年くらいで「他者との会話に慣れたい」と思い無理をしない程度にと4時間ほどの短い時間の勤務で接客にチャレンジしようと今の仕事に就きました。もっと長く働けるようになりたいと思っているのに、短時間の勤務でさえ心が折れてしまう自分が情けなくて仕方ありません。
小学生時代、いじめなど明確な理由があったわけではないのですが不登校になりその時から「わたしの心が弱いのご原因だ」と思い中学高校は同級生に置いていかれないよう必死に生きてきました。少しは強くなれたと思っていました。でも今回のことで根本的には何も改善されていないように思いました。
自分ひとりではもう手の施しようがないのでは?と思い専門機関について調べてみましたが、身体的になにか症状がみられるわけでもないのに受診するのも如何なのものか?と悩んでしまいずっと行き詰まっております。
破茶滅茶な文章を読んでいたきありがとうごいました。
助言を頂けると幸いです。よろしくお願いします。
回答
はじめまして 臨床心理シランの室です。
あなたの課題は家族以外の他人と、どう関われればよいのかということと、それにともなう感情の問題(コントロールの仕方)
のようです。
人間の強さは自分と環境の関係で決まります。例えば、力が強ければ、坂道でも50㌔を担いで登れますが、力が弱いと10㌔も持てないかもしれません。また、身につけた能力の差で決まります。水泳の上手な人は、海水浴を楽しむことができますが、泳げない人は海にも入れないかもしれませんし、水泳が苦痛になります。
同じように、人と関わる能力にも個人差があります。うまく人との関わりができている人を見ると自然にやっているように見えますが、小さいころからのいろいろな場で悩みながら練習し、身につけたものなのです。ある時は、傷つけられ、どう関わっていけばよいか悩んだり、自分を振り返ったりしながら、自分以外の人の気持ちを知り、また自分の特徴を知っていく。また、悲しみや怒り、焦り、妬みなどの自分の気持ちを制御し、自分に折あっていった結果なのです。
そうした人間関係の中での鍛えというものを経て、初めて、他者とうまくやっていけるようになっていくのです。
人との関係は傷つくこともありますが、人間関係の中でしか味わえない温かさや豊かさなどの心に触れる機会にもなります。
不登校になる人は概して真面目な方が多いようです。あなたも、真面目な優しい人のような気がします。
学校や親の評価は高いかもしれませんが、友達と合わなくなり、社会からずれていきがちになります。
豊かさを生きるには、不透明な状況を探索的に進む力と質のいいセンスが必要です。
不登校は現象的には自分のわがままを優先して、周囲の要請から外れているように見えますが、実際は全く逆で、周囲の期待を生き過ぎた結果、エネルギーが枯渇した状態なのです。
私たちが身近に付き合っている他人は自分自身です。しかも結構付き合いにくい相手です。感情も身体も自分の一部でありながら、自分の思い通りにならない存在です。自分とうまく付き合えるとき、人は満足を感じたり充実を覚えたりするものです。
あなたは他人とうまく折れあえていないのかもしれません。人間関係は、ごく普通にやっているように見えますが、数学の問題を解くよりはるかに複雑な計算や判断を瞬時にしなくてはならない難しい作業なのです。これを柔軟に粘り強く続けることなのです。これらの力は、何より「自分という付き合いにくい他人との関係で培われるものです。
積み残してきた他者との関わり方、それに伴う感情のコントロールの仕方は、学習・練習・訓練していけばできるようになります。
支援者によるカウンセリングは、今までないがしろにされてきた自分との付き合い方を手伝う時間でもあるのです。
専門家(キャリアのある臨床心理士が望ましい)のいる民間のカウンセリングルームで認知行動療法・アサーショントレーニングのカウンセリングを受けるとよいと思います。
当室は北九州ですので、遠隔者に対しては、メールや電話カウンセリングは実施しています。現在、認知行動療法カウンセリング(電話とメール)を、受けられている20代の関西の女性の方もいらっしゃいます。
質問
高校一年生の息子のことでご相談です。
GW明け前から、学校へ行けなくなり現在も不登校で毎日家におります。
本を読んだり、ネットで調べたらしていると、心が疲れているだろうから「学校へ行け行け」言うのは本人が辛いから言わないよにとあるので、気をつけ、本人とも何を悩んでいるのか等話もします。ですが、学校へは行けません。将来の目標もありません。
息子の悩みは、人との距離感がわからない等対人的な悩みが多いです。肯定しつつ、アドバイスしつつしてますがなかなか先に進みません。
朝も起きてこず、何時に起きてるのか…私が仕事から帰ってくると昼寝してたり、布団に横になってたり。最近は風呂にも入っておりません。食べたものもシンクにテーブルにほったらかし。無気力に見え、ダラダラしているようにしか見えません。気分は、良い時は悩みを打ち明け話したりしますが、落ちると無反応、目つきが変わるという感じです。最近は大人になりたくないと言っています。急にすり寄ってくることもあります。母親父親ともに寄ってきます。わからない行動ばかりです。
明るく盛り上げてみるものの、効果はなく(効果ないのはわかっていますが)今は、親が参ってしまっている状態です。
このような息子にはどのような支援が必要なのでしょうか?根本的な問題を解決し生きる希望を持たせるにはどうしたらよいでしょうか?思春期外来の予約をしてますが、まだ先です。学校のカウセラーも一度は行きますが続きません。全寮制の自立支援センターも考えはじめています。過去、相談した病院、施設では甘えと言われました。
ただただ時間ばかり過ぎて行くのが虚しく、誰かにすがりたい気持ちでいっぱいです。
アドバイスお願いします。
回答
臨床心理シランの室です。
豊かさを生きることは容易なことではありません。不登校の子どもは概して真面目です。
学校や親の評価は高いかもしれませんが、友達と合わなくなり、社会からずれていきがちになります。
結果、不登校になります。不登校の子どもは学校から離れることによって、役に立たない生き方からの脱却を図っているのです。
豊かさを生きるには、不透明な状況を探索的に進む力と質のいいセンスが必要です。
不登校は見た目とは違って、自分と付きあっている時間という意味では貴重な時間と考えられます。
不登校は現象的には自分のわがままを優先して、周囲の要請から外れているように見えますが、実際は全く逆で、周囲の期待を生き過ぎた結果、エネルギーが枯渇した状態なのです。
私たちが身近に付き合っている他人は自分自身です。しかも結構付き合いにくい相手です。感情も身体も自分の一部でありながら、自分の思い通りにならない存在です。自分とうまく付き合えるとき、人は満足を感じたり充実を覚えたりするものです。
不登校の子ども中には他人とうまく折れ合えない子がいます。人間関係は、ごく普通にやっているように見えますが、数学の問題を解くよりはるかに複雑な計算や判断を瞬時にしなくてはならない難しい作業なのです。これらの力は、何より「自分という付き合いにくい他人との関係で培われるものです。
退屈は創造の母です。退屈を通して自分が何を求めているかに気づくのです。何もすることがない子どもを見ていることは辛いものです。しかし時間を持て余しているように見えても、心の深い部分では、創造の泉を求めて井戸掘りの作業が進展しているのです。必ず掘り当てられるという確証のない孤独で不安な作業です。大人が踏み固めて硬くなっているからです。親は、不登校のこうした心を理解した対応が求められます。
支援者によるカウンセリングは、今までないがしろにされてきた自分との付き合い方を手伝う時間でもあるのです。
支援者(カウンセラー・医師など)の選び方は、本人との相性、本人に適切かどうかを重視するべきです。そのためには、まず母親が、その専門家とあって、どんな人、どんな雰囲気のところかを知り、本人に合うかどうかを判断することです。有名とか専門とかで判断して、治療者不信になれば、改善がますます困難になるからです。(当室来談のなかで、有名とか専門とかでいきなり子どもを連れて行って失敗…不信感を強め、悪化したケースがたくさんあるからです)
親は、子どもに対して、無条件の肯定的関心をもつことが大事です。子どもをありのままに受け入れることです。評価せず、存在そのものを無条件で受け入れることです。忍耐強く、子どもの将来の変化(よくなっていこうという心)を信じ抜くことです。
思春期は、今までの自分を今一度点検する時でもあり、積み残した発達課題(未成熟部分)があれば、思春期を乗り越えるのに人一倍苦労するかもしれません
親も二度目の子育てを求められる時期であり、子ども同様成長していかなければなりません。多くの子どもは「危機」の時期を問題なく乗り越え自立していきます。彼らを身近で支えているのが、親をはじめとした家族であり、祖父母であり、兄弟であり、友達であり、先生たちです。だれか一人、信頼でき本人を受け止めてくれる人がいれば、思春期を乗り越えるべき山として立派に乗り越えていきます。
今は父親(父性)が求められる時です。表面的な行動の奥には別の心…「よくなっていこう、成長しようという善性」が心の中に存在しています。そこを信じて、こどもの表面の行動に振り回されず丸ごと受容し忍耐強くかかわれるかが鍵になります。その前提の上で、父親として社会化(自立)をサポートしなければなりません。
今の息子さんの行動には意味があります。その意味を両親がしっかりと理解し、手を放しても目を離さない、こどもの「よくなりたいという善性」を信じぬく関わりをしていけば、徐々に良い方向にかわっていくと思います。時間はかかるかもしれませんが、長い目で見て諦めず関わり続けてください。必ず自立する日がくるでしょう。
質問
私は、すごい忘れっぽいです。
例えば、家の2階に物を取りに行って実際行くと何を取りにきたのか忘れて元いた場所に戻ってやっと思い出す。または本来取りに行くはずのものを忘れて他の忘れ物を持って元の場所に戻ってきたり。
思い起こせば学生のときも忘れ物は多かったです。ただ、母が持ってきてくれたりしたので先生に怒られたりした記憶はあまりありません。
ですが、公共の場ではスマホを忘れるなどはしたことないです。これに関しては振り返って確認をするからだと思ってます。
上記のことはまだそこまで重くは受け取ってませんが、最近忘れっぽいことがものすごく怖いんです。
彼氏とLINEでやり取りをするのですが、家にいる時に私が送った直後にスマホを離して、彼氏の返信を待たずに他のことをしてしまって、返信が遅くなることを何度も何度も繰り返して彼を怒らせてしまっています。
怒らせてしまって毎回直そう直そうとするのですが、少しでも気が抜けるとまた同じことを繰り返してしまいます。
彼のことはすごく好きで、嫌いなところは何も無いぐらい好きで、相手のことを想っていないからできない、とかではないと思います。
少なくとも、スマホを離してしまっても彼のことを考えながら他のことをしています。(一緒にどこ行こうとか一緒に映画観たいな等)
もう何度も何度も彼氏を悲しませていて、私もすごく直したいのです。
でもあれこれいろんな方法を考えても、何にも自信がもてません。
また忘れてしまう。あれこれ実行しようとしても一瞬でも気が抜けたらまたやってしまうのではないか、すごくすごく怖いです。
どうやったら、忘れないようにできますか?
ちなみに遊ぶ日や待ち合わせ時間を忘れたりはしません。スケジュールに書いてあるからかもしれないですけど、これに関しては忘れたことはありません。
切実に悩んでいます。苦しいです。私も、彼氏も。彼氏の悲しませたくないのです。
よろしくお願いします…
回答
はじめまして。臨床心理シランの室です。
文面から推測するにあなたは「不注意」や「衝動性」が強いかもしれません。何かを取りに行ったときなど、目に入ったことに注意が奪われてしまい、肝心な目的を忘れるなど…。
それは目に入ったものに関心が向いてしまうために、注意がそちらに向いてしまうからです。不注意というより、注意の過多(気の多さ)であり、そのため注意の散漫が起こり、物忘れになってしまっています。
結果、本来の目的を忘れてしまうことになっているようです。同時に二つのことをするという「作動記憶・ワーキングメモリー」(心理学の専門用語)も弱いようです。
あなたは、短所の面「衝動性―不注意―注意散漫―物忘れ」で苦しんでいるようですが、長短は表裏一体です。長所はあなたの気軽さ、機敏さ、行動の迅速さという面になると思います。
今できる具体的な改善方法は、「しなければいけないこと・約束事」を記録化、メモ化、可視化することでしょうか…。
大事なことをスケジュール化、メモにすれば問題はないと、あなたが言っているように、「メールの返信をすること」などとメモをすることです。小さなことでもメモをして、それを持ち歩く。ポケットに入るコンパしょう。
メモも三色ボールぺンなどを使って大事なものは、赤色などでメモする。または、アラームが鳴るようにするなど、やらなければいけないことを、感覚で知らせる工夫をするとよいでしょう。メモをする、音で合図する、見えるところに、書置きを置くなど、いろいろな工夫ができると思います。工夫してみてください。
今後のこともありますので、心配であれば、一度専門機関をたずね、WAIS(知能検査・能力の特性を調べる)検査などをしてもらえば、あなたの特性がはっきりすると思いますし、安心できると思います。
人間は、本来の個性(特性―長所にもなれば短所にもなる)を発揮できれば、それぞれ輝きを放って生きることができます。
タンポポはタンポポのよさがあり、バラはバラのよさがあります。彼らは個性を発揮できているからです。
バランスの悪さは、本来誰人にも内在する固有な個性や特性に偏りがあるため、その人のよさ(個性)がうまく発揮できていない状態と考えられます。
まず、自分の特徴、傾向、得手、不得手などを知ることです。自分の正しい把握や気づきなしに、正しい対処はできないからです。
自分を正しく知るためには、自分を客観視することです。心理検査(WAISなど)や心理カウンセリングは、あなたの客観視に役に立つと思います。
質問…20代女性
20代前半から芸術家になりたいという強い情熱があり、留学等をして勉強をしてきました。
数年前、とても大きな創作企画に携わり、毎日毎日没頭しとても良い所まで行きましたが、結局企画が無くなりました。
また別件で関わった企画も、かなりの日を費やしたにも関わらずありえない偶然により報われない事があり、平気でいたつもりですが思った以上に自分が傷ついていると最近になってようやくわかりました。
上記の挫折が2〜3年ほど前の話で、そこから生計の為に畑違いで多忙な仕事に就職し、上司から仕事を評価してもらっていますが、仕事がうまくいけば行くほど昔から思い描いていた芸術家という道から遠ざかるように感じ、何とか並行しようと時間を見つけて再び創作しようとしますが全くやる気がわかなくなってしまいました。
私はいわゆる「優等生」タイプで母(母子家庭)を喜ばせる様な生き方をし、劣等感だらけだったのもあり完璧・秘密主義で己の失敗=恥と云う強い固定観念を持っていました。
しかしそういった勉学が苦しく自傷行為も繰り返していましたが、高校〜遂に勉強放棄、以後は職務放棄(いわゆるニート)歴もあり、同窓生と比べても学歴職歴共に非常に浅く、劣等感と自分への後悔が抜けません。
そういった自己否定を挽回すべく、「夢に一歩でも近づきたい、成功したい」と云う思いから創作したくても、焦燥感が先行し「成功したい→しなければいけない」と云う強制に近づき、純粋に楽しむことすら出来なくなっています。
チック症持ちでもあり、身体的にも辛い状況です。
家族は皆家庭の事情で夢破れた者が多いので、私が成功して家族の誇りになりたいとずっと思っていました。それに友人の前でも芸術家になりたいと言ったのですが、あんなに大風呂敷を広げてしまったのに夢を達成できていない今の自分には何も残っていないと感じています。友人は皆人生進んでいる様に見えます、馬鹿にされているんじゃないか・自分の存在意義はあるのかと考えたりしてしまいます。疲れてしまいました。
自己分析の為に心理学などをかじって見て、問題点を自分なりに掴んでみたのですが今度は収拾がつかず、やる気の欠如と虚しさだけが進行しています。自分の心に問いかけても、自分が本当に望んでいる事が何なのかもよくわからなくなってきました。
今、唯一好きなのは読書です。とても穏やかな気持ちになります。が、読書と云う行為だけだと目で見える様な成果は何も出ないので、やっぱり何もできてない・・・と結局焦ってしまいます。
仕事もどんどん責任が増え、人間関係も少ししんどいので正直言うと仕事を辞めて楽になりたい・・けど生計のためだから辞められない。
私は本当に弱い人間だと鞭を打ち続けて、その期間が長すぎて「疲れた」と云う気持ちが一番正直なところです。
自分で選んだ色々なことに後悔ばかりし、自分がわからなくなっています。
支離滅裂な文章なのは承知の上ですが、、まずは何からすべきなのか、したほうがいいのか、教えて頂けると本当に助かります。
回答
臨床心理シランの室です。
イスタンブールの海峡…
表面の潮流の下に、別の流れがある。表面の海流は、時速3~4㌔の速さで、黒海から南へ、マルマラ海に流れ込む。しかし、その下40メートルには逆方向に流れる、もっとゆるやかな流れが…
人間の心を表す一つの比喩のようであり興味深い現象です。
芸術家になりたいと努力し留学までしましたが、うまくいかず、現在は全く畑違いの仕事に就いているという事実。あなたの表面の心と深層の心(本当の心)が逆方向に流れていたのかもしれません…。
理想自己と現実自己の一致という自己実現が幸福の一つの姿とも言われています。青年期は特にそのずれに苦しむときでもあります。
本当の自分とは…アイデンティティーの確立を求めて…自分探しの旅がまだ続いているのかもしれません。
「人生塞翁が馬」という故事があります。人生の幸不幸は予測しがたい…不幸な現象が幸福の原因になったり、幸福な出来事が不幸の原因になったりということです。
今は不幸に見える事実も、過ぎ去って後から見れば、意味のあるできごとであったということはよくあります。むしろ、意味のあるできごとにするには、今を誠実に真心こめて生きることだと思います。
私的なことで恐縮ですが、私は高校を中退し、働きながら定時制高校を卒業。配達業務をしながら、3年間大学受験浪人。無医村の医者になりたいという理想を抱き、医学部を目指しましたが、夢果たせず、妥協するように他学部に入学しました。
志望学部に入れなかったということで、無気力になり、心は果てしなくさまよい、授業には全く出ず、深夜のバイトづけ、小説家を目指した時期もありました。不如意な生活がたたり、ついに神経症になりました。その回復の過程で、自分にできる道として教師を選択しました。大学を29歳で卒業後、中学教師になりました(この道が自分にとって本当の自分を生きる道だったと今は思います)。
過去をふりかえってみたとき、神経症になったことも、浪人したことも、医師を目指したことも、小説家をめざしたことも、不思議とすべて生かされていることに知りました。(HPに記載)
私は臨床心理士資格を、教師をしながら佛教大学大学院の通信で学び取得しましたが、同期はみな40歳代以上の仕事を持った人たちでした。その中に40歳の現役の客室乗務員(既婚者)の方がいました。彼女は臨床心理士資格を生かして心病む人たちに貢献するという強い目標をもち、臨床心理士となり、現在スクールカウンセラーで頑張っています。
先輩や友人に相談することもよいと思います。相談する…他者に自分の一部を開示することによって、自分では気づかない自分の一面に気づいたり、多くの新しい情報を得たりするなど、視野が開けると思うからです。
読書…心を耕す心の栄養源です。すぐにできるものはメッキであり本物ではありません。「ローマは一日にしてならず」です。偉大なものは時間がかかります。まして、自分の本当の人生とはという問いかけ…心という難解な世界への旅、すぐには解答がでないと思います。
目に見えない世界を養う読書…人生観を培い、思想を固め、人生を問う…古今東西の名作や偉人の伝記などに学ぶのは、遠回りのようですが、あなたの精神世界を拡大し、養い高めてくれるでしょう。
今は友人と語り、読書で心を養い、現実の仕事を真心でやっていくということで、きっと何かがうまれてくると思います。焦らず「よいことはカタツムリの速度で進む」の精神で着実に進まれんことを…。