相談室(ブログ)

進路と部活選択について母親と考えが違います。どうすればよいか教えてください

2020.03.15

今年の4月より高校生になる者です。進路と部活動について質問させて下さい。
私は中学3年間吹奏楽部で活動してきました。私の通っていた中学校では部活動よりも学業が中心だったので
それなりに楽しく活用をすることが出来ました。私が4月より進学予定の高校は(私学の高校なのですが)
比較的 学業よりも部活動に力を入れており吹奏楽部もかなり厳しい練習があるそうです。

母は中学からやってきたのだから高校でも吹奏楽部を続けて欲しいと言います。高校卒業後同系列の私学の大学に行くのは費用的に厳しいので公立の大学への進学を目指しています。これについて母は私の住む地域で一番難関の大学に進学して欲しいと言っています。正直 私は高校でも吹奏楽部をやりたいとは考えておらずどちらかというと勉強に専念したいと思っています。
しかし母には吹奏楽部を全力でやり成績は常に上位を心掛け難関公立大学へ合格しろ と言われます。
どうすれば良いでしょうか。母に伝える場合でもどのように伝えれば良いのでしょうか。拙い文章ですみません。回答宜しくお願い致します。

回答
臨床心理シランの室です。

母親の敷いたレールに乗って生きるか、それとも自立の道を進むのか…悩むところですね…。

15歳で自らの進路と方向をある程度持たれているというのは立派なことだと思います。
親をはじめ大人は過去の経験知から子どもに、失敗させたくないという思いからアドバイスするのが普通です。人生の先輩として多くの経験をしており、社会を知っている部分があるからです。その意味では親をはじめとした大人の言うことは謙虚に耳を傾けるべきことだと思います。

しかし最近、少子化の影響もあってか、過干渉になる親が増えています。親の希望する通りに子ども操作しようとする傾向が見られます。
子どものことを考えているようで、実は子どもを手段として親の希望を通しているのです。そこに、子どもの自立や本当の子どもの幸福は欠落しているような気がしてなりません。最近の多くの社会的事件になった失敗事例がそれを物語っています。

自分の進路は自分で決めるべきです。自分の人生なのですから…。ですが、自由には責任が伴います。自ら決めた進路には、最後まで責任を持つべきです。それが自立した大人の行為だからです。

親は、15歳の子どもの進路選択には当然不安を抱くでしょうが、助言しながら、本人と対話すべきです。そして、本人の選択を尊重すべきだと思います。
あなたは、親と一個の人格対人格として対話すべきだと思います。「自分の人生を生きたい。自分の進路選択に、最後まで責任を持つ」と、親を納得させなければなりません。こういう問題は、母親よりも本当は父親とすべき内容だと思いますが…。

以下は私の昔の失敗体験です。何かの参考になれば幸いです。
高1は何も考えず登校していました。ところが高2になると、通学が苦痛になり午前中は家で寝てしまい、遅刻・欠席が続きました。どうしていいかわからなくなり、横道にそれ、結果的に2年生の欠席は70日。高校中退に追い込まれました。

なぜ学校から足が遠のいたのか…自分の行きたい学校ではなかったということ(家の経済事情で大学進学が無理であったこと、また友達に誘われて高校を選んだという安易な進路選択でした)。勉強に対して目標もなくなり、受動的になっていました。結果、いつしか楽しい遊びの世界に惹かれていったのです。また怠けが許される家庭環境であったこと(母親とは7歳の頃死別、以後父子家庭で育つも、父親は酒乱で子どもを放任していた)などが原因だったと思われます。当時の私は全て、人任せで無責任な生き方をしていました。

高校中退後、独立・自立を迫られ、家から追い出されました。身寄りのない東京へ一人で行き、「新聞配達少年」となり一からの出直しを図り、はじめて自立の人生が始まったのです。定時制高校に編入学し、幸運にも善き先輩と出会え、その人と触れ合うことで、啓発されていきました。自信もなく虚勢を張っていた私も、いつしか自分の可能性を信じて行動する自分に変っていきました。

「大学に行って学問しよう。そして学んだことを人のために役立てよう」と、決意し主体的に目標を立てました。また名作や哲学書にふれ、人生に対する姿勢が変わり、「無医村に行って人の役に立ちたい」と「国立大医学部」を目指して猛勉強を開始しました。働きながら目標達成のため3年間努力しましたが、国立医学部の壁は厚く、年齢のことも考え志半ばで方向転換を余儀なくされました。

結果、当時新設された広島大学総合科学部試験に合格し入学。紆余曲折しましたが、最後は中学校の教師の道を選びました。結果的にその道は、自分にふさわしい道だったと、今は納得しています。(自伝的ノンフィックション小説「失敗もいいものだよ」に詳細記述)

親が高校に進むのではありません。あなたの高校進学であり、あなたの高校生活です。親のアドバイスは聞くべきですが、最終判断は、あなたがすべきです。あなたの人生なのですから…。しかし、それには責任が伴います。責任なき自由は単なるわがままになるからです。どんな結果になろうと、責任は自分が取るという覚悟があるのなら、その道を進むべきであり、親にもそれを訴え、納得させるべきだと思います。

「青春の夢に忠実であれ」とは、ドイツの詩人シラーの言葉です。
自立はある意味、困難な茨の道でもありますが、青年には情熱があるからこそ、その困難も乗り越えていけるものだと思います。

強迫性障害のような症状で苦しんでいます。どうしたら穏やかに日々を過ごせるでしょうか(アメリカ在住30代女性)

2020.02.27

(質問)
米国在中の30代半ばの主婦です。40代半ばのサラリーマンの夫と2人で5年前にミシガン州に転勤しました。
私は小学生の時に拒食症になり、精神科に入院し、中学生の頃は3年間不登校でした。高校は夜間を卒業し、短大はとても大変でしたが卒業しました。小学生の時に拒食症になって以来、鬱や気持ちの不安、睡眠障害などを繰り返しています。

現在、米国で慣れない文化と言葉の壁でストレスが溜まり、食べても体重は増えず、この数年間でとても痩せて生理も来なくなりました。

毎日同じルーティーンで生活していないと不安になります。同じ物ばかり買って食べたり同じ所に行ったりしています。
1人で居る時は同じ事を繰り返し言ったり、意味のない言葉も言ったりしています。新しい事が有るとパニックになります。
潔癖症の様な症状もあり、1週間に1回はベッドのシーツと毛布を洗っていますが、割と大変な作業なのでとても疲れます。
1か月に1回くらいにしたいですが、同じ事を繰り返していないと不安になります。強迫性障害かもしれません。

もっと気持ちを緩やかにして生きたいですが、相談する人もいません。1人で自分の殻に閉じこもり1人で悩んでいます。
同じ事を繰り返していないと気がすまないですし、いつも先々の事を考え、疲れています。もっと適度に緩やかな気持ちで生きるにはどうしたら良いでしょうか。

(回答)
 臨床心理シランの室です。

海外生活の中で、よりどことなる友人との交流も途絶え、夫との会話も少なくなり、孤立した状態になっているようですね。そうした境遇があなたを弱くし不安を強めているような気がします…。
今のあなたにとって、最も大事なことはあなたの拠り所となる存在、相談できる人を持つことだと思います。

あなたの質問文の中で気になること…「同じ」という言葉が6度使われていることです。
同じことを繰り返さないと、不安であり、落ち着かなくて、気が済まないという心理状態に置かれているようですね。
原因はあなたの心にある不安の強さにあると思われます。その不安を同じことをすることによって緩和させようとしていますが、一時的安らぎに過ぎず、時間がたてば再び不安が湧いてくるので、それがあなたを疲弊させているような気がします。

あなたの不安の強さは、どこから来たのか…おそらく「拒食症」になったころに表面化されたとものと思われます。根本因はそれ以前にあったと思われます。家庭環境を推測するに、ご両親も大変だったと思います。あなたは、拒食症、不登校、鬱などになることによって自分の心を守ってきたのかもしれませんね。

そんな中、夜間高校、短大と精一杯の努力を重ね、学校を出られたことは立派だと思いますよ。
結婚され、「不安」は軽減された時期があったと思いますが、海外生活の適応からのストレスが強くなり、不安の強さが顔を出しているようです。

あなたと同様、多くの人が毎日、同じことを繰り返しています。私の例で言いますと、朝起きて、歯を磨き、顔を洗う、毎朝出勤前に、ラジオ体操をします。夜に軽いストレッチをし日記を書いて寝ます。それらをしないと、なんとなく落ち着きません。安心できないようです。

スポーツ選手には特に顕著に見られます。イチロー選手のバッターボックスでのしぐさ、相撲取りの相撲を取る直前のしぐさ、羽生選手のスケートリングに入る前のしぐさ、これらは一種の儀式のようなものです。そうすることによって緊張を緩和させ、不安を解消させて、落ち着かせているのです。同じことの反復行為には不安・緊張緩和という効果があり人間には必要なもののようですね。

また、「気が済まない」というこだわりの心理は「潔癖」、完璧を求めるあなたの性分に由来しているようですね。そうした性向は芸術家やモノ作りや職人によく見られます。
完全作品を求めて、何度も繰り返し完璧作品を目指していきます。理想作品と現実作品が一致するまで作り続けないと「気が済まない」からです。結果、素晴らしい作品の完成となります。一流のモノ作り人は、こだわりの人であり、強迫性傾向の強さをもった人たちといえるでしょう。あなたの性分もよい方に活かしていけば、きっとあなたに価値をもたらすでしょう。
これらは大事な人間の心理なのですが、ほどよくやることが大事になります。そこには、不安とどう向き合うのかとい課題があるわけですが…。

こだわりや不安の強さは、時に新しい変化に対応することを困難にすることがあります。柔軟性が不足し、思考の固さとなり自己のコントロールの弱さになってしまうことがあるからです。
その結果、新しい環境や出来事に遭うと不適応を起こしたり、パニックになったりすることがあります。

不確かな未来への想像が不安を生み出します。あなたの不安の多くは、あなたの想像の産物であり、頭の中で勝手に作り上げた世界であり現実ではありません。

自分の思考、行動、感情、生理というつながりを知ることですね。
強い不安は、時間とともに薄れるという性質があります。不安に襲われた時、頭の中であれこれ考えると不安は強くなりますので、目の前のやるべきことに専念していけば、不安は薄れます。時間とともに弱まるのも不安の特徴です。

人間には自然治癒力・回復力があり、大海のように何でも受け入れることができる母なる世界が内在していると言われています。それは母親に代わる安全基地になります。最終的には自己信頼の獲得が課題になりますが…。

不安を強める心理として、罪悪感、自責があります。必要以上に罪悪感にとらわれないようにしましょう。

自律神経の乱れから不安を強く感じたりすることもあります。軽い運動やストレッチやウォーキング、朝日を浴び、入浴。複式呼吸、背筋を伸ばした姿勢で歩くなどですも効果的だと思います。

話したいことが話せない自分を変えたい(20代女性)

2020.02.25

(質問)
人と話すことは好きなんですが、自分から話題を振ることが苦手で話したいことがなかなか話せません。
話したいことがあっても相手はこう思うかなとか答えづらいかなって考えると言葉にすることができなくなります。

彼氏や仲のいい先輩にもうまく話せないので一緒にいてほんとに楽しいのかなって不安になって余計話せなくなることが多いです。
話せない自分が嫌いです。もっとうまく話せたらもっと楽しいのにって思います。

今までもそうですが、彼氏に対して本当の自分を出せていません。
本当の自分でいたいと思うのに出したら嫌われるかもしれないっていう気持ちがあってうまい付き合いができません。
こう思うのには多分過去のトラウマがあって私のことなんて好きになってくれる人いないってどっかで思ってる気持ちが強いんだと思います。
昔から人と目を合わせるのが苦手だったり食べているところを見られるのが苦手だったりします。

色んな人とうまく話せるようになりたいし彼氏にも本当の自分を出したいと思っていますがどうやったら克服できるのか分からなくて
相談させてもらいました。変われるなら本気で変わりたいです。

(回答)
はじめまして 臨床心理シランの室です。

青春の一番よい時代に、本当の自分を表現できず、ある意味、窮屈に生きているあなたの心中、わかるような気がします。かつて青春時代に同じ思いをしたことがあるからです。これまでの各カウンセラーの方々の助言を実行されれば、あなたの成長に役に立つと思います。その上で、少し補足をさせていただきます。

自分の本当の気持ちを伝えるということは、必ずできます。それには「今の自分でよい」という自分の受け入れ、自己の信頼が必要です。つまり、何があっても「自分は自分でいいんだ」という信頼感です。

それは、人に否定されても、人から受け入れてもらえなくても、落ち込むこともない自分です。なぜなら、自分が自分を認めているからです。それが自己信頼の意味です。自分という存在を自分で認めて、わかってあげられるようにすることです。

自己肯定を高めるためには人間信頼が必要です。「人間は、誰人もかけがえのない個性をもった素晴らしい存在である」という思想です。金子みすずさんが詠った「みんなちがってみんないい」という詩の心に生きることです。バラは美しい。しかし、タンポポも可愛い。野菊も素敵です。菫もよい。それぞれかわいらしさや美しさ、それなりの個性があります。大事なのは、自分というかけがえのない個性に生きることなのです。

現実世界は差異と差別に満ちています。美醜、財産や地位や能力の有無など…他者との比較相対で価値が位置づけられています。人は、それらで人の価値を評価する傾向があります。そこからは、条件付きの評価が生まれがちです。「○○だから好き」などという条件付です。こうした○○だからという条件付き承認、つまり比較相対という価値で人間評価をしている間は、自己肯定は高まりません。砂上の楼閣のようなもので、比較の基準が変れば、価値が低下したりし、いつ壊れるか分からない、評価なのです。とても不安定な生き方になります。

他人の思惑や評価を気にして人に振り回されて生きるのか、それとも、自分対自自分という絶対的な自分評価に生きるのか…どちらの方向で生きるのかで結果は天地雲泥の差になるでしょう。他者の目を気にして生きる生き方は、虚飾になることがあり、窮屈であり、心が定まらず、不安定です。反面、自己評価に生きる生き方は、絶対的であり、虚飾もなく、偽りもなく、いつも本当の自分を生きています。たとえ、どんな姿をしていても…。

そこには人間としての確実な成長と本当の自立があり、その生き方は安定しています。「あのようになろう」「このようになろう」と人の振る舞いに左右されるのではなく、「自分は自分の表現しかない、自分はありのままの自分でよいのだ」と受け入れ、認めて生きるのです。例え、人に非難されたり、馬鹿にされたり、見下されたりしても、自分さえ、「これでいいのだ」と自分を認めていけば迷いはなくなります。やがて、あなたは時間と共に輝きを増していくでしょう。

ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨きをかけていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。黒い石も輝くダイヤも同じ自分です。どちらの自分も「そのまま受け入れる」ことが自己肯定なのです。人は輝くダイヤは受け入れることは簡単ですが、黒い原石は受け入れがたいものです。「黒石もダイヤも同一の存在であり、どちらも自分であると、ありのままに受け入れる。」「黒石も磨けばダイヤになる」という信念に裏打ちされた努力が必要です。

目標を持ちその達成に向かって努力していく。結果がどうであれ、努力した自分を認めていくとき、自己肯定感は高まります。結果という表面化されたものより、見えないプロセスを大事にし、努力した自分を認めていくのです。
つくろわず、ありのままの今のあなたでよいのです。そうした素朴な、飾らない、あなたはきっと、見る人が見れば素敵な存在になっていくでしょう。

つまり、変るとは、自覚するかどうかの問題なのです。

心理カウンセラーを選ぶとき、どんな資格を持つカウンセラーを選んだらよいのでしょうか?

2020.02.24

(質問)
カウンセリングを受けようとして、ネットでホームページを閲覧していて、迷うことがカウンセラーの資格です。「上級カウンセラー」とか「メンタルカウンセラー」とか「外国認定の〇〇カウンセラー」とか、いろいろな資格があって、何がなんだかさっぱりわかりません。どんな資格のカウンセラーを選べばよいのでしょうか。

(回答)
たしかに、カウンセラーの資格はたくさんあります。心理の国家資格は昨年できた「公認心理師」資格のみです。あとは、民間資格ですから、様々な資格があります。

選択の一つの基準しては、心療内科や精神科、スクールカウンセラーにはどんな資格者が使われているかを見るとよいと思います。大体が、臨床心理士か公認心理師になっています(少数ですが、施設によっては、臨床発達心理士や学校心理士もいます)。それ以外は、心療内科や精神科では採用されていないようです。その事実が資格と責任の重さを物語ってるといってよいでしょう。この二つの資格は、大学院で臨床心理学を学び、かなりの実習を積まないと取得できないからです。

しかし、資格だけで決めるのことにも問題があります。心理カウンセラーには、何といってもりキャリアと実績は重要な要素になるからです。上記の資格を持たなくとも、優れた実績を残している力ある心理カウンセラーがいるのは事実ですから…。

より詳細を知りたければ、このブログの2019年4月頃の「間違いのないカウンセラー選び」を参考にされるとよいと思います。

親の過干渉のために、なかなか前を向けません(19歳)…ベストアンサー

2020.02.23

(カウンセリングCOM質問コーナー)

私は両親、特に母親が過干渉でした。
半年ほど前に過干渉を疑い調べてみると、多くの点で過干渉に該当しました。
・恋愛関係や性事情に口を挟む
・親の価値観の押しつけ…親の信仰する宗教、娯楽(テレビやゲーム、スマホは高校三年生まで全て禁止でした)、習い事
・完璧主義などです。
そこで過干渉は間違っているからやめてほしいと伝えた所、理解は得られなかったものの干渉はなくなり、現在はそこに関するストレスはありません。
ただ、現在の
・自己肯定感が低い
・夢や目標がない
・無気力
・人付き合いが苦手
という自分の悩みが「過干渉を受けた子供の特徴」に一致するために、それらが全て親のせいだと感じてしまいます。
もちろん親の責任は大きいのですが、前向きに取り組まずに親ばかりを恨む現状では何も解決しないと思います。
過去ではなく現在と未来を向くためにはどうすれば良いのでしょうか。

はじめまして。臨床心理シランの室です。
あなたの悩み…親の過干渉の結果としての「自己肯定感が低い・夢や目標がない・無気力・人付き合いが苦手」といった課題があるということですね。
自己内省し、前向きに取り組まずに親ばかりを恨む現状では何も解決しない、つまり「過去ではなく現在と未来を向くためにはどうすればよいのか」と悩んでいるあなたは、必ず今の問題を乗り越えていけると思います。

あなたが感じている課題は、日本の青年期を生きる人間の大半が感じている問題といってよいと思います。過干渉と放任は対極の関係ですが、根本は同じで、あなたがもつような課題を本質的に持っています。つまり、どちらも人間として「ほどよく親から関わられていない」ため、大人になりきっていない状態といったらよいでしょうか…。
アイデンティティーの確立を求めて「自分探し」を始めることが求められているような気がします。信頼できる人に相談することで、自分理解が深まり、視野が広がると思います。

以下は私の昔の失敗体験です。何かの参考になれば幸いです。
高1は何も考えず登校していました。ところが高2になると、通学が苦痛になり、午前中は家で寝てしまい、遅刻・欠席が続きました。どうしていいかわからなくなり、遊びでごまかし、横道にそれ、結果的に2年生の欠席は70日。高校中退に追い込まれました。

なぜ学校から足が遠のいたのか…自分の行きたい学校ではなかったということ(友達に誘われて高校を選んだという依存的進路選択でした)。勉強に対して目標もなくなり、受動的になっていました。だから、授業は興味も関心もなく、本当につまらなく感じ、苦痛でした。結果、いつしか、授業から心が離れ、楽しい遊びの世界に埋没していったのです。完全に目標を喪失していました。また怠けが許される家庭環境であったこと(母親とは7歳の頃死別、以後父子家庭で育つも、父親は酒乱で子どもを放任していた)などが原因だったと思われます。当時の私は全て、人任せ、依存的、受動的な生き方をしていました。

高校中退後、家から追い出されました。身寄りのない東京へ一人で行き、「新聞配達少年」となり一からの出直しを図りました。定時制高校に学び(自発的選択)、善き人生の先輩と出会え、その人と触れ合うことで、啓発されていきました。自信もなく虚勢を張っていた私も、いつしか自分の可能性を信じて行動する自分に変っていきました。

「大学に行って学問しよう。そして学んだことを人のために役立てよう」と、決意し主体的に目標を設定しました。その間、名作や哲学書、思想書にふれ、自分の人生に対する姿勢が変っていき、「無医村に行って、医療に恵まれない人の役に立ちたい」と「国立大医学部」を目指して猛勉強を開始しました。働きながら目標達成のため3年間努力しましたが、国立医学部の壁は厚く、年齢のことも考え、志半ばで方向転換を余儀なくされました。

結果、当時新設された広島大学総合科学部試験に合格し入学しました。入学後も紆余曲折しましたが、最後は中学校の教師の道を選びました。結果的にその道は、自分にふさわしい道だったと、今は納得しています。現在は「心病む人」の役に立てる仕事に従事しています。(自伝的ノンフィックション小説「失敗もいいものだよ」に詳細記述)

自分を見つめるときです。本当の自分を作る時です。友だちや人生の先輩との対話も貴重な鏡の役割をしてくれます。確かな人生のために、今は悩み、自分探しの旅を始め、新しい自分を発見し、歩みを開始されてください。

(2度目の質問)
貴重なお話をありがとうございます。自分だけが上手くいかず自分だけが悩んでばかりいるダメな人間だと思っていましたが、青年期によくある事だと分かりすこし安心しました。今後は自分探しのために親元を離れて暮らし、友人ともっと深く話をしてみようと思います。
ただ、ひとつだけ聞きたい事があります。私は今19ですが、高校入学から4年間、変わろうとしても変われない悶々とした時間を過ごしました。その経験のために、本当に自分を変えられるのか、もう手遅れなのではないかと大きく不安を抱いています。19歳というのは今から新しい自分をつくっていけるような柔軟さが本当にあるのでしょうか。とても不安です。

(ベストアンサー回答)

臨床心理シランの室です。質問にお答えします。
今のあなたは、過去の過干渉という養育環境の影響を受けているのは確かだと思います。それは、あなたが分析しているように自己肯定の低さからくるくる自立心や新しいものへの挑戦の心の低さになっているかもしれませんね。

それがあなたへ不安をもたらしているようです。しかし、厳密に言えば過去はありません。今という現在しかありません。過去は記憶であり、未来は想像の中にあるだけです。今をどのように生きるかで未来も過去も変わります。

結論から申します。19歳、可塑性(かそせい)に富み、可能性を秘めた年代です。人生これからです。十分に新しい自分を作っていけます。多くの人が変っていったの見てきました。あなたも必ず変れます。

人は、身体面では中学生から高校生の時期が一番成長し、19歳の頃には、ほぼ生長は横ばいになるようですが、精神面は20代が一番成長する時です。まさに、人間としての心の部分の成長はこれからなのです。可塑性とは、柔らかい粘土が、こねると柔軟にいろいろな形に変化するような柔軟性をさしています。今のあなたの年代は、可塑性と可能性に富んだ貴重な時期なのです。

失敗の修復も早いし、新たな挑戦から学べる時です。吸収も早く心の成長の早い時期です。「青年は未来があるというだけで幸福である」(ゴーゴーリー・ロシア)青春は金の時間といわれているゆえんです。かけがえのない貴重なときであり、二度とこない黄金の時です。人生の本当の土台を作る時なのです。人生の中で可能性と可塑性に一番富んだ時だからです。それが、あなたの今であり、今後の10年です。

もちろん人間として変わらない部分はあります。それはもって生まれた性格です。例えば短気という性格は変わりませんが、出方が変ります。悪い出方は、他者へ怒りがすぐに出たりする癇癪のような出方をし、「短気は損気」と言われるように失敗しがちです。よい出方としては誰れもがしり込みするようなことでも、迷うことなく直ちに行動しやってのけたりします。悪に対して、すぐに怒り、正義の行動をしたりします。

他の性格も同様で、性格自体には善悪はなく、どんな性格であっても、鏡の表と裏のような関係で、どちらを出すかで価値が変ります。よい出方をするには、それなりの努力は必要ですが…。

目標を持ち、目標に向かって努力していくというプロセスを大事にしていけば、自己肯定感は少しずつ高められるでしょう。その目標も、自己実現と結果としての他者貢献という要素があれば、気力もわいてくると思います。

また人付き合いは、必要な環境に身を置くことで、学びの姿勢があれば身についていくでしょう。
良書にふれ善友やよき先輩、善き人と交わっていくことです。

(お礼コメント)

度々の回答ありがとうございます。勇気をもらえました。
目標と学びの姿勢を忘れないで前向きに人生に取り組んでいこうと思います。
本当にありがとうございました。
2020年2月22日 22時28分

性被害に遭いました。生きることが怖くて仕方ありません。どうしたらいいのでしょうか。20代前半、女性

2020.02.19

(質問)
去年まで大学生で、付き合っていた彼がいたのですが、その彼の友人たちにある日、一人暮らしをしていた家をあとをつけられていたらしく、家に入るときにいきなり2人に襲われました。
抵抗どころか何もできず、言うことを聞くしかなく写真や動画を撮られて数日間言うことを聞くように脅迫されました。
姉に相談し、警察や病院にも行きましたが1年経った今も体も震えは止まらず、もちろん彼とも会わせる顔もなく生きるのが怖くなり、
どうしたらいいのかわかりません。

(回答)
臨床心理シランの室です。
本当に辛い目にお遭いになられましたね。心中お察しいたします。そして一日も早い回復をお祈りします。
以下に、長くなりますが、トラウマ(PTSD)からの回復についてアドバイスさせてもらいます。少し難しい部分もあるかと思いますが…。

全く突然で予測がつかないなどの条件が重なると、誰でもPTSDに罹患するといわれています。すなわち、異常な状況における正常な反応なのです。あなたの今の症状は、正常な反応であることを知ってください。

PTSDの症状としては「再体験」…出来事を思い出したくないのに、繰り返し思い出される「侵入的再体験」があります。
出来事によく似たニュースを見たり、聞いたり、事情徴収をきっかけに、フラッシュバックが生じ、さらに苦痛に苛まれるます。
「回避とまひ」…出来事に関連する話題や場所などを意識的に無意識的に回避しようとします。未来の展望が困難になり、孤独感、鬱的状態が強くなることもあります。
覚醒・不安の亢進…睡眠障害、集中力困難、いらいら攻撃感情、不安感情などの状態が亢進します。再体験をあおられ、回避的感情や行動が奪われると、この症状は激しくなります。

自分に対する厳しい評価や決めつけをしないことです。トラウマからの回復の本質は、自分自身に対するゆるしにあると言われています。
 「コントロール感覚の喪失」という現実に向き合う必要があります。回復のメインは、コントロール感覚の喪失=遭難と向き合うことから始まります。

コントロール感覚を支える基本…自己・他者・世界へのある程度の信頼感です。トラウマを体験すると、この基本的な感覚が失われると言われます。
トラウマ体験は、それまでの日常からの離断の体験、つまり、それまで当然としてあった自己・他者・世界の信頼が失われ、歩んできた人生の道のりから突然突き落とされたような体験ともいえます。それ以前の人生の軌道とのつながりが失われたように感じるようです。

回復目標は、簡単に言えば、新たな役割で、それなりのコントロール感覚をもってやっていけるようになることです。役割の変化、つまりコントロール感覚の回復になります。
役割の変化とは、生活上の変化への適応がうまくいかずに病気につながるときに選ばれる問題領域ですが、トラウマ体験は重要な役割の変化です。

人に話すということは、情動処理の上からも大事です。いつも変わらぬ温かさで接してもらい、無条件の肯定的関心を持つ人と接することです。
その中で、状況が何を意味するのか、感情を通して知っていくことになります。

役割の変化を乗り越えていく、つまり断絶してしまったように見える「人生の道のり」を再び見出すこと。現在地点を知らせてくれるのが感情です。感情を表現し、肯定してもらう作業が大事になります。役割の変化は遭難から抜け出す道標になります。

他人に対する過度の警戒心、対人関係における感情コントロールの困難、怒りの爆発、といった症状を持ちながら、現在の人間関係をこなしていくには、それなりのソーシャルスキルが必要です。現在の人間関係に適応していくことです。結果としてコントロール感覚を増し、病気治療の効果につながります。

自尊心の低下は、ソーシャルサポート(家族、友人、支援者など)によって支えられる部分があります。ソーシャルサポートを増やすことです。
トラウマは、一瞬にして自尊心を破壊する性質をもちます。対人トラウマの本質は、他者に対する信頼の喪失以上に、自分自身に対する信頼の喪失になることがあります。

癒しの根本は自己治癒にあります。
例えば、身体の外傷は本人(自己)の治癒力によって治っていきますが、それは本人が何かをすることによって治っていくものではありません。それを誤解すると、早くかさぶたを取ろうとすると、また出血するようなことになります。自己治癒の自己とは自分の知らない自己であり、自分の知らないうちに作用しているところに特徴があります。これは操作することと対極にあります。
 
心的外傷体験(トラウマ)は、ある意味「瞬間冷凍された体験」のようなものです。冷凍されているが故に、心はその体験を過去のものとすることができず、いつまでも新鮮なままで抱えることになります。いわば「現在に生き続ける過去」として、さまざまな心理的な機能に影響を与え続けています。心的外傷を癒すということは、その凍りついた体験を解凍し、本来の認知的枠組みの中に消化吸収していくことだと考えられます。幸せで快適な出来事は心的外傷の癒し(ケア)に重要な役割を果たします。楽しく、未来が展望できるような、積極的生き方ができるようなできごとを日常生活の中で作ることが大事です。

一日も早く、専門家のトラウマカウンセリングを受けられることをお勧めします。

1年以上嫉妬と妬みの感情に襲われ続けて頭がおかしくなりそうです(30代前半女性)

2020.02.19

(質問)
創作が楽しくなくなり、虚無感やら孤独感が襲ってきて、誰かに殺してほしい、死にたいと思うようになりました。
親切にしてくれていた創作の仲間、その人に私の楽しみを全部奪われたような憎しみが湧いてきます。
恐らくその人がいい方向へいって自分は上手くいってない嫉妬からだとおもわれます。
1年以上嫉妬と妬みの感情に襲われ続けて頭がおかしくなります。
仕事はまだ手につくのですが、他にもやらなくてはいけないことがあるのに手につかなくて困っています。
どうすれば、この状況が変わるでしょうか?

(回答)

 臨床心理シランの室です。

一年以上も嫉妬に囚われ続ける心…心が落ち着くこともなく揺れ続け自分を苦しめ続けたでしょう。お察しします。
執着がいかに人を苦しめ、どんなに人の心を蝕んでしまうか…この執着から解放されるため、かつて人は世俗を捨てて出家したほどです。
それほど、執着を断つことは難しいようです。なぜなら、人間は人の間に生きているからです。人のいない世界だったら、どんなに楽だろうと、夏目漱石も小説で表現していたほどですから…。

執着を断つ…それには、まず執着を明らかに見究めることだと言われています。
あなたの場合であれば、嫉妬・妬みは他者という存在がいて初めて生ずる感情です。嫉妬は優劣という他者比較の中で生まれる感情です。
あなたの場合、「その人」がいなければ生まれない感情でしょう。他者がいなければ、嫉妬は生れようがありません。

その根底には、他者と競い、絶えず、他者より優位に立ちたいという欲望が潜んでいます。それは人間の欲望の一つでもあります。他者より勝ったときは「優越という自己満足感」になり、他者より劣ったときは、「劣等」となり、その劣等感を素直に受け入れられず、他者を攻撃することにより自己防衛しようとします。それが嫉妬です。嫉妬は、自分を高める方向には向かわず、相手を自分と同等か、それ以下に引きずり落とそうとする、人間の醜い心の働きの一つです。そこには、人間としての成長はありません。ゆえに苦しくなります。

他者との比較相対に生きている限り、優越しても、逆に劣等になっても、まるで鏡の表裏の関係であり、どちらも充実感は乏しく、優越したとしても一時的な満足であり、本質的には空虚感に苛まれることになるでしょう。

他者と競い、「より上位を目指そう」「一番になろう」という欲望は、良い方向にも悪い方向にも向かいます。悪い方向の例は、優劣に執着し、嫉妬したり、人を下に見たりする方向になります。よい方向は、他者貢献につながります。競争自体には善悪はないと思います。それ自体は、人間の努力の源泉になるものだからです。あらゆる試験は、競争の形をとっています。競争することで、人は互いに切磋琢磨し、高みを目指していけるからです。競争に勝たなければ、目標も達成できません。大事なことは、何のため一番を目指すのか、人より優れた創作をするのは何のためなのかという目的観です。それによって、充実度も全く異なってきます。

例えば、一番優れた作品を創作して、多くの人に喜びや楽しみを与えるといったような、他者の幸福にも貢献する、役に立つという気持ちがあれば、大きく開けていくでしょう。例え、失敗したとしても、競争相手を妬む気持ちも起きないでしょう。なぜなら、一番になることで、人より優れた創作作品を作ることで、他者の幸福に役立つという目的があるので、未達成の場合は、自らの努力や方法などを反省し、次につなげることができるからです。

その人の優位をありのままに認め、自分の不足を見つめ、足りなかったことを努力していく方向にエネルギーを向ければ、自己成長につながります。

つまり、他者との比較相対ではなく(その人との比較ではなく)昨日の自分と今日の自分、昨年の自己作品と今年の自己作品の比較というように、自分内比較、自分対自分の比較、評価に生きることです。それは、表面的な結果に左右される自分から離れ、過程の努力を評価するという絶対評価に生きることになるでしょう。そこに不安定な揺らぎはなくなります。死にたいと言うような気持ちはなくなるでしょう。

自分対自分という、欺けない絶対評価の生き方が確立できれば、今の苦しみから離脱でき、よりよい人生を生きることができるようになると思います。

心理検査だけを受けたいのですが、可能でしょうか?

2020.02.11

質問
自分のことがよくわかりません。一人でいる時と、人の中にいる時は全く自分が変ってしまいます。
どちらが本当の自分なのかわかりません。また、気分が変りやすく不安定です。
心理検査を受けて、自分の性格や人格や心の奥を知りたいと思っています。知能や能力の適性もよくわかりません。
どんな検査があるのか、また金額や時間などがわかればありがたいです。

回答
心理検査のみを受けることは可能です。(検査と結果報告の面接で2日間は必要になります)

人の心の世界は不可思議です。物質の世界は、科学の分析知でかなりのミクロの世界まで解明されていますが、
心の世界は、遅々として進まず、未だ不可解な部分がたくさんあります。

心理検査で、その人の性格傾向、人格傾向、精神的に正常圏なのか、病的圏なのか、おおよそのアセスメントは可能です。
また、今後の生き方や自己変容の参考を得ることもできます。

心理検査の種類と時間や検査料金です。検査結果の説明に関しては、面接で行いますので別途料金が発生します。また、一度にいくつかの検査をされる場合は
それぞれの料金が発生します。以下は当室で実施している検査内容です。

〇知能検査⇒WAIS…知能や能力の特徴がわかる(90分~120分・6000円)16歳以上。大人の発達障害の見立てに効果的です。また、仕事の適性にも役立ちます。
〇性格検査⇒東大エゴゴラム(20分-1500円)、YGテスト(20分・1500円)
〇不安検査⇒特性不安テスト、状態不安テスト…不安の強さがわかります(20分・1500円)
〇投影法検査(意識下に秘されている部分の一部がわかる)⇒ロールシャッハ(60分・5000円)・バウム・樹木画テスト(20分・2000円)
 SCT・文章完成法(40分・3000円)・PFスタディー・絵画欲求不満度テスト(40分・4000円)
〇認知症テスト⇒長谷川式、MEDE、MMSE(3種類で50分・4000円)…認知症の度合いがわかります。

検査はいくつか併用されて受けると、人格特徴がよくわかります。
検査を受けて分析までおよそ3日間~1週間が必要です。
一週間後に来所されれば、検査結果の説明と、検査から考えられる今後の自分の在り方などを助言します。(50分、3000円)

専門学校を辞めるか続けるのかを悩んでいます

2020.01.31

(質問)
3年間の医療系の専門学校に通っている1年生です。
私は将来の夢がなくこの学校に入った理由も、資格が取れるからという安易な考えで入りました。
そのため最初の授業から全然ついていけず寝てばかりいます。周りの友達はみんな夢がありこの学校に入ってきているので、一生懸命勉強してサークルにも入り国家資格に向けて頑張っています。ですが私はサークルにも入らず勉強も分からないため、友達が勉強の話をしていても混ざれず孤独を感じてしまいます。

勉強をすればいい話なのですが、この職業につきたいという気持ちが全然ないためやる気が出ません。1度担任の先生に相談した際は、今はまだ分からなくても大丈夫だから、まずは進級することを目指して資格を取ろういう結論に至りました。その時は少し頑張ってみようかなと思ったのですが、一昨日先生と雑談をしてたときに、赤点のまま進級した際は合格するまで毎月お金を払って単位を取るという話を聞きました。その時に私のことだと思ったと同時に周りの友達も私の事じゃんと笑われました。その話を聞いたら高い授業料をこれからも払いその他にも再試なのでお金を払ってまで、やりたいと思わない仕事のためにお金を払うのはどうなのかなと思ってしまいました。

両親にも相談はしてあり、やりたくないと思うなら仕方ないし辞めるのはいいけど辞めたら何をしたいの?と聞かれましたが、特にこれがやりたいと思うことがないため答えられませんでした。特にやりたいことがないのならこのまま嫌な気持ちで通い続けた方が良いのか、きっぱり辞めて就職するのかで迷っています。友達とは楽しく過ごしているため、辞めてしまって離れたら後悔してしまうのかなとも思います。
辞めるのならば2月中に決断をしなければならないため、相談させていただきました。
ご意見の方聞かせてください。よろしくお願いします。

(回答)

臨床心理シランの室です。
あなたの悩み…勉強意欲がわかない、専門学校がおもしろくない、自分が進むべき道なのか、自分がわからない…迷路の中に入っているような感じですね…。

今のあなたは視野が狭まり気分(主観・自己中心)にとらわれれているような気がします。人間、悩んだ時はそうなりがちです。ましてあなたは若い。自分や社会や人生について未知なことがいっぱいある年頃ですから…。

アイデンティティーの確立を求めて「自分探し」を始めることが求められているようです。信頼できる人に相談することで、自分理解が深まり、視野が広がると思います。その意味では、この掲示板のカウンセラーの方々の回答は参考になると思われます。人間は目標をもち行動することで、自分の能力に気付き、自分を知ることができます。

以下は私の昔の失敗体験です。何かの参考になれば幸いです。
高1は何も考えず登校していました。ところが高2になると、なぜか学校がつまらなくなり、通学が苦痛になり、午前中は家で寝てしまい、遅刻・欠席が続きました。どうしていいかわからなくなり、遊びでごまかし、横道にそれ、結果的に2年生の欠席は70日。高校中退に追い込まれました。

仲のいい友達もいたし、授業の内容も理解できていました。いじめもなく、そんなに嫌な先生もいなかった…、それなのに学校に行くのが嫌でした。自分で自分がわからず、どんどん無気力で怠惰になっていき堕落していきました。

なぜ学校から足が遠のいたのか…自分の行きたい学校ではなかったということ(友達に誘われて高校を選んだという依存的進路選択)。勉強に対して目標もなくなり、受動的になっていました。だから、授業は興味も関心もなく、本当につまらなく感じ、苦痛でした。結果、いつしか、授業から心が離れ、楽しい遊びの世界に埋没していったのです。完全に目標を喪失していました。また怠けが許される家庭環境であったこと(父子家庭で子どもを放任していた)などが原因だったと思われます。全て、人任せ、受動的な生き方をしていました。

高校中退後、家から追い出され、「新聞配達少年」となり身寄りのない東京へ一人で行き、一からの出直しを図りました。定時制高校に学び(自発的選択)、善き人と出会え、その人と触れ合うことで、いつしか自分理解が深まり、自分の可能性を信じて行動しようという自分に変っていきました。「大学に行って、学問しよう。そして学んだことを人のために役立てよう」と、決意し主体的に目標を設定しました。

その間、名作の読書や哲学書、思想書にふれ、自分の人生に対する姿勢が変っていき、「無医村に行って、医療に恵まれない人の役に立ちたい」と、お金のない私は、「国立大医学部」を目指して猛勉強を開始しました。働きながら目標達成のため3年間努力しましたが、国立医学部の壁は厚く、年齢のことも考え、志半ばで方向転換を余儀なくされました。結果、新設された広島大学総合科学部の一期の受験に合格し入学しました。

入学後も紆余曲折しましたが、最後は中学校の教師の道を選びました。結果的にその道は、自分にふさわしい道だったと、今は納得しています。現在は臨床心理士資格のもと心理臨床家として開業し、果たせなかった「心病む人」の役に立てる仕事に従事しています。(自伝的ノンフィックション小説「失敗もいいものだよ」に詳細記述)

「生き詰まったら原点に返れ」と言われます。根本は、「何のためという目的観」と「人の役に立つ」という純粋な心をもてば、大きく開けるでしょう。

自分を見つめるときです。友だちや人生の先輩との対話も貴重な鏡の役割をしてくれます。確かな人生のために、今は悩み、自分探しの旅を始めてください。

なぜ心療内科の医者は薬に頼るのか

2020.01.26

なぜ精神科医は薬に頼るのか…「こころの科学・2011,9 精神科臨床はどこへいく」(精神科医、井原裕氏)の論文より抜粋し、まとめています。

薬はどんな場合も、すべていけないというわけではありません。薬が絶対に必要な人もいます。
てんかんや統合失調症の方です。てんかんは、脳の過剰なニューロン発射に由来する慢性脳疾患です。精神・心理療法では発作をとめることはできません。
また統合失調症も抗精神病薬が発明され、劇的に症状が緩和されました。この方たちは必要です。

抗うつ薬はうつ病に効くのか。
うつ、不安障害、不眠に薬が効くのかということです。2008年イギリスの研究者たちが衝撃的な論文を発表しました。
重症ごとにプラセボ(偽薬)との比較優位性を検証しました。結果は、抗うつ薬(SSRI…デフルロメール、ルボックス、パキシル、ジェイゾロフト、レクサプロなど)はプラセボと比べて効能にほとんど差はなく、差があるとすれば、それは最重症例だけでした。結局のところ、英米では、SSRIについては冷めた見方が浸透しています。メディアがこれほど厳しく批判していますから、患者さんも警戒しています。こんな時代だから、製薬会社がまだ事情を分かっていない日本人を狙って、熱心にプロモーションを行うとしても当然なことです。日本人は明らかに狙われています。

精神科外来診療報酬の問題
日本の精神科医療は、患者さんの話をろくに聴かずに、薬だけ出せば儲かる仕組みになっています。精神科の外来の経営という点では、ベンジアゼピン系薬剤(抗不安薬、睡眠薬)と、抗うつ薬を使うのが一番いいのです。ベンジアゼピン系には、大量依存があり、抗うつ薬には、中止後発現症状(離脱症状)があります。どちらも、一度の飲み始めたら、容易にやめられません。だから、一度出してしまえば、患者さんは、定期的に通ってくれます。薬物療法に頼りがちな医者ほど、あっという間に患者さんが増えます。治せる医者ではなく、薬を使い、治せないけど、薬から離れられなくなった患者さんを大量に抱える。まさに「生かさず、殺さず」のままになるからです。こうして患者としては、病気が治るわけでもなく、しかし、通院をやめるわけにもいかないということになります。

精神科医の薬物療法依存
今日の一部の精神科医のSSRIへの依存の忠誠心は、大変なものがあります。この人たちは、ほとんど宗教的確信を抱いています。反論に耳を傾けようとしません。なぜ、ある信条に固執するのかといえば、それによって見たくない現実から目を背けることができるからです。それは、この人たちが精神科医として薬物療法以外にできることが少ないという事実でしょう。残念ながら精神科医としてのトレーニングの問題だと思います。