相談室(ブログ)

忘れっぽく片付けなどができない…発達障害があるのでしょうか?心理検査をしてほしいのですが。

2019.12.01

私は30代前半の女性です。すごい忘れっぽいです。

例えば、家の2階に物を取りに行って実際行くと何を取りにきたのか忘れて元いた場所に戻ってやっと思い出す。または本来取りに行くはずのものを忘れて他の忘れ物を持って元の場所に戻ってきたり。思い起こせば学生のときも忘れ物は多かったです。

また家では、片付けができず、部屋はちらかっています。何よりも支障をきたしているのが、職場の机上の整理ができていないことです。大事な書類が見つからないこともあり、よく注意されます。

学生の頃は、おしゃべりが多く、先生からよく注意されていました。会話がかみ合わないこともあります。また、興味のあることには、はまってしまい、時間も忘れ、よく夜更かしをしてしまいます。
発達障害があるのかどうか、検査をしてもらいたいですが…。

回答

文面から推測するにあなたは「不注意」や「衝動性」が強いかもしれません。何かを取りに行ったときなど、目に入ったことに注意が奪われてしまい、肝心な目的を忘れるなど…。

それは目に入ったものに関心が向いてしまうために、注意がそちらに向いてしまうからです。不注意というより、注意の過多(気の多さ)であり、そのため注意の散漫が起こり、物忘れになってしまっています。

結果、本来の目的を忘れてしまうことになっているようです。同時に二つのことをするという「作動記憶・ワーキングメモリー」(心理学の専門用語)も弱いようです。

あなたは、短所の面「衝動性―不注意―注意散漫―物忘れ」で苦しんでいるようですが、長短は表裏一体です。長所はあなたの気軽さ、機敏さ、行動の迅速さという面になると思います。

今できる具体的な改善方法は、「しなければいけないこと・約束事」を記録化、メモ化、可視化することでしょうか…。

大事なことをスケジュール化、メモにすれば問題はないと、あなたが言っているように、「メールの返信をすること」などとメモをすることです。小さなことでもメモをして、それを持ち歩く。ポケットに入るコンパしょう。

メモも三色ボールぺンなどを使って大事なものは、赤色などでメモする。または、アラームが鳴るようにするなど、やらなければいけないことを、感覚で知らせる工夫をするとよいでしょう。メモをする、音で合図する、見えるところに、書置きを置くなど、いろいろな工夫ができると思います。工夫してみてください。

今後のこともありますので、当室でWAIS(知能検査・能力の特性を調べる)検査すれば、あなたの特性や能力がはっきりすると思いますし、安心できると思います。

人間は、本来の個性(特性―長所にもなれば短所にもなる)を発揮できれば、それぞれ輝きを放って生きることができます。

タンポポはタンポポのよさがあり、バラはバラのよさがあります。彼らは個性を発揮できているからです。

バランスの悪さは、本来誰人にも内在する固有な個性や特性に偏りがあるため、その人のよさ(個性)がうまく発揮できていない状態と考えられます。

まず、自分の特徴、傾向、得手、不得手などを知ることです。自分の正しい把握や気づきなしに、正しい対処はできないからです。

自分を正しく知るためには、自分を客観視することです。心理検査(WAISなど)や心理カウンセリングは、あなたの客観視に役に立つと思います。

一度来室され、検査を受けられてみてください。

大人の発達障害・アスペルガーは、WAIS-Ⅲ検査でわかるのでしょうか?(20代)

2019.12.01

質問
WAIS-Ⅲを受けただけでは発達障害の診断までには至らないと聞きました。
「あなたは〇〇です」ときちんと診断されるには、あとどういった検査を受けなければいけませんか?
診察で医者は「アスペルガー症と言ってもいいと思います。」と濁したような回答で終わってしまいました。それが納得いかないのです。

回答
少しだけ納得がいかないというあなたの気持ちよくわかります。医師の「アスペルガー症といってもいいと思います」という断定を避けた曖昧な言い方であれば、不安は残るでしょう。

医師が断定を避けたのは、「アスペルガー症候群」の診断の難しさにあるようです。
専門機関で研究はされていますが、「アスペルガー症候群」の診断のよりどころとなる心理検査は開発中と言われています。

専門の精神科医でも大人の発達障害を診断できる医師は少ないと言われるほどですから。

アスペルガー症候群は2013年、アメリカ精神医学の診断基準DSM-5が使用されるようになり、日本の精神科医もそれを使用しています。発達障害の分類も変わり、アスペルガー症候群は「自閉症スペクトラム」という名のもとに大きく括られるようになりました。
診断は症状がどの程度あるかによって、診断基準DSM-5に照らし診断します。

診断はまず、本人やご家族からこれまでの発達の過程を聴収することで行われます。とくに小学校に上がる前を含む幼少期、児童期の対人関係がどうであったかが決定的に重要になります。

本人だけの症状の説明や対人関係上の問題だけの説明だけでは、診断が偏ってしまうからです。家族(親)から、本人の発達の経過の説明がなければ診断は困難をきたすでしょう。

WAISの結果には「アスペルガー症候群」の特徴が出ると多くの研究が報告しています。言語性知能が動作性知能を上回るという傾向がはっきり出るからです。しかし、この検査も、あなたが調べたように、一つの資料であり絶対ではありません。

あと「投影法検査」というものがあり、これは検査者が意識的に操作できない部分があるので、かなり有効な心理検査となっています。「アスペルガー症候群」に有効なのは「PFスタディー」という心理検査だと言われています。その他、描画テストやロールシャッハテストなどを組み合わせれば、かなり確実な診断になるでしょう。

以上述べたように、大人の発達障害…アスペルガー症候群の正確な診断は、本人の話、家族の話、心理検査の組み合わせなどが必要になります。

先生はあなたの話とWAISの結果をよりどころにしたのでしょうか? それで確定診断ができなかったのかしれません。もしくは、軽度の「アスペルガー症候群」という診立てだったのかもしれません。

確定的な医師の診断がほしければ、先生に診断の根拠を尋ねるか、セカンドオピニオンとして病院(先生)を替えて診察してもらうかです。

診断は両刃の剣のようなものです。診断名がつけば安心できる部分がありますが、その疾患故に苦しむという部分があります。実際、障害者として生きるのは大変なことですから。

著名な専門家に言わせれば、発達障害は「発達のアンバランスの問題だ」と言っています。一般の人より優れた部分もあるし、また劣っている部分もあるということで、発達のデコボコ状態だと言っています。

健常者(普通の人)でもアスペルガー傾向が見られます。誰でも大なり小なりその傾向はもっているもので、程度の問題なのです。あなたが、日常生活に支障を来していなのであれば、問題はないと思いす。

よく例に出される代表的な有名人…アインシュタイン、ピカソ、ビル・ゲイツなどの方々も、発達障害ではなかったのかと言われています。彼らは秀でた特徴を最大限に生かし、自らの適性を最高に活かした人たちです。

診断名より大事なことは、最終的に、あなた自身が自分の性格や能力や適性をどれだけ理解できるかだと思います。自分をよく知って、欠点を補い、良い面、長所を生かす生き方を積み重ね、努力していけば問題なく生きていけるようになると思いますが、どうでしょうか…。

不安障害・心気症が再発し生活に支障をきたしています

2019.11.30

質問
不安障害「心気症」が再発してしまいました。ちょっとした体の痛みだったりが気にしてしまったり日常生活にまた支障が出てきてしまいました。どうすれば気にせずに大丈夫だと考えられるでしょうか?よろしくお願いします。ほんとに辛いです

回答
臨床心理シランの室です。
毎日のことですから辛いですね。

人間は先のことがわからないときに不安になります。だれしも生きている以上、不安(気にする事)から免れることはできません。生きることの不安、病気への不安、経済不安、将来の不安など…最後は死の不安です。

多くの人は、不安を感じないように生きています。しかし不安はなくなるわけではありません。生きていることと死ぬことは表裏一体です。生きることの中に、安全に生きたいという本能的欲求が存在しています。

この本能的安全欲求が、人類を発展深化させました。一例ですが、恐怖や不安から人間は、火を起こし、明かりをあみだし、道具や武器を作り、風雨をしのぎ、衣食住の安全を確保してきました。不安と恐怖があったからこそ進化発展を遂げてきたのです。

日常はさほど不安を意識せずに生きていますが、大事な行動や重大な決断や選択のとき、将来の結果が見通せないために不安が強まります。ただ人によって、不安を感じる強弱は個人差があります。不安の対象が何かに強く固着し特定されると精神疾患の様相を呈します。心臓の動きに固着すれば、心臓神経症に、他人からどう見られているかという自分にばかり意識が固着すれば対人恐怖症に、体のある器官の動きに固着すれば、心気症傾向になります。

それらの不安の根底には、「よりよく生きたい」「いつもよい自分でありたい」「人に良く思われたい」「いつも健康でありたい」などの現実を度外視した理想の高さや完全欲の強さがあります。その快適さや快感への欲求の強さは、不快感に敏感になってしまいます。また生きる意欲の強さは必然、死の恐怖感を強めます。生と死は表と裏の関係だからです。

不安を軽減するために、人は備えをしたり努力をしたりします。そのように対応をすることで、不安の原因を取り除くことができるからです。不安軽減法の第一は、事前の準備を周到にすることと正確な知識の獲得です。情報収集も大事になります。よく知っている人に相談することも大事です。

事前の準備や正確な情報収集(認知・知識)が完全になればなるほど不安は減少しますが、なくなるわけではありません。あくまでも減少するだけです。不安がなくなれば、よりよく生きようという気持ちもなくなるからです。不安は人間を成長させる貴重な感情なのです。

あなたは養育環境の影響から、人よりも不安を持ちやすい人のようです。

まず「不安」発生のメカニズムを知ることです。不確かな未来への、自分の想像が際限なく不安を生み出しているメカニズムを…。あなたの不安の多くは、あなたの想像の産物であり、頭の中で勝手に作り上げた世界であり現実ではありません。

あなたは、まず現実と感情のたてわけをしっかり区別し、感情本位(不安)から、事実本位(ありのままの事実)に生きることです。
将来のことを予想するときは事実に基づくようにします。また「もし~だったら」という考えは、事実ではなく、空想や想像に過ぎないと見極めることです。あくまで事実第一に考え、行動することです。

次に、自分の思考、行動、感情、生理というつながりを知り、不安軽減の効果的な方法を身につけることです。自己観察記録をつけ、自分の感情と行動と事実の分析をし、自己コントロールを習得することも大事です。
強い不安は、時間とともに薄れるという性質があります。不安に襲われた時、頭の中であれこれ考えると不安は強くなりますので、頭の中の考えは浮かぶにまかせ、目の前のやるべきこと、仕事などの事実に専念していけば、不安は薄れます。時間とともに弱まるのも不安感情の特徴です。

心の安全基地・拠り所…心理的サポーターの存在が大事になります。興味・関心のあることは、心のよりどころになるでしょう。
自己信頼-自己肯定―自分を受け入れる…信頼できる人の存在が大事になります。

どんな自分も受け入れられる自分になること…人間には自然治癒力があり、限りない心の広い世界、大海のように、何でも受け入れることができる母なる世界が内在していると言われています。それこそ、安心立命の境地であり、母親に代わる安全基地になります。
最終的には、自己信頼の獲得が課題ですが、すぐに達成できるものではありません。

不安を強める心理として、罪悪感、自責があります。必要以上に罪悪感にとらわれないようにしましょう。自分をありのままに認めるようにしましょう。
また自律神経の乱れから不安を強く感じたりすることもあります。
規則正しい生活…早寝早起き。規則正しい食生活や甘いもの控え、和食等の自然食傾向にするとよいでしょう。

軽い運動やストレッチやウォーキング。朝日を浴びる。入浴。複式呼吸、背筋を伸ばした姿勢で歩く。弛緩法・自律訓練法を身に付けるなど生活習慣の見直しも効果があると思います。

ふあ

生きていても楽しいことは何もない…死のうかと最近考えています

2019.11.29

質問
将来どうしたらいいかわかりません。
以前は夢があったのですが、叶わずに仕方なく別の仕事を転々として、長続きしません。
仕事を転々としているため、年齢的にも次の仕事が見つからず、結婚もできません。

昔から落ち込みがひどく、生きていても楽しいことは何もないので親には申し訳ないですがこんな感じだったらもう死のうかと最近考えてます。
ただ死ぬのも億劫で毎日がすぎていきます。
周りは結婚して子供がいて、自分なりに夢に向かって頑張ってきたのに失敗の人生でした。もう疲れました。

回答
 はじめまして。臨床心理シランの室です。
外に出て人を見れば、多くの人が、悩みもなく、苦しみもなく、幸せそうに生きているように見えてしまいます。「なぜ、わたしだけが、こんな、苦しみ人の人生を送らなければならないのか」と、このような自分が嫌でたまらくなるかもしれません。人を責め、環境を責め、最後は、自分を責めてしまう。自分や他者を責めれば責めるほど生きる意欲は減退していきます。

太陽は今日も、まるで地球上のすべての生き物を育むために昇ります。自然の山や川や植物は本来、太陽と同じく他の生き物を育むように生きています。他の生命を育む…愛とも慈悲とも言われるものです。人間も本来、慈悲をもった存在だと言われています。例えば、母親は無償で子の命を守り、育むものを誰人も持っていると言われています。

あなたも私も慈悲や愛をもった存在なのです。ただ環境の中で、それが発現されず眠ったままなのかもしれません。
あの有名な三重苦の苦しみの中で、サリバン先生と出会うことで、自らの慈悲(愛)に気づき、将来、自分と同じような障害者のために命を注いだヘレンケラーは、どんな宿命や障害も乗り越えられるという人間の底力を証明してくれました。彼女は慈悲(愛)の体現者であり、私たち人間に限りない勇気と希望を与えてくれています。(一度ヘレンの伝記を読まれるとよいと思います)

あなたの生きる権利は絶対なのです。今の苦しみには意味があります。あなたが他者貢献という慈悲に目覚め、その生き方をする中で、わかってくると言われています。あなたにもかけがえのない、あなたにしかできない使命があると言われているからです。

世界の偉人もみな失敗の連続の中で、その苦しみの辛さに自身を内省し、自分に負けることなく生き抜いてきたといわれています。そうした苦悩を乗り越えたから、人の苦しみに涙することができ、他者の苦しみに同苦することができる人間になったと言われています。

あなたは、過去の失敗が、心の傷となり刻印され、それが折に触れ恐怖や不安となって表出され、現在を苦しめ、未来を閉ざしているのかもしれません。そして、あなたの認知や感情に影響を与え、否定的な認知や感情をもたらしているようです。そして自己の可能性の芽を摘むかのような、自己不信になってしまっているようです。

自己不信は自分の世界や将来に対しても同様に不信をもたらします。あなたの最大の敵は、自己の可能性に対する不信なのです。
「自分を良い方向に変えていける」「自分には未来を拓く可能性がある」「自分にまだ力がある」などという自己信頼の獲得こそ、あなたを幸福に導く最大の要素なのです。

あなたには、癒し(過去の失敗の傷からの解放)が必要のようです。

五感を使って心を癒すのもよいと思います。
目…心を癒すものを見る。朝焼け、夕焼け、海、空、花、自然、山、川、絵など…
耳…癒される音楽、鳥の鳴き声、せせらぎ、好きなラジオ、好きな人の声など
舌…好きな食べ物、コーヒーや紅茶、ハーブティー、など
鼻…いい匂い、アロマ、花の匂いなど
身体(触)…髪型、散歩、運動、複式呼吸、温泉、入浴など
意識…読書、友達との楽しい会話、日記を書くなど

あなたを理解してくれる人に、あなたの過去を少しずつでも語ることです。日記をつけ自分を見つめることも一つの方法です。

その中で、失敗した過去の自分に向き合い、客観的にそれを見つめ直すことです。自分に起きた過去を見つめ、ある時は怒りや悲しみを表現していく。やがて、過去の出来事を思い出しても感情が振り回されたり落ち込んだりすることもなくなります。つまり自己解放(癒し)の状態になっていきます。それとともに、否定的な認知や感情は、肯定的な認知や感情に変っていくでしょう。

一日も早く苦悩の闇から解放され心が晴れ、明るく前を向いて歩ける日を祈っています。

最近 生きている理由がわからない

2019.11.23

質問
鬱病10年、統合失調症3年。
最近、何をするにも無気力で生きていくのが辛いです。目標、希望、未来が見えません。
今はほとんど家で引きこもり、家事も疎か生きていく意味が分かりません。

回答
はじめまして。臨床心理シランの室です。
統合失調症、鬱を患い10年近く、辛く苦しい日々送られてきたのですね。
心の苦しみは見えないだけに、なかなか人にも理解されません。一人で耐え続けるしかなかったようですね。こうした生活の結果として、
生きる意欲がなくなり、目標も持てず、希望もなくなりがちです。こうした苦しさのなかで、生きる意味とは何なのだろうと問うのは当然のことのように思われます。

人間の幸福、生き方や人生の意味は古来、思想・宗教・哲学のテーマとなり、偉人はそれを追求してきました。イエス、釈迦、マホメット、ソクラテスなど歴史上数多くの偉人がその道を探究したようです。

人間の生きる意味…私も大学時代に自分がわからなくなり、「人は何のために生きるのか…」と悩み、哲学、思想宗教、人生論の本を読みあさったことがあります。その一つに仏教思想がありましたので、少し紹介します。
 
仏教の開祖、釈迦(ブッタ)は何不自由のない王子として生まれ育ちましたが、人生に悩んでいたと言われています。
有名な四門遊観…王宮の東門で老人を見て、人は老いる苦しみを免れないと知ります。西門に病人を見ては、人は病気の苦しみを避けられないと知ります。南門に死人を見ては、人は死ぬ存在という苦しみを持っていることを知ります。そして北門で高徳の人を見て、19歳で、全てを捨てて出家したと言われています。

人生の意味を探究し修行を続けた結果、釈迦は生命の真実、宇宙の実相を悟ったと言われています。
釈迦の悟り…生老病死という四苦は無常ですが、その背後に常住不変の生命を悟ったといわれています。

釈迦の生命観…誰人の中にも等しく内在する可能性の生命…創造的で幸福になっていける生命と智慧が具わっている。自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めて)も幸福にしていくという共生、連帯の生命観と言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという生命観です。

一日の人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。なぜなら、人間だけが、自らを変えていける尊い存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きています。

その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。しかも、どんな境遇、運命も宿命も、自らの生命に具わる可能性を信じていけば、転換できるとも説かれています。

自らに内在する尊い生命を信じられるかどうか。釈迦は自己を信じるという信を強調されたと言われています。簡単に言えば、自分の生命の可能性を信じて行動し生き抜きなさいと教えたのです。
 
 充実した生き方は環境から与えられるものでもなく、目標に向かって主体的に生きる生き方の中に生まれると言われています。その生き方も他者貢献につながる生き方とされています。
 
具体的には、今の引きこもり状態から一日も早く脱出することです。
今は人の助けを借りることが必要です。ヘレンもサリバン先生に出会ったからこそ、自分の尊さ(使命)に気付いたのです。あなたも、善き人との出会いがあなたを高めてくれるでしょう。外に出て、能動的に動けば、そのような人に出会えるかもしれません。

具体的には、『就労移行施設』や「若者サポートステイション」「生活困窮者自立支援相談室」(経済的困窮者だけが対象ではない、生活困窮する精神疾患者も対象)をネットで調べ、連絡を取り、まずは相談に訪れるとよいと思います。あなたの場合、就労もありますので、『就労移行施設』
がよいかもしれません。
まず、一歩踏み出すところから、希望が生まれてくるでしょう。よい出会いがあることを祈っています。

私は生きていて いいのでしょうか?

2019.11.18

質問

都内に住む30代です。
内臓に障害があり、子どもが産めません。
またむかし摂食障害やリスカをして、心療内科に通っていました。
そこでの診断は、鬱、ボーダー、sad、軽度のAdhdです。
人の顔など覚えられません。常連さまの顔も覚えられません。
仕事はクビになるか、体調を崩して終わる、ばかりでちゃんと働くこともできません。
例えば工場勤務のようなひとと顔を合わせない仕事では内臓障害のせいでできません。
子どもも産めず、仕事も満足にできない自分がイヤでイヤで仕方ありません。

回答 

はじめまして、臨床心理シランの室です。
子どもが産めない内臓の障害、過去の摂食障害という病歴。かつての鬱、ボーダー、社会不安、軽度の発達障害…生き辛さの中で、希望もなかなか見いだせず、なんとか今日まで生きてきたのですね…。
こうした状態の中で、いかにして希望と勇気をもって人生を生き抜くのか…。

生き抜くということは大変なことのようです。寝たきりになっても、なお周囲の方が必死に介護をしながら生きようとしています。また身体にひどい障害を持ったり、半身不随になったり、認知症になったりしても、なおかつ生き抜こうとしています。そんな人たちの人生を見るとき、「生きる」ということは何なんだろう‥と自問自答してしまいます。

人生の意味、幸福を追求し、あらゆる宗教・哲学・思想が生まれまたと言われています。では、幸福な人生(本当に楽しい人生)はどうすれば、もたらされるのでしょうか。それが最大の課題です。その具体的実践を説いたものが思想・宗教だと言われています。

 ここではブッタの思想を少し紹介します。彼は何不自由のない王子として生まれ育ちましたが、人生に悩み(本当の幸福とは何か、心から楽しみを感じることができる人生とは何か)‥悶々として解答を求め、すべてを捨てて出家したと言われています。悩み続け、修行を貫き、人生の意義を探究し続けた結果、悟りを開き、それを当時の民衆に教えるという一生を送ったとされています。

ブッタの思想…誰人の中にも等しく内在する不可思議な妙なる生命がある…創造的で幸福になっていける生命と知恵が具わっている。自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めて)も幸福にしていくという共生の生命思想と言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという思想です。

一日の人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。この世界で、人間だけが、自らの可能性を信じて自らを変えていける「聖道正器」の存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きています。

その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。しかも、どんな境遇、運命も宿命も、自らの生命に具わる可能性を信じていけば、転換できるとも説かれています。

自らに内在する尊極の生命を信じられるかどうか。ブッタは信を強調されたと言われています。なぜなら、生命の働きは、誰人も創造(幸福)と破壊(不幸)という二面があるというのがブッタの思想です。生きるというのは、自分との戦いでもあります。善(創造、幸福の働き)が勝つか、それとも悪(破壊・不幸の働き)が勝つか…。自分の可能性を信じ、自分に勝たなくては、幸福は得られないと言われています。

自分による自分の変革を説いたのです。かけがえのない生命です。大事にされてください。
今の苦しみは、あなたがそれを乗り越えた時、同じような苦しみを持つ人を支援することにつながります。ハンディーが最大の長所や持ち味に替わるのです。それが生命の妙(2不思議さ)だと言っています。それには発想の転換が必要です

マズローという心理学者は欲求の5段階説を唱えています。1,生理的欲求 2,安全欲求3,社会的欲求4,尊厳の欲求5,自己実現の欲求という5つです。

最初から三つまでは環境から与えられます。4つ目からは、自らの努力の結果得られる内的な充実感になります。尊厳の欲求、自己実現の欲求が満たされれば、心が満たされ心の充実がもたらされます。

生きる確かな目標をもち、その達成のため努力していく日々の中に充実がもたらされます。多くの心理学者、宗教家は自らを高めながらも、他者貢献の生き方を目指すところに深い充実感がもたらされると説いています。
 
 充実した生き方は豊かな環境から与えられるものでも親の愛情から得られるものでもなく、自らの目標に向かって生きる生き方の中に生まれると言われています。

他者と比較する生き方(他人を意識する他者評価)から、自己評価…自分と自分を比較して生きる生き方(例えば、昨日の自分と今日の自分というように)に転換することです。
それは、他者評価という不安定な生き方から、自分対自分という絶対的評価に生きることです。

そうした生き方を重ねる中で、あらゆる自分(病気や障害の自分など)を受け入れ、認め、やがて自分が好きになっていくでしょう。

目に見える結果や成果を大事にするのではなく、見えない努力の過程を大事にする生き方でもあります。その生き方も他者貢献につながる生き方がよいとされています。
 
あなたを支援してくれるところはたくさんありますよ。例えば以下のようなところが、どの地域にもあると思います。
若者サポートステイション、ハローワーク、就労移行施設、生活困窮者自立支援室などに相談され、あなたの今の状態でできる仕事を相談員と一緒に探されるとよいと思います。

あなたの生きる価値は絶対なのです。さあ顔を上げ、前を向いて、今日を出発点に勇気と希望をもって、未来の素晴らしい自分を心に描きながら生き抜きましょう。
  

自分を良いと思える日がくるのでしょうか(大学生)

2019.10.30

質問

大学四年生ですが今まで彼氏ができたことがありません。自分を良いと思えません。
先日、高校の時のクラスメイトの女の子が、高校から付き合っている彼氏と今でも続いていることを知りました。
それを知って、なんで私には彼氏ができないのかと悲しくなり、泣きました。
高校生の頃、私の事を好きになってくれた人がいて、私もその人の事が好きでしたが、自分に自信がなかったせいで、自分も好きだといえず、その人の事を避けてしまったりして、なんの進展もなく高校を卒業しました。そんな記憶を思い出して、後悔して、「私もあのときああしていれば、もしかしたらその人と今でも付き合ったりできたのかな」などと考えてしまい悲しくなります。
昔から自分に自信がなくて、人と比べて自分はだめだとか、告白されたとしても、「私と付き合うより他の人と付き合った方が良いよ」とか思ってしまい、チャンスを逃してきました。
この年齢になってくると、同級生が結婚したというニュースを聞くことが増えました。悔しかったのは、中学の時に私をいじめていた女子が結婚したことです。そのとき、どうして悪いやつほど幸せになるのかと悔しくなり、泣きました。
私は精神的に不安定でよく不安になるし、無口でつまらない人間ですし、容姿も自信がありません。自分を良いと思う思えなくて辛いです。妬み感情や、嫉妬の感情が沸き起こります。情けないし、悲しくなってきます。
この先良いことが起こると思えません。いっそのこと全くの別人に生まれ変わりたいです。顔も性格も変われるのなら、変わりたいです。
そして、こんな風に思う自分も大嫌いで、いま、辛くて仕方がないです。
こんな状況で、私は自分を良いと思える日はくるのでしょうか。

回答
はじめまして 臨床心理シランの室です。

自分をよいと思える日は必ず来ます。
あなたが否定的な思考や自己否定から肯定的思考や自己肯定と変化していくとき、自分が好きになり、人を羨むこともなくなっていくでしょう。
自己肯定感とは、どんな自分も肯定できる自分…成功したときも失敗したときも、人に認められている自分も、認められず批判されている自分も、自分の嫌いな部分も、全て同じ自分であると受け入れられる自分のことです。
どんな自分もそのまま、受け入れられること、自分のあるがままを受け入れることになります。

反対に、自己否定は自己を受け入れず否定することです。人間は、全ての自分を否定するわけではありません。気に入った自分や好きな自分は受入れ、嫌いな部分、劣った部分、醜い部分、他者に嫌悪されたり、受け入れられていなかったりする部分を否定する傾向があります。

 ある仕事を7割程度出来たとします。10割でないので価値がないと考える人にとっては、7割は無価値になります。半面、6割を超えれば合格と思う人にとっては、7割はできの良いほうになり、価値があると思えます。つまり、物事の成否は、その人の価値基準によって左右されます。自己肯定感は、ありのまま全てを受容するので、評価や価値の有無とは無縁になります。

自己肯定感を阻むもの…美醜、快不快、苦楽、財産の有無、能力の有無など…他者との比較相対で価値が位置づけられます。また他者は、その人の持っているもので価値を評価する傾向があります。自分も他者の持っているもので人間全体を評価してしまう傾向があります。こうした、価値基準で人間の評価をしている間は、自己肯定感は育ちにくくなるでしょう。

自己肯定感は、価値の比較相対を超えたものだからです。例を挙げれば、醜い顔の自分もそのまま自分として受け入れ、「自分は自分なのだ」と肯定する心です。貧乏でお金がない無職の自分でも、ありのまま受入れ、「自分は自分なのだ」と受け入れることが自己肯定であり自己を受容することになります。

つまり、自他の価値評価に左右されない心です。
これほど安心でき、強い境地はないでしょう。いつもありのままの自分に生き、支えられているからです。

心は見えないので、人はそれを見落としがちになり、大事にしない傾向があります。人は見える世界を大事にし、表面に流され、物事の本質を見失いがちだからです。それが自己肯定感を低くする一因にもなっています。

では、自己肯定感を高めるにはどうすればよいのでしょうか。

「どんな自分も自分である」と受容するためには人間観が必要です。「人間はどんな人も等しく、可能性を秘めた存在であり、かけがえのない個性をもち成長していく存在」という信念です。
仮に、今は未熟な自分であったとしても、それは発達途上の自分であり、磨けば輝く存在になると信じて努力できる信念です。

ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨きをかけていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。どちらもダイヤです。ですから、黒い石の自分も「そのまま受け入れる」ことが自己肯定なのです。自己肯定には、「黒石もダイヤも同一の存在であり、黒石も磨けばダイヤになる」という思考の転換と信念に裏打ちされた努力が必要です。その努力の積み重ねが個性を開花させダイヤと自己を高めていくのです。

具体的には、一日の終わりに、あったことを振り返ります。今日できたことをあげてみます。

例…朝、無事に学校に行けたこと。○○と○○の授業を受けることができたこと。
○○に挨拶し、会話したこと。○○という本を読んだこと。夕飯を自炊したことなど。

どれも当たり前のことのようですが、当たり前のことができること自体素晴らしいことなのです。
病気になれば、当たり前のことができなくなり、そのありがたさが身に染みてわかります。また台風被害のように、当たり前の日常が壊された時、人間は、日常の自然現象をありがたく感じます。
毎日電気がつく、水道の水が出る、太陽が昇るという日常、本当はとてもありがたいことなのです。毎日生きていること自体最高にありがたいことなのです。自己肯定は、「感謝する心」があれば強められます。

一日の終わりに、当たり前のことができた自分を「よかった」と認めていけば自己肯定感は高められます。そうすれば、あなたの問題は解決されるのみならず、確かな幸福の道を歩むことになるでしょう。

「よいことはカタツムリの速度で進む」とガンジーは言われました。時間はかかりますが、忍耐強く着実に実行していけば、必ず成就できるでしょう。

どうしても母親に認められたい(17歳)

2019.10.25

質問
17歳の女です。もう17にもなるのに自立できずこんなちっぽけなことで悩んでいるのが恥ずかしいのですが、相談させていただきます。私は今までずっと母親の言うことに逆らわず生きてきました。テストも毎回学年トップのあたりで、成績も体育以外オール5です。友人関係も特に問題なく過ごしているのですが、ずっと母親に認めてもらいたいと言う欲求に苦しんでいます。

中学生の時に一度その気持ちが沸騰し、母親にもっと自分を認めて欲しいとお願いしたのですが、「弟はあなたみたいに出来た人じゃないから、あなたを褒めると弟が嫉妬する」と言われました。その時はそれで納得しましたが、しかし実際は、少し成績が上がっただけで褒められる弟に私の方が嫉妬しています。この気持ちは高校生になれば収まると思ったのですが、落ち着きそうな気配がありません。先日の成績通知でも、私の成績表はほとんど見ず、弟の成績を見ていて嫉妬に狂いそうになりました。私は「弟に比べて優秀な自分」として評価して欲しいのではなく、ただ、頑張った時にはそれを一言でいいから言って欲しいだけなのに、と思ってしまいます。

何故か、担任や友人ではなく、母親に認めてもらわなければ意味がないと思ってしまいます。どうやったらこの気持ちを和らげることができるでしょうか。教えてください。

回答

臨床心理シランの室です。

思春期は第二反抗期とも言われています。自我の目覚めは、自立を促し、これまで大人によって作られてきた自分を一度こわし、再度自らの手で作ろうとするのもこの時期の特徴です。大人の意識が顔を出すようになると、一個の人格として親や大人を見はじめます。それは親への批判や反抗となって表現されことがよくあります。これは自立を始めた証拠なのです。
今日まで、ずっと母親の言うことに逆らわず生きてきたというあなたの今の悩み…「自立」を始めようしていることから生じている悩みのような気がします。

なぜ、そこまで従順に母親に従い、認められようとするのでしょうか。

従順に振る舞うことで母親の愛情を得ようとしているようです。親に従えば母親の愛情が得られ、親の愛を独占することもできます。それがうまくいかないとき、弟さんへの嫉妬も強くなっていたのでしょうか。

このような心理状態の原因…推測するに小さい頃の母子の絆…愛着の絆にあるような気がします。母親があなたの安全基地の役割を果たし、安定した愛着関係が培われていれば、思春期に自立という課題に向かって順調に進めていると思われますが、
未だに、満たされなかった母子の絆の確認…「母親に認められること」で安定しようとする依存があります。

では、どうすればよいのでしょうか。愛着の問題に向き合うことです。
親に期待するから、裏切られてしまいます。親に認められたいと思うから、親に否定されることを辛く感じてしまいます。親に左右されることをやめるとよいでしょう。親の代わりに、自分が自分の親になることです。自分が自分の親となって自分を認め、アドバイスしたりするのです。つまり、自分が自分を無条件に受け入れ、肯定することです。

もうひとつは、一人の人間として自立することです。自立とは人に頼らないで独立独歩するということではありません。必要な時には人に頼ることができ、だからと言って人に従属するわけでもありません。自立と依存をほどよく生きるということです。

自立の過程とは、自分が周囲に認められ受け入れられる過程であり、同時にそうした自分に対して「これでいいんだ」と納得する過程です。自立を成功させるには、この二つの過程が、うまく絡み合いながら進んでいく必要があります。

成績優秀で、未来のあるあなたです。この機会に「愛着」に関する書籍を読まれ、自己理解が深まれば、解決の道筋が見えてくると思います。

仕事を辞めるかどうかで悩んでいます

2019.10.24

質問
ことし新入社員として入社しある小売業で働いてます。パートがほとんどの会社なので何か話せば噂になりますし、ミスをすると犯人探し、いつも人の悪口ばかりの環境です。そんな環境なので同僚全員が敵と思ってしまい、言い返すことができずに振り回されてます。さらに仕事も大変なのにこのようなことで我慢の限界になり職場で泣くことが頻繁、医者からは鬱手前と診断され安定剤と睡眠薬でなんとか仕事している状態です。
辞めたいですが、今辞めると次がないや資格もないので就職できないという現実から仕事が抜け出せません。
こんな私が辛いです。

回答
臨床心理シランの室です。

「辞めたい、しかし辞められない」という二つの心がぶつかり合い、解決できずストレスを溜め込む状態になっているようです。
内容からすると、あなたは新卒で正社員もしくは契約社員のフルタイムで入社され、周囲の多くはパート社員で、あなたより年上の女性たちの職場といった感じを受けますが…。

解決方法は葛藤(辞めたい・辞められない)を解消することです。その方法のひとつは会社を辞めて、新たに仕事を探すことです。ですが、この選択ができないので悩んでいるということのようですね。せっかく入った会社ですから…。無理もないことです…。

そうであれば、もう一つの方法…心を強くし、現職場での適応力(人間としての総合力のようなもの)を身につけることです。
あなたの現在の問題や課題を整理してみます。
・噂になりやすく、ミスをすると犯人探しのようになり、悪口ばかりの環境。
・全員が敵と思ってしまい、言い返すことができず、振り回されてしまう。
・仕事も大変で、我慢の限界になっていて、職場で泣くことも頻繁になっている。
・医者から安定剤と睡眠薬を処方されなんとか仕事をしている状態。

生命力(心の強さ)と知恵(ものごとや出来事を上手に処理したり、解決したりする要素)があれば、今の職場すら楽しむことができます。例えば、力が強ければ50㌔を担いで山道を楽々登ることができますが、力が弱いと5㌔すら担げないかもしれません。坂道か苦痛でがまんできなくなることもあるでしょう。

環境(今は職場)と人間の関係は、支配するか、されるかです。力(心)が強ければ環境を支配することができますが、心が弱ければ支配され、環境に振り回されることになります。心を強く持ち、正しい解決法で着実に努力していけば、必ず、解決できます。

新入社員なので、仕事が大変で、失敗することもあるでしょう。それは、パート、フルタイムに関係なく、謙虚に学ぶという姿勢を貫き、失敗を受け入れ、そこから学ぶようにしていけば、あなたの仕事の力量は確実についていくでしょう。はじめから失敗なくできる人などいません。一流の人は失敗しなのではなく、失敗したときは、それを受け入れ、その苦しみから学んだ人なのです。

具体的解決法は、まず信頼できる人に相談することです。先輩、友達、親、職場の上司など…。相談することにより、視野が開けます。また、心に溜まったものを吐き出すこともでき、感情の解放がもたらされると思います。また知恵をもらうこともあるでしょう。人に相談することは、問題解決の近道でもあります。自分を心理的に支えてくれる存在(ソーシャルサポーター)のようなものであり、とても大事なことです。

孤立すると、力が出ませんし、知恵もわきません。是非誰かに相談されてください。
ソーシャルサポーター…あなたの心を支え、支援してくれる存在。家族、友人・知人、会社で相談できる人、心理カウンセラー、書物など。ソーシャルサポーターは、あなたにとって職場の辛いことを、受動的に耐えるのではなく、積極能動的に耐える力になります。

それはあなたの情動的支え、知性的な支えとなり、あなたに活力や自分力を引き出してくれる源泉になります。特に心理カウンセリング(カウンセリングルームで専門家による認知行動療法が有効)を受けられると、自分自身を知ることもでき、適切な解決方法が見いだせると思います。

次に、ストレスコーピングを身に付けることでストレス緩和をはかることです。過緊張により自律神経が交感神経(緊張・興奮など)優位になっていますので、その神経を和らげることです。自律神経訓練法(ネットで調べると出てきます。背景公式、公式1.2ぐらいで十分)を実行してみるとよいでしょう。そのほか、趣味、運動、ストレッチ、音楽、入浴、散歩、森林浴、好きな食べ物などのストレス解消を試みるとよいでしょう。

最後に、コミュニケーション力を高めることです。自他尊重の表現力…さわやかな自己表現(アサーションと言います。ネットで出てきますし、書籍もあります)。アサーション力がつけば、自分の考えや気持ちを周囲の人に適切に表現することができるようになり、無理に我慢したり、周囲に振り回されたりすることもなくなっていくでしょう。

今の苦境を乗り越えられとき、あなたは人間的にも一回り成長を遂げていると思います。

中学生の不登校…心療内科か心理カウンセリングか

2019.10.13

まずは、専門性の高い臨床心理士などのが在室しているカウンセリングールームで相談されることをお勧めします。なぜなら多くの不登校は精神疾患とはいえないからです。学校に行けないからといって、病気扱いは禁物です。学校に行けない(行かない)のには、それなりの原因があるからです。子どもを変えようとして、焦ってしまうと問題をこじらせ、事態の悪化を招くことになります。不登校になるには、それなりの伏線があるからです。

中学生の不登校の原因は、文科省データーによりますと、
1 無気力  2 不安  3 友人関係  4 遊び・非行  5学業  
6 親子関係などの順番になそっています。

原因になる部分で、心療内科に関係ありそうなものと言えば「不安」になるでしょうか。

主な原因とその対応方法について、以下に簡単に述べます。

1 学校生活によるトラブル(いじめ、集団生活が苦手、教師と合わないなど) 
→環境調整を考えます
2 無気力(原因の一番)…中学生で26%
→気力を養う…メリハリのある生活、外の世界との接触、健全な生活リズムなどで対応します。

3 非行や遊び →子どもを認め、愛情を示しめすことが大切になります。

4 学業不振→できるところから指導、個別指導(塾や家庭教師)で対応します。

5 甘えたがり・精神が未熟 →内面の成長を長期的に見守ります。

6 家庭環境(経済状況、介護、家庭不和など)
→親のストレスが子どものストレスになります。

7 発達障害→環境調整、最もよい学習形態に配慮します。

8 神経症
→不安、こだわり、対人恐怖など情緒的混乱…専門的な治療…場合によっては心療内科受診

以上の理由からも、まずは、親が専門の心理カウンセリングルーム(キャリアのある臨床心理士在室)で相談されとよいと思います。

◎親の対応としは、以下の姿勢が大切になります。
◆子どもの見方や価値…無条件の肯定的関心をもつ
子どもをありのままに受け入れる。評価しない。無条件で受け入れる。
 欠点やできない部分より、長所、できる部分。

◆安心をもたせ、どっしりと構えさせる…子ども理解(不登校の原因、背景の理解、こどもの領域を守る)、登校を阻害しているものを知る。
子どもの将来の変化(よくなっていこうという心)を信じる

◎不登校の理解をすることが大切になります。
思春期は、今までの自分を今一度点検する時でもあり、積み残した発達課題(未成熟部分)があれば、思春期を乗り越えるのに人一倍苦労するかもしれません

親も二度目の子育てを求められる時期であり、子ども同様成長していかなければなりません。多くの子どもは「危機」の時期を問題なく乗り越え自立していきます。彼らを身近で支えているのが、親をはじめとした家族であり、祖父母であり、兄弟であり、友達であり、先生たちです。だれか一人、信頼でき本人を受け止めてくれる人がいれば、思春期を乗り越えるべき山として立派に乗り越えていきます。

思春期は父親(父性)が求められる時です。父親の出番になります。表面的な行動の奥には別の心…「よくなっていこう、成長しようという善性」が心の中に存在しています。そこを信じて、こどもの表面の行動に振り回されず丸ごと受容し忍耐強くかかわれるかが鍵になります。その前提の上で、父親として社会化(自立)をサポートしなければなりません。

常識に反することや道理に合わないこと…好き勝手な行動に対しては、父親が毅然と対決しなければ壁を超えることができないでしょう。真剣に体を張って善悪を教える役目があります。そうした行動に、反発したり口では不満をもらしたりするでしょうが、心の底では自分に真剣に向き合ってくれたことに内心ほっとしているのです。それが一つの壁を乗り越える原動力なっていくと思います。

今の行動には意味があり原因があります。その意味を両親がしっかりと理解し、手を放しても目を離さない、こどもの「よくなりたいという善性」を信じぬく関わりをしていけば、徐々に良い方向にかわっていくと思います。時間はかかるかもしれませんが、長い目で見て諦めず関わり続けてください。

◎不登校生の課題
豊かさを生きることは容易なことではありません。不登校の子どもは概して真面目です。
学校や親の評価は高いかもしれませんが、友達と合わなくなり、社会からずれています。
結果、不登校になります。不登校の子どもは学校から離れることによって、役に立たない生き方からの脱却を図っているのです。

豊かさを生きるには、不透明な状況を探索的に進む力と質のいいセンスが必要です。
不登校は見た目とは違って、自分と付きあっている時間という意味では貴重な時間と考えられます。

不登校は現象的には自分のわがままを優先して、周囲の要請から外れているように見えますが、実際は全く逆で、周囲の期待を生き過ぎた結果、エネルギーが枯渇した状態なのです。

私たちが身近に付き合っている他人は自分自身です。しかも結構付き合いにくい相手です。感情も身体も自分の一部でありながら、自分の思い通りにならない存在です。自分とうまく付き合えるとき、人は満足を感じたり充実を覚えたりするものです。

不登校の子ども中には他人とうまく折れ合えない子がいます。人間関係は、ごく普通にやっているように見えますが、数学の問題を解くよりはるかに複雑な計算や判断を瞬時にしなくてはならない難しい作業なのです。これを柔軟に粘り強く続けることなのです。これらの力は、何より「自分という付き合いにくい他人との関係で培われるものです。

退屈は創造の母です。退屈を通して自分が何を求めているかに気づくのです。何もすることがない子どもを見ていることは辛いものです。しかし時間を持て余しているように見えても、心の深い部分では、創造の泉を求めて井戸掘りの作業が進展しているのです。必ず掘り当てられるという確証のない孤独で不安な作業です。大人が踏み固めて硬くなっているからです。親は、不登校のこうした心を理解した対応が求められます。
支援者によるカウンセリングは、今までないがしろにされてきた自分との付き合い方を手伝う時間でもあるのです。

支援者(カウンセラー・医師など)の選び方は、本人との相性、本人に適切かどうかを重視するべきです。そのためには、まず母親が、その専門家とあって、どんな人、どんな雰囲気のところかを知り、本人に合うかどうかを判断することです。有名とか専門とかで判断して、治療者不信になれば、改善がますます困難になるからです。(当室来談のなかで、有名とか専門とかでいきなり子どもを連れて行って失敗…不信感を強め、悪化したケースがたくさんあるからです)

親は、子どもに対して、無条件の肯定的関心をもつことが大事です。子どもをありのままに受け入れることです。評価せず、存在そのものを無条件で受け入れることです。忍耐強く、子どもの将来の変化(よくなっていこうという心)を信じ抜くことです。