相談内容
最近になって普通だと思っていた自分の家庭で虐待があったかもしれないことが分かりました。
小学1年生の時に親が離婚し、お金がなくなり、イライラしていた親から毎日怒鳴られ物を投げつけられていました。
その頃は、自分は捨てられるかもしれないという恐怖心をずっと抱えていました。
小学4年生で再婚し、妹が生まれました。
新しい父親から血が繋がっていないと言う理由で、持ち物を取り上げられる、妹と扱いに差を付けられる等、差別を受けていました。
周りの大人からは一番大変なのは親なんだから、育てて貰ってるんだから、と言われ、社会に貢献していない自分はこんな扱いをされて当たり前なのだと思うようになりました。
戦争がある国で生まれた子供の方が可哀想だと言われ、自分より可哀想な人がいるから、自分は苦しんではいけないと思うようになりました。
辛い子供時代を終え、今では社会人になり社会に少しは貢献するようになりました。自立した自由な大人になって幸せになれると思っていました。
でも、自分の納めている税金より国から受けている恩恵の方が多いことに気付き、やっぱり自分が生きていることそのものが世の中にとって負担で、悪なのではないかと思うようになりました。
日本で暮らしている限り、一部の富裕層以外は納めている税金の額より受けている恩恵の方が多いと思います。
でも、私は自分以外の皆が国から恩恵を受けることが悪だとは思っていません。私だけが世界から歓迎されていなくて、だから恩恵を受けたら罰を受ける必要があると思ってしまいます。
最近ご飯を食べている時に、世の中に貢献していない自分がご飯を食べて命を繋いでいることが滑稽に思えて、辛くて泣いてしまうようになってしまいました。
ずっと親から甘えていると言われて育ってきたので、つい最近までは自分が虐待を受けていたと思うこと自体も甘えだし、悪だと思っていました。
育ててくれただけでも感謝するべきだし、もっと不幸な人もいるから、自分が虐待の後遺症で苦しんでいると思うことは甘えで、言い訳で、弱いダメな大人だからそう思うんだと思っていました。
でも最近になってその考え方で生きることに限界を感じました。
こんな考え方だから自分のしている仕事に自信が持てなくて、たまに仕事に粗が出てしまいます。せっかく頑張って信頼されて少し大きな仕事を任されても、怖くてあれこれ言い訳をして逃げてしまいます。人が怖くて信用できないので、人間関係も上手くいきません。
結果的に低収入になり、子供も作らないので本当に生産性の低い人間になってしまいます。
私は虐待を受けていたと考えて問題ないのでしょうか?甘えているだけなのでしょうか?この精神状態は虐待の後遺症なのでしょうか?
こんな私でもカウンセリングや心療を受ければ幸せになれますか?
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回答
はじめまして、臨床心理シランの室です。
辛い思いをしたてきたあなたは、きっと人の心のわかる優しさをみにつけていると思います。朝の来ない夜はありません。生きて生き抜いて、優しさの少ない今の社会の中で、恵まれない環境にいる人たちの味方になってください。そのためにも一日も早く前を向いて生きてください。
世界の偉人もみな酷いいじめ(迫害・虐待)に遭いましたが、それを乗り越えたからこそ偉大な人間になってとも言われています。
ガンジーしかり、キング牧師しかり、数え上げたら枚挙に暇がありません。あなたの生きる権利は絶対であり、幸福になる権利も絶対です。
「汝の運命の星は汝の胸中にあり」(ドイツの詩人シラーの名言)
あなたの運命を決するものは、あなたの心の中にあります。幸福・不幸もあなたの今後の生き方にかかっています。環境は私たち人間に大きな影響を与えます。とくに子供時代は環境の大きな影響から免れることは困難です。周囲の大人に依存しないと生きていけないからです。
あなたの子ども時代の親の養育態度…親から毎日怒鳴られたり、親のイライラの八つ当たりをされたり、物を投げたり、また継父の差別的態度などは、あきらかに虐待と言えます。それらの出来事は、トラウマとなり、あなたの心に刻まれ、あなたの行動に何らかの負の影響をもたらしたとしても不思議ではないでしょう。
あなたは甘えているというより、むしろ逆です。あなたは他者や社会に甘えることができず、他者を信頼することもできなくなっています。それは過去の養育環境で作られたもののようです。虐待が、人間に対する恐怖や不信を増幅させたと言えるかもしれません。子ども時代に親に甘えて生きた人間の多くは、人に甘えることができ、信頼することもできると思います。
私的な事例で恐縮ですが、私も子ども時代、今でいう虐待を受けながら育ちました。母親を7歳で亡くし、父親は酒まみれの生活を送り、酔っては子どもに包丁を振り回したりしていました。家に食べ物もなく放置され、食物を求め飢えたガキのように山野や市場をさまよい、学校にも行けなくなりました。見かねた地域の方が心配し、養護施設送りになりました。当時の養護施設は今と違って、弱肉強食の世界であり、上級生の暴力いじめはひどく、職員の体罰や差別は露骨であり、学校でも上級生から「施設の子ども」といじめられました。先生すら平気で差別する時代でした。
いつしか、私はかなり皮肉くれた、悪たれ坊主になっていたようです。しかし、そんな少年にも、よくしてくれる人がいました。施設の一人の保母が目をかけてくれました。また、中学校1年時の担任の先生が私に期待してくれていました。そのおかげで人間を信じることができたようです。施設を出て自由になったにもかかわらず、高校時代に自分がわからなくなり、非行に走り、高校中退しました。
単身当てのない東京で再出発をはかりましたが、目標もなくパチンコ、競馬にふける日々でした。そんなとき仕事先の牛乳店で、年上の青年に出会いました。彼は、突っ張り粋がり虚勢を張った私をありのままに認めてくれたのです。私は彼に心を開いていくようになりました。
それ以降、私の人生は大きく転換していったのです。後年、私は広島大学に入学し中学教師になったのも、彼との出会いがあったからでした。拙著「失敗もいいものだよ」ノンフイックション自伝小説(文芸社)に詳細は記載しています。
もとより、生きている時代も性別も異なります。ですが基本は変わらないと思います。
人は人によって傷つきもし、人間恐怖になったり、不信になったりするのも事実です。しかし、逆に人によって人間の温かさ、情、優しさ、温もり、この世界の美しさなどを知り、心を開き、人を信じることを覚えます。それらは、生きる活力となり、希望となっていきます。
あなたにも、きっといい出会いが訪れると思います。そのためにも、前を向いて、今を誠実に真心こめて生きていくことだと思います。
トラウマの癒し…自己治癒について少し説明します。
少し難しい内容になるかもしれませんが、長期間の虐待による複雑的心的外傷体験(トラウマ)は、ある意味「瞬間冷凍された体験」のようなものです。冷凍されているが故に、心はその体験を過去のものとすることができず、いつまでも新鮮なままで抱えることになります。いわば「現在に生き続ける過去」として、さまざまな心理的な機能に影響を与え続けています。心的外傷を癒すということは、その凍りついた体験を解凍し、本来の認知的枠組みの中に消化吸収していくことだと考えられます。自力での浮上が難しいのであれば、心理カウンセリング(認知行動療法)が効果的だと思います。
幸せで快適な出来事は心的外傷の癒しに重要な役割を果たします。楽しく、未来が展望できるような、積極的生き方ができるようなできごとを日常生活の中で作ることが大事です。そうした生活をたくさん経験し積み重ねていくことで、あなたも自然自己治癒されていくでしょう。
質問
私は心療内科、精神科、神経内科、街のカウンセリングのどれに行けばいいですか?
PTSDかもしれません。
子供の頃家庭環境が悪く、その頃のことが忘れられません。今でも調子が悪いです。
自律神経失調症ですが症状は軽いです。
一時期偏頭痛、吐き気、不眠症で悩んでいましたが自己流で治しました。
この場合「内科」と付くものは違うと考えて問題ありませんか?
以前一度個人経営のカウンセリングに行ったことがあります。
新しいことを始めようとした時に昔のことを思い出してしまうのを治したくて通いました。
しかし問診がきつくてかえって悪化してしまいました。
カウンセリングにも相性があるのでしょうか。
臨床心理士の方にカウンセリングをお願いすれば間違いないと考えて問題ありませんか?
自分の症状を見て適切な診療所を提案してくれる機関はありませんか。
皆お金を取るだけとって症状が悪化したり治らなくてもそ知らぬそぶりで信用できません。
街の診療所が紹介状を書いて大学病院に案内するようなことを精神科はしていないのですか?
回答
はしめまして、臨床心理シランの室です。
当室には過去に心療内科(精神科)を受診された方がよく来所されます。
「心療内科では薬治療のみで改善しなかった」
「薬に頼らずカウンセリングで根本的に治したい」
「治療者が話を聞いてくれず一方的に治療をすすめる」
「治療者が上から目線で嫌だ」など…
薬治療に対する拒否や治療者に対する不信感などがあり、心療内科(精神科)に見切りをつけてしまったようです。
うまくいかない治療は、本人の心の病の悪化につながります。
心の病は、人間関係のストレスが心因になる場合が多く、治療者との関係性がうまくいかなければ、不信感を強め、トラウマになることも少なくありません。
心の病になったとき、どこへいけばよいのか…
心療内科か、それとも心理療法 (カウンセリングルーム)か…
心療内科(精神科)は、患者の話をもとに診断を下します。診断後は、症状を緩和させるために薬を処方します。初診に充てる時間は、15分間から長くて30分以内です。二回目からは、薬の加減が中心の診察で10分以内です。カウセリングはほとんどありません。患者が多く、時間を割くことができないからです。(大学病院は「研修」という視点から対応することがあり、当室に来るクライエントの話からすると、残念ながら勧める気持ちになれません。)
心療内科・精神科は保険が適用されるため、料金も低めです。初診でも3000円を超えることは少ないでしょう。2回目以降は2000円以下です。それに比べ、民間のカウンセリングルームは、保険が適用されないため、通常5000円以上になります。(東京は1万円ぐらいと聞いています)
薬物治療は一時的に症状を抑える効果はありますが、本質的な改善は見込めないと言われています。症状緩和に働きかけることと並行して、他の影響(副作用といわれている)があります。さらに薬の依存性もあります。
本質的な改善は、自らの自然治癒力の発動で治すしかありません。それを阻害している心理・社会・生物的要因を取り除くことで可能になります。自然治癒力の発動を可能にするのが、心理療法(カウンセリング)になると思います。一口に心理療法といっても100種以上はありますので、何を選ぶかが大事です。
精神疾患に応じた効果のある心理療法というものがあります。例えば「うつ」であれば、適切な心理療法は、アメリカ精神心理学会が効果のある療法としてあげている「認知行動療法」「認知療法」になります。PTSDには「エクスポジャー」が有効とされています。
それ以上に大事なことは患者(クライエント)のアセスメント(診断・見立て)力です。名医(名心理療法家)とやぶの差は、見立て力の差です。正確な見立てがあって初めて、改善へのプラン(処方)ができるからです。見立ては、人間を総合的にみなければできません。外科や内科では、レントゲンやMRI、CT、血液検査などをし、正確な分析をし、診断しようとします。
まして分析不可能な見えない人間の心を診るわけですから、いくつかの心理検査は最低限、必要なものです。問診だけで、その人の人生経験全体を背負っている心の病を診るのは、とても困難なことです。
心理療法(カウンセラー)を選ぶ一つの基準は、見立て力(アセスメント力)がどのくらいあるのかです。心理検査の併用は必須でしょう。そう考えると、大学院で研修を重ね、実務経験を積んだ臨床心理士が安心できると思われます。(当室のブログ「間違いのないカウンセラー選び」を参照にされるとよいでしょう)しかし、臨床心理士であればよいかというと、そうともいえません。キャリアと専門性が必要です。
ある県の臨床心理士会の規定では、開業カウンセラーは、臨床経験7年以上とあります。やはり、公的機関と違って、倫理性やカウンセリングの責任を考えるとそのくらいの資格取得後のキャリアは必要だと思います。
カウンセリングが人と人の関係の営みである以上、カウンセラーとクライエントの関係は症状の改善に大きく影響します。かつて、抗うつ薬のプラセボ実験がありました。偽薬と本物の薬の治療効果を実験したところ、思ったほどの差がなかったと報告されています。処方する医師を信じれば治療効果が高くなり、疑えば効果が低くなります。
クライエント(来談者)がカウンセラーを信じられるかどうか、その要素の一つがカウンセラーの人間性です。
人間性…まず誠実な人。次に奉仕の心…悩める人の苦しみに共感し、改善のための努力を惜しまない人。人によって差別しない公平さのある人。改善のために、来談者に学び、先人の知恵に学ぶなどの向上心が必要です。謙虚に学びのあるカウンセラーは、良いカウンセラーの条件です。
結論からしますと、民間のカウンセリングルームか心療内科で経験があり、PTSDの専門性のある臨床心理士による認知行動療法が適切と思います。さらに、人間性のあるカウンセラーであなたと相性がよさそうなカウンセラーが最適でしょう。
一度面接をすれば、相性を含め、人間性も少しわかり、自分に合っているかどうかの見分けはつくと思います。また、ネット上で、プロフィールや考え方などの欄を参考にするのもよいと思います。
質問
こんにちは。20歳の大学二年生です。
高校2年生の時、拒食症から過食症になり高校三年生の一年間を不登校で過ごしました。
その後一年の留年の後、通信制高校をなんとか卒業しAO入試で大学に入学することができたのですが、それから少しずつ行けない日が増えていき、課題や授業についていけなくなり一年の間で半分の単位を落としました。
二年からフル単位で取らないと三年生に上がれないのにどうしても通えなくなり罪悪感からくる過食や過食嘔吐で疲れてしまい引きこもってしまっています。
もう前期の単位はほとんど落としていると思います。
精神科にかかりましたが、重度の鬱と簡単なペーパーテストからADHDと診断されました。(テストを受けたのは私自身ですが、私と両親はADHDは違うかな、と感じています。母は、小さい頃から大人しく変わっていたし、HSPでは?と言っています。)
バイトも、サークルもごく普通にこなしていましたし、大学で友達がいなかったわけでもないです。ただ、何かわからないけどすごく疲れます。一人になったとき死にたくてたまらなくなります。涙が勝手に溢れます。
外に行くのも人と話すのもしんどくて大好きだったダンスも絵を描くことも出来なくてひたすら寝る状態です。高校で不登校だった一年間もずっとそんな感じで、それからも浮き沈みもあって順調ではなかったのでここ何年かはずっと辛い状態で、また一気に沈み込んだ感じです。
何も考えられないしただただ辛いです。このまま誰からも忘れられて消えちゃえたらなあと思うばかりです。
もしこのまま留年するなら、留年してでも大学は卒業したいという気持ちと、通える自信がないから新しい道を探すべきかなという気持ちどちらもあって、母はもうだらだら続けないでやめて働いたら?と言うのですがちゃんと働けるかも自信がないです。
いつまでここにいるのかという焦りもあるし何もできないけど何もしたくないしこのまま一生辛いのは耐えられないし
精神科でお薬は処方されますが、それだけでない何かのような気がして、お話を聞いてほしかったのでここにたどり着きました。
何かアドバイスなど頂けましたら嬉しいです。よろしくお願いします。
回答
はじめまして。臨床心理シランの室です。
人生の先輩として、少しアドバイスをさせてもらいます。
高校2年時の拒食、そして過食嘔吐、不登校…終わらない思春期のように思えます。
あなたの課題…自分の気持ちと、いかに向き合い、自分をいかにコントロールし、自分の気持ちに折あっていくかが鍵だと思います。
未だに、高校2年時の課題が未解決になっているような気がします。この根本課題を解決しなければ、あなたの未来の人生に、何かあったときに影をおとすことになると思われます。
幼少期や子ども時代の親との関係…親に認められたいという無意識、意識的な行動によって、いつしか、ストレス脆弱性気質となり、自立心が育たず、依存的になり、自分がなくなってしまっていたのかもしれません。
こうした自分の真実を知るためにもカウンセリングが必要だと思います。摂食障害専門のカウンセリング…キャリアのある臨床心理士か精神科医による認知行動療法、もしくは対人係療法が効果的だと思います。薬物療法のみでは、あなたが感じているように、一時的な対症療法に過ぎず、根本的な解決は見込めないでしょう。何よりも今のあなたは、自らを正しく理解し(心理教育)、ストレスノコーピングやリラクセションなどを身につけることが大事と思われます。
発達障害(ADHD)という診断は、あなたの未成熟部分を診ての診断だろうと推測します。あなたとお母さんの意見に私も賛成です。
今のあなたには、かなりの鬱症状がみられます。大学生活に対するストレスコーピングがうまくいかず、不適応症状=鬱状態になっているような気がします。その意味でも、認知行動療法カウンセリングをお勧めします。大学の相談室でそれを実施していれば一番よいのですが、もし実施できないというのであれば、最寄りのカウンセリングルームなどを紹介してもらうといいと思います。
せっかく入学した大学ですし、卒業したいという考えもあるわけですから、大学卒業を当面の目標にすべきでしょう。
参考になればとの思いから、私の大学時代の体験を少し述べます。
私は紆余曲折したあげく、23歳で大学に入学しました。最初の二年間は、深夜のアルバイトにあけくれ、昼夜逆転の生活で授業にもほとんど出席せず、取った単位はわずかでした。当時、大学を中退して小説家にでもなろうかという「はかない夢」を持っていました。
生活リズムを無視した生活がたたり、2年目の冬に心臓神経症(不安障害…現パニック障害)になりました。バイトもできなくなり病気療養のため休学し、故郷で療養しました。療養中に人生を考え、生き方を振り返ってみたりしました。
「これからどうしよう」と何度も考えた末、最も現実的で確実な方向…それは「せっかく入った大学だから、とにかく卒業しよう」と進むべき道を決めたことでした。
3年目の前期から復学し、一心不乱に単位を取りました。最も苦労したのが、英語と第二外国語の単位取得でしたが、後輩たちの中に交じって、恥も外聞も捨て愚直に勉強しました。私は既に両親と死別していたので、経済的な支援もなく、新聞配達、塾の講師で生計を立てながらの大学生活でした。6年間大学に在学し、最終的に教師の道を選び、29歳で中学教師になりました。その道に人生を賭けたのです。(HPに詳細は書いています) 中学生や保護者に貢献できたという思いが最高の充実感をもたらし、今も心の宝になっています。
病気療養中、地獄をさまよっていた時、私の心の支え、生きる勇気を与えてくれたのが次の詩です。
「私は この世に人間の旅に出たのだ 生命究極の目的まで
疲れても 歩まねばならない 風の日も 雪の日も
野宿の時も覚悟しながら 私はひたすら歩むのだ」
前を向いて、歩み続けて、よかったと思っています。
引きこもりのカウンセリングの実際…当室スタッフが面接した主な事例(最近5年以内)、年齢は初回来所時です。
年齢は19歳から58歳までをあげています。6割が中高年の引きこもりの相談になっています。60代の方の面接も2件受けたことがあります。ほとんどが男性で、長男です。
引きこもり期間が長くなればなるほど、また年齢が高くなるほど、社会復帰が困難になっています。
本人自らが相談に来所されることは稀です。まず保護者(母親)が、なるべく早くだれかに相談されることをお勧めします。
引きこもり者の大半に共通しているのが、孤立感、人間不信、人間関係上の問題、過去の出来事の傷つき体験によるトラウマ(職場や学校のいじめ、パワハラなど)があります。
〇主な相談事例(プライバシー保護のため、組み合わせを変えたりしています)
1, 58歳男性 引きこもり歴2年 母親と二人暮らし。母親が電話で相談。訪問面接。4か月後就労開始。
2, 57歳男性 引きこもり歴2年 母親入院、本人が相談に来る。半年後、職業訓練、資格取得後就労開始。
3, 55歳男性 引きこもり歴2年 単身。兄が相談に来る。訪問面接10数度後、本人自ら福祉事務所に相談に行く。
4, 52歳男性 引きこもり歴18年 父親死去後、母親は長期入院。弟が相談に来る。訪問後本人来所。1年後短期間就労開始。
5, 47歳男性 引きこもり歴20年 両親と3人暮らし。母親の妹が相談に来る。訪問で両親面接20回。2年後、本人に面接。
6, 45歳男性 引きこもり歴7年 母親と二人暮らし。母親が相談に来る。手紙支援数度。本人と面接できないまま。
7, 42歳男性 引きこもり歴3年 母親、姉と三人暮らし。母親が相談に来る。本人来所。半年後、職業訓練受講後、就職活動開始。
8, 45歳女性 引きこもり歴 20年 叔母と二人暮らし。叔母が電話で相談。訪問面接。2か月後就労開始。
9, 38歳女性 引きこもり歴 15年 母親と二人暮らし。母親が相談に来る。母親と一緒に来所。10回の面接後、就労移行施設通所。
10, 32歳男性 引きこもり歴 8年 母親と二人暮らし。母親が相談に来る。本人来所。10回の面接後、就労支援施設を経て就労開始。
11, 29歳男性 引きこもり歴 7年 両親と三人暮らし。本人が来所。20回の面接後、就労移行施設を経て就労開始。
12, 34歳男性 引きこもり歴 2年 両親と三人暮らし。母親が相談に来る。本人来所10回の面接後、就労活動開始。
13, 40歳女性 引きこもり歴20年 両親と三人暮らし、母親が入院。父親が相談に来る。家庭訪問面接後、就労移行施設通所。
14, 19歳男性 引きこもり歴2年 両親兄弟同居。母親が相談来所後、本人来所。12回の面接後、就労開始。
面接の方法に一定のやり方があるわけではありません。社会復帰のプロセスは、個人の性格、家庭環境、養育環境、置かれた境遇、学歴、仕事歴が皆異なっていますので、それぞれ異なってきます。カウンセリングは、個人に一番ふさわしい道を共に模索しながらつくっていく作業でもあります。当ルームのスタッフだけでは社会復帰はうまくいかないケースがほとんどです。ハローワーク、就労移行施設、若者サポートステイション、役所の福祉課や社会福祉協議会などと連携しながら進めています。
一番大事なことは、支援者とひきこもり本人との関係性の構築…信頼関係ができるかどうかが鍵を握っています。
次回のブログにひきこもり‥当室がかかわったカウンセリングの具体的な事例をあげながら、引きこも者の心理背景を考察していきたいと思います。
川崎市多摩区で児童ら19人を殺傷し自殺した容疑者(51)は、長期間定職に就かず引きこもり状態で、高齢の伯父夫婦の支援で生活していた。 市は伯父らから相談を受けていたが、内容は介護が中心で、容疑者本人への面談や支援は行われなかった。
内閣府は昨年、中高年(40~64歳)の引きこもり実態調査を初めて実施。3月に公表した結果では、定職がなくほとんど外出しない「引きこもり状態」の中高年は全国に推計61万3000人おり、その半数が5年以上の長期にわたっていた。
引きこもりの子と養う親がともに高齢化し、生活が行き詰まることは、それぞれの年齢から「8050問題」と呼ばれている。実態が見過ごされてきた上、人数は内閣府の別調査で推計された15~39歳の引きこもり数(約54万人)を上回っており、問題は深刻だ。
引きこもり問題に詳しい専門家は「未婚無職の子が親の年金に頼り切り、共倒れになる。支援は難しく、行政の体制も不十分だ」と警鐘を鳴らす。
専門家によると、行政の想定は就職に失敗して引きこもった若者のようなケースで、対応は就労支援が中心。就職先の乏しい中高年には適さず、さらに担当部署が青少年部局にあるため、中高年は門前払いの自治体すらあるという。
親が子育ての責任を感じて隠したり、健康を過信して相談しなかったりする家庭は多く、最悪の場合、親子とも孤立死したり、子が親の遺体を放置したりしてようやく発覚することもある。内閣府の調査では「誰にも相談しない」が全体の約45%に上った。
専門家は「介護などで追い込まれて、ようやく助けを求めてきたときこそ、問題解決の最大のチャンスだ。相談を通じて家庭の状況を全て把握して、関連部局が協働で取り組むことが重要」と指摘。居場所作りや長期の訪問など柔軟な支援の重要性を強調。「孤立させないことが必要な支援で、仕事以外の社会の接点を増やす施策が大切だ」と話した。
通信記事編集
質問
私は22歳の成人で、最近オートバイの免許をとりました。
もともと乗り物が好きで、ツーリングで後ろに乗ったこともあり、どうしてもオートバイに乗りたいと思い、自分でアルバイトで稼いだお金で教習所に通い、無事免許を取得しました。
しかし自分が女性で小柄なこともあり、母親からは、「私(質問者)には似合わない」などといい、オートバイに乗ることに反対しています。
危険だとしても、それは自分次第ですし、自転車でも歩行でも事故にあうことはありますし、世の中に完全に安全なものはないと思っています。
母親は普通車オートマチック限定のみ免許を持っていますが、ペーパーで、乗り物自体好きではない人で、安全面などを伝えても好きだと言っても分からないと思います。
母親を何がなんでも説得するべきなのか、
自分の人生だと思って割りきる方がよいのか、迷っています。
いずれにせよ、オートバイは買うなら自分の貯めたお金です。
回答
臨床心理シランの室です。
親は大人の目では、普通なら若い女の子のバイクの危険性を心配して反対するでしょう。それに対して、あなたの言い分…バイク同様に車も歩行も事故に遭うときは遭うし危険性は同じだと…。
子の心と親の心がすれ違っています。少なくとも、あなたはそのように感じているということです。
親というより大人の目と、子どもの目の違い。大人が生きている現実社会と子どもが生きている世界は大きく異なります。人生の先輩であり、親ならば、子ども時代を生きてきたのであれば、子どもを理解して当たり前と思うでしょうが、現実は違います。
「子の心親知らず」であり、「親の心子知らず」が普通と言ってよいでしょう。当然価値観は異なってきます。
あなたは人生や社会に対して、生きたいように生きたいし、やりたいことはやりたい。夢もあり、好奇心も強い。何でもできることはやりたい。純粋であり、一途であり、理想的です。反面、単眼思考で一面的であり、現実社会を知らない危うさも持っています。それゆえ、失敗する可能性も大きいという欠点もあります。
しかし、親は大人社会で生きており、現実の中で生きているが故に、理想よりも事実を重視して生きています。反面、現実を知るがゆえに、純粋な心は失われがちになり、現実に妥協したり迎合したりして生きるという術を身に付けています。そうしなければ、社会で生きていけないからです。
「タレントになりたい」「漫画家になりたい」「医者になりたい」などといった夢や理想は、高校、大学、社会人になるにつれ、社会の現実を知るにつれ、夢は修正され、いつしか平凡な仕事に就くと言うのがほとんどの人の人生になっています。
現実社会で長く生きれば生きるほど、世間に染まり、夢は夢であり、現実は現実ということを、いや応なしに知らされます。いわゆる平凡になり、現実社会に妥協するようになり、あたり障りがなく生きるようになります。危険は避けるようになります。
冒険心もなくなり、好奇心も薄れ、無難を選ぶ生き方になります。しかし、現実を知り、社会で生きる術は、若者のあなたよりはるかに長けています。
親の意見を聞き、考えを尊重する姿勢は大事だと思います。しかし、相容れない時は、自らの道を自自己責任のもとで選び、貫くことも大事でしょう。自分の行為に責任を担うということが大人の証だからです。
自分で自分の人生の責任が持てるのなら、自分の選択した道を進むとよいと思います。悔いを残さないためにも…。
私も若い頃、自己責任で自分の道を進みました。結果、紆余曲折し苦難の道を歩みましたが、責任は自分で負いました。(HP記載「失敗もいいものだよ」ノンフイックション小説に詳細記載)
質問「会社で声が小さいこと毎日怒られます。怒られると余計に怖くなって声が小さくなってしまいます。
自分でも治そうと思ってるのですがボソボソ喋ってしまいます。これを言ったら相手が気を悪くしないかばかり考えて喋ることに抵抗があります。会話も相槌しか打てません。どうしたらはっきりと自分の思ったことを喋れるようになりますか?」
回答
はじめまして、臨床心理シランの室です。
自己表現力(気持ちを伝える力)は、自然に身につくものではありません。家庭や学校の中で、両親や兄弟、友達、先生との会話や発表・発言の場で身についたものといってよいでしょう。
水泳や鉄棒の逆上がりが練習の結果、できるようになるのと同じで、自己表現力も練習することによって身についていくものです。よい表現の仕方には、考え方や物事のとらえ方(認知)、自己肯定感や自信の有無なども影響してきます。自らを理解し、表現の特徴を知り、訓練を重ねていけば、必ずよい表現力を身に付けることができるようになります。
表現力には三種に分けることができます。
一つ目は、攻撃的な表現と言われるものです。自分のことだけを考えて他者を省みないやり方。私はOKであるが、あなたはOKでないという考え方が背景にあります。
二つ目は 非主張的な表現です。自分よりも他者を優先し、自分のことを後回しにするやり方。私はOKでないがあなたはOKという考え方がベースにあります。
三つ目は、 自分も他人も尊重する表現で、アサーティブな表現と言われ、理想的な表現力です。自分のことも考えるが、他者も配慮するというやり方です。私もあなたもOKという考え方に基づく自他肯定の考え方に基づいています。
日本人に多いのは、非主張的な表現と言われています。それが「奥ゆかしさ」などの美徳になった時代もあります。しかし、欧米の考え方が入り、自分の権利を主張する傾向が見られるようになり、「攻撃的な表現」をする人も増えてきました。特に立場の弱い人に対する攻撃的表現…パワハラ、モラハラをはじめ、クレマーなどに見られます。
非主張的な人の特徴として、弁解がましい、黙る、服従的、承認を期待する、相手まかせ、他人本位、依存的、自己否定的、消極的、卑屈、引っ込み思案、自信のなさ、自己高手諦観の低さなどの傾向がみられます。
自己肯定感が低く、自信がないと、他者評価に左右されがちになります。また相手に対して、「よく見られたい」「悪く思われてはいけない」という気持ちが強くなると過度の緊張を招くことになります。結果、ぎこちない態度になったり、声が小さくなったりします。
自分の気持ちを相手に伝えることよりも、「よく見られたい」「悪く思われたくない」という他者の評価に重点がかかるため、自己を防衛し緊張感が高まります。
まずは、「緊張は誰でも当然するものだ」と事実をあきらかにみて、受け入れることです。
次に、相手に話す内容、自分の気持ちを伝えるということに集中する。そのためには、事前の準備が必要です。気持ちを伝える訓練や練習をすることです。
物事に取り組む万般にわたることですが、事前にどれだけの準備をするかで、成否が決まると言われています。事前に綿密な準備をしていれば、余裕ができるしリラックスして物事に向き合えます。
準備をしていても、その場になったら緊張は避けられません。そのときは、大きく息を吸って、少し止め、ゆっくり長く吐くなどを繰り返します。また、「筋弛緩法」(ネットで調べれば出てきます)などを行い、気持ち落ち着けるのも、使えるリラックス法です。
時間や経済的に余裕があるのであれば、認知行動療法・アサーショントレーニングのカウンセリングを受けることをお勧めします。それができないのであれば、関係書籍を読むことで身につくこともあると思いますので、
アサーションの第一人者である平木典子さんの本を紹介します。
「アサーショントレーニング…さわやかな自己表現のために」(金子書房・平木典子著)
質問 「最近人生に絶望するようなことがあり、先日カウンセリングに行ってきました。しかし、カウンセリングの先生はあまり話を聞いてくれず、こちらの話をさえぎって否定するようなことを言われたりして、自分は生きていることが迷惑なのではないかと思いました。
これまでお世話になった親に迷惑をかけてしまい、申し訳ない気持ちで一杯で潰れそうです。自分でも自分のことがよくわからなくなります…」(趣旨・20代女性)
回答
臨床心理シランの室です。
絶望し死にたい気持ちになるどの失敗…あなたにとって致命的なものだったと推測します。失敗にともなう感情…周囲の無言の評価、また自分が自分を評価してしまい、自己否定感が強くなり、自分はだめな人間だと思いがちになります。結果、自責の念は強まり、悲しく、悔しく、辛く、苦しく、自分が愚かだという思いに苦しむことになります。消えてしまいたい、死にたい、そんな気持ちにもなるでしょう。
まして両親が経済的にも応援してくれていたのなら、その期待を裏切ったような感じにもなるでしょう。受けた恩に報いることができなかった…。
あなたの失敗は、「恩を仇で返す」ということではありません。仇で返すというのは、受けた恩を忘れ、報いることもせず、逆に両親に対して、非人間的な行動をしたり、敵対したり、攻撃したり、お金や財産を盗んだりするような行為に及んだときのことです。あなたは、単に恩に報いていないだけのことです。失敗と報恩は無関係です。
あなたが生きている限り、恩に報いるチャンスはいくらでも巡ってきます。親も「これから頑張れば大丈夫」と言ってくれているように、今後のあなたを信じ期待しています。
人間はだれでも失敗するものです。失敗の大小はあると思いますが、どんな失敗も必ず、取り返すことができます。人間は、いくつになっても可塑性(粘土のように練って形を作り直すこと)に富んだ存在だからです。
本当の失敗は、失敗から立ち直らないことだと言われています。
もし、恩を仇で返すとすれば、それは、あなたが、今回の失敗から立ち直らないことでしょう。立ち直ることが償いにつながると思います。
「時間がそれを軽減し、和らげてくれないような悲しみは一つもない(キケロ)
「私にとって失敗こそ最良の教師である」(フォークナー・フランスの作家)
両親が支え、応援してくれたから期待に応えなければいけない、受けた恩に応えなければ、人間としてはだめなのだという。あなたは、生真面目すぎるほど責任感のある人のように思えます。
周囲の人はあなたが思っているほど、あなたの失敗に対して、あなたの評価や価値を変えたり、下げたりはしていなし、期待を裏切ったなどとも思っていません。それはあなたの全体を客観的に捉えているからです。
私的なことで恐縮ですが、私は大学受験では3年間浪人し11連続不合格。まだ若かったので、悲哀や自責の念が強く、長い間、憂鬱感情に沈んだりしていました。大学卒業後は教師となり、生徒や保護者の役に立ち、支えてくれた人に恩返しができたと思っています。
「成功=人間として価値があり、認められる」「失敗=人間として価値がない、自分が否定された」というように価値は二極しかないのでしょうか…。その思考は、二極思考になっており、「0か100か、オールかナッシングか」になっています。
0と100の間にはたくさんの数字があります。つまりたくさんの考え方があり、選択があり、判断があり、行動があり、可能性があります。白と黒の間にもたくさんの色があります。
人生、柔軟な思考になれば、いろいろな考えができ、人生の幅も広がり面白くなります。がんじがらめに、一つの価値観にとらわれると窮屈になり、かえって息が詰まるでしょう。ちょと立ち止まって見方を変えてみませんか。違う生き方、人生が見えてくるはずです。
「人生塞翁(さいおう)が馬」です。失敗が次の成功につながる。失敗した時に、その苦さ辛さの中で自分を見つめ、いろんなことが学べるからです。
地球上の生命体の中で、人間生命だけが、自らの意志と決意で自分を高めて、自らを変えていけるという可能性を秘めた存在です。人間生命そのものに、私たちの考えが及ばない無限の可能性が内包されているからです。だからこそ生きるということに絶対的な至高の価値があると言われているのです
今は、失敗で傷ついた心を、疲れた心をゆっくり癒してください。
五感を使って心を癒してみるのもよいと思います。
目…心を癒すものを見る。朝焼け、夕焼け、海、空、花、自然、山、川、動物、植物、絵など…
耳…癒される音楽、鳥の鳴き声、せせらぎ、好きなラジオなど
舌…好きな食べ物、コーヒーや紅茶、ハーブティー、など
鼻…いい匂い、アロマ、香水、花の匂いなど
身体(触)…化粧、ネイル、ファッション、髪型、散歩、買い物、運動、複式呼吸、マッサージ、温泉、入浴など
意識…読書、友達との楽しい会話、日記を書くなど
思いついた癒しを列挙しました。あなたにあった「心休まる、癒し」を探し、試みるとよいでしょう。
癒しが終われば、新たな出発ができると思います。
質問「家庭環境に恵まれず、両親に虐待されてきました。職場で出会った男性とつきあっていましたが、嘘をつかれていました。所帯持ちだったので、別れました。これから先、あと何十年の人生を生きていく自信がありません。どうしたら生きる意味を見つけられるのでしょうか。(趣旨・20代女性)
回答
臨床心理シランの室です。
あなたは本当に過酷な境遇の中で今日まで生き続けてきましたね。他の人より苦労した分だけ、同世代の人よりもあなたは忍耐力、粘り強さ優しい心を身につけているはずです。気づいていないかもしれませんが、それはあなたの心の宝になっています。
人は環境の中で作られるという一面があります。特に親に依存し養育されている子どもの時は、環境の影響が大きく、それは不可抗力な部分があります。しかし、自立した後は、環境の影響を受けながらも、逆に環境を支配して生きることができます。
同じ過酷な環境に育った兄弟が、みんな同じような生き方になるわけではありません。親の作った環境に染まったまま、傷を持ち、心が曲がり、不幸な人生を生きる人もいる一方で、悪い環境や親を反面教師のようにして、自らを高め人生を立派に生きる人もいます。悪環境さえ自分の成長の糧に変えたるという、たくましい心の持ち主といえるでしょう。
一面的に見れば、あなたが言うように「世界は不平等」と言えるかもしれません。人はどんな親のもとに生まれるかによって、生まれながら差別を伴っています。紛争の国に生まれ、食べるものもなく死んでいく子ども、生まれながらにして障害を持つ生命、虐待の親の元に生まれる人、不幸な環境のもとに生まれる人など様々です…。
人間は生まれながらにして差別をもって生まれているといえるでしょう。しかし生命のもつ可能性は平等であり、幸福になる可能性も平等であり、死にゆく必然性をもつ存在という意味でも平等です。
あなたは相対的な幸福に生きています。相対的とは他者との比較(環境)によってもたらさられる幸福です。お金があるかないかなどの物質的な豊かさ、あるいはよい親や環境、能力や健康、美醜など、これらの比較優劣によってもたらされ幸福であり、相対的なものです。
つまり環境によってもたらされる幸福といえるでしょう。環境が変れば一瞬にして不幸に転落してしまいます。いくら物質的に豊かであっても、美貌があっても、能力があっても、不治の病になれば一瞬にして不幸に転落してしまいます。
逆に健康であっても、貧乏であれば飢餓感を感じ不幸を感じるでしょう。相対的幸福は、環境の比較によってもたらされものであり、絶対的なものではありません。
絶対的幸福こそ、人生の意味の解答といえるでしょう。環境に左右されるものでも、物質的豊かさでもなく、健康・病気に左右されるものでもありません。
確かな目的感に立った生き方に伴う深い充実感です。何ものにも壊されない心の強さです。どんな悪環境も乗り越えて楽しめる心の強さです。
あなたには、ひとつも二つも良いことがありますよ。気づかないだけです。まず、職場の人間関係に恵まれていることです。世の中には、職場の人間関係に泣かされている人がどれだけ多くいることか…。
それと、高校時代の苦学です。猛勉強の末、目標の進学校に進んだという実績以上に貴重なのは、あなたが猛勉強を3年間し続けた精神力の強さです。努力の心です。さらに、親の虐待の辛さはあなたに人間の優しさを教えたはずです。あなたは心の優しさを身につけている人です。
少し視点を変え、単眼思考から複眼思考に変えて柔軟に人生を見るとよいでしょう。見えない部分が見えてきます。
感謝する心を持てば人生が豊かになります。今生きていることが、どれほど多くの人に支えられているのかに思いをはせる時、感謝の心が湧き、自分も他者の命に貢献しようという心が起きてくるはずです。
今は過去の原因の結果です。とすれば未来という結果は、今生きて、何をしているのかが原因になります。つまり、未来の幸不幸は今をどう生きるか、今この瞬間に、どのような原因をつくるかによって決まります。
人と比較し嘆くことも羨むこともありません。それらは仮初のものであり、やがて通り過ぎ、風化してしまうものだからです。今は、しっかりとした自分を作ることです。強い自分を作ることです。大いに学ぶことです。女性の本当の幸福は40代からと言われています。
あなたは20代前半、青年期真っ只中です。人生これからです。
学び続け、心を耕し、自分の可能性を開くためにあらゆるものから学び自分を賢くすることです。あなたが自分を作った分、希望の未来が開けてきます。これから先の人生が明るく楽しくなってくるでしょう。そのとき、生きる意味は自然とわかってくるでしょう。
「入社4年目です。先輩上司に人格を否定するような批判や悪口を言われ、社内にもうわさを流されています。そのため会社内の人から嫌われていると思います。辞めるか、それともこのまま、どんな心持で社内で過ごしたらいいのでしょうか。日々葛藤しています…」(20代女性の質問)
回答
臨床心理シランの室です。
人生は、どんな人と出会い、どのような関係をもつかで大きく変わっていきます。
出会いの中でも避けがたい出会いの第一は、親であり兄弟です。次に学校時代の先生や級友、会社に入っては、上司、先輩同僚などです。また出会いを深め、関係を深めていくものとして、友達関係や恋愛・結婚などがあります。
人は出会いで人生が変わり、良い方向にも進むし、反面悪い方向にも進みます。いわゆる、良縁、悪縁と言われるものです。
仏教に誰人も避けることができない四苦八苦というものがあると説かれています。その中に「怨憎(おんぞう)会苦(えく)」というものがあります。これは、嫌な人、嫌いな人、憎い人と会わなければいけない苦しみという意味です。二千年以上前に説かれた仏教の教えの中に既に「人間関係」の苦しみが説かれています。
現在、人間関係で悩む人は多く、最大のストレス因は人間関係にあるとも言われています。
退職、転職、虐待、DV、いじめ、不登校、ひきこもり、離婚、パワハラ、モラハラなど…人間関係に関する社会問題は増加の傾向にあります。それが因となり心の病になる人も少なくありません。
100年前のゆっくりした社会の中で生きるのと異なり、高度な近代化や科学の進歩が利便性、スピード、グローバル化、自然破壊をもたらし、人間は物質的な豊かさを享受しています。反面失われたものも多くあります。
その第一は、人間の心です。物質的な豊かさと反比例するかのように人間は心がまずしくなっていると言われています。経済優先社会のあおりを受け、会社は利潤追求に奔走し、利益のために自己中心的な人間を増加させています。思いやりが不足しがちになり、余裕のない人間が増えています。結果、早期離職や転職、そして引きこもりを増加させています。
あなたを指導した上司も、そのような社会の中で生み出された一人といえるかもしれません。
あなたに必要な対応はまず事実の正確な把握です。その先輩女性の会社内での行動の事実を正確に把握する必要があります。またあなたの仕事の能力や遂行力の現実把握です。仕事に対しての正当な評価だったのか、感情的な評価であったのか。
配置換えをしてもらったことは、人事部の有りがたい配慮だと思います。ただ、過去のうわさが会社内に広まり、嫌われているのではないかとあなたが思っていること…ここが大事です。事実なのか、あなたの感情的判断なのかです。その見極めをすることが肝心です。
嫌われているという、あなたの主観的判断からものを見れば、すべてがそのように映ってしまいます。まるで色眼鏡でものを見るようなものです。なんとも思っていない人の態度も、冷たく感じたり、よそよそしく見えたりしてしまいます。
あなたが事実本位でものを見ているのか、感情本位でものを見ているのか、自分自身を知ることです。そのためには、自分の客観視が必要です。
会社内に話せる友人がいれば一番いいサポートになると思います。今のあなたには、サポータが必要です。多ければ多いほどよいと思います。会社にカウンセラーがいるのなら、その方に相談されるのもよいでしょう。あるいは民間のカウンセリングルームで相談されるのもよいと思います。
孤立してはいけせん。人間、孤立すると行き詰まってしまいますから。
最後に、何があっても自己評価…自分に生きることです。換言すれば自己肯定感を強めることです。
自己肯定感を高めるには…どんな自分も「自分は自分なのだ」と認め受け入れる自分になることです。他者と比較し劣った部分を自覚したとき、自分を卑下したり、駄目な人間と思ったりしてしまいがちです。また、失敗したとき、自分はダメな無能な人間と責めてしまう傾向があります。
他者に攻撃されたり、批判されたり、嫌われたり、悪口や陰口を言われたりするとき、自分をだめな自分だと思ってしまいます。
こうしたときも、「どんな自分も自分なのだ」と自分を受け入れることができるかどうかです。
「どんな自分も自分である」と受容するためには、自己存在に対する人間観が必要です。「人間はどんな人も平等であり、可能性を秘めた存在であり、かけがえのない個性の持ち主であり成長し行く存在」という信念です。
仮に、今は劣悪な自分であったとしても、それは未成熟な発達途中な自分であり、磨けば輝く存在になると信じて努力できる信念である。
ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨きをかけていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。どちらもダイヤです。ですから、黒い石の自分も「そのまま受け入れる」ことが自己肯定なのです。自己肯定には、「黒石もダイヤも同一の存在であり、黒石も磨けばダイヤになる」という思考の転換と信念に裏打ちされた努力が必要です。その努力の積み重ねが個性を開花させダイヤと自己を高めていくのです。
次に他者を尊敬するかかわりが求められます。
人間はどんな人も平等であり、可能性を秘めた存在であり、かけがえのない個性の持ち主である」という人間観を他者との関りの中で試みることです。
先ほどのダイヤの例に倣って、苦手な人や自分より劣ると思う人に対して、今見えている姿に左右されず、見えない心の部分…「人間はどんな人も平等であり、可能性を秘めた存在であり、かけがえのない個性の持ち主である」という信念で尊重して関わっていくのです。
他者に対しても、自分と同じように人間として尊重していく、差別したりしないでかかわっていくという実践が、他者尊重の心を強めていきます。
つまり自己尊重と他者尊重は同時並行です。鏡に向かって微笑めば微笑みが返ってきます。同様に、相手に優しくすれば、相手から優しくされるようになります。相手を尊重すればやがて相手から尊重されるようになります。
心理学の目指す自己実現の一つの姿は、自分もOKも他者もOKという自他尊重ができるようになることです。つまり自己肯定の確立です。
〇自己肯定感を高める具体的に日々の実行項目。
① 毎朝、鏡に向かって、自分に向かい、微笑みながら、「今日も一日がんばろう」と微笑みかける。
② 一日を終え、鏡に向かって「今日一日、いろいろあったけど、大変だったね。一日、よくがんばったね。今日は、それでいいんだよ。明日頑張ればいい」と今日一日生きてきたことを、労い、そのままの自分を受け入れ、認めてあげる。
※たとえ、嫌なことがあったとしても、失敗があったとしても「今日のことを生かして、明日頑張ろうね」と励ましていく。
③ありのままの自分、ありのままの他者を認めるために…価値評価しない。
決めつけない。「〇〇すべき」「〇〇であるべき」という考え方をしない。
それは、価値観に自他を押し込むことになり、自己肯定感から遠ざかってしまうからです。