質問
はじめまして。現在29歳、妊娠中のものです。
私は学生時代、簿記が好きで積極的に学んでいたこともあり、大学を卒業後は地方銀行から内定をいただくことが出来ました。就職氷河期だった時期に必死で努力して内定を得られた先がこの銀行でした。
まさか自分が銀行員になれるなど思っておらず、嬉しかったことを今でも覚えています。
研修や資格制度も充実していましたし、担当のお客様や職場の方とも非常に仲が良く、多忙さでしんどいこともたくさんありましたが毎日勉強になっていて充実していました。人見知りだった私が接客のやりがいを初めて知りました。
せっかく接客の楽しさを知って自信もついたことですし純粋にお客様を大切に出来てサポート出来る仕事に挑戦してみよう!と5年目で転職することに。「転職するなら20代の今しかない!」「退職は辛いけど転職先ではもっとお客様のためになれる場所が待ってるんだ!」と、変な焦りと自分はもっと上にいくんだという気持ちで、今思えばすごく考えが甘かったと思います。
退職してから仕事を探しましたが、行きたいと思える会社が無く、全然上手くいかなかったのです。
理想の仕事など存在しないと辞めてから気付きました。
1年経たない間に病気が見つかり、仕方ないですが手術や治療のために退職し、1年ほど無職に。
銀行を辞めたことをずっと後悔していて、いい加減前に進みたいですし、またイキイキと働きたいです。
一度無謀に挑戦して挫折しているので、不安もあります。はりきりすぎても現実は厳しいからなぁ…と。
ただ、せっかく学生時代から努力してきたのに、中途半端なところで終わりたくないです。
客観的に見て、どのように感じますでしょうか。銀行を辞めて後悔した執着に縛られているだけですかね…
アドバイスいただけたら幸いです。
回答
臨床心理シランの室です。
後悔はあるでしょうね…。しかし、時間がやがて解決してくれると思います。あなたは既に失敗から冷静に学び、次につなげているような気がします。
あなたは、上昇志向が強く、向上心旺盛な人だと思います。それはとてもよいことなのです。ただ、時を知り、社会を知り、世の中の動きを知り、人を知り、自分を知ると言うことに関して、若いがゆえに、やや不足していたのかもしれませんね…。
人生は海の潮の流れに似ています。上げ潮の時は、全てが順調に進み、ものごとがうまくいくものです。上げ潮に乗っているとき、人は幸運な波に乗っている自分を忘れ、自分を過信し、失敗の原因を作ることがよくあります。
一方、引き潮のときは、何をやってもうまくいかないし、努力しても努力しても波に乗れない感じをもちます。しかし、そのときこそ、人は一番成長する時なのです。
「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」…人は成功した時、うまくいっているとき、失敗の原因を作りがちです。人はそのとき油断すると言われますが、その油断の中身は自己過信であり、慢ずる心が生ずるからです。つまり、傲慢になりやすいのです。それが、失敗の原因なのです。
あなたは、自分の波を読み誤ったのかもしれません。
しかし、「人生、塞翁(さいおう)が馬」です。今回の銀行辞職が、あなたに幸いをもたらしています。病気も見つかり、早期治療もできたし、子どもも授かり、勉強もでき、キャリアカウンセラーもものにすることができました。さらに、自分が今後、本当にしたいこと、「人の相談に乗り、寄り添い、ともにより良い方向を探す」という対人支援・サポートの仕事の方向が固まり、その方向に進みたいと思っていることです。あなたの素晴らしいところは、仕事を通して、支援した人の喜ぶ顔に接すると、自分も幸せな気分になれるという思いです。
その他者貢献の心と自らを高めようとする向上の心を保ち続ける限り、どんな分野に進むにせよ、あなたは、必ず自分にふさわしい道に進むことができると思います。何よりも、あなたは若さという最高の宝を持っています。
私は29歳で大学を卒業し、中学教師になりました。また、55歳で教員をしながら通信の大学院に通い、60歳で臨床心理士資格を取得し、今は大学や小中学校で非常勤の心理カウンセラーをしています。目標を持ち、あきらめず学び努力し続けた結果と思っています。
あなたも努力し向上する自分を信じて目標に向かって進めばよいと思います。そうすれば、あなたは銀行員時代以上の人生を必ず歩むことができるようになります。
質問
私は現在精神科に通っていて、診断名はわからないですが、気持ちを落ち着かせるのに、薬も一応飲んでいるのですが、親にも病院の先生にもなかなか自分の感情を話すことができません。自分が思っていることがあっても病院の先生とかに、なかなか診察時に声をかからないし、保健室の先生とかに相談に行けても先生からどう思ってる?とかって聞かれても自分の感情が声にならず、結局首を傾げてごまかしてしまいます。
でも、自分の中のストレスや感情はいつもいっぱいいっぱいで、どうしていいかもわかりません。どうやって感情を周りに伝えればいいのでしょうか。
回答
ストレスがたまり、緊張状態になりがちなあなたは、自律神経を調える工夫されたらよいと思います。それは遠まわしに思えますが、あなたにとって着実な道のりであり、あなたの自立を促進してくれると思います。
たぶん、今あなたが心療内科で投薬されている薬は、セロトニンを増やす薬だと思われます。セロトニンの欠乏を招くのは、夜型生活、スマホ、携帯、電磁波、食事、運動不足などです。現代の生活はセロトニンを欠乏させる事柄がいっぱいといってよいでしょう。その欠乏は、自律神経の乱れを招き、うつ、強迫性障害、不安障害などの心の病の原因にもなっています。セロトニンを増やす薬に代わるのが自然療法です。ごく普通の半世紀前までの日本人の生活といってよいでしょう。
まず自律神経をリセットする方法です。
・太陽の光を朝と夕方30分ぐらい取り入れる。そのためには、自然のよいところを朝夕30分、散歩するのがよいでしょう。
・リズム運動(ウォーキング、運動)、複式呼吸、咀嚼(そしゃく)(食べ物を最低30回は噛むようにする)
・食べ物…大豆製品(豆腐、納豆、みそ、しょうゆなど)乳製品(チーズ、ヨーグルト、バター)ナッツ、バナナ、玄米食…トリプトファンという必須アミノ酸をとるようにします。
・正しい生活リズム(早寝、早起き、太陽のリズムに合わせた生活、体内時計に則った生活)、スマホやパソコンは寝る2時間前からは避ける。ブルーライトが自律神経を過緊張させます。
次にリラクセーション法としての呼吸法です。
気が散らないように、目を閉じて行う。横になるよりは、椅子などに座って行うほうがよい。大事なことは、長く息を吐くことです。長く吐くことで心身が「癒し・リラックス」されるからです。
呼吸法
・息を吸う…交感神経優位(緊張) ・息を吐く…副交感神経優位(弛緩・リラックス )
①身体を締め付けるものを緩める。腕時計などは外す。楽な姿勢をとる。目を閉じる。
②新鮮な空気が鼻から入って、それが全身に広がっていくことを思うようにする。
③落ち着いてゆっくりした呼吸を行う。腹部に空気が入るようにする。
④鼻から大きく腹部まで吸い込み、ゆっくり、長く、口から吐く。
(20秒~30秒と長く吐き出せるようにすると効果が大きい。)
⑤一回に10回程度行い、一日3回行うようにする。
最後に、気持ちや感情を表す言葉を紙などに書き出してみましょう。ありがたい、ありがとう、感謝しています、安心だ、穏やかだ、落ち着いている、平和だ、素晴らしい、見事だ、楽しい、美しい、素敵だ、見事だ、すごい、感動的だ、憧れる、嬉しい、好きだ、興味がある、関心がある、おもしろい、など書き出します。また書き留めておくとよいでしょう。
これらの言葉は、感情を良い方向で表出させ、あなたの心を高めてくれます。
それらの言葉を散歩しながら、自然の花、植物、木、動物などに語りかけてみましょう。ペットがいれば、ペットをなでながら話しかけるとよいと思います。
とくに「ありがとう」という言葉は、人間を最高に幸福にしてくれる波動を持った言葉と言われています。一日に何度も「ありがとう」と表現してみましょう。感謝できることを探し、「ありがとう」と言ってみましょう。また、未来に向かって「ありがとう」と感謝してみましょう。最後に感謝できない事柄に対して「ありがとう」と言えるようになれば、あなたは最高の生き方に近づいているでしょう。
また日記をつけ、感情や気持ちを表現するのもよいでしょう。歌を歌ったり、楽器を演奏したり、絵を描いたり、
詩をかいてみたりするのもよいと思います。また、児童の文学や絵本、文学小説に触れるのも感情表現を豊かにしてくれるでしょう。できるものから無理をせずチャレンジされるとよいと思います。
(質問)
私は極度のあがり症と慢性的な孤独感や生きるのが辛いという気持ちに悩んでいます。
今年の2月からコンビニでバイトをしていましたが、緊張のあまり出勤時ほとんどレジで手が震えていたり
学校の勉強でする暗記は得意なのに仕事をなかなか覚えられなかったり、考えたらわかることもわからなかったり、普段なら普通にできることができないなどで辞めてしまいました。
バイト以外では、通っている通信制高校の2週間に1度の登校日や、試験会場や、自己紹介をする場面で特に緊張します。
酷いときは全身が震えます。
その上友達が1人もおらず、普段は母親としか会話することがありません。
自分に自信がないからか人に負い目を感じやすいので、なかなか打ち解けられないのと、過去の馬鹿にされたり見下された経験から人と接することがが怖く感じます。
母親に相談しても「若いときはそういう時期もある」と片付けられてしまいます。
確かに若さ故の恥の意識の強さがあると思いますが、昔は人前で発言するのも、自己紹介するのも難なくできたんです。
私は病院に行くべきでしょうか?
(回答)
あなたは、あなたが望むような人間に必ずなれます。なぜなら、あなたには、その可能性が潜在的にあるからです。ただ、表面に出てないだけなのですから…。
その可能性を触発し発掘させるには、先人の知恵や優れた人に触れることが必要です。
人は教育(学校教育だけでなく、あらゆるものから学ぶという広い意味)によって、自らの可能性を開発することが可能になるからです。これは、人生のあらゆる領域に当てはまることです。芸術、スポーツなどに見られる子弟関係では、弟子は師匠から学び、一流になっていきます。
人生も、ある意味「人間道」ともいうべきで、優れた人格者を師匠に持ち、その弟子になって、学んでいけば、優れた人間になっていくことができます。
その意味からすれば、孤立はその機会を失う大きな損失状態といってよいと思います。孤立すると人は弱くなりますし、人から学ぶこともできません。生きた人間に学ぶことが、自分を高める最大の道でもあるからです。もちろん、先人の優れた書物から人間の生き方を学ぶことはできますが、それですべてが解決できるものではありません。
人という文字…お互いが関係しあい、支え合っていることを表す文字は、昔から人は人の中で、支え合い、人間を学び、人になってきたということだと思います。
人は、確かに人によって心の傷を負うこともありますが、心を癒してくれるのは、やはり人の温かい心なのです。人はひとによって癒され、高められ、成長していく存在でもあります。
一人になってはいけません。人の中に入り、人から学び、自らを鍛え、自らを作っていくのです。そうした学びと向上の心がある限り、あなたは必ず良くなります。
価値ある青春を開くもの…それは、今までがどうであったかではありません。これから、どう生きるのか、この力強い前向きな心で決まります。今の自分を超える苦難の道に絶えず挑戦していく、その向上する心こそ青年の本質と言われています。
当室には、引きこもり者や不登校の人が来談します。彼らに共通していることがあります。それは、「対人恐怖」のような症状を持っていることです。
ひきこもりや不登校…人との関係を避けてしまえば、人を気遣う必要もなく、緊張もなく、人目を気にする必要もなく、楽な面もあります。反面、その生活を長く続けると、人の目が気になるようになり、他者の視線が怖くなり、身動きが取れなくなってしまいます。受け身の生き方になってしまい、環境に左右される弱い人間になり、環境(他者)に振り回されてしまいます。
能動的、積極的に、心を強く持って、打って出ることです。相手の視線や人の思惑を気にするという受動的な生き方から、相手を見る、相手を観察するという、能動的、主体的な姿勢に生き方を変えるのです。
過去の出来事や失敗は、心の中で、一つのイメージをつくり、あなたの行動を阻んでいるようですが、そのイメージは、あなたが勝手に描き出しているにすぎません。
本来、心は自由です。歯の痛みがあれば、歯の中に入ってしまうような心、そうかと思えば、天の川に思いを馳せ、宇宙を想像するような気宇広大な心にもなります。心は変幻自在なのです。
「心は巧みなる絵師のごとし」と仏典にあります。心は、何でも自由に描けるし、人の心はそれほど不可思議なものなのです。
心に描くイメージを未来に開き、新しいものを描く…なりたい自分…その道を勇気をもって進めばよいのです。
もう一度、人の中に入り、自分にチャレンジしたらどうでしょうか。バイトに再挑戦するとよいと思います。「手が震える」「顔が引きつる」「声がかすれる」「人前でドキドキする」
「私は、あがり症なんです」「私は、人見知りなんです」「私、今緊張しています、すみません」とありのままの自分を認めていくことです。あがり症のまま、バイトをしていけばいいのです。「緊張してはいけない」とか「手が震えてはいけない」とか、ありのままの自分に逆らわず、そのまま受け入れるのです。「私はあがり症なのです」と、苦手から回避せず、無理に、何かになろうとせず、そのままのあなたで、バイトをし、人の中で行動していくことです。そうすれば、いつの間にか、「あがり症」から解放される日が来るでしょう。
心の弱い人に幸福はありません。
心の強い人に幸福は宿ります。
心の清き人に福は宿ります。
さあ、新しい自分の建設に向かって、心を強く持って一歩、前進しましょう。
(回答)
人間は生れたときは自意識がありませんが、自他の区別ができる、いわゆる自意識が芽生えたころから対象との関係の中で、自分という存在の価値を意識していきます。思春期・青年期までは、環境に大きく支配されます。特に周囲の大人、なかんずく親による価値評価に大きな影響を受けます。
人間の価値形成は、人が自分をどう評価するのかという他人評価と自分が自分をどう評価するかという自分内評価によって形成されていきます。他者評価と自分内評価を合わせたのが自己評価になり、その評価が高い人は、自己肯定感が高くなり、自己評価がいつも低い人は、自己否定感が強くなります。
(問い)
自己否定感は、生き方によって作られるものなのでしょうか。
(回答)
その通りです。具体的に説明します。
自己を低く評価する(自己否定)原因について述べます。まず自分内評価についてです。それは自分が掲げる目標設定基準によります。例えば、ある仕事の達成目標を、10に置くとします。
その仕事を7割程度出来たとする。10割でないので意味がないないと考える人にとっては、7割は無価値となります。また6割を目標にする人は、7割はできのよいほうになり、大いに価値があると思えるでしょう。そして満足感、達成感を味わうことができます。逆に前者の場合は、不満足であり、自分をだめな人と見ていくことになります。つまり、目標設定度数によって本人の中での価値評価は変わっていきます。
(問い)
つまり、考え方、物事のとらえ方によって作られると言うことなのですね。その場合、考え方の傾向などがあるのでしょうか。
(回答)
あると思います。前者の考え方・物事のとらえ方として、よく言われるのが、「完璧主義」「白黒思考」「べき思考」「理想が高い」などと言われます。このような背景には、過度な目標設定があります。その原因は、万能感に浸っていたり、あるいは自分の現実が分かっていないなどがあります。また、幼いころの愛着や絶対的な自己信頼としての安全基地の問題、過干渉や過保護などの養育環境があります。
自分内評価のもう一つは、目標の到達、つまり成果以上に、過程(プロセス)を重視する自己評価です。目標に対してもどれだけ努力、工夫したのかというプロセスを評価の対象にします。成果に左右されないので、努力の有無が評価の対象になりますので、次の意欲つながります。この評価こそ、物事や出来事に左右されない自己肯定の源泉になります。
(問い)
納得できるような気がします。ですが、現実の社の中で生きていると、他者の存在や他者との比較や優劣が自己否定感の原因になっているような気もしますが、どうでしょうか。
(回答)
大事な点だと思います。
つまり他者比較、競争、他者との優劣による評価が自己否定感につながるということです。
他者との競争では、他者に劣ると価値がないと考えることがあります。例えば、1番でないと価値がない、2番以下は無価値とする考えです。入学試験で、志望校以外でないとだめだとする見方などです。成功は価値があり、失敗は無価値という考えにつながり、失敗の積み重ねは、やがて自己否定につながっていきます。
さらに周囲の大人や親がそうした評価の仕方をすると、ますます自己否定感は強まり、自己無価値感の強い人間になっていくおそれがあります。
便利社会、経済効率社会の現代社会は失敗の許容度が低く、失敗を許さない成果至上主義の傾向にあります。社会で仕事をする人は、失敗の積み重ねによって、自己否定感…「自分は駄目な人」との思いを強めることになります。この自己否定感、自己存在無価値感が適応障害、うつなどの原因の一因にもなっています。
(問い)
今までの回答からしますと、自己肯定感を高めるには自己内評価が大事ということですね。
絶対評価(自分内評価のプロセスを大事にする生き方)に生きる時、今までよりできた自分、努力した自分、結果も含めて、全ての自分を受け入れるようになれるということですね。結果として自己肯定は高められていくと…。
(回答)
その通りです。自己内評価…プロセスを大事にするという生き方は、対象の相対に左右される自信と違って、何があっても崩れない自分の土台になります。
(問い)
何かをするとき「自信がない」、「自信が持てない」などと言う人がいます。自信は対象や物事に対して変わっていくような気がするのですが、いつも自信をもって物事に当たることは可能なのでしょうか。
(回答)
自信は成功や勝利や達成や成就体験の積み重ねで得られる感情や気持ちです。仕事、試合、技術、能力などの自信を支える対象や要素が必要になります。成功体験ややり遂げた体験があればあるほども次のものごとに向かうとき、自信を持つことができます。逆に大きな失敗で、能力が発揮できなかったり、怪我をしたりという理由で、能力が発揮できなくなると自信は一気に失われます。つまり自信は置かれた状況により変わるものであり、相対的なものであり恒常的なものではないということです。
(問い)
確かに、今まで経験し、うまくいったことに似たようなものごとに対しては自信をもって望むことができますが、未知の分野や強い相手に遭ったときなど、自信が持てなくなってしまいます。つまり、自信は相手や対象、物事の内容によって変わると言う意味では、相対であり、対象が変れば自信も変わるということなのですね。では安定した自信、不動の自信というものはないのでしょうか。
(回答)
敢えて、換言するなら、何があっても自分を維持できる自信とは自己肯定感の強弱によるとも言えます。
(問い)
自己肯定感ですか…具体的に説明してもらえますか。
(回答)
どんな自分も肯定できる自分です。成功したときも失敗したときも、人に認められている自分も、認められず批判されている自分も、自分の好きな部分も、嫌いな部分も、全て同じ自分であると受け入れられる自分のことです。
つまり、自分というありのままの存在そのものを、絶対価値として無条件に受け入れることになります。
例えば、ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨いていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。原石が人間にとって価値のあるダイヤにもなるし、価値のない単なる黒い石にもなります。つまり、黒い石もダイヤも本体は同一のものです。どちらの面が出ても、そのまま受け入れることが自己肯定なのです。あるがままの自分を受け入れるということでは自己受容とも言えます。
ものの存在の価値は関係性で決まります。「猫に小判」という言葉が、それを物語っています。猫にとって小判は無価値です。魚一尾のほうが大きな価値をもつでしょう。しかし、人間には小判のほうが価値になります。ダイヤと原石も同様の関係です。価値は関係性で決まるものなのです。
人間存在そのもの、生命そのものに絶対価値を見出してきたのが、歴史上の多くの思想であり哲学であり、なかんずく仏教思想です。もともと、人間にはダイヤのように輝く可能性や能力を存在的にもっていると教えています。
(問い)
つまり存在そのものには、善と悪、長所と短所などの二面を持っているとの考え方なのでしょうか。では、良い面を表出させるためには、どうすればよいのでしょうか。
(回答)
黒い石であっても、正しい方法で磨いていけば珠になるという考え方です。
それを可能にするのが「教育」なのです。人間は教育によってはじめて人になるのです。狼に育てられた少女を例に出すまでもないでしょう。
ある教育者は「教育とは人間の可能性を最大に引き出し、人間の本当の幸福を成就させるものである」と言っています。だからこそ、生涯学び続け、人格を完成させていくことが必要になります。
(問い)
つまり、潜在的な可能性があるので、それを信じて努力していけば、良い面が出るようになるということでよいのでしょうか。
(回答)
その通りです。正しい思想への信念と努力という行動が必要になります。
質問
今年転職しました。25歳男です。私はキャリアに迷走しています。大学は農学系を出たのですが、興味関心はIT業界にあり新卒ではプログラマーになりました。しかし、ほぼ未経験で入社した為仕事にうまくついていけず、早期退職しました。
その後自分自身のキャリアについて考え、学んできた分野で、かつ無理のない企業が良いのではと思い農業系の公務員に転職しました。ですが、早くも転職を考え始めています。
理由としては、
・IT業界への思いが捨てられない ・組織的に安定志向で自分のライフスタイルに合わない
・自分の付けたいスキルが身につかない ・続けていく為だけの仕事にやりがいが持てない
などといった感じです。ですが、一度挫折したIT業界に戻ることにも当然不安があります。
現在は現職を続けつつ、プログラムの勉強に取り組み、成果物を作るなどして自信と転職の準備をしていこうと考えています。期間は一年程度を考えています。
その間に成果や自信をつけられれば前向きに転職に踏み切れるのではと思っています。
ですが、辛いです。合わないと思いながら働くのがまず辛く、辞めるつもりで働いているので教えてくれる上司の方などにどうしても申し訳なく感じてしまいます。私も出来ることならこんな事はしたくありませんでした。
私のしようとしている事はやはり間違っているのでしょうか。
このままでは気持ちが先に潰れてしまいそうです。
前向きに歩んでいくにはどうしたらいいのでしょうか?
回答
私はかつて7年間キャリアカウンセラーの仕事をしていました。その経験から感想を申し上げます。あくまで私の私見ですから、気を悪くしないで読んでくださいね。
あなたの悩みは、他の人から見れば贅沢な悩みに映るでしょう。
就職したくとも職に就けない人はたくさんいます。まして、今の日本の現状は、新型コロナウイルスの影響で、職を失う人や、収入が減少する人など、苦しみを味わっている人がたくさんいます。民間企業は、社会や世界の変化に大きな影響を受け、浮沈が激しく不安定です。
生活の安定を願う人にとって公務員は、どんな業種であろうと安定しています。国が亡びない限り失業も給与の心配もありません。ですから、多くの人が願う職種であり、人気の高い職種の一つになっています。
しかし、悩みは、本来主観的なものですから、他との比較はできないものです。あなたの悩みは、あなたにとって絶対的なものであり、毎日心に重くのしかかり、辛い気持ちにさせているようですね…。
あなたの悩みは、生きることと職業、働くことの意味に関わる根本的な問題提議になっていると思います。
人は何のために働くのか…社会から多くの恩恵を受けて日々の生活を営んでいる私たち人間は社会的な存在であり、一方的に恩恵を受けるだけでなく、労働を通して社会に貢献するという役割を担っています。そうしなければ、社会は成り立たないからです。
もう一つは、労働の対価という報酬で生活を営むという側面があります。端的に言えば生きるために働く、食べるために働くという経済的な側面です。この点を重視するなら、安定した公務員の仕事は文句のない職種になると思います。
最後は、仕事を通して自己実現していくという側面です。自分の能力が発揮でき、結果として社会や他者の役に立てる仕事をするということです。
自分のやりたい仕事に就く…子どもたちに将来したい仕事を聞くと…スポーツ選手、看護師、保育園の先生、パン屋さん、漫画家、医者、弁護士、デザイナーなどなど、と答えます。
しかし、中学校、高校、大学と進むにつれ、自分の能力、適性、学力、知識力、家庭の経済力や境遇など、いろいろな側面から、夢はいつしか現実的なものに取って代わられ、多くの子どもが、親の経済力、学力(偏差値)などで見切りをつけなくてはならなくなってしまっているのが現実です。
やりたい仕事に就くことができた人は、本当に幸せだと思います。しかし、自分がやりたいと思っている仕事と適性や使命は一致するとは限りません。自分が何に向いているのか、自分の適性は何なのか、やってみないと分からない点がたくさんあります。
選択は、ある意味賭けでもあります。一つを選ぶことは、他の多くの可能性を捨てることになります。職業選択も結婚も進学先選びも、ある意味、賭けのようなもので、実際に経験しないとわからない部分があります。まして、仕事は会社という組織も含めて考えなくてはならないので、必然人間関係という問題も含んでいるので、どんな人が職場にいるのかも大きな比重を占めます。今、人間関係で潰れ、転職をする人は増加しています。
選択は自由であり、何を選ぼうと自由です。しかし、自由には責任が伴います。
あなたのした転職の選択は、間違っているとは思いません。大事なのは、この選択をいかに価値のあるものかにするかです。あなたは、今の仕事を一年間と決め、その間、次に進みたいITの勉強もしたいという方向、それはそれでよいと思います。
そう決めたのなら、この一年、農業系の公務員の仕事に対して、『向いている、向いていない』という気持ちを横に置いて、その仕事に対して、全力で誠実に真剣に取り組むことが、責任を果たすことではないでしょうか。そして、一年たった時に、結論を出せばよいと思います。
私もかつて大学時代、職業選択に悩んだものです。やりたい仕事として作家を目指し、大学にも通わず、小説の勉強をし、6年間大学に在籍していました。しかし、経済的支援のない中、年齢的にも追い込まれ、切羽詰まって中学教師の道を選びました。教師になって誠実にその職を果たしていく中で、学級通信作成などを通して、自分のやりたかった創作活動もいつしか、活かせるようになっていました。
目の前の仕事を誠実にやり抜く…そのキャリアは、きっとあなたの心の財産になるでしょう…。
質問
自分の行動、考え方を変える方法についてアドバイスがいただきたく、質問させていただきました。私は周りも同じように生き辛さを抱えながら生きているのだと思っていました、
自分の抱えていることが普通ではない、もっと普通に暮らしている人もいるんだと気が付いたのが2年ほど前です。
私の両親は幼い頃から喧嘩が絶えなく、仲良く話していることよりも喧嘩していることが多いような夫婦でした。特に母は精神的にも少し不安定なところがあるように感じます。小さいころ弟がとても体が弱かったので、母はいつも弟に構いっきりでした。いつも、薬を飲めるのがうらやましい、風邪をひくなんてずるいと思っていたように思います。小学生になるとそんな弟が疎ましく思うになり、弟にきつく当たり、そのせいで母にはしょっちゅう怒鳴られていました。
反抗期には何度も何度も大喧嘩をして、ものを投げつけられたりご飯を作ってもらえないこともありました。
出ていけ!と家の外に引っ張り出されそうになったこともあります。父はそのころ単身赴任で家にいませんでした。
中学生特有で友達ともうまくいかずとにかく生きているのが苦しくて、死にたい、車に轢かれたらいいのにと思っていました。リストカットでなんとか気持ちを紛わせていました。
ですが高校に入り、部活でマネージャーになりました。
自分のしたことで感謝されること、自分が人のための存在になれるということで初めて生きている実感を得たというか、
自分っていてもいい存在なんだと思えるようになりました。
大学に入り、いろいろと辛いことは続いていましたが、医療系の学部でしたがその道には進まず就職活動をしました。
就職して半年ほど経った頃から、また不安定になってきました。
いろいろと理由はあると思いますが、配属されてから親身に育てて下さった先輩方がどんどん退職していきました。もともと環境の変化にすごく弱いタイプなのですが、今度、一番色々と教えて下さった先輩も退職されることになりました。
中途採用で新しい人たちは入ってきていますが、自分が今度は教える側に回らなければいけないというプレッシャーなどもあり、仕事へのモチベーションが壊れていきました。
ずっと「仕事」というものを通して自己肯定をしてきました。仕事があるから自分は必要な存在だと思えることができ、仕事で認められることが唯一自分の存在を認められることでした。だからその仕事環境が崩れてしまうと精神的にもすごく弱ってしまいます。彼氏に依存してしまって、また関係が悪化してしまいました。
自分のことを自分が一番愛せるように、ありのままの自分を好きになって、そのうえで彼氏のことも愛せるように、就職活動をしていたあたりの時期にはできていたことで、その時はすごく自分のことが好きだったし人生も楽しいと思えました。ですが、簡単には変えられなくて、彼氏ともうまくいかないのがとてもつらいです。
回答
あなたは賢い人だと思います。内省しようとする気持ちがあり、自らを変えようとする意志を持っているからです。その心がある限り、あなたの願いはかなっていくでしょう。
人は心で願っている通りの人生を歩むと言われているからです。
あなたの自己分析の結論―自分のことをちゃんと自分で認めてあげられたら、環境にも振り回されず、どんな自分でも愛して感情も安定できると思います―
しかし現実はなかなかうまくいかない…。
それは感情(愛着・気持ち)が知性(頭、思考)ではコントロールできない性質のものだからです。感情には感情の法則があると言われています。それは、どんな感情も、時間が立てば変わっていくということです。恐怖や不安、嫌悪感、憂鬱感も、時がたてば変化していきます。
水が流れるように、人の心は一定のところにとどまることはできません。すべては変化するというのが、この世の真実のすがただからです。だからこそ、よい方向に変化させる努力が必要なのです。
また、人は環境の影響を受ける反面、環境に影響を与え、環境をコントロールする主体性をもつこともできます。環境(人、ものすべてを含む)は、ある意味、その人の影のようなもので、実は環境と自分は一体とも言われています。環境を見ればその人がわかると…。
人は人によって傷つけられもしますが、逆に、心によって癒され、触発され、大きく変わっていくものです。どんな人と触れ合うのか、どんな人を友に持つのか、どんな先輩にもつのかで人生は大きく変わっていきます。
人や環境に左右されるのは、思想や信念の問題でもあります。心の強さは、どんな信念や思想を持っているかで決まります。それは、あなたが言うところの「考え方」「行動」の土台になるものです。
自分変えることに王道はありません。100人いれば、100種類の方法があります。あなたは、この世で唯一無二の存在だからです。例え似たような顔、性格、境遇、生い立ちの人がいたとしても、あなたとは異なっています。自分を変える方法は、最終的にはあなた自らが探し当てるしかありません。なぜなら、あなたは解決できる力を既に潜在的に持っているからです。
あなたが心の安定を維持するには、それなりの環境(現実的には、打ち込める仕事や人間存在)が必要です。多くの人は環境としての人間によって安定しているようですが、人によっては仕事や人を育てること、人や社会に貢献することで、自らの安定を保っているようです。
あなたも、かつて部活のマネージャーや彼氏の存在、仕事などで安定を得ていた期間もあったと分析しています。
夏目漱石は愛着に問題をもっていたと言われていますが、文学で表現することで心の安定を保ち、漱石門下と言われる弟子を育てる(貢献する)ことで、心の安定をはかり、自己実現したと言われています。
今までのあなたは、環境に依存していた傾きがありましたが、これからは、あなた自身の主体性の確立が鍵になると思います。つまり環境が変っても安定を失わない心の強さです。
それを可能にするのが思想(人間観・人生観・価値観など)だと言われています。
依存と自立のほどよい調和がとれるようになると心の安定は維持されるでしょう。
気持ちが安定した人と関わる…無条件にあなたを受け入れ、肯定してくれる存在…彼氏、友達、先輩、心理カウンセラー。
それ以上に、あなたがあなたを無条件(うまくいっている自分も、うまくいかない自分も、どんな自分も)で肯定し受け入れることができるようになれば、あなたの課題…考え方や行動はかわっていくでしょう。
質問
私は現在大学三年生で、そろそろ就活の準備をしなければなりません。
しかし自己否定・過小評価がひどい私はいくら考えても良い長所がなくて悩んでいます。
だいぶ前に母親に私の長所は何かと尋ねたところ「ええなんだろう。・・・・・マイペース?」と言われました。母親には絞り出すように考えた結果でた答えがマイペース。正直マイペースは長所ではないと思うし、とても悩まれたことが少しショックでした。
正直私は人と比べて変わっていると思います。とても感情的に動くタイプの人間で、理性的に考えることが出来ません。バイトでは天然でドジっぽいといわれいじられています。店長にとても素直でいい子だ・嘘つけない子・悩まなさそうと言われたことがありますが私にはしっくりきません。もっと思いやりがあるとか人に対して何かいいことができる長所が自分にはないのかと思います。
そんな中ネットの性格診断では私の素晴らしさは後先考えず緩くいきているところと診断されガッカリしてしまいました。私の人生観はとても就活向きではないと。向いている職業もクリエイター・デザイナーなど専門学校にいかないと今の進路では難しいし、ずば抜けた才能がないとお金にはできない難しい特性だなと思いました。もっと責任感や理解力がある人など何故私はこんな人間なのでしょうか…
どうやったら自分の長所をみつけれるでしょうか。バイトの先輩が引退する時に、芯がしっかりしているから、今後職場で縁の下の力持ちとして頑張ってねとかかれていました。なぜかとても涙が出ました。芯がしっかりしているが抽象的ですが性格で褒められて嬉しかったのです。
回答
「自己否定・過小評価がひどい私はいくら考えても良い長所がなくて悩んでいます。どうやったら自分の長所をみつけれるでしょうか。」というあなたの悩みは、先の質問とも根本は共通しているようです。
大学3年生、就職活動を開始しなければいけない時期になり、あなたは、モラトリアムという時期から社会的役割を見出し、アイデンティティの確立を求められる時期に入ったようですね。
その時期になると、だれしも大なり小なり、アイデンティティの確立を巡って悩み不安定になりがちです。とくにそれ以前の発達課題の到達度にも左右されますが…。
かつて私もその時期に悩み、不安定な日々を過ごした一人です。社会での自分の役割、進む方向もはっきりせず、モラトリアム期間に逃避していたような気がします。結果、6年間を大学で過ごすことになりました。
当時の私はアイデンティティの確立に伴う悩み…つまりアイデンティティの拡散現象になっていたようです。当然、自分が分からず、不安定でした。自分の短所はいくつもあげられますが、長所やよいところを見出すことができず、同級生と比較しては、彼らが優れているように映り、落ち込んだり、焦ったりし、課題に対決直面することを避け、ますます迷走していたようでした。
そんな不安定な自分を脱出することができたのは、追い込まれた末に目標設定せざるを得ない状況に追い込まれたからでした。目標達成に全力で努力し始め、その結果、中学教師になりました。面接などで長所を問われると「努力家」「向上心旺盛」と、とりあえず答えていました。
長所と短所は表裏関係とも言えます。それは性格の表裏でもあります。
性格についてですが、私は短気という性格の持ち主です。悪い出方は、他者へ怒りがすぐに出たりする癇癪のような出方をし、「短気は損気」と言われるように失敗しがちです。よい出方としては誰れもがしり込みするようなことでも、気が短いので、即断、即行動ができます。悪に対しても、怒りを、正義の行動に変えることもあります。
他の性格も同様で、性格自体には善悪はなく、どんな性格であっても、鏡の表と裏のような関係で、どちらを出すかで価値が変ります。よい出方をするには、それなりの努力とものの見方の柔軟性や多様性が求められますが…。
「マイペース」というのは中立です。よい方向で見るなら、周囲に左右されず、自分のペースで自分の道を進むことができるという「よい面」になります。つまり、「芯がある」「信念がある」「意志を貫く」などの長所になります。
あなたが言われる、自分中心で考えてしまいます。という部分は、マイペースの一面になることがあります。他者との関わりの中で、協調すべき時にマイペースを貫くと、マイナスになるからです。
自らの性格という、持って生まれた中立的なものを、いい方向(価値を生む方向)に使うように心がければよいと思います。
出来事、物事、(性格も含め)は、必ず二つ以上の見方・とらえ方ができます。
例えば、今の行き詰まりや悩みを不幸・苦しみと捉えるネガティブな見方と、未来のために自分の足りないところを補い、大きく成長するときというポジティブな見方をするのかです。
悩んだとき、壁にぶつかったときは、必ず別角度から多面的にものごとを見るようにすると開けていくと思います。
結論から申します。可塑性(かそせい)に富み、可能性を秘めた年代です。人生これからです。
十分に新しい自分を作っていけます。多くの人が変っていったの見てきました。あなたも必ず変れます。
人は、精神面は今の時期が一番成長する時です。まさに、人間としての心の部分の成長はこれからなのです。可塑性とは、柔らかい粘土が、こねると柔軟にいろいろな形に変化するような柔軟性をさしています。今のあなたの年代は、可塑性と可能性に富んだ貴重な時期なのです。
失敗の修復も早いし、新たな挑戦から学べる時です。吸収も早く心の成長の早い時期です。「青年は未来があるというだけで幸福である」(ゴーゴーリー)かけがえのない貴重なときであり、二度とこない黄金の時です。人生の本当の土台を作る時なのです。人生の中で可能性と可塑性に一番富んだ時だからです。
目標を持ち、目標に向かって努力していくというプロセスを大事にしていけば、自己肯定感は少しずつ高められるでしょう。その目標も、自己実現と結果としての他者貢献という要素があれば、気力もわいてくると思います。
良書にふれ善友やよき先輩、善き人と交わっていくことです。
質問
最近死について考えてしまいます。僕は死後の世界があると思います。でも死んだら無になると考えると家族や友達と一生会えないのかと思いとても辛くなります。どうしたらいいんですか。
死の恐怖について
回答
はじめまして 臨床心理シランの室です。
あなたの質問は、生ある人間にとって一番大事な問題だと思います。なぜなら、生ある人間は必ず死ななければならないからです。人生は不可解なことがいっぱいあります。わからないこともたくさんあります。しかし、はっきりしていることは生ある人は必ず死ぬということです。有名な哲学者は次のように言いました。「生とは死への行進である」と…。
人間にとって「死」は最も重要なことでありながら、現代の人間は生に驕り、死ぬことに蓋をし、欲望の海に呑み込まれたかのように生きています。
あなたの質問に正解を与えられる人は残念ながらいないと思います。なぜなら、死者は語らいからです。死後の世界から誰人も生還していないので、真実はわかりません。
ただ、死について真剣に命を懸けて模索探究してきたのは宗教です。
ここでは、世界三大宗教の一つ、仏教につして少し説明してみます。仏教に、カルマの思想があります。カルマとは業ということであり、行為という意味です。今の世界(今世)で行った個人の行為の集積がカルマになります。そのカルマは、心の無意識世界に貯蔵され、今世を左右するだけでなく、来世の生を規定すると言われています。
例えるならば、ある人が前の日(前世)に苦しんで、1億円の借金をもって眠った(死)とします。眠っている間は借金のことは忘れていますが、眠りから覚めれば(今世・新たな生)、一億円の借金はそのまま残っています。
つまり個人の業は連続しています。割引もおまけもなく、あくまでも自己の行為の責任なのです。自分の行為の責任は自分が担う。それが業思想であり、転生の基本になっています。このことを生命物理学者は生命保存の法則から、連続性を説いています。
苦しんで死ねば、苦しんだ姿で生まれると言われています。楽しく今世を終えて死ねば、次はまた楽しみの姿で生まれると言うのです。動物的な生き方をすれば、動物に転生するかもしれないのです。怖いことです。これが、転生の正しい仏教の因果のカルマの教えなのです。
臨死体験1000名近くの方のデーターを基に死の世界を探究されたアメリカの医学者にキューブラー・ロスという有名な方がいます。名著「死ぬ瞬間」「続死ぬ瞬間」という本を著しています。そこには、人間の死ぬ過程が描かれています。一度読まれるとよいと思います。彼女は、仏教の業思想(カルマの法則)を信じると言われています。業思想とは、自分の生き方や行為に責任をとるという生き方なのです。
仏教の開祖、釈迦(ブッタ)は王子として生まれ育ちましたが、心に煩悶を抱き、人生に悩んでいたと言われています。
人生は生老病死(生きる・老いる・病になる・死ぬ)という四つの苦しみから逃げることはできない。その四苦に代表される人間の苦しみ…死すべき存在…生と死の解決のために、釈迦は出家し求道の旅に出たのでした。
人生の意味(死)を探究し修行を続けた結果、釈迦は生命の真実、つまり生と死の真相を悟ったと言われています。
釈迦の悟り…生老病死という四苦は無常(一定のところにとどまっておらず、絶えず変化していく)ですが、その背後に常住の生命の法を悟ったといわれています。それが法華経に説かれ、奈良時代、平安時代に貴族の間に広がり、紫式部の「源氏物語」などにも登場しています。
釈迦の生命観…誰人の中にも等しく内在する不可思議な生命の法…創造的で幸福になっていく生命と知恵と慈悲が具わっている法…自らも幸福になるとともに、周囲の人(自然も含めあらゆる存在)も幸福にしていくという共生、連帯の生命の法とも言われています。いかなる運命や宿命をも転換できる生命の働きをもつという生命哲学です。
人の命は、宇宙の宝すべてよりも尊いとも説いています。この世界で、人間だけが、自らの可能性を信じて自らを変えていける「聖道正器」の存在とも言われています。確かに動物や植物は、自らを変えることもできず、本能のまま、生態系に従って生きているようですから。
その尊い人間の生命として誕生してくる可能性をガンジス川の無数の砂の一粒という譬えで説いています。つまり人間生命はかけがえのない尊さをもった存在ということです。
自らに内在する尊極の生命を信じられるかどうか。釈迦は信を強調されたと言われています。簡単に言えば、自分の生命の不可思議な法を信じて行動し生き抜きなさいと教えたのです。
生命は断絶するものではなく、永遠に続いていくものです。今の生き方がそのまま来世につながる。生きたように死に、そして朝になれば昨日の続きのように生まれると言うのです。
また「袖触れ合うも他生の縁」と言われるように、今、縁して関わっている人、親兄弟、友人などとも、また来世で会えるというのです。カルマの思想からすれば納得ができることです。
あなたは、自分に偽りなく、自分の幸福のため、同時に他者の幸福のために、正しく生きていくことです。その生き方を貫いていけば、死の恐怖も和らいでいくことでしょう。
(質問)
現在20代後半の男性です。1年前にパニック障害になりました。心療内科で薬物治療を受けていました。
また認知行動療法を勧められ、集団認知行動療法を数か月受けましたが改善が実感できません。休みをとりつつもなんとか、仕事は続けていますが、心臓発作に対する恐怖、広場恐怖、息苦しさ、のどの詰まり感覚、そして非現実感などもあります。夜は呼吸が息苦しく、なかなか寝付けません。日々の生活が苦しく、何をやっても楽しくありません。今は心療内科には行っていませんし、服薬もやめました。
ネットで調べてみると、森田療法が効果的とありました。そこでは1か月の入院治療が必要と説明されていましたが、
入院治療しか方法はないのでしょうか? もし通所指導やカウンセリング治療があれば、受けてみたいと思います。
(回答)
当室では、外来の個人面接のみをやっています。あくまで森田療法を中心に位置づけ、認知行動療法や心理教育、心理検査も取り入れ、多角的な取り組みをしています。
回復例としては、あなたと同じような不安神経症タイプ(パニック障害、不安障害)と強迫性障害があります。
日記療法、自己観察記録をもとに面接しています。症状は、あくまでその人全体の一部分であり、症状除去のみではなく、人間全体(生活リズム、性格や気質の活かし方、生活習慣、考え方の癖など)の変容が課題になります。
当室で面接した人に共通して見られた傾向として、内向、神経過敏、不安定、ちょとしたことが気になるという特徴がありました。神経過敏が恐怖と結びつき、その呪縛から抜け出せなくなり、不安維持させています。
神経過敏は過度の緊張と興奮から起きます。神経過敏が体の少しの異常感覚をとらえ、恐怖、死に至る病→根底に死の恐怖)の引き金になっています。神経過敏は、疲れ、強度のストレスなどだれにでもあることですが、問題はそれがあるとき恐怖と結びついたとき、このからくりから抜け出せなくなってしまうようです。
不安と生理の連動…不安は自分のイメージが作り出しているということです。すすきが幽霊に見えるのは、不安が作り出す不安のイメージの投影でもあります。不安を除こうと、安全確保しないことです。異常感覚があっても放置してみるとよいでしょう。回避行動や安全確認をせず、そのまま不安にみをゆだねるもつまり曝すことです。大丈夫と思って、身を任せることです。その体験の積み重ねが自信になっていくでしょう
そもそも健康とは、雲の一片もない青空ではなく、雨あり、嵐あり、風あり、そして晴れがあります。これらすべてが
人間の健康の一面といってよいでしょう。健康に対しての要求が強すぎているようです。生きる欲望が強いようです。それはとても素晴らしいことですが、それが身体の健康へ囚われてしまうと、苦しみになってしまいます。
健康とは、一つの完璧な状態ではなく、日々変化するものです。不快感もない快適さを保った状態はありません。快状態と不快状態は表裏であり、健康と病気は鏡の表と裏の関係ともいえます。不快があるから、快適さのありがたさがわかるのです。いつも快適でありたいという良く自体が誤った考えなのです。不快感を受け入れるようになることです。不安や恐怖は不快のさいたるものでしょう。しかし苦痛は苦痛として痛みは痛みとして、言葉で「評価」せず、そのまま受け入れます。
それが、今を受容するということであり、「あるがまま」(森田療法のキーワード)の体得です。
恐怖や不安と一緒に、戦わず逃げず、時の経過に身を任せます。そうすればやがて、不安や恐怖は消えていきます。その繰り返しの経験の中で、自己受容が進み、安心、そして自己信頼感が強くなっていきます。それが全治といえるでしょう。