(質問)
去年まで大学生で、付き合っていた彼がいたのですが、その彼の友人たちにある日、一人暮らしをしていた家をあとをつけられていたらしく、家に入るときにいきなり2人に襲われました。
抵抗どころか何もできず、言うことを聞くしかなく写真や動画を撮られて数日間言うことを聞くように脅迫されました。
姉に相談し、警察や病院にも行きましたが1年経った今も体も震えは止まらず、もちろん彼とも会わせる顔もなく生きるのが怖くなり、
どうしたらいいのかわかりません。
(回答)
臨床心理シランの室です。
本当に辛い目にお遭いになられましたね。心中お察しいたします。そして一日も早い回復をお祈りします。
以下に、長くなりますが、トラウマ(PTSD)からの回復についてアドバイスさせてもらいます。少し難しい部分もあるかと思いますが…。
全く突然で予測がつかないなどの条件が重なると、誰でもPTSDに罹患するといわれています。すなわち、異常な状況における正常な反応なのです。あなたの今の症状は、正常な反応であることを知ってください。
PTSDの症状としては「再体験」…出来事を思い出したくないのに、繰り返し思い出される「侵入的再体験」があります。
出来事によく似たニュースを見たり、聞いたり、事情徴収をきっかけに、フラッシュバックが生じ、さらに苦痛に苛まれるます。
「回避とまひ」…出来事に関連する話題や場所などを意識的に無意識的に回避しようとします。未来の展望が困難になり、孤独感、鬱的状態が強くなることもあります。
覚醒・不安の亢進…睡眠障害、集中力困難、いらいら攻撃感情、不安感情などの状態が亢進します。再体験をあおられ、回避的感情や行動が奪われると、この症状は激しくなります。
自分に対する厳しい評価や決めつけをしないことです。トラウマからの回復の本質は、自分自身に対するゆるしにあると言われています。
「コントロール感覚の喪失」という現実に向き合う必要があります。回復のメインは、コントロール感覚の喪失=遭難と向き合うことから始まります。
コントロール感覚を支える基本…自己・他者・世界へのある程度の信頼感です。トラウマを体験すると、この基本的な感覚が失われると言われます。
トラウマ体験は、それまでの日常からの離断の体験、つまり、それまで当然としてあった自己・他者・世界の信頼が失われ、歩んできた人生の道のりから突然突き落とされたような体験ともいえます。それ以前の人生の軌道とのつながりが失われたように感じるようです。
回復目標は、簡単に言えば、新たな役割で、それなりのコントロール感覚をもってやっていけるようになることです。役割の変化、つまりコントロール感覚の回復になります。
役割の変化とは、生活上の変化への適応がうまくいかずに病気につながるときに選ばれる問題領域ですが、トラウマ体験は重要な役割の変化です。
人に話すということは、情動処理の上からも大事です。いつも変わらぬ温かさで接してもらい、無条件の肯定的関心を持つ人と接することです。
その中で、状況が何を意味するのか、感情を通して知っていくことになります。
役割の変化を乗り越えていく、つまり断絶してしまったように見える「人生の道のり」を再び見出すこと。現在地点を知らせてくれるのが感情です。感情を表現し、肯定してもらう作業が大事になります。役割の変化は遭難から抜け出す道標になります。
他人に対する過度の警戒心、対人関係における感情コントロールの困難、怒りの爆発、といった症状を持ちながら、現在の人間関係をこなしていくには、それなりのソーシャルスキルが必要です。現在の人間関係に適応していくことです。結果としてコントロール感覚を増し、病気治療の効果につながります。
自尊心の低下は、ソーシャルサポート(家族、友人、支援者など)によって支えられる部分があります。ソーシャルサポートを増やすことです。
トラウマは、一瞬にして自尊心を破壊する性質をもちます。対人トラウマの本質は、他者に対する信頼の喪失以上に、自分自身に対する信頼の喪失になることがあります。
癒しの根本は自己治癒にあります。
例えば、身体の外傷は本人(自己)の治癒力によって治っていきますが、それは本人が何かをすることによって治っていくものではありません。それを誤解すると、早くかさぶたを取ろうとすると、また出血するようなことになります。自己治癒の自己とは自分の知らない自己であり、自分の知らないうちに作用しているところに特徴があります。これは操作することと対極にあります。
心的外傷体験(トラウマ)は、ある意味「瞬間冷凍された体験」のようなものです。冷凍されているが故に、心はその体験を過去のものとすることができず、いつまでも新鮮なままで抱えることになります。いわば「現在に生き続ける過去」として、さまざまな心理的な機能に影響を与え続けています。心的外傷を癒すということは、その凍りついた体験を解凍し、本来の認知的枠組みの中に消化吸収していくことだと考えられます。幸せで快適な出来事は心的外傷の癒し(ケア)に重要な役割を果たします。楽しく、未来が展望できるような、積極的生き方ができるようなできごとを日常生活の中で作ることが大事です。
一日も早く、専門家のトラウマカウンセリングを受けられることをお勧めします。
(質問)
創作が楽しくなくなり、虚無感やら孤独感が襲ってきて、誰かに殺してほしい、死にたいと思うようになりました。
親切にしてくれていた創作の仲間、その人に私の楽しみを全部奪われたような憎しみが湧いてきます。
恐らくその人がいい方向へいって自分は上手くいってない嫉妬からだとおもわれます。
1年以上嫉妬と妬みの感情に襲われ続けて頭がおかしくなります。
仕事はまだ手につくのですが、他にもやらなくてはいけないことがあるのに手につかなくて困っています。
どうすれば、この状況が変わるでしょうか?
(回答)
臨床心理シランの室です。
一年以上も嫉妬に囚われ続ける心…心が落ち着くこともなく揺れ続け自分を苦しめ続けたでしょう。お察しします。
執着がいかに人を苦しめ、どんなに人の心を蝕んでしまうか…この執着から解放されるため、かつて人は世俗を捨てて出家したほどです。
それほど、執着を断つことは難しいようです。なぜなら、人間は人の間に生きているからです。人のいない世界だったら、どんなに楽だろうと、夏目漱石も小説で表現していたほどですから…。
執着を断つ…それには、まず執着を明らかに見究めることだと言われています。
あなたの場合であれば、嫉妬・妬みは他者という存在がいて初めて生ずる感情です。嫉妬は優劣という他者比較の中で生まれる感情です。
あなたの場合、「その人」がいなければ生まれない感情でしょう。他者がいなければ、嫉妬は生れようがありません。
その根底には、他者と競い、絶えず、他者より優位に立ちたいという欲望が潜んでいます。それは人間の欲望の一つでもあります。他者より勝ったときは「優越という自己満足感」になり、他者より劣ったときは、「劣等」となり、その劣等感を素直に受け入れられず、他者を攻撃することにより自己防衛しようとします。それが嫉妬です。嫉妬は、自分を高める方向には向かわず、相手を自分と同等か、それ以下に引きずり落とそうとする、人間の醜い心の働きの一つです。そこには、人間としての成長はありません。ゆえに苦しくなります。
他者との比較相対に生きている限り、優越しても、逆に劣等になっても、まるで鏡の表裏の関係であり、どちらも充実感は乏しく、優越したとしても一時的な満足であり、本質的には空虚感に苛まれることになるでしょう。
他者と競い、「より上位を目指そう」「一番になろう」という欲望は、良い方向にも悪い方向にも向かいます。悪い方向の例は、優劣に執着し、嫉妬したり、人を下に見たりする方向になります。よい方向は、他者貢献につながります。競争自体には善悪はないと思います。それ自体は、人間の努力の源泉になるものだからです。あらゆる試験は、競争の形をとっています。競争することで、人は互いに切磋琢磨し、高みを目指していけるからです。競争に勝たなければ、目標も達成できません。大事なことは、何のため一番を目指すのか、人より優れた創作をするのは何のためなのかという目的観です。それによって、充実度も全く異なってきます。
例えば、一番優れた作品を創作して、多くの人に喜びや楽しみを与えるといったような、他者の幸福にも貢献する、役に立つという気持ちがあれば、大きく開けていくでしょう。例え、失敗したとしても、競争相手を妬む気持ちも起きないでしょう。なぜなら、一番になることで、人より優れた創作作品を作ることで、他者の幸福に役立つという目的があるので、未達成の場合は、自らの努力や方法などを反省し、次につなげることができるからです。
その人の優位をありのままに認め、自分の不足を見つめ、足りなかったことを努力していく方向にエネルギーを向ければ、自己成長につながります。
つまり、他者との比較相対ではなく(その人との比較ではなく)昨日の自分と今日の自分、昨年の自己作品と今年の自己作品の比較というように、自分内比較、自分対自分の比較、評価に生きることです。それは、表面的な結果に左右される自分から離れ、過程の努力を評価するという絶対評価に生きることになるでしょう。そこに不安定な揺らぎはなくなります。死にたいと言うような気持ちはなくなるでしょう。
自分対自分という、欺けない絶対評価の生き方が確立できれば、今の苦しみから離脱でき、よりよい人生を生きることができるようになると思います。
質問
自分のことがよくわかりません。一人でいる時と、人の中にいる時は全く自分が変ってしまいます。
どちらが本当の自分なのかわかりません。また、気分が変りやすく不安定です。
心理検査を受けて、自分の性格や人格や心の奥を知りたいと思っています。知能や能力の適性もよくわかりません。
どんな検査があるのか、また金額や時間などがわかればありがたいです。
回答
心理検査のみを受けることは可能です。(検査と結果報告の面接で2日間は必要になります)
人の心の世界は不可思議です。物質の世界は、科学の分析知でかなりのミクロの世界まで解明されていますが、
心の世界は、遅々として進まず、未だ不可解な部分がたくさんあります。
心理検査で、その人の性格傾向、人格傾向、精神的に正常圏なのか、病的圏なのか、おおよそのアセスメントは可能です。
また、今後の生き方や自己変容の参考を得ることもできます。
心理検査の種類と時間や検査料金です。検査結果の説明に関しては、面接で行いますので別途料金が発生します。また、一度にいくつかの検査をされる場合は
それぞれの料金が発生します。以下は当室で実施している検査内容です。
〇知能検査⇒WAIS…知能や能力の特徴がわかる(90分~120分・6000円)16歳以上。大人の発達障害の見立てに効果的です。また、仕事の適性にも役立ちます。
〇性格検査⇒東大エゴゴラム(20分-1500円)、YGテスト(20分・1500円)
〇不安検査⇒特性不安テスト、状態不安テスト…不安の強さがわかります(20分・1500円)
〇投影法検査(意識下に秘されている部分の一部がわかる)⇒ロールシャッハ(60分・5000円)・バウム・樹木画テスト(20分・2000円)
SCT・文章完成法(40分・3000円)・PFスタディー・絵画欲求不満度テスト(40分・4000円)
〇認知症テスト⇒長谷川式、MEDE、MMSE(3種類で50分・4000円)…認知症の度合いがわかります。
検査はいくつか併用されて受けると、人格特徴がよくわかります。
検査を受けて分析までおよそ3日間~1週間が必要です。
一週間後に来所されれば、検査結果の説明と、検査から考えられる今後の自分の在り方などを助言します。(50分、3000円)
(質問)
3年間の医療系の専門学校に通っている1年生です。
私は将来の夢がなくこの学校に入った理由も、資格が取れるからという安易な考えで入りました。
そのため最初の授業から全然ついていけず寝てばかりいます。周りの友達はみんな夢がありこの学校に入ってきているので、一生懸命勉強してサークルにも入り国家資格に向けて頑張っています。ですが私はサークルにも入らず勉強も分からないため、友達が勉強の話をしていても混ざれず孤独を感じてしまいます。
勉強をすればいい話なのですが、この職業につきたいという気持ちが全然ないためやる気が出ません。1度担任の先生に相談した際は、今はまだ分からなくても大丈夫だから、まずは進級することを目指して資格を取ろういう結論に至りました。その時は少し頑張ってみようかなと思ったのですが、一昨日先生と雑談をしてたときに、赤点のまま進級した際は合格するまで毎月お金を払って単位を取るという話を聞きました。その時に私のことだと思ったと同時に周りの友達も私の事じゃんと笑われました。その話を聞いたら高い授業料をこれからも払いその他にも再試なのでお金を払ってまで、やりたいと思わない仕事のためにお金を払うのはどうなのかなと思ってしまいました。
両親にも相談はしてあり、やりたくないと思うなら仕方ないし辞めるのはいいけど辞めたら何をしたいの?と聞かれましたが、特にこれがやりたいと思うことがないため答えられませんでした。特にやりたいことがないのならこのまま嫌な気持ちで通い続けた方が良いのか、きっぱり辞めて就職するのかで迷っています。友達とは楽しく過ごしているため、辞めてしまって離れたら後悔してしまうのかなとも思います。
辞めるのならば2月中に決断をしなければならないため、相談させていただきました。
ご意見の方聞かせてください。よろしくお願いします。
(回答)
臨床心理シランの室です。
あなたの悩み…勉強意欲がわかない、専門学校がおもしろくない、自分が進むべき道なのか、自分がわからない…迷路の中に入っているような感じですね…。
今のあなたは視野が狭まり気分(主観・自己中心)にとらわれれているような気がします。人間、悩んだ時はそうなりがちです。ましてあなたは若い。自分や社会や人生について未知なことがいっぱいある年頃ですから…。
アイデンティティーの確立を求めて「自分探し」を始めることが求められているようです。信頼できる人に相談することで、自分理解が深まり、視野が広がると思います。その意味では、この掲示板のカウンセラーの方々の回答は参考になると思われます。人間は目標をもち行動することで、自分の能力に気付き、自分を知ることができます。
以下は私の昔の失敗体験です。何かの参考になれば幸いです。
高1は何も考えず登校していました。ところが高2になると、なぜか学校がつまらなくなり、通学が苦痛になり、午前中は家で寝てしまい、遅刻・欠席が続きました。どうしていいかわからなくなり、遊びでごまかし、横道にそれ、結果的に2年生の欠席は70日。高校中退に追い込まれました。
仲のいい友達もいたし、授業の内容も理解できていました。いじめもなく、そんなに嫌な先生もいなかった…、それなのに学校に行くのが嫌でした。自分で自分がわからず、どんどん無気力で怠惰になっていき堕落していきました。
なぜ学校から足が遠のいたのか…自分の行きたい学校ではなかったということ(友達に誘われて高校を選んだという依存的進路選択)。勉強に対して目標もなくなり、受動的になっていました。だから、授業は興味も関心もなく、本当につまらなく感じ、苦痛でした。結果、いつしか、授業から心が離れ、楽しい遊びの世界に埋没していったのです。完全に目標を喪失していました。また怠けが許される家庭環境であったこと(父子家庭で子どもを放任していた)などが原因だったと思われます。全て、人任せ、受動的な生き方をしていました。
高校中退後、家から追い出され、「新聞配達少年」となり身寄りのない東京へ一人で行き、一からの出直しを図りました。定時制高校に学び(自発的選択)、善き人と出会え、その人と触れ合うことで、いつしか自分理解が深まり、自分の可能性を信じて行動しようという自分に変っていきました。「大学に行って、学問しよう。そして学んだことを人のために役立てよう」と、決意し主体的に目標を設定しました。
その間、名作の読書や哲学書、思想書にふれ、自分の人生に対する姿勢が変っていき、「無医村に行って、医療に恵まれない人の役に立ちたい」と、お金のない私は、「国立大医学部」を目指して猛勉強を開始しました。働きながら目標達成のため3年間努力しましたが、国立医学部の壁は厚く、年齢のことも考え、志半ばで方向転換を余儀なくされました。結果、新設された広島大学総合科学部の一期の受験に合格し入学しました。
入学後も紆余曲折しましたが、最後は中学校の教師の道を選びました。結果的にその道は、自分にふさわしい道だったと、今は納得しています。現在は臨床心理士資格のもと心理臨床家として開業し、果たせなかった「心病む人」の役に立てる仕事に従事しています。(自伝的ノンフィックション小説「失敗もいいものだよ」に詳細記述)
「生き詰まったら原点に返れ」と言われます。根本は、「何のためという目的観」と「人の役に立つ」という純粋な心をもてば、大きく開けるでしょう。
自分を見つめるときです。友だちや人生の先輩との対話も貴重な鏡の役割をしてくれます。確かな人生のために、今は悩み、自分探しの旅を始めてください。
なぜ精神科医は薬に頼るのか…「こころの科学・2011,9 精神科臨床はどこへいく」(精神科医、井原裕氏)の論文より抜粋し、まとめています。
薬はどんな場合も、すべていけないというわけではありません。薬が絶対に必要な人もいます。
てんかんや統合失調症の方です。てんかんは、脳の過剰なニューロン発射に由来する慢性脳疾患です。精神・心理療法では発作をとめることはできません。
また統合失調症も抗精神病薬が発明され、劇的に症状が緩和されました。この方たちは必要です。
抗うつ薬はうつ病に効くのか。
うつ、不安障害、不眠に薬が効くのかということです。2008年イギリスの研究者たちが衝撃的な論文を発表しました。
重症ごとにプラセボ(偽薬)との比較優位性を検証しました。結果は、抗うつ薬(SSRI…デフルロメール、ルボックス、パキシル、ジェイゾロフト、レクサプロなど)はプラセボと比べて効能にほとんど差はなく、差があるとすれば、それは最重症例だけでした。結局のところ、英米では、SSRIについては冷めた見方が浸透しています。メディアがこれほど厳しく批判していますから、患者さんも警戒しています。こんな時代だから、製薬会社がまだ事情を分かっていない日本人を狙って、熱心にプロモーションを行うとしても当然なことです。日本人は明らかに狙われています。
精神科外来診療報酬の問題
日本の精神科医療は、患者さんの話をろくに聴かずに、薬だけ出せば儲かる仕組みになっています。精神科の外来の経営という点では、ベンジアゼピン系薬剤(抗不安薬、睡眠薬)と、抗うつ薬を使うのが一番いいのです。ベンジアゼピン系には、大量依存があり、抗うつ薬には、中止後発現症状(離脱症状)があります。どちらも、一度の飲み始めたら、容易にやめられません。だから、一度出してしまえば、患者さんは、定期的に通ってくれます。薬物療法に頼りがちな医者ほど、あっという間に患者さんが増えます。治せる医者ではなく、薬を使い、治せないけど、薬から離れられなくなった患者さんを大量に抱える。まさに「生かさず、殺さず」のままになるからです。こうして患者としては、病気が治るわけでもなく、しかし、通院をやめるわけにもいかないということになります。
精神科医の薬物療法依存
今日の一部の精神科医のSSRIへの依存の忠誠心は、大変なものがあります。この人たちは、ほとんど宗教的確信を抱いています。反論に耳を傾けようとしません。なぜ、ある信条に固執するのかといえば、それによって見たくない現実から目を背けることができるからです。それは、この人たちが精神科医として薬物療法以外にできることが少ないという事実でしょう。残念ながら精神科医としてのトレーニングの問題だと思います。
(回答)
個人経営の外来の心療内科は、精神科医による薬物療法が中心です。それ以外の治療はほとんどやっていないと思います。
患者が多いのは、薬物療法ではなかなか治らないので、結果として患者が溜まるからです。また患者が薬依存になり、病院依存になっている現実もあります。もし、医者が、患者を治していれば、その病院に通う必要はなくなり、患者は減っています。少なくとも、新規外来と通院終結の数が一緒であれば、内科や外科と同じように、その日のうちに受付られ、一時間も待てば治療に入れるでしょう。身近な、個人外来病院の内科や外科と比べればわかることです。一度で終結したり、数回で改善し終了するのが普通だと思います。
質問
今年33歳になりますが、これからの人生どうすればいいか分からず困っています。
私は昔から、人見知りで引っ込み思案。
小学生の時に自律神経失調症なり、4年~6年生の間、不登校に。
中学に上がる頃には、すっかり人が怖くなり、自分の気持ちを誰かに言うこともなく、自分を守ってきました。
それは、専門学校に入るまで続き、結局人間関係に馴染めず中退。
その後、フリーターから正社員になり、今では販売の管理職を任されています。
仕事では、認めらるようになったものの、人の汚さばかりが見え疲れます。
自分は何をしたらいいか分からない、どうしたいのかも分からない。
毎日笑ってばかりでピエロのようです。
家族ともコミュニケーションは取れず、友達もいません。
恋人は長く付き合っても頼り方や頼られ方が分からない。
自分が何を考えどうしたいのか分かりません。
ただ日々をなんとかやり過ごし、ストレスで過食と、浪費に走り消耗しています。
私は、一体どうすればいいのでしょうか?
身動きが取れず壊れるのを待っているようです。
(回答)
臨床心理シランの室です
あなたは、真面目で心がきれいな人のようです。確かに世の中は汚く濁っています。それは人間の心が欲望に染まり濁っているからです。自分中心の人があまりにも多く、人を省みず、自分の欲望に生きているように見えます。太宰治の「走れメロス」の王様…人は心の底でみな自分のことしか考えず私利私欲に満ちている…だから人は信じられないと。
しかし、メロスはちがっていました。人の心の真実…自分よりも友人の命を大事にするという友愛に命をかけて走り続けました。このような人間もいるのか…王様もメロスの勇気ある行動を目の当りに見て、彼と同じ道を歩むことを決心したのです…人間は捨てたものではないと…。
太陽は今日も、まるで地球上のすべての生き物を育むために昇ります。自然の山や川や植物は本来、太陽と同じく他の生き物を育むように生きています。他の生命を育む…慈悲(愛)と言われるものです。人間も本来、慈悲をもった存在だと言われています。例えば、母親は無償で子の命を守り、育むものを誰人も持っていると言われています。
あなたも慈悲をもった存在なのです。ただ環境の中で、それが発現されず眠ったままなのかもしれません。
あの有名な三重苦の苦しみの中で、サリバン先生と出会うことで、自らの慈悲(愛)に気づき、将来、自分と同じような障害者のために命を注いだヘレンケラーは、どんな宿命や障害も乗り越えられるという人間の力を証明しました。彼女は慈悲(愛)の体現者であり、私たちに限りない勇気と希望を与えてくれています。あなたにもかけがえのない、あなたにしかできない使命があると言われているからです。
世界の偉人もみな苦悩や障壁の中で、苦しみに涙しながら自身を内省し、自分に負けることなく生き抜いてきたといわれています。苦悩を乗り越えたから、人の苦しみに涙することができ、他者の苦しみに同苦することができる人間になったと言われています。
あなたは、過去のできごとが、心の傷となり、それが折に触れ疼き、現在を苦しめ、未来を暗くしているのかもしれません。そして、あなたの認知や感情に影響を与え、否定的な認知や感情をもたらしているようです。そして自己の可能性の芽を摘むかのような自己不信をもたらしているようです。
自己不信は自分の世界や将来に対しても同様に不信をもたらします。あなたの最大の敵は、自己の可能性に対する不信なのかもしれません。「自分を良い方向に変えていける」「自分には未来を拓く可能性がある」「自分にまだ力がある」などという自己信頼の獲得こそ、あなたを幸福に導く最大の要素なのです。
一日も早く苦悩の闇から解放され心が晴れ、明るく前を向いて歩ける日を祈っています。
(質問)
現在新卒で入った会社で就労中なのですが、コミュニケーションが下手で、人と上手く付き合えません。
職場の同期は気がついたら(多分これも私の自業自得だとは思うのですが)私以外を抜いた状態で非常に親密になっていて、それでも優しい方がいて気を使ってランチに誘ってくれたりはしたのですが、全く会話が弾みませんでした。というよりも私抜きで会話が弾んでいて、その場にいるのが申し訳なくなりました。
同期以外にも、職場の同じ部署の同僚の方とランチに行く機会もあったのですが、やはり全然上手くコミュニケーションをとる事が出来ませんでした。そもそも私は非常に仕事の出来が悪く、そうやってコミュニケーションも上手く取れないということで段々職場で腫れ物扱いのようになっていって、仕事の不出来で同じ部署の方ともギクシャクするようになりました。
最終的にその部署からは異動になり、今の部署では仕事上の当たり障りない程度のコミュニケーションは何とか取れている、という状態です。今の部署の方とは親しくもないが仕事上の同僚として問題ない、という感じで、自分としては何とか上手くやれていると安心していたのですが、新人の指導方針で1度同僚の方と衝突して、結局私はまたコミュニケーションの問題を起こすのか、と暗澹とした気持ちになりました。
もともと高校3年の時も同じクラスに親しい友人が居らず、大学も友人作りに失敗して研究室にも馴染めず、先生とのコミュニケーションも上手くいかず、卒論もどうしてあれで卒業させて貰えたのかよく分からないような代物を1人で作りました。大学の時には中学からの友人ともギクシャクするようなことを起こして以来疎遠になってしまい、今はもう大学のサークル時の友人しか繋がりのある人はいません。彼女たちは非常に仲良くしてくれるのですが、中学からの友人の時のように、いつか呆れられるのでは、疎遠になるのではと考えてしまいます。最近会う人とも新たに関係を築くことが出来ません。コミュニケーションの問題、もしくは自分の自意識を変えなければ一生このことに悩まされるのではと思うのですが、どうやって努力したらいいのかわかりません。コミュニケーションはどうやって練習すればよいのでしょうか。
(回答)
臨床心理シランの室です。
話には目的を持った会話と目的のない会話があると思います。目的を持った会話は、あらかじめ話す内容も用意できますから、比較的簡単です。
目的のない会話…人が集まり自然と始まる話…だれが中心ということでもなく、きまりもなく、誰もが自由に発言し、話題にも目的性がなく、いろいろなものに変っていき、話は自由に流れていきます。臨機応援であり、気ままであり、自由です。その流れに入ると結構楽しめます。いわゆる雑談です。
しかし、誰でも簡単にできるものではありません。心の柔軟性や熟練が必要になります。アスペルガーや自閉症スペクトラム傾向の方は、雑談がうまくできません。こだわりが強く、柔軟性が不足しており、場の空気や人の心の流れを読むことが苦手だからです。また、冗談や譬えがわからないという傾向もあります。
会話の中でも、雑談が自然にできる人は会話の上手な人と言えます。雑談は簡単に見えて実は、かなりの会話術が要求されるのです。雑談の上手な人は、知識や情報通であり人間が柔軟な人です。また全体を見ています。また、自信を持っていたり、自己肯定が強かったりします。
雑談のような日常会話ができるようになるためには、自己肯定が高くなくてはいけません。自分が好きで、現在の自分に自信がないと、どんな人との会話にも入っていけません。また主体性が必要です。依存的であれば、会話の場に依存し、主体的に会話に入っていけないからです。
日本人に多いのは、非主張的な表現です。非主張的な人の特徴…弁解がましい。黙る。服従的。承認を期待。相手まかせ。他人本位。依存的。自己否定的。消極的。引っ込み思案。自分に否定的で他人に対しては肯定であり、自他の関係のバランスが崩れています。
自分の気持ちを伝えるという自己表現は、すぐには修得できないかもしれませんが、努力を重ねていけば身につくものです。そのためには、「今の自分でよい」という自己受容、自己信頼、自己肯定感の強さが必要です。つまり、自分が好きだという感覚です。
それは、人に否定されても、人から受け入れてもらえなくても、落ち込むこともない自分です。なぜなら、自分が自分を認めているからです。それが自己肯定の意味です。自分という存在を自分で認めて、わかってあげられるようにする…言い換えれば自己肯定できる自分です。
自己肯定感を高めるためには、人間観が必要です。「人間は、誰人も平等であり、かけがえのない個性をもち成長への可能性を秘めた存在である」という人間観です。
世の中は差別社会であり差異に満ちています。人はその中で自己肯定感が阻まれています。美醜、財産や地位や能力の有無など…比較相対で価値が位置づけられる社会です。人は、それらで人間の価値を評価する傾向があります。
そこからは、条件付きの評価が生まれがちです。「○○だから好き」などという条件付です。こうした○○だからという条件付き承認、つまり相対価値で人間評価をしている間は、自己肯定は高まりません。
「自分を認めること」は、価値の比較相対に左右されない心の問題だからです。「心でみなくちゃ ものごとはよく見えないってことさ 肝心なことは目に見えないんだ」(星の王子さま)とあるように、心が大事なのです。
ダイヤは、もともとは黒い石に過ぎませんが、磨きをかけていけば高価な宝石となります。黒の原石を否定すれば輝くダイヤの存在はありません。黒い石も輝くダイヤも同じ自分です。どちらの自分も「そのまま受け入れる」ことが自己肯定なのです。人は輝くダイヤは受け入れることは簡単ですが、黒い原石は受け入れがたいものです。「黒石もダイヤも同一の存在であり、どちらも自分であると、ありのままに受け入れる。」「黒石も磨けばダイヤになる」という信念に裏打ちされた努力が必要です。
目標を持ちその達成に向かって努力していく。結果がどうであれ、努力した自分を認めていくとき、自己肯定感は高まります。結果より、プロセスを大事にし、努力した自分を認めていくのです。
(質問)
高二女子です。
やる気がなくて授業が聞けません。
ほとんどの授業は寝てるか携帯か喋ってるかです…寝てる割合がほぼです。たまに喋ったり携帯いじったりします。
教えてくれてる先生にも申し訳ないですし成績上げるためにも授業聞きたいです。けど、いざ授業を受けるとなると聞くの面倒だとかもういいやという気持ちになってしまいます…。ほとんどの授業は聞けば分かります。化学だけ分からないですが…それ以外の教科は分からないからという理由からではないと思います…。
授業も聞かなくて自習もしないので成績がどんどん落ちていきます…。
何とかしたいと思うのですが、やろうと思ってもやる気が出なくて、そんな自分が嫌です。
せめて授業だけは真面目に受けたいです…今年に入ってから、中一から高一までは1度もなかった遅刻を20回くらいしているのにも危機感を感じています。
遅刻理由は学校に行くのが嫌だと感じてしまうので少々ゆっくりに行動するせいだと思います…わざと遅れることもあります…人間関係はこれまでにないくらい良好で恵まれてると感じます。ただ、授業が億劫になってしまいます…。
どうすれば授業に対してやる気を出せますか…?聞けばいいという話なのですが分かっていてもできません…。
(回答)
臨床心理シランの室です。
高校2年生、悩み多き時期ですね…。
あなたの悩み…勉強意欲がない、学校がおもしろくない、学校へ行くのが苦痛。自分がわからない。出口の見えない迷いのトンネルの中に入っているような感じですね…。
今のあなたは狭い視野と気分(主観・自己中心)にとらわれ、行動が矮小化されているようです。人間は目標をもち行動することで、自らの力を初めて知ることができるからです。行動しないと何も生まれません。今、掲示板に悩みを投稿したことも一つの行動です。うまくいけば回答の中から何かが生まれる可能性があるように…。
授業への怠け行動を続けることで生じる目に見えない精神的な損失(学問で学ぶ多くのことが学べないなど)は、あなたの将来の人生で穴埋めするしかありません。それはかなりの忍耐と努力が求められます。「自分で蒔いた種は自分で刈らなければならない」…人生の道理だからです。
朝、決まった時間に起きるのは大変なことです。苦痛であり、ゆっくり寝たいという気分に打ち勝って起床します。準備をして登校する、面倒くさいものです。一日8時間以上学校に拘束される、大変なことです。何らかのきっかけ(長期休みでリズムを崩すなど)で、その習慣が崩れたりして、一旦嫌になれば耐えられなくなるでしょう。
私の昔の失敗体験です。
高1は成績も優秀でした。ところが高2になると、なぜか学校がつまらなくなり、電車通学が苦痛になり、午前中は寝てしまい、遅刻・欠席が続きました。どうしていいかわからなくなり、自暴自棄的になり、遊びでごまかし、結果的に2年生の欠席は70日。高校中退に追い込まれました。
仲のいい友達もいたし、成績も悪くなかったし、授業の内容も理解できていました。いじめもなく、そんなに嫌な先生もいなかった…、それなのに学校に行くのが嫌でした。自分で自分がわからず、どんどん無気力で怠惰になっていき下降していきました。
なぜ学校から足が遠のいたのか…自分の行きたい学校ではなかったということと。勉強に対して目標もなくなり、受動的になっていました。だから、授業は興味も関心もなく、本当につまらなく感じ、苦痛でした。結果、いつしか、授業から心が離れ、楽しい遊びの世界に埋没していったのです。完全に目標を喪失していました。また怠けが許される家庭環境であったこと(父子家庭で子どもを放任していた)などが原因だということが、10年後ぐらいの自己分析の結果わかりました。
高校中退後、家から追い出され、「新聞配達少年」となり身寄りのない東京へ一人で行き、一からの出直しを図りました。定時制高校に学び(自発的選択)、善き人と出会った後、明確な目標を設定し、働きながら目標達成のため3年間猛勉強をし(能動的行動)、広島大学に入り、中学校の教師になりました。
何よりも、勉強する意味や、何のために勉強するのという目的の大切さ知りました。(自伝的ノンフィックション小説「失敗もいいものだよ」に描いています)
「生き詰まったら原点に返れ」と言われます。高校入学の目標は何だったのでしょうか。とにかく目標を明確にし、今の「受け身的態度」を「自発能動的態度」に変えることです。
その根本は、「何のために学ぶのか」「学んだことをどう生かすのか…自らの可能性を開き、そして同時に人々の幸福のために貢献する」という純粋な心を根本にすべきだと思います。
自分をしっかり見つめるときです。友だちや人生の先輩との対話も貴重な鏡の役割をしてくれます。一人で悩まないことです。
自分探しの旅を始めてください。
質問
自分の感情が上手くつかめなくて悩んでいます。治療法としては認知行動療法が確実ですか?
回答
臨床心理シランの室です。
喜怒哀楽などに代表される人間の感情を感じることが上手くいかない…悩みお察しいたします。
感情をうまく言葉にしたり適切な言葉で表現したりが苦手…つまり感情の言語化が下手ということですね。感情と身体反応がかけ離れ、悲しい時も悲しみの表情が出なくなる…自分も相手もあなたの感情がわからなくなる…人からも理解されなくなる、自分自身も…。
あなたの課題は、自由な感情表現…喜怒哀楽という感情を自由に表現(言語化)できるようになることですね。笑ったり、喜んだり、怒ったり、悲しんだりという人間の本来の感情表現です。
あなたは、そうした感情が何かでせき止められ、無理に環境に適応する中で身につけた思考などで制止されているようです。その結果、自由な生き生きとした感情の表現ができず、心が閉塞状態になっているのかもしれません。その心の解放こそが一番の課題だと思われます。
過去の養育環境やいじめられ体験や虐待などがあなたの思考や考え方にフィルターや曇りやフレーム、そして歪みを与えてきたのかもしれません…。
対処法としては、自身の感情を受け止めるために、抑圧された感情の解放、心身の緊張を和らげることがよいといわれています。
ストレス緩和法として、認知行動療法のカウンセリングの中で、よく使われる「自律訓練法」や「呼吸法」「筋弛緩法」などを実践され、長く続いてきた緊張を解きほぐすと、自律神経が正常化されていき、感情を言語化するのに役立つと思われます。
また、「出来事」に対する認知を変えていけば、感情も行動も身体反応も変わっていきますので、認知行動療法全般を試みるのも効果的と思います。
認知行動療法が確実とは言えませんが、上記の方法を実践されるのなら、他の心理療法より効果が見込めるでしょう。ただし、認知行動療法(自立訓練法や呼吸法などのリラクセーションの指導ができる臨床心理士など)を専門に行うカウンセリングルームを選ぶ必要があると思います。