日本は世界でも有数な安全平和社会であり物質的に豊かな便利社会です。それなのに、なぜ社会不安障害、適応障害、うつ、ひきこもり・不登校などの心の不調者が増加するのでしょうか。
物質的豊かさの追求とその享受、便利社会とその恩恵に反比例しているのが、心の豊かさの喪失です。つまり、心はますます貧しく、乏しく脆弱になっていきます。
人は生きるため快適さを欲し、安全を求めます。これはあらゆる生物、動物の持つ本能です。人も動物の一種です。本能とは本来的に持つ神経の働きです。1万メートルの上空をすいすい飛ぶ鳥、神業と言えます。また水圧に抗して生きる深海魚、やはり神秘としかいいようがありません。
人も、どんな動物にも負けていない不思議な本来的な生き抜く身体を持っています。
一例をあげれば、人は生き抜くために、空腹を感じる働きをもっています。空腹感がなければ、人は食べることをしなくなるでしょう。また舌の味覚がうまさを感じなければ、食べものを求めなくなるかもしれません。空腹も味覚も人に具わっている不思議な生き抜くための働きなのです。
人が他の動物と異なるのは、二本足で歩行ができ、手が使えること、大脳皮質が発達し言葉が使え、記憶をもとに思考できる働きをもっていることです。
人は生きるために不快を避けます。恐怖を避け安心を求めます。つまり好きか嫌いかという感覚が生きるために一番に反応します。それは人間の行動原理の第一法則です。誰人も、この法則に則って生きています。
今の苦しみや楽しみは、人の五感(目・耳・舌・鼻・身)に発した生きるための欲求の結果です。自らの欲求を知り、その調律の仕方を知ることが心の不調を改善する要諦になります。自らの心を明るい鏡に映せばわかるようになります。
人の生き抜くため行動に潜む「癡・おろか」さについて述べてみましょう。
痴…おろかとも表記します。ものごと、人間、自然の法、因果や道理がわからず、目先の感覚的欲求に抗しきれなく行動する心的状態です。
「飛んで火に入る夏の虫」暗闇の光を求め、火に入り、焼け死んでいく虫たち。このようなことは人間社会にもたくさんあります。お金のために大事なものを失うのも愚かさ、好きなものを食べ過ぎたり、飲み過ぎたりして病気になるのも愚かさ、専門家に騙されるのも愚かさ、人を傷つけることも、殺し合うのも愚かさが原因です。すべて生き抜くために自分を守るための行動が発端になっています。
病気の多くは、正しい知識の不足、道理や因果が分からないことから生じています。正しい知識や情報を身につけることが病気を予防します。「知は力なり」は真実を穿(うが)っています。
病の治療を重視する日本の医療界、既に後手に回っています。真の文明国は、病気にならないための予防に重点を置き、健康維持に先手を打ちます。
世の中、偽りの情報、利己的金儲けのための巧みな情報、偽善に満ちています。無知な人たちをだます似非専門家たち。視覚情報に弱い人間心理につけ込むコマーシャルやユーチューブ動画など。見抜くのは大変なことです。甘言で人の保身を増長しています。
この愚かさの病・痴病が現代人を覆っていると言えます。国民に本当の学びが少なく、表面的な浅い思想につかりきっているように思えます。拝金思想、刹那主義、コンビニ信者が文明国を席巻しているようです。
仮初(かりそめ)の平和に守られ、便利さに忍耐心を失い、人々は自らの生をよりよく保とうと快適情報にますます依存し、生きる力を弱め、脆弱性(ぜいじゃくせい)を強めています。
その結果、心の病はますます増産されていきます。生きること、身を守ることに潜む愚かさが原因と気づかずに…。それを乗り越える方法は、まず正しい知識を身につけ、正しい情報を見抜く智慧を培うことから始まります。
芝蘭の便り
学校や職場に安心した場がなくなると、人は自然に安心した空間に戻ります。それは巣であり、今のこどもにとっては家になります。それは動物・人の本能だからです。
一度不登校状態になった児童生徒は、所属する学級に戻ることが難しくなります。小学校の低学年であれば、学級に戻ることに対しては、そんなに困難は伴いませんが、小学校の高学年から中学校の全期間・思春期の時期の再登校が一番困難になります。
それは思春期特有の心身の不安定さや自意識・他者意識の過剰性も関係していますが、より本質的原因は人間がもつ生きること、つまり安全に身を保つということに起因しています。
これは、小中高生だけの問題ではなく、短大、専門学校、大学生、ひいては社会人の引きこもりも根本的には同じです。当芝蘭の室には、小学生から、30代の引きこもり者まで、多くの社会回避のひきこもり者が訪れます。その中から見える特徴を中心に述べてみます。
ある人は、小学校の低学年から中学校の全期間不登校になり、そのまま引きこもったまま20歳の成人となり、社会復帰を決意して当室を訪れました。
また中学生は男女を問わず、一度不登校状態に陥ったら、中学三年の進路の時期まで不登校が続く生徒が大半です。進路先決定の時期になると、将来に向き合わされ学校の特別教室などに出向き、進路先を決定します。そして、通信制の高校に進んだりしますが、そこでも困難を感じる生徒は少なくありません。なぜなら本人の根本的課題が解決できていないからです。
不登校、引きこもり者は、安全空間に籠る、つまり動物でいう巣ごもり活動に似ています。子どもは籠っている間、身体は成長しますが、心の発達は止まりがちになります。心の成長が止まった分、社会復帰・学校復帰がますます困難になっていきます。特に人間関係、人間集団の中で生きる能力の成長が止まりがちになります。結果、対人不安症傾向を呈してしまいます。
今から65年前の戦後のベビーブームの頃は病気以外の不登校は社会にいませんでした。まれに親の手伝いをさせられたり、子だくさんで、子どもの世話を手伝わされたりの理由で学校に行かせてもらえない子がいたくらいです。
今のように学校を休んでも家に居場所や安心して籠れる空間がなかったのです。逆に学校の方が安全で面白かったのです。
現在は、多くの家には個室という子どもの籠る安全な場所があります。籠っても食事はついています。テレビもあるし、漫画もスマホもあります。子どもにとって最もおもしろいゲームやユーチューブにも触れられます。最高に安全で、快適でおもしろい場、それが現在の多くの家なのです。
嫌なこと、脅威を感じる学校、おもしろくないところには足が向かないのは当然なことです。
将来を考えず、その日ぐらしに生きる多くの不登校者は、家こそ最高に安全快適な場所であり、学校は脅威に満ちた場なのです。中学卒業後の進路が頭を掠めることがありますが、先のこととして考えないようにし、今をごまかすように生きて大事なことを忘れようとします。
ですから、学校、勉強、将来のことに触れられると、不快と恐怖を覚え、怒り出したりします。立ち向かわなくてはいけない学校という脅威から逃げている自分を感じているからです。
そもそも不登校のきっかけになった出来事は、嫌な出来事、脅威に感じる出来事、不快を感じること(学級・学校内で起きた人間関係や失敗など心理的傷つき体験)の多さなどが考えられます。その結果、学校に行くという闘いをやめ、身を安全に守るため家に回避・逃走するように自室に籠ります。
一度、家の快適さを味わうと、あえて不快や脅威を感じる不安の場・学校には行けなくなります。人間も動物種の一種であり、身を守ることを第一に優先する生き物だからです。
心の苦しみの多くは対象に執着する心の強さから起きています。執着対象を明らかに見きわめきれば 苦しみを解き放つことができます。
苦しみは六識(五つの感覚と意識)が対象としているものとの関係で生まれます。例えば麻酔を打たれて意識がなくなれば苦しみも痛みも感じません。しかし脳・神経活動がなければ、痛みも感じないかわりに楽しみも感じなくなり、すべての感覚反応がなくなります。結果として心身は痛みを感じなくなり、故障部分に気づかなくなり、その部分は悪化してゆき、やがて死に至ります。つまり痛みや苦しみは生きていく上で大事な働きをしているのです。
痛みや苦しみは、今をよりよく生きることを教えてくれる先生のような働きをしています。健康へのメッセーンジャーなのです。そのメッセージ―を、どのように読み解くかが苦しみから解放の鍵になります。
さて今回は、苦しみをもたらす自己執着、動物的生物がもつ保身(心身を保つ)という視点から考察してみます。
例えば、車の運転をしているとします。前から対向車線を越えて飛び込んでくる車に対して、運転者の私たちは、自分を守るために、とっさにハンドルを切ります。瞬間的に、隣や後部座席の同乗者のことは意識できません。人間は瞬間的に、自分を守るように心も体も、意識も無意識もすべて自我執着(自分を守る・保身)の働きをします。
生きるとは、自分の身を守ることと言えます。地上の動物は身を守るため、生を維持するために生きます。自分が生きることが最重要であり自己中心の動きをします。それが弱肉強食の法則です。
人間世界にも弱肉強食はあります。他者より強い立場になれば、楽に身を守ることが可能になります。そのため地位やお金や財宝を人よりたくさん得ようとします。また名声、人気を得ることで集団の中で優位に立とうとします。善悪は別にして、根底には弱肉強食本能が潜んでいます。
動物種である人間は、知識を使って、道具や機械、武器、戦闘機などを作り、弱い存在(人、動物、植物など)を殺しています。ですから、いじめは人が存在する限り発生します。なぜなら弱肉強食本能を生まれながら持っているからです。
太宰治は、この人間の自己中心性を誰よりも鮮烈に見抜き、そして絶望していたと思われます。
人は脳が発達しているため、地上で最も性質の悪い生物にもなります。この思想(本来的に身に具わった生き方=本能)は苦しみをもたらす大きな要因の一つになっています。こうした生命の働きをありのまま知ることが賢者や聖者の道でした。
大脳皮質部が発達し思考することができ、想像力を使える優れた人たちは、自然や宇宙や社会の中に法を発見しました。保身という動物的な自己中心性を超える生き方を見出したのです。彼らは、人の優れた生き方を探究するため世俗の執着から離れ、自己中心性と闘い生きる道を探究しました。歴史上、心の優れた人たちが、その道を究めたと言われています。
代表的な人を一部紹介します。釈尊、竜樹、天親、鳩摩羅什、イエスキリスト、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、老子、孔子、天台、最澄、日蓮、ダビンチ、ニュートン、ゲーテ、トルストイ、ユング、ヘレンケラー、ナイチンゲール、ガンジー、キング、野口英世、宮沢賢治、ニコラテスラ、アインシュタインなどなど…。彼らは人間の保身、自己中心性に潜む悪・魔性を見つめ、それを昇華させる法を自然や物理や量子や光や人間の深層心などから探究し、その一部を発見しました。
その道は自己中心的な道とは逆な方向、自分を育むように他の生命を育み守るという利他の道であり、痛みや辛さをともなう生き方です。自己中心性を本来的に持つ人にとっては、心の闘いが求められる厳しい生き方になっています。
人道を修めるための訓練であり修行といえます。その訓練という実践の中で苦しみの原因である執着は自然に溶けてゆき、苦は消滅していくのです。
釈尊は、人間の生きる道、人間生命の根本的法則の発見者と言われています。彼は人間の保身を調和させ、自己中心性と自分を取り巻く生物を利する道を慈悲という働きの中で調和融合させました。つまり、自己中心的自我と利他的自我の調和の道を見出したのです。全ての生物は等しく平等に、慈悲の働きに支えられて生きているという共生共存の本然的調和の姿を目指しました。
そして、その生き方の中にこそ、深い充実があり、喜びあり、人間道の完成があると彼は悟り、弟子たちに、その道を歩むことを勧めたのです。
マインドフルネス安穏法の究極の目的は、その生き方を目指しています。そこにこそ人生の真の安穏があるからです。
人の心の闇は破壊をもたらし、心の光は闇を照らし生命を輝かせます。
釈尊はそうした、人間の心の持つ闇や光を煩悩(五つの感覚器官が感じる快楽と苦)から生起すると分析し、その不調和・濁りが病の状態をもたらすと考察しました。
煩悩とは動物・人間が生きる上で本来的に持つ能力・働きです。その根本は快楽原則が基本になっています。一例ですが、空腹感がなければ食べることをしません。食べておいしいと感じる快感がなく、逆に不快を感じるようになれば食べなくなるでしょう。そうすれば死に至るかもしれません。食べるという本能的行為に快感がともなうのは、私たちはかんがえたこともありませんが、生命を支える不思議な慈悲の働きの一つなのです。
生きるための欲望(働き)が煩悩といえます。煩悩には明暗があります。例えば、煩悩が濁れば血液も濁り、万病の原因になります。煩悩が浄化され調和されれば、血行もよくなり、血液も淀みなく流れます。一例をあげれば怒りという煩悩は緊張をもたらし、血管を収縮させ血管を傷つけたりします。
煩悩の偏りや対象への執着や抑制できない欲望の噴出が生命を濁らせ、その濁りが本来持っている清らかな生命の働きを阻み、濁らせた結果が病の状態であると釈尊は洞察しました。
部分観に陥った修行者は、煩悩の滅失をはかり、断食、断眠、断苦等の修行を貫き、餓死した修行者もいました。餓死した修行者は解脱・涅槃(心身の苦から解放され、清らかな安らかな生命を得た)に至ったとされ渇仰されたと言います。釈尊もそうした修行を実践し、何十日も断食を実行し瞑想していた時期があったと言われています。苦行の果てに辿りついた釈尊の悟りは、煩悩は断じるものではなく、明らかに見て、調整し、それを活かすことであると悟ったのです。
最新の科学、特に量子力学等が後追いするかのように、釈尊の法の卓越した科学性を証明しています。釈尊の法も科学も現象に即して、現象を貫く因果や性質を洞察しました。
科学は、光や電磁波や物質の性質や働き(法)を発見し、人間社会に福利をもたらしました。この世界・宇宙はもともと、だれがつくったものでもなくもともと存在し、法に則り自ら創作し自ら演じています(ニコラテスラ・アインシュタイン、釈尊たちの覚知)。その法の一部一部を発見(悟る)したのが、諸科学といえます。釈尊は部分の発見・悟りではなく全体を覚知・発見した人なのです。
生命そのものを覚知された釈尊に、病の原因も治療法も太陽の光が闇を明るくするように、すべて明らかになりました。釈尊の覚知された法は、教えとして、八万宝蔵とも言われ、各時代の人師によって伝持されてゆきます。
時代の変化の中で、釈尊の教え(仏教)は玉石混交となり、何が正知識か正法か分からくなったのも事実です。その法や知識の見分けは、実践者の人間性・人格が最終的な判断になります。なぜなら、釈尊は人間の生き方、真の幸福道(無上菩提を修行の目的としていた)、つまり人格の完成、最高の人間性の成就でした。そしてそれは、人の振る舞いで表現されると断言されたのです。正法は、人を通して、正しい知識となり、正しい振る舞いとなり、心の優秀さとなって表現されます。その観点から見れば、今も昔も偽善者だらけといえます。
人は苦しみの底までいくと、浮上していきます。そして、つかの間の楽境に至ります 苦しみは長く、楽しみは短い、それが生きることの真実の姿です。
苦も楽も大海の波のようなものです。生じては消え、消えては生れます。波を生じさせる海そのものになれば苦も海の一部であり、楽も海の一部と自覚できます。苦楽は一体なのです。ただ海の別表現に過ぎません。苦も楽も仮の姿なのです。そのような自覚をもたらすものがマインドフルネス調和法です。
マインドフルネスの淵源をたどっていくと釈尊の瞑想にたどり着きます。釈尊は瞑想で何を覚知されたのでしょうか。
釈尊自らの瞬間の生命の中に、宇宙、自然、一切の生命を貫く不可思議な法・ダルマを研ぎ澄まされた思惟力と一念集中で直観されました。
「想像力は知識より大事である。知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」
アインシュタイン博士の発見を貫いた内的世界を語る名言です。現象や出来事を想像力でつなぎ、想像で広がった世界を思考で精緻化し、組み合わせ、相対性理論を完成させました。既成の知識だけでは到達できない世界を可能にさせたのは集中力で研ぎ澄まされた思惟力・想像力だったのです。それが閃き・発見を産んだのです。完全な知識に裏打ちされた思考、それを内包した想像力こそ創造の源泉です。
それらの思考法と想像力をもとにしたものが、マインドフルネス調和法です。心に感じる苦しみは、もともと楽しみをもたらす生命の働きを根源にしています。同じ根底から湧き出た苦しみという一表現であり、また楽しみという別表現なのです。根源の生命に還れば苦しみは、楽しみに変ります。厳密に言えば、苦もなく楽もない世界、苦楽を産み出す純粋世界です。釈尊の覚知・叡智の光はそこまで届いていたと思われます。その悟りの働きを弟子たちはブッタ・覚者・仏と言葉で表現しました。
釈尊はあらゆる病を治した医王と言われています。釈尊に会った人たちが病を治せたのはなぜでしょうか。苦からどのように解放されたのでしょうか。それは釈尊が森羅万象を貫く生命現象と、その目に見えない働き・性質を貫く法を覚知され鏡に映すように、病者の生命を明らかに見たからです。
あたかも太陽が昇れば、その光で地上の闇がなくなり一切が照らし出されるようなものでした。
物質科学の物理・天文、量子力学等は、あくまで物質を貫く法則の覚知です。全ての存在物は、光であり、電気であり、波であり、粒子であると覚知されたニコラ・テスラ博士も、可視化できず分析できない心的(神のような働き)に対しては、あまり語っていません。
釈尊は自分という存在(人のかたちをした肉体と思考したり感覚したり心を持つ不思議な存在)を通して、壮絶な禅定・三昧(瞑想)を繰り返され、分析知の及ばない心の働きを言葉を超え、ありのままの世界の働きそのものになりきったのです。(比ゆ的に言えば、波長と振動、周波数の重ね合いのようなものが起きたといえます)
ニコラ・テスラ博士やアインシュタイン博士や偉大な科学者たちが、かいま見た宇宙の諸現象を現象たらしめている見えないが確かに存在する不思議な法。その全体を直観智されたといわれる釈尊の世界…生命と生命が共振・共鳴・合奏したかのような世界に周波数をあわせることで、あらゆる生物や人も安穏安心、喜びのリズムを奏でます。その接近法がマインドフルネス調和法です。
マインドフルネスはアメリカ発祥です。1990年アメリカのジョン・カバットジン氏の著書が日本で翻訳されたもの「生命力がよみがえる瞑想健康法ーこころとからだのリフレッシュ」から始まっています。その後、カバットジン氏は幾多の実践を得て15年後に「マインドフルネスストレス低減法」と改定されたものが本となり、日本に広まりました。同時にアメリカでも、ジョン・カバットジン氏の実践にヒントを得た精神医療関係・心理学者たちの実践によって展開応用されたものが、マインドフルネス認知療法です。前ブログでもマインドフルネスについて説明していますので、ご覧になってみてください。
日本に紹介されたマインドフルネスについて簡単に説明します。
仏教者、鎌倉時代の道元(比叡山で天台宗の妙法蓮華経を中心に修行、その後中国にわたり、禅を修行、日本に戻り自身の悟りを「正法眼蔵」として完成、亡くなる前は法華経如来神力品の一部と妙法蓮華経を読誦、書写したと言われている)の禅をカバットジン氏が日本で修業され、禅の瞑想にヒントを得て独自に開発されたのが、マインドフルネスです。つまり道元の教えの現代的展開です。当初は「苦痛から解放」が目的でしたが、徐々にあらゆる精神疾患にも適用されるようになりました。そして、効果が証明されています。鬱に有効な認知行動療法で治癒できない、遷延化(長引いた)された鬱に有効とも言われています。
〇具体的な実践法
・瞑想とは、今の瞬間を評価せず、意識を目的に集中し、その心をありのままに体験すること
・呼吸瞑想
・ボディスキャン
・ヨガ瞑想
※カバットジン氏の瞑想では、自動操作状態の意識から、今に意識を集中して評価せずに生きるという方法です。
体得は、もちろん仏教の禅の修行が求められ、自己本来への絶対的な信と忍耐が必要です。だから修業なのです。カバットジン氏は、今なを上記3つの修行はされていると聞いています。ノウハウものでは、けがをして、何も得られず終わるからです。つまりヨガ瞑想とは日々更新する生命活動を最高なものに合わせて生きるという修業なのです。
〇マインドフルネス認知療法
今の瞬間の意識、認知を過去からの流れから、今現在の新しものとしてとらえる認知に変えていく方法です。やはり、体得には修行が求められます。
なぜなら、マインドフルネス自体、カバットジン氏が禅の修行から得たものですから、当然同じ道を歩むことが体得には求められます。楽をして得られるものはありません。苦を受け入れ、その解放には、かなりの修業が必要になるからです。
最後に当室独自のマインドフルネス心身調和法の説明です。
〇マインドフルネス心身調和法 ―瞬間の生命を最高に発現させるためにー
前回のブログに説明したものは省略します。
〇マインドフルネス心身調和法で心身は蘇る
―生命は今の瞬間にしかない、その瞬間を最高の自分とともに生きるー
マインドフルネス心身調和法は、最新科学、生物学、量子力学の見解にブッタ・釈尊の法を加味したものです。マインドフルネス、認知行動療法などを包含した円融円満なもので、生命科学を基本にしています。
※ヨガの真意を実践で体得することが主眼です。体の部分と全体のつながりの実感、表層意識が深い深遠な神秘な潜在意識とつながっていることの実感体得。インドのダルマ大師は洞窟の壁に向かって、9年間、禅定三昧(ヨガ瞑想)され、悟りを得たと言われています。しかし、当室の瞑想は、山林や洞窟にこもってするものではなく、日々の生活の中で実践するものです。それがマインドフルネス心身調和法の特徴です。
特別講座 東洋哲学と量子力学の接点
講座4 マインドフルネス心身調和法で心は蘇る
今の瞬間に意識を本来の自分に調和させることで心の浄化が進む
①30年前アメリカのジョン・カバットジン氏が考案されたマインドフルネスの原点
・仏教の六波羅蜜(波羅蜜とは悟り)の一つ禅波羅蜜をカバットジン氏が独自に応用展開されたもの
・カバットジン氏が修行された道元の禅と瞑想について
・禅にヒントを得たカバットジン氏のマインドフルネスは西洋的分析知と東洋の直観智の融合の成果
②マインドフルネス心身調和法…カバットジン氏の瞑想を一歩深めたシランの室独自の観心瞑想
・呼吸瞑想の目的と実践
・身体観察瞑想の目的と実践
・自然観察瞑想の目的と実践
・詩読誦観心とは…意識を最高の周波数に合わせることで平穏が心の底からわきあがる
ー心の浄化で苦から解放され安心立命の意識化が始まるー
③適応とは何か
・生命活動は細胞の活動。人間は約、60兆の細胞で生きている生物。
・細胞は、代謝、増殖し環境適応している。適者生存の闘いをしている。
・神経過敏、過剰適応とストレスの関係…不安・適応障害と快適指向、過保護社会の関係
・適応も過剰適応も過去の経験と記憶から生じている
・人のもつ優れた恒常性や免疫機能にいて
・ストレスコーピングは、今を未来に向けて生きることの別名
④五つの感覚(眼識、耳識、舌識、鼻識、身識)と意識の六識で心身の内外を識る
・意識とは何か。意識を構成する感覚感受(気分、感情)と思考(言葉)
・痛みや苦しみを緩和する方法
・惰性的生、自動操作的行動から、今の瞬間に意識を集中させる方法について
・感覚や言葉という過去の記憶の反応を対処に変える。
・対処とは過去の知識を基にして思考と想像で新しく生み出すその場に適した対応力、つまり智慧のこと
・部分と全体のつながり、健康な部分の気づき、生きていることの有り難さの実感
⑤ストレスを未然に感知する方法と病気の…ほどよさの感覚の獲得について
・身体の調和
・心の調和
・環境と心身の調和
・万物の本来的リズムに合わせる方法としての名詩読誦瞑想。その音律で意識を磨くことで
心の濁りがもたらした苦の波動が、心の浄化作用によって喜びの波動に変っていく。
〇受講講座は選択制です。
家族、夫婦、親子、知人同士、一人受講も可。最大4名まで。
〇受講料 中高生2000円 大人3500円
〇各講座時間 50分 一日2講座まで申し込みできます
〇受講の申し込み方法…直接電話で予約されるか、予約コーナーから行ってください。
2024年 テーマ「崩れない幸せ郷を求めて」―量子力学と東洋哲学の接点―
講座3(上・下) 死を見つめることで、深い人生が始まる
① 人間は死んだらどうなるのか。死後の世界は存在するのか。
・「今まで死んだ人間は一人もいない。この宇宙には始めもなく終わりもない」
というニコラ・テスラの言葉の意味(20世紀の物理学者…イーロン、マスク氏など多くの人に影響を与えている)
・臨死体験者が語る「かい間見た死後の世界」
・断見(死んだらすべてなくなるという考え)、常見(死後魂が輪廻するという考え)について
② 死後の世界を2000年前に考察していた仏教の唯識哲学
・四有説… 生有(生まれた瞬間)⇒本有(現実に生きている瞬間瞬間)⇒死有(死ぬ瞬間)⇒中有(死後、次の生までの期間)
・記憶の貯蔵庫としての無意識世界のアラヤ識、そこに貯蔵された業が次の生を決定するという思想
・次の生はどんな生命体になるのか…今世の生きざま、業の集合が連続するという思想
③ なぜ生まれながら差別があるのか…天台智顗(ちぎ・6世紀、仏法理論を完成)の哲学について。
・天台智顗の生命理論…衆生世間(私たちの基本の生命境涯)、五陰世間(認知・行動・感情などの習慣化したものごとのとらえ方、反応の仕方、意識・無意識にわたる)、国土世間(住む環境の違い)という個の差別相や状態像。環境は主体の影。
・すべては自らの業の結果であり、自分という業因がもたらしたものとする哲学
④ 死を見つめ、死と向き合うことで生き方が変り、本当の深い人生になる
・生命は今の連続 瞬間は永遠 永久に今の奥底の生命が続く
・この宇宙は、はじめもなければ終わりもない、エネルギーが変化しただけというニコラ・テスラの哲学
⑤ 唯識と天台智顗の九識論
・六識(眼・耳・舌・鼻・身体・意識)と無意識…七識⇒マナ識(自己愛、自我執着の世界)、八識⇒阿頼耶識(行為の貯蔵庫の世界)、
九識⇒根本浄識(自己と宇宙につながり万物を生成する不可思議な因果律の世界)
・仏法哲学は生き方を教え、人生を最高なものにする
⑥ 今を価値的に生きる
・比較相対を超えた生き方…心の調和、バランスをはかる生き方
・価値的生き方…財、地位、学歴、名声、健康、才能を超えた心を高める生き方。逆境を乗り越えるレジリエンスの習得
・心の内面に財を積む生き方こそ本当の自己実現であり、その心の財の蓄積・善業が来世のよき生につながるという仏法哲学
・自己を向上させ、他者を守り、慈しみ、正しい生き方の中に心の安定が訪れ「崩れない幸せ郷」に至る
〇受講講座は選択制です。
家族、夫婦、親子、知人同士、一人受講も可。最大4名まで。
〇受講料 中高生2000円 大人3500円
〇各講座時間 50分 一日2講座まで申し込みできます
〇受講の申し込み方法…直接電話で予約されるか、予約コーナーから行ってください。
2024年 講座テーマ「崩れない幸せ郷を求めて」―量子力学と東洋哲学の接点―
講師 芝蘭の室 松岡敏勝
講座2 わたしたちは九つの心の世界を巡り安定しない
― その九つの世界は潜在下に存在し、今の瞬間はその一つの世界が顕在しているー
①の世界…苦しみ・地獄の世界―地下の牢獄(ナラカ)―
・生きていることが苦しい、何も見ても不幸、どうにもならないうめき声。生命力の枯渇。
・怒りがもたらす破壊の働き…自傷や他傷、殺人や戦争の原因
・焼けつくような苦しみ、求めても得られない苦しみ。強いものに巻かれる苦しみ
・苦の波長…本来の波長が失われ、逆流し、混乱し生命は限りなく疲弊し生のエネルギーを奪う
・苦の軽減法…信頼できる人に会う、話す。偉人の話に接する(読書)。自分の気持ちを書き出す。
・苦を抜く…安心できる人のそばにいると苦は軽くなっていく。苦に寄り添ってくれる人の存在が必要。
②の世界…「〇〇したい、○○がほしい」 充たされない欲望の世界-餓鬼の世界―
・欲望の過剰やとらわれ、執着に心がつながれ、不自由になり苦を感じる。
・ギャンブル依存などあらゆる依存は欲望の執着がもたらしている
・飢餓的欲望の波長…一時的に速度を増し、竜巻のように自己破壊を伴う
・欲望の執着を明らかにて欲望を昇華する。ほどよさの感覚を身につける。欲望を人間性の向上、願望の実現に結びつける。
3の世界…先を見ず目先で行動する愚かさの世界…畜生の世界
・生きるための本能、食べる、生殖活動、自分を安全に守る働き。
・弱肉強食の世界、自分の中に規範がない。
・後先を考えない本能に支配されて行動する愚かさ。
・波長は、どんよりして遅々として進む。けだるい感じ。以上の三つの世界を三毒という
④の世界…他者と比較し、常に他者に勝ろうとし、心が休まらず安定しない修羅の世界
・他人と比べ、自分が優れ、他人が劣っていると思う心。
・自分は素晴らしいと思う自己像を持ち、その自己像を壊さないためにエネルギーを費やす。
外面は善い人…仁・義・礼・知の振る舞いで本心を隠し偽り、人に諂う。素直でない。
内面と外面が異なる。偽りの自分を守り、保つためにエネルギーをつかう。心は安定しない。
・人に勝つことから、自分に勝つことへ方向性を変えることで善の方向に活かす。
⑤の世界…平穏な境地、人間らしい境涯…自分に勝つ生き方の第一歩…人間の世界
・正しい人生の軌道を歩むことによって心が安定してくる、内面化された規範に生きる。人らしさを保つには努力が必要になる、人間を超えたものに畏敬の念を持ち、尊敬することで自分を豊かにする。「三帰五戒…人間らしい生き方」は人に生れると唯識哲学は教える。
・欲望のコントロール、抑制する努力、倫理や道徳を守る。教育によって、人は人になる。教育が大事になる。
⑥の世界…欲望が充足された喜びの世界…天の世界
・人々は天を仰ぎ、敬い、憧れた。 自分に打ち勝つ先に得られる喜びの世界。
・欲望世界・色界・無色界…三界無安、火宅のごとし。五衰を受ける。
⑦の世界 反省、内省的自我…諸行無常を探究。存在の有無、真理を追究し自分を高める世界
一切のもの、一切の生物、人、社会に学び、人間完成を目指す心。見えないが確かに存在する心を見る。空や縁起を学ぶ。
⑧の世界…「空」を悟る境涯。諸法は無我と悟る。色即是空を悟る世界。アインシュタイン、ニコラテスラ、ニュートン、アリストテレス、ゲーテ
諸菩薩などの覚りの世界。
⑨の世界…他者を守り、支え、育む慈悲・愛の心に満ちた世界。自然や宇宙の根本法則、慈悲の周波数に自分の周波数を重ね合わせるようにして生きる。…菩薩の世界
その慈悲の周波数に生き続けるとき、あらゆる生命、人間は本来の調和を奏で最高の自分を発揮し充実し安定する。真の幸せ郷に至る。
〇受講講座は選択制です。
家族、夫婦、親子、知人同士、一人受講も可。最大4名まで。
〇受講料 中高生2000円 大人3500円
〇各講座時間 50分 一日2講座まで申し込みできます
〇受講の申し込み方法…直接電話で予約されるか、予約コーナーから行ってください。
2024年 講座テーマ「崩れない幸せ郷を求めて」10講座―量子力学と東洋哲学の接点―
講師 芝蘭の室 松岡敏勝
講座1 自分を正しく知ることが安楽の第一歩
① 私たちが意識できる世界は1%以下 無意識活動が99%以上の心身の活動
・身体は細胞の集まり。1㎜以下の受精卵が分裂し数10兆個の細胞になった私たち。
・身体の不思議…消化器系、循環器系など体のすべての機能。
・身体の極微は素粒子で振動している、皮膚は呼吸しバイオフォトンを放っている。
・身体の恒常性について…免疫、自然治癒力
・身体は調和であり、リズムであり、日々更新し、すべてつながっている。
・自分の身体の働きに感謝の心が湧くとき、幸せを感じることが出来る。
②心はどこにあるのか
・意識とは何か、五感覚と意識について
・脳と心の関係。神経とは心の通り道という意味。
・意識と潜在意識の関係 潜在意識は記憶の貯蔵庫、 夢、眠り、多重人格現象、トラウマ
・記憶と脳、 記憶には意味記憶、エピソード記憶、手続き記憶、プライミング記憶などがある
・身体も記憶する
③私たちの生命は身体と心が相互関係にある
・身体の病が心の落ち込みにつながる、心の病が身体不調につながる
・認知、感情、生理、行動というつながりを活かす認知行動療法。
・不登校の頭痛、腹痛 身体表現性障害など
・心身が深いものにつながっていることを想像することで幸せを感じることができる
④痛み、苦しみ…反応から対処へ…マインドフルネスの心を活かす
・痛みや苦しみは不調和のサイン、そのサインを読み取ることが健康への第一歩になる
・痛みや苦しみを苦悩にしない。痛みは想像の産物
・痛みを受け入れることについて。
⑤心身を支えている見えない不思議な働きに、心の波を合わせて生きるとき喜びを感じる
・今を惰性にしない、今を無意識の自動操作状態にしない
・今の瞬間を意識して集中する。今を丁寧に誠実に生きることで未来を拓くことができる
―想像力は知識より大事である。知識には限界があるが、想像力は無限である―アインシュタイン
〇受講講座は選択制です。
家族、夫婦、親子、知人同士、一人受講も可。最大4名まで。
〇受講料 中高生2000円 大人3500円
〇各講座時間 50分 一日2講座まで申し込みできます
〇受講の申し込み方法…直接電話で予約されるか、予約コーナーから行ってください。