相談室(ブログ)

うつ 心模様② 心の底に抑え込んだ怒りが炭火のようにくすぶっている 

2024.02.05

 心の不調を訴える人と面談して感じることは、本人は気づいていませんが、心の底に瞋りが沈んでいるのが見え隠れすることです。そして、その怒りが本人の心の不調の大きな原因になっていることです。
 
 特に鬱になっている人には、強い大きな怒りが潜んでいることを発見して驚くことが度々あります。抑うつ気分を遷延するものの一つの反芻思考の正体が、過去の怒りに関係する出来事であったり、人であったり、自分の失敗であったりを想起することから起きています。

 その怒りは他者に向いていることもありますが、うつの場合は過去の自分に向かい、自分を責める傾向にあります。そして罪悪感情を伴っています。自分に対する怒りが強ければ強いほど、自らの生のエネルギーは消耗していきます。

 自分の持つエネルギーで自分を攻撃します。何度も何度も、それを繰り返していけば、必然的にエネルギーは枯渇し、自律神経は調子を崩し機能しなくなります。

 命の波動の逆流現象が起きた状態です。結果、心身に大きな影響をもたらします。体がだるい、億劫、何もする気がしない、食欲もない、生きる意欲もないなどといった症状になります。、

 うつの改善は、この無意識に潜んでいる怒りの正体を見抜くことから始まります。
 
 
 

 うつ 心模様③ 無理に無理を重ねた心の悲鳴

2024.02.04

 うつになる人は無理な生き方をしています。仕事も無理を重ね、自分が壊れるまで気づかずやりすぎて、休職に追い込まれる人もいます。人間関係においても無理をしがちです。相手への過剰な気遣いと丁寧さで、神経を遣い、自分が無理をしていることに気づかず疲れ果て、心身のリズムを無視して、心の不調を招く人もいます。概して真面目な人が多く、社会にとって有益で能力もあり、とても価値のある人たちなのです。

 失敗や嫌なことがあったときも、そのことを過剰に反省し、また早くすっきりさせようとして気持ちに負荷をかけ過ぎ、かえって忘れなくなり、いつまでもその嫌な気分や考えがまとまわつきます。その思考と気分がぐるぐるとめぐり、反芻してしまいます。気持ちや思考に対して無理をしているからです。それも自然のリズムを無視した結果なのです。

 何事に対しても無理をし過ぎ、自分を壊してしまいます。無理をすれば、何でも壊れてしまうということを忘れているようです。自分の限度や、程よさに対する正しい意識が薄いのかもしれません。道具も体も心も無理をすれば壊れるのが道理です。無理をするというのは、調和(働くことと休息するというリズムの取り方)ということを、そのとき忘れているからです。

 私たちの身体は、緊張と弛緩という調和で健康を保っています。自律神経(意識できない、無意識の働き活動であるため無理をし不調和に気づかなくなる)の働きがその一つです。緊張しているとき(無理をしているとき)は交感神経が一生懸命働いています。逆に、休んでいるときは、心身が弛緩し、リラックスし副交感神経が働きます。この二つのリズムで私たちは心身の調和をとっています。どちらかに偏れば心身が不調になります。過度になると病気になります。多くの精神疾患に、このアンバランスが見られます。とくに交感神経の過度の働きによる不調が目立ちます。

 無理をする。熱中する。ものごとにこだわる。完璧にしないと気が済まないなど、そこには完璧にものごとをやらないと自分の気が済まないという生き方があります。生まれ持った性格と環境で身につけた生き方の習慣・その人の思想といったらよいでしょうか。
 
 それは悪いことではありませんが、無理は通らない、無理をすればやがて壊れるということを意識して、適宜に休む、休憩するというバランスある行動をすれば壊れず、最終的に価値ある行動につながります。壊れたら元もこもないからです。
 
 うつの治療はこうしたその人の無理をする、あるいは偏向し、バランスを崩しやすい思想に焦点を当てます。自分の思想の偏りに気づき、そしてそれを昇華していくのが改善につながります。        
  
 銀河の旅人

うつ 心模様④ 反芻思考が気分の低下を誘う

2024.02.03

   
 私たちの無意識世界は心身を守る戦いをしてくれています。例を挙げれば、私たちの血液の中にある約200万個の白血球は、休むことなく菌やウィルスと戦い、私たちの身体を健康に守ろうと動き働いています。同様に私たちも目的をもたないと自分の健康を保てません。変化に対応しないと、どんどん衰え、壊れていくからです。

 抑うつ気分も反芻思考も、今生きている意識が感覚をまとめたものです。それらが苦しみであるなら、体の痛みが故障部分を教えてくれているように、心の不健康部分を教えてくれているのです。「何を教えてくれているのだろう」と反芻思考から学べば、反芻思考を前向きにとらえることが出来るようになります。

 抑うつ気分に襲われながらも、目的に意識を集中することです。行動し続けることです。今できる行動をすることです。抑うつ気分の改善の一番は、体を動かすことです。血流をよくすることです。運動が一番ですね。その他、温泉、岩盤浴、陶板浴、サウナなど血流をよくするものが、まずお勧めです。また楽しいこと、興味のあることもよいでいいと思います。心が少し上昇するからです。

 抑うつ気分が強く、気力が出ない時は、今生きている証である呼吸に集中します。丹田呼吸をしてみます。吸う約4秒、口からゆっくり吐く約8秒~15秒を落ち着くまで何度も繰り返します。呼吸は自律神経に大きく影響します。

 動物・人は息を吸うとき緊張し、交感神経が優位に働きます。息を吐くときは逆に、副交感神経が優位になり、弛緩、リラックスします。丹田呼吸は、ゆっくり息を吐くことで副交感神経の働きを活発化し、緊張をとき、心身をリラックスさせます。
 30分以上かかるかもしれません。抑うつ気分の時は、ずっとこの呼吸をするのもよいでしょう。
 
 うつは生活習慣病と言われるようになりました。ある意味、すべての病は生活習慣がもたらすものといえます。認知行動療法は、考え方、ものごとのとらえ方に焦点を当て、うつの改善をはかります。森田療法は、気分と言葉の関係を生活の中で体得し、改善をはかります。マインドフルネスは、心身の部分と全体のつながりを体験から悟ることでうつの改善をはかります。

 生活習慣とは…思想であり、生き方であり、心の持ち方であり、考え方、ものごとのとらえ方、価値観、食生活、人生の目的観まで含んだその人の全体的なものです。うつの治癒は生活習慣を自らが変えていくということになりますから、完治することは厄介であり、時間がかかります。
 
 このことを理解すれば鬱が薬で治らないことは、プラセボ実験(鬱の薬と偽薬の効果が半々であっというアメリカでの実験の事実)を待つまでもなく自明なことです。薬で再発したり、遷延化したり、20年の服薬でも治らないというのは、当たり前のことなのです。薬は全く効果がないと言うことではなく、一時的症状の軽減には役に立っているのは事実です。
 うつは生活習慣をつくるその人の持つ思想の問題であり、生き方習慣の問題なのです。東洋医学は3000年前からこのことを解明していました。対話を通しての本人の自覚が本質的な治癒につながります。
 ヒマラヤの旅人

 

うつ 心模様⑤ 抑うつ気分が生きる意欲を奪い 苦しさが存在否定に向かわさせる

2024.02.03

 私たちが今生きていることの実感の一つが気分という感覚です。言い換えれば意識ということですが、意識には言葉が伴っています。この言葉と気分の関係が自覚できれば、抑うつ気分をコントロールすることができるようになります。

 まず気分の浮き沈みは心のリズムということを知ることです。
 人間の気分と自然現象の天候は似ています。日々の空模様、晴れたり曇ったり、雨が降ったりして変化し、一定ではありません。これは気分の比喩でもあります。気分も空模様のように日々変わるという事実を、自覚し受け入れなければなりません。
 
 受け入れても受け入れなくとも、雨の日は雨の中で生きていくしかありません。同じように気分が落ち込んでいても、一日は一日で流れ過ぎていきます。つまり、気分に囚われ、もがき苦しむより気分をそのまま受け入れ、流れにまかせて生きていけば楽になります。ただ抑うつ気分がずっと続くのは、梅雨の長雨のようなものであり、それなりの理由があります。
 
 次は抑うつ気分への恐怖、とらわれがないかを知ることです。
 晴れが好きで気持ちがいいから、いつも晴れてほしいと願っても、それは現実的ではありません。それは事実を無視した妄想です。雨が降らなければ地上の生物も人も動植物も生きていけません。生物は自然の天候と共存して生きています。同じように、人もたとえ、どんな嫌な気分であっても、その気分と共存して生きることが正しいありかたなのです。

 抑うつ気分への囚(とら)われと、気分よく生きたいとう気分の良さへの執着を明らかに見ることです。抑うつ気分も意味があって起きている気の流れです。雨が降ることに意味があるように…。抑うつは、あなたに何かを教えてくれているのです。その意味がわかれば、抑うつ気分から解放されていきます。

 三つ目は、自分を安全に守りたいという気持ちの強さの程度を知ることです。
 気分に囚われる人の特徴として、いくつか理由が考えられます。一つは快や安心への執着が強いことです。換言すれば自分を安全に守りたいという本能(本来的な動物がもつ能力のことで、優れた働きの一つ)の執着が強いということです。だから、不快から逃げたり嫌な気分を攻撃し排斥しようとしたり、嫌なことを避けようとします。裏を返せば、自分を守り、よりよく生きたいという生の欲求の強さの表れと言えます。改善すれば、この生のエネルギーがあなたの能力の開発の力になります。
 
 改善方法は、不快気分から逃げたり闘ったりせず 忍耐して受け入れることです。
 気分の落ち込みや不快感は避ければ避けるほど、逃げれば逃げるほど気分の落ち込みは追いかけてくるように、ずっとあなたにまとわりつきます。いわゆる、反芻思考になってしまいます。反対に落ち込みと直面し、受け入れれば、いつしか消失していきます。

 気は流れ変化していくものだからです。その気の流れをとめているのが、あなたの囚われと執着、気が済まないとかすっきりさせたい、そうしないと次に進めないなどの気持ちです。不快気分を受け入れる忍耐力が求められます。また気分は時間がたてば変わると信じることで落ち込みから解放されていきます。
 
 気分は自然に流れていくことを信じて、落ち込みという嫌な気分に耐えることです。これは知識では修得できません、日々の実際の生活から身につける智慧です。

 過去の記憶の余習(強い刺激は心に強く記憶され、気分の余韻が続くこと、楽しいことも、いやなことや怖いことも)から生起する無意識層から自動的に起きる反芻思考への対処が必要です。反芻思考は過去の嫌な失敗などから自動操作的に生起し、未来へ不安をもたらし、行動を狭めたり、止めたりします。それに従ってしまえば、抑うつ気分を強化する結果となり、いつまでも不快気分に苦しめられてしまいます。

 抑うつの不快気分の受け入れは、受動的ではできません。抑うつ気分に直面し、それを観察し、そのままに流し、気分をやりくりしないことです。気分をやりくりしてしまうのは、今の瞬間を惰性に生き目的がないからです。私たちの心身は絶えず目的を持って生きています。
 銀河の旅人
 
 
   

寝るのが恐怖です。寝付けないことが苦しく夜が怖くなります。(20代男性)

2024.02.02

 あなたは一種の睡眠恐怖症になっているようです。
 恐怖症の背景に、自分を安全に保ちたい、気分よく保ちたいなど快適指向の強さと、その状態へのこだわり、また不快を避ける気持ちの強さがあります。不快気分をなくし快適に生きたいと誰しも願いますが、現実はままならないことが多く、不快や不安状況は避けられず、受けいれて生きるしかありません。

 辛さを受け入れて生きれば、多くのことは時間が解決してくれます。睡眠がとれず、体の調子は悪く、不快な気分、不調感を持ちながら、決めた時間に起きて、決めた行動を約束通り実行することを繰り返すことができれば、あなたの問題は解決します。
なぜ、それができないのでしょうか。そこに恐怖症の難かしさがあります。

 恐怖症になりやすい人は、ある時の恐怖の体験、強い嫌悪体験がきっかけになり、以後それを避け回避しようとするため、そのことが逆に強まり、囚われ抜け出せなくなります。
 恐怖体験は、脳に深く刻まれやすく、記憶され、無意識層に蓄積され、忘れられなくなり、意識を超えて無意識の世界からの反応が起きるのでやっかいです。

「眠れなかったら、遅刻する」それが予期恐怖になり、まだ起きてもないことを頭の中であれこれ考え、不安になり、自らのストレスとなり、神経を緊張させます。こうした神経過敏状態が自律神経の不調を誘い、入眠困難を招きます。心と体は一体の関係にあります。

 私の昔の大学入試の前夜の体験です。
「寝ないと、明日の試験に力が出せない」と思い、夜9時前に床に就いて寝ることに備えましたが、試験のことを考えると頭が冴えわたり、ほとんど一睡もせずに試験に臨んだことが何度かありました。浪人生活も長く、受験前は完全に深夜型で、朝は起きられない生活習慣になっていました。また生活習慣そのものが、不健全で、神経過敏状態にありましたが、当時はそんなことに気づかず、無理を重ね心の不調を招く結果になりました。
 
 過度に意識する…そのとらわれがすべての原因になっています。改善はとらわれからの解放が目標になります。 「眠れなかったらたら、遅刻したら、どうしよう」と想像するだけで、不安が強まり、神経過敏に陥いります。それは、あなたの予期不安が招いたものなのです。
 
人間はだれしも主観的に生きる傾向があります。主観や気分ではなく、事実に生きるようにします。事実に忠実に生きるために、事実を観察することから始めます。何時に寝たらどうなるのかを記録し、事実を観察します、寝る時間と睡眠時間の関係、眠れない日の原因など客観的に自分を観察します。日記に記録すると事実と気分を客観視し自分の生活習慣に気づきます。

 改善するために最も大事な点は、生活習慣全体を見推すことです。よい生活習慣は、人生をよくしてくれます。良い睡眠リズムを作るために、夜は10時には寝るようにします。眠れなくとも決められた時間、7時には必ず起きるように習慣づけます。

寝る1時間前からはスマホ、パソコンから離れます。食事も8時には終えるようにします。軽い運動を心がけます。食事も偏食、食べ過ぎに気を付け、和食を意識します。シャワーではなく、入浴をこころがけます。

 寝る前に、次のリラクセーションとしての呼吸法で自律神経を調整します。私たちは呼吸で生きています。深い呼吸を心がけます。鼻から息を4秒ぐらいで吸い、口からゆっくり8秒ぐらいで吐きます。息を吸うとき緊張し、交感神経が働きます。息を吐くときリラックスし、副交感神経が働きます。この呼吸法を2、3分行います。緊張した時、随時行うとよいでしょう。

 反省は大事ですが、罪悪、自責はしないようにします。罪悪感は、神経過敏につながるからです。

 次が改善できるかどうかのカギになる事柄です。
 不快気分や恐怖はすぐにはなくなりません。たとえ睡眠がとれていなくとも、不快気分と一緒に起床し、約束した行動をします。つまり不快気分のまま身体不調感のまま、辛くとも忍耐し自分で決めた行動を貫きます。不快気分から逃げず、不快は不快のまま、辛くとも苦しくとも決められたことをやり抜きます。

 その体験の積み重ねで、新しい習慣ができていきます。その一つ一つの体験が自信になり、やがて生活に支障はなくなり、本当の快適な人生になっていきます。そしてあなたは人間としても一回り成長し、完治してゆきます。
 
 勇気を持って実行すれば必ずよくなります。この方法で多くの人が改善し希望の人生を歩んでいます。あなたも必ずできます。大丈夫です、頑張ってださい。
 もしうまくいかないときは、恐怖症専門の当室に相談に来られるとよいでしょう。

反芻思考を100%改善する…マインドフルネス認知行動療法を発展させた円融円満療法

2024.01.27

 反芻思考からの解放               臨床心理シランの室

1 反芻思考とは、だれしもが経験する嫌な繰り返される思考と感情のことである。ただ、その思考のため生活に不自由を感じ、ぐるぐる回り、頭から離れない思考を反芻思考と呼んでいる。侵入思考、自動思考、強迫観念とも重なる概念である。
それは、ある時のある出来事が記憶され、反復することにより強化され、その記憶が無意識層に潜在、堆積される。そこから 何気に起きる。波のように。➡自動思考は強化された記憶から生起し自動操作状態で意識化されてしまう。

2 自分の心の状態、反応傾向、思考傾向、感情の受け止め方の特徴を知る。

3 感情と思考はセットで意識を構成している。感情は波動で、言葉というイメージをもつ。

4 その記憶は消えないが、操作しなければ薄れていく。新しいものが入ってくると、そちらが優先される。➡マインドフルネス、今の瞬間に目的をもって評価せず集中して生きる生き方につとめる⇒新しい記憶をつくる。意識の転換を自然に行う(森田療法) 瞬間、瞬間生まれる波動・不可思議な生命の働きとつながるようにする。

5 負の思考感情に襲われ、パニックになる時。
 ・リラクセーションする(丹田呼吸法・筋弛緩法・気分転換行動⇒動いて、どこかに行く。(コーヒタイム・トイレなど))
 ・その思考に向き合う。思考で払うのではない。前向きに思考を位置づけていく。➡受容
 ・今生きていること、瞬間に集中する。目的がないときは、今生きている意識、呼吸に集中する。
 ・感情・気分は・自然に任せれば流れていく。今の不快気分を受け入れる。気分を思考で操作できないことを知る。
(思想の矛盾にらないようにする)
 ・気分という主観から離れ、自分を客観化する。「ああ、またとらわれている」など。メタ認知力をつける。

6 記録をつけ自分の事実を知る。自分を客観視する。森田療法、マインドフルネス、認知行動療法すべてで実施している。

7 今の自動思考・意識は自分の一部。全体ではない。自分の全体とのつながりを知る。➡自然な心・純な心になる(森田療法・マインドフルネス)

8 悲観的未来思考の内容をよいものに替える。➡言葉と気分の不思議な関係。新しい波動と気分を産み出す方法。言葉の不思議な力を知る。
 ➡言葉は波動。悪い言葉はマイナス感情をもたらす。よい言葉は+感情をもたらす。(東洋医学・気の思想)
 言葉を良い言葉に置き換える。生きているのは、言葉とともにある。その言葉・思考をすべてよいものに変えていく努力をする。「自分はできる」「大丈夫」と自分に語りかけるだけで、力が出てくる。リフレーミングする(見方やとらえ方の思考や感情の枠組みを別のものにに変えてみる方法)
 リフレーミングの例「どうせできない・失敗したらどうしよう」➡やってみないとわからない。でたとこころ勝負と開き直る。経験が大事。うまくいかなかったら学べばよい。成功につながるじゃないか。失敗も成功も価値がある。失敗から学ぶと成長できる。経験すること自体が有り難い。
・「今の自分は自信がない」➡人は新ことに挑戦することで成長する。まずやることだ。

※意識に上がってくる、言葉を良い言葉で表現するのか、それとも悪い言葉で表現するのかで気分が大きく変わることを体験的に知る。無意識はすべてを知っている。記憶している。
※軽い運動をする。ヨガ体操はとてもよい。自然の善いところを歩いたり空気を吸ったりする。波動を高める趣味を持つ。良書の読書、音楽、楽器演奏、歌う。

つまり反芻思考からの解放は、生き方の向上と比例して改善してゆき、今まで以上の自分へと脱皮していきます。
  
 紙面では理解できないとこもありますので、正しく理解できない方や解決できない方は、来所され、面接を受けると改善が早くなります。

    銀河の詩人より

心の病を改善する…マインドフルネスは仏教医学の現代的展開

2024.01.18

 うつが長引き治らない人に対して、最近マインドフルネス認知療法が治療法として取りいれられているようです。また、生き方などにも応用展開され、企業研修にも使われていると聞きます。今の瞬間に評価せず意識を集中して生きるというマインドフルネスは簡単なようですが、奥がとても深く生半可な知識は、けがのもとになります。
 
 そもそも、マインドフルネスは、アメリカのジョン・カバットジン氏による西洋医学では、お手上げの人たちの苦痛低減治療として、約30前に産み出されました。彼は日本で禅の大家について禅を学んでいます。その治療法は「マイドフルネスストレス低減法」(直訳は、生命力が蘇る瞑想健康法…こころとからだのリフレッシュ)という本で日本にも紹介されました。
 
 禅は仏教の一部の教えであり、ブッタのある時期の真実に至る入口のような教えでした。6世紀ごろ中国の達磨(ダルマ)によって考案された教えは、日本の鎌倉時代に武士の間に禅として広がりました。この教えを究めることは困難であり、アメリカ人のジョン・カバットジン氏の展開は驚嘆に値すると私は思っています。
 
 ブッタの教えの真実に迫らないとマインドフルネスも心の部分観に終わり、治療としては効果が得にくくなります。アメリカ人の彼は、彼独自の解釈と悟りを基本にしています。日本の禅の教えがアメリカで加工修正されたのちに逆輸入され、日本で広まっていることに、皮肉な感じを受けます。
 
 なぜそのようなことが起きるのかといいますと、日本人に本当のブッタの教えと実践がなくなっているからです。日本の仏教は一部の世俗化された僧侶の職業になってしまい、檀徒は葬祭をお願いするという形式になっています。そこにはブッタの精神もないし、本物の仏道修行もありません。ゆえに仏教の教えがわからないし、マインドフルネス(禅の瞑想)をありがたがれるのです。
 
 ブッタの教えは宗教と言うより、人生における苦しみの解決法であり、思想であり医学と言えます。、当時のインドで最大の医師といわれていたギバはブッタに教えを受けたと言われ、ブッタは万病を治す医王と呼ばれていたそうです。その思想の根本は、修行で得た体得であり智慧であり知識ではありません。心に対する、命に対する厳格な克己を課した修行なしには体得できないものなのです。マインドフルネスを体得できれば、自らのマインドコントロールができるようになり、生き方が楽になります。苦しみの乗り越え方ができるようになるからです。
 
 知識で心の病が解決できないようにマインドフルネスも知識では悟れません。実践・体験修得、修業という実践の中で身につけるものです。つまり生き方そのものの質を高めることと同じなのです。
 
 東洋医学は、仏教医学を源流としています。その目指すものは、自らの苦と徹底的に向き合い、厳格な修練の中で得られる智慧です。不断の努力を怠れば、その悟りも通用しなくなります。地球が自転公転し、太陽が銀河系の中を動き、万物は生々流転してゆくように、人も動き、変化に則っとていくためには、自らを絶えず向上させゆくしかありません。これが生きるということの真実でり、健康の本当の意味です。 
 
 

森田療法は、薬を使わずに神経症(不安症・強迫観念など)を治す治療法

2024.01.17

 西洋医学で心の病の完治ができないことは、前ブログで述べました。その理由は、心そのものが解明できていないからです。心は直観智で悟るしかないとは東洋医学のは教えです。言葉での意識化や分析を超え、時間や空間を超えた世界が心の世界だからです。不可思議でつかみどころがない世界を対象にしているから、迷信や宗教や浅薄な心理療法がはびこります。心が見えないだけに、また解明されていないがゆえに視聴覚情報が流行を作り、あたかも本物のように真理を知らない人たちを煽り、拝金思想の人たちに利用されていきます。
 
 最近の東洋医学で心の病をかなりの確率で改善している人は、おそらく以下の二名と思われます。それは、森田療法の創始者慈恵医大の精神科医森田正馬氏とマインドフルネスの開発者ジョン・カバットジン氏です。彼らは療法も卓越していますが、何よりも人格が秀でていて、心が優れた人たちです。名誉やお金を求めず、苦しむ人たちを救うことを第一義にしている菩薩(他者の苦しみを抜き、楽を与えることを第一義している人のこと)のような人たちです。
 
 かつて神経症(現、抑うつ神経症、各種対人不安症、パニック障害、強迫性障害など)を全治させたのは、森田正馬の治療法であり、現在も森田療法として引き継がれています。その治療において、森田氏は薬を使うことを愚かなことと考え、薬は一切使っていません。
 森田正馬氏著「神経衰弱と強迫観念の根治法」に「薬の広告が、いかにあわれなる患者を毒していることだろう」とはっきり書かれています。また薬の投薬は無知な医者のすることであり、もっと心のことを学びなさいと厳しく述べ、神経過敏から起こる神経症治療に薬を使えば、患者の依存性を強め、かえって病は酷くなると断言しています。
 森田氏のこうした信念に基づいた療法は、当時の医学界から一斉に反撃されましたが、森田氏を論破できた医療専門家はいませんでした。なぜかというと森田氏が患者を治し、他の医師は治せなかったという結果がすべてでした。今なお森田療法が神経症の治療で世界に展開されている事実が彼の信念の正しさを証明しているといってよいでしょう。
 
 彼の治療は、対話療法的アプローチで本人の自覚を促すものでした。患者本人が自らの心、心身の理解を深め、病因の根本を洞察し悟ることで、正しい対処ができるようになり、完治していったのです。森田療法における入院治療は悟るための修行でした。森田氏の療法は自覚療法とも言われ、仏教医学の実践だったのです。彼の療法は、彼自身が強迫観念と心臓神経症(現パニック障害)を自ら治癒した経験からの洞察から生まれたものです。死の恐怖と向き合い、地獄の苦しみの中での悟りであり体得でした。
 
 森田氏の治療法の究極は自らの心身に「あるがまま」になることであり、無為自然であり、自らの尊い生命に「南無」することでした。つまり自らの本然のいのちに則って生きることを目標としたのです。彼は仏教の禅に精通していたと思われます。その悟りはマインドフルネスのカバットジン氏の目指すものと同じように思えます。森田療法は修行なくしては使えない療法なのです。

 

3000年以上前から心を探究し続けてきた東洋医学が心の病をよく治す。

2024.01.15

 なぜ西洋医学は、心の病を完治することが難しいのでしょうか。それは西洋医学が物質科学を基本にしているからです。量子力学に見られるように物質の研究、分析はかなり進み、宇宙にもロケットが飛び、スマホをはじめとした電子機器、AI技術などの進化など神業ともいえる進歩を遂げています。その恩恵を受け、身体医学はかなり進歩してきましたが、まだ多くの身体病も原因がわからず、対処法もわかっていない病は多く、医学では、それを難病と名付けています。
 西洋医学は、身体や物質の一部を分析し、そこに対応しています。その科学性や分析力や精密さは素晴らしいものがありますが、あくまで生命の一部分を対象にしているため、生命全体への洞察に欠けてる傾向にあります。
 
 身体医学に比べ、心の病の解明は遅れています。なぜなら、心は物質ではなく、科学では分析できないからです。心の病の治療は、症状から推測し、その症状を起こしているとされる脳を対象に薬が投与されます。あくまで脳の働きから起きるとされる症状からの推測であり、それは科学とはいえません。科学は、仮説、実験、実証に基づいたものであり、西洋医学の実証性は低いとされています。
 
 かつて鬱に対するプラセボ(偽薬)実験が、それを証明しています。偽薬も、本物の薬も効果は、ほぼ同じだったという驚く結果が証明されました。まるで占いの「当るも八卦、当たらないのも八卦」と似ています。心についての医科学は闇の中を彷徨っている状態なのです
 
 心の病は専ら、脳に働きかける薬物治療に依存していますが、心の解明が進んでいないので、危険性があります。多くの心ある専門家はその弊害に警鐘を鳴らしてます。中でも米田倫康氏の「ブラック精神医療」は、精神科治療で苦しめられ泣いている患者の告発を基に調査されたものが述べられていますが、そのようなお上にたてつくような本は書店にも置かれていないし、多くの人は存在すら知りません。正義はいつの世でも煙たがれ闇に葬られるのが宿命なのでしょうか。
 また精神科医、内海聡氏は、早くから精神科治療に対して実態に基づく批判を続けています。「精神科医は、今日もやりたい放題」という書に詳しく述べられていますが、これも書店で見かけることはありません。
 
 東洋医学は仏教やインド哲学が源流であり、3000年前から、人間の病や苦しみを解決する方法や心を研究探求してきました。仏教の創始者釈尊(ブッタ)は病の原因を解明し、万病を治し、医王と言われました。ブッタの教えは、ちまたに言われる宗教というより思想であり苦を解決しゆく哲学実践であり、よりよい生き方を目指す指標のようなものです。東洋医学は、ブッタの医学を根本に発展し続けてきました。老子や孔子、今、はやりのヨガにもその一部を見ることができます。
  
  

気持ちを人にうまく伝える方法はありますか。(高校2年女性)

2023.12.26

質問
感情の変化が乏しいと感じられることも感じることも頻繁にあります。
特に初対面の人や、そこまでお話したことの無い人に対して強く出る傾向にあると思っています。
自分ですら何を考えているのか分からない時があります。家の中で、感情を押し殺すようなことをしていました。
幼少期から両親とコミュニケーションをとる事が少なかったです。人の顔色を伺いながら過ごしていました。それは小学校に入学してから今まで、変わることはありませんでした。なにかしらアドバイスをよろしくお願いします。

回答
 もちろんありますし、あなたにもできます。
 あなたの悩みは青年期特有の他者意識を強く持つことから起きている悩みの一つと思われます。私にもそうした時期がありました。自己をどのように表現するか。それは、過去の世界や日本の名作文学作品のテーマの一つでもあったのです。太宰治の書「人間失格」は自己表現に最後まで苦悩した主人公が描かれています。

三島由紀夫も文学を通して、自己表現をテーマにしていたように見えます。武者小路実篤の文学は、人間の自己表現の陽性部分描いています。時間があれば、古今の名作(名作は深い人間観が描写されているから名作といわれている)を読まれるとよいと思います。私は19歳の頃、夏目漱石の「こころ」というものを読んで、人のこころについての考えが大きく変わったことを記憶しています。もちろん以後の自分の人生に役立っていきました。
文学には、そうした人生を疑似体験し学び自分の精神の向上につながる良さがあると思っています。あなたは若いし、これから、どんな人生を歩むこしもできる可能性を秘めているのですから大いに学び自分を高めていってください。。

自分を表現する。感情や気持ちの表現、考えや思いの表現、これらは言葉によって表現する方法です。もう一つは、言葉以外で自分を表現する方法、ノンバーバールコミュニケーションと言われるものです。笑顔、怖い顔などの顔の表現、また動作で表現したり、言葉の調子で表現したりすることも自己表現の一つです。何も言葉でしゃべることだけが表現ではありません。表現力のある人は、自分の能力のすべてを活用して自分を表現しています。

なぜ自分の気持ちや考えが自由に表現できないのでしょうか。
これまで生きてきた環境によって作られた自分なりの表現の仕方を身につけているからです。
虐待、いじめ、両親間のDV、過干渉などの家庭環境では、自分の身を守るため、大人・親などに自分の気持ちや考えを出せなくなっていきます。自分を表現すると攻撃されるかもしれないという恐怖心から自分を守るようになっていくものです。自分の気持ちを表現しなくなっていきます。

 このような環境の中で育つと、他者不信、他者不安が強くなり、人の中で安定できなくなります。
また、自分の気持ちがわからなくなります。他者に自分を出してよいのかがわからなくなり、自己表現の仕方が未熟のままに育ち、大人になっていきますが、どこかで行きずまります。
 
 解決方法は、自分は自分でよい、自分の尊い存在、だから自分を表現してもよいと言い聞かせ、勇気をもって自己開示してゆきます。また潜在意識下にある記憶(恐怖体験)を知り、それが今の生き方に影響していることを自覚することです。
さらに侵入してくる過去の記憶をそのままにして、今の瞬間を、目的をもって誠実に丁寧に生きることによって、新しい記憶を作っていき、過去の記憶が自然と薄れていくようにしていくことです。

 本来の自分を知り、その自分に生きることです。また他者比較の生き方から、自分対自分という自己評価に生きる自分を創ることです。詳細は、このブログの内容「本来の自分に生きる」を参考にされるとよいでしょう。