相談室(ブログ)

 本当の自分に生きるとき、どんな困難も乗り越える力と智慧が湧き 新しい自分がつくられていきます

2024.12.14

苦しみは 本当の自分を忘れた 迷いの姿であり 

生命は懐かしい本当の心の故郷に還ることを願っています。

本来の自己に還り 本来の自分に生きる時 苦しみはなくなり 

人生の生きる意味に目覚め 深い充実を感じるようになります。

本来の自己とは何か…古来、人間が求め続けたきた難問でした。

自己とは何か?   生命とは何か?

心とは何か?  意識とは何か?  死とは何か?

さあ 一緒に歴史上の賢聖を尋ねててみましょう 

漂流し苦悩にさまよう 自己の平和を取り戻すために…

人はどこから来たのか 偶然にこの世にやってきたのか?

ニコラテスラ氏(20世紀の物理学者・詩人)は、誰も死んだ人はいない

光は物質を産み それはエネルギーに変り 物質は消え 光に戻る、と‥。

人という物質のかたちは宇宙に還っても その物質のもっていたエネルギーは宇宙に溶け込み

変化しただけであり やがて縁によってかたちを作る つまり生命は永遠に続くとの見解を

述べました。

今は人として生きていても かたちはなくなり 次のかたちは植物かもしれない

動物のかたちかもしれない 鳥のかたちかもしれない 昆虫のかたちかもしれない…

地球一の聖人・賢者・覚者と言われ、生命現象を悟ったとされている釈尊(ブッタ)は

過去世で鹿の王のかたちで生き 仏道を修行したことがあると自らの過去世の一端を説きました。

釈尊によると、人は偶然に、この世に誕生したのではなく 生命はかたちを変えながら 個の我は

連続していると覚知されたそうです。

夢を見る前の自分と 夢から覚めた自分は別人ではなく 同じ我を持ち一貫した存在です。

つまり 今世の人生で行為として積み上げた善悪の行為の蓄積(カルマ=業の集積)されたものが

次の生のかたちを決めるとブッタは説かれました。

人らしく人間の戒を守って生きれば 人として生まれ

畜生のように生きれば 畜生(動物や鳥や昆虫)のかたちに生れ    

欲望に執着した生き方であれば 地下深くの餓鬼の世界に生れ

人や自然や生物を傷つけ続けて生命は 苦しみの連続する 地獄に生を受け

徳を積み 人に施し 他の生命を慈しみ 守った生き方は 宮殿に生れ天人となり

知的探求 真理を模索して生きた人は ソクラテスやアインシュタインやノーベル受賞者

のような知的世界に囲まれた場所に生を受け

いつも苦しむ人のために その苦を抜く行動を突けた人は 弥勒菩薩 観音菩薩 イエスキリスト 老子 孔子 マザーテレサ ヘレンケラーのようなメシア的存在で生れるといいます。

つまり 今どんな生き方をしているのか 善を積んでいるのか 悪を行っているのか それらは脳に記

憶され 無意識世界に刻まれ 次の行為に影響を与え そして次の生のかたちを決定すると釈尊は説い

たのです。

これを因果といい それが報いとして目に見えるかたちをつくるとブッタは妙法蓮華経譬喩品で説かれました。

つまり今の自分は自分の生き方が作ったものであると知ることが、根本的な苦を抜く正眼視というので

すです。

人間は人間のことを何もわかっていないと、無知の知…無知であることを知りなさいと、ギリシャの若

者に生命の真理に目覚めるように説いたのは 哲人ソクラテスでした。

私たちは自分の身体がなせ動いているのかを知りません 脳や各器官や臓器がどのように統一され連系

され生を営んでいるか知りません。

意識がどこから起きているのかも知りません なぜ周囲を感知できるのかもよくわかっていません。

自分が自分であることは なんとなく記憶された言葉で認知しているに過ぎず 

記憶は既に過去であり 今の瞬間の自分が何者なのかがわかっていません。

ソクラテスの問いは真理をついた言葉であり 当時の知識層といわれた詭弁学者は彼を恐れ

彼に嫉妬し 牢屋に送り 法を順守するソクラテスの正義感につけ込み、毒を送ったと言われています

ソクラテスの問いは 今も私たちの心に鮮明に響いてきます

自分のこと 自然や宇宙 生命についてほとんどわかっていないという

学べば学ぶほど多くのことが分かっていない自分に気づきます

まさに無知の自覚です。そこから本当の自分の探求が始まりす。

 

人、動物、植物、地球、太陽、宇宙の万物は 固有の振動を奏でながらカオス状態で常に変化しています

2024.12.13

喜びの振動 悲しみの振動 苦しみの振動 恐怖の振動 怒りの振動 破壊の振動 慈しみの振動 快適な振動 不愉快な振動、満たされた振動、不満な振動など…この宇宙は万物の存在が発する無数の振動に満ち混沌としています。

動物にも無数の振動があり、植物にも幾つもの振動があり、細菌も、ウイルスも塵も石も空気も振動を発しています。その振動を秒単位で計測したものを物理学者は周波数と名付けています。

宇宙万物本来の振動は、喜びと安心に満ち慈しみと愛、そして常に進化し創造する無限の力を秘めた律動を奏でています。インスピレーション、啓示を受けた宗教者などは、その振動を神、仏などと、地球の言葉を使って名付けました。名付ける前から、その振動そのものは無始無終の在り方で存在し、今この瞬間も振動していますが見ることも感じることもできません。

宇宙のあらゆる存在は周波数でかたちが決まり、それぞれが固有の周波数を奏でています。天にも昇る喜びの周波数もあれば、地の底に閉じ込められる苦しみの周波数もあります。動物も、その個に応じた周波数を出しています。人は通常は穏やかな周波数を出しています。それが人間界の特徴の一つとも言われています。

人面を持ちながら、弱い者をいじめ支配し、強いものにこびへつらう動物以下の周波数が基本になっている人もいます。人の発する周波数は言葉や外面で操作することはできません、心が澄んだ人は、他者の周波数を直感で正しく感じとり、その心を見ぬくことができます。

例えば光は二つの側面を持っています。それは粒子と波という二面です。以下は私の仮説ですが、人間の心の表現としての意識は、言葉・イメージと気分感情いう二側面があります。言葉・イメージは粒子であり、気分感情は波に譬えられます。人間の意識表現としての言葉は感情・気分という波動性をもっていると推測でき、そこに人の周波数の秘密が潜在しています。

生物・人間の波動・周波数の種類は八万四千波(覚者、ブッタの悟り)と言われています。それを解明すれば、不可思議な周波数の問いや喜びの周波数のなぞは解けるでしょう。

この地球上、そして宇宙には生物、無生物、物質、塵などあらゆる存在、見えないが存在しているものなどが発する様々な波、光、闇波、電磁波、声、声なき声などが飛び交い無数の周波数に満ちています。

最新の量子力学などで、素粒子の世界や動きから周波数の一部は解析できている部分もありますが、ごく一部であり、ほとんどが闇の中です。あらゆる生物、物体、人間や動物も固有の周波数を出しているからです。しかもそれが固定的なものではなく、絶えず変化し、相関性の原理で生起しているのが真相だから分析できないのです。(最新の光の二重スリット実験の結果など)その意味では素粒子の究極の世界と似ています。

つまり宇宙の物体は周波数によってかたちができ、その周波数も刻々と変化し、相関性(縁起)で成り立っているということです。

あなたは、今の瞬間、あなた独自の周波数を出して生きています。しかも刻々と、対境(縁)によって変化する周波数なのです。その周波数の持ち主は、この宇宙であなたしかいません。持ち主のあなた自身の各細胞が発する周波数の組織化された総合波を瞬間にあなたの意識が感知しているに過ぎません。細胞は30数兆個(正確な数はつかめていない)あります。人間も動物も植物も地球も太陽も、みんな独自の周波数を出しています。

波動を高めるとか運気をあげるとか、周波数を合わせるとかいっても、宇宙、生命の真実相がわからないと、どこに周波数を合わせるかさえわかりません。指標なき盲目の方向は危険です。苦海行きの周波数や人をだまし(グルーミングなどの優しい言動など)苦しみを誘う周波数で満ちているのが地球世界の真実相です。心が濁っていると、見る目が曇り、真実が見抜けなくなり、偽物を本物と見てしまいます。結果、不幸な人生をさまようことになります。

見えない世界をあつかう、宗教やスピリチュアル系や思想・考え方の怖さはそこにあります。今、問題になっている宗教がそのよい例です。そもそもお金や営利の心がある人や団体には気を付けなくてはいけません。正しい思想の人は、お金や名声名誉を求めず真実の探求を第一に誠実に生きています。なぜなら真実の探求と悟りで心が喜びと充実感に満ちているからです。

周波数の解明は宇宙すべての生命現象の解明なくしては分からない難問です。生命の真実相を求めてこの地球では有史以来あらゆる聖人、賢人、物理学者、数学者、医学者、哲学者、思想家、宗教者が格闘してきました。そして到達した世界を書物や対話などで残してきました。その数は膨大であり、一生かけても探究できません。

最も生命の真実に迫った人たちは2500年前ぐらいのインドに端を発しているようです。自分のすべてをかけて生命の真実に迫ろうとしていました。世俗の欲を絶って生命の真実と格闘しました。その代表が釈尊・ブッタ(ブッタとは生命の真理を悟った人との意味)とも言われている)です。

五欲(眼・耳、舌・鼻・身が感じる快感)は、どうしても過剰が止まらず、生命の濁りをもたらします。その濁りを浄化しないと、本来的清浄の自己に冥合できないからです。五感覚がもたらす快不快、好き嫌い、他者支配欲や承認欲などを基本にした生きるため生命に本来的に具わっている本能的智慧は抑制する目ことが難しいようです。

生命の欲がもたらす必然的な濁りを浄化するのが釈尊をはじめとした修行者の課題でした。具体的には生きものを殺さない、肉食しない、妻帯しない、他者を傷つけたり支配したりしない、悪口を言わない、ウソをつかないなどの正しい行いをすること(釈尊は八正道を説いた)で生命の濁りをコントロールしようとしました。欲望・便利社会を生きる現代人には、とても不可能な実践です。

ブッタとは、生命の覚者、宇宙の真実相の覚者と言われています。知的理解では到達できないのです。知識は生命の一部しか理解できません。ブッタの悟りは直観智であり、生命全体で識ることでした。それは心身全体をかけた実践・修行のなかで意識を浄化する果てに訪れる生命の直観知なのです。

欲望に染まった生命を浄化することによって、本来の純粋な自己が発する周波数にはじめて冥合が可能になります。本来の自己つまり宇宙本来の自己の周波数は、万物を創造し育み慈しむ慈悲・愛の音律であり波であり光なのです。慈悲の実践者にして初めて可能になります。

欧米世界やイスラム世界では、その存在を神と命名し、人間世界のはるかかなたに祭り上げ、その存在の探求や思考をやめ、崇め信じることを第一義にしてしまいました。

最高の周波数に合わせて生きるためには、覚者・釈尊の通った道に学び、その言葉を師標として修行実践するしかありません。万物本来の歓喜の周波数は、その師標に基づいた実践体得の中に脈打ちます。言葉では表現できない不可思議な因果俱時の音律がもたらす周波数です。

◎当室は宗教団体とは一切関係ありません。室長は20歳の頃から、哲学、倫理学、思想、芸術、文学、天文物理学、生物学、孔子の教え、老子の教え、キリスト教、仏教を学び、研究してきました。最近は特に量子力学・諸科学・人体学と妙法蓮華経(釈尊・天台智顗・最澄・日蓮の流れと竜樹・天親の空や縁起、唯識思想)の相関性について研究し、当室の心理療法への応用展開を探索しています。

スピリチュアルや霊的なものは、オウム真理教、統一協会の霊的な世界の二番煎じで、科学性に乏しく、行き着く先にあるものは不幸に染まった人生行路です。

2024.12.08

心は見えません。そこに心に関係する霊的なものや、妖しい宗教が、心が揺れて不安定な人に甘美な声で囁きます。「幸せになれます、運気が上がります、幸福の波動を教えます、運命が変わります、お金持ちになります、苦しみの原因をとりのぞけます、第六感が冴え幸運を呼び寄せます」などなど、見えない世界のことだけに、どんな虚言も作り話も本当らしく聞こえます。

この世の物質やものの多くは、分析でき科学の対象になります。しかし心や内的な世界や不思議な働きは把握が困難です。そこに作り話が入り込む余地があり、迷信、邪な教、偏った思想、魂や霊を扱うスピリチュアルなものが、手っ取り早い金儲けの道具と化します。

特に、スピリチュアルとカタカナ(欧米風)を使えば、アカデミックな印象を与え、曖昧模糊とした世界が、神秘さを増し、無知の彷徨える魂をひきつけます。昔の占いや迷信と紙一重とも知らずに…。

無知で不平不満が強く、愛情希求の心が強く、心が不安定で弱い人ほど、その蜜の甘さに騙されやすくなり、すぐに信じてしまいます。やがて毒が回り、思考することを忘れ、主観世界に埋没し、飛んで火に入る夏の虫のように、この世の地獄を見ることになります。

なぜなら生命の部分観しかあつかっていないものを生命の全体を扱っていると決めつける自己背信の過ちを犯しているからです。生命の部分観は部分観として見るなら問題はありませんが、部分を全体と見て信じてしまえば、生命の真理に到達できず、価値は生れないどころか、反価値的(不幸)現象を産むことになります。本当の幸福は、生命の真理を解明した全体観に則っとった法に生きる中にあるからです。

そもそも第六感やインスピレーションという言葉の曖昧さです。通常動物は人間を含め、五感(眼・耳・舌・鼻・身)で外の世界を識り、意識という第六感のインスピレーションで行動化します。この六番目の意識こそ、第六感・インスピレーションの正体です。意識は、現在の脳科学でも分析できていない謎の領域です。この能力は昆虫や鳥類や動物は特に優れており、人間はこれらの動物の第六感には及びません。

一番怖い存在は、殺人者、強盗者、詐欺者、猛毒の蛇コブラなどよりも心や魂を麻痺させる思想や言葉、そしてそれらをうまく操り人の善心を破り、思考の中心である意識を麻痺させる人たちです。身体だけでなく心、そして生命の核を破壊されるからです。覚者ブッタは、そのような人を奪命的存在と呼び、明らかに見わけ、遠ざけるように警告しました。

神のお告げを聞いた、霊的世界に感応した、テレパーシーを感じた、神のご神託があった、啓示を受けた。多くの邪な教祖の口癖でした。お告げも啓示も他の人には見えません。本人の主観世界であり、夢の世界であり、独善の世界です。

意識は、人間の心のごく一部の働きに過ぎません。人間の心には、意識の深層に広大な無意識世界があるとされ、フロイトやユングがその一部を実証しています。仏教では、既に2500年前にの世界を覚知しています。(注1)第七感(七識…自我に執着する世界、自己愛といってもよい)、第八感(八識…行動がすべて記憶化された蔵のような世界で業の蔵といい、サンスクリット語でカルマという)、第九感(九識…宇宙意識、自己と宇宙万物が根底で融合渾然一体となった世界)というすべての個や宇宙万物につながる広大な世界で、その働きはエネルギー不滅の法則のように無始無終と聖人は覚知された世界。

先人の言葉の蓄積された宝庫もなく、論理性や哲学性に乏しく、科学的実証性は皆無です。それをまことしやかに語り、邪な教えは広がります。彼らは甘美な響きがある魔性の言葉を巧みに駆使することに長けています。彼らは、信じる人が不幸になっても貧乏になっても病になっても、決して責任を取ることはしません。信じたあなたの信念が足りないのが原因だと開き直ります。

このような教祖まがいの人の言動を受け入れ、信じる民衆はいつの時代もいました。そして今の時代は、なおいっそう多くの人たちが惹かれてゆきます。時代が濁り、生命が弱り、不安が広がり、心の不幸が充満し、満たされない多くの人に溢れ、皮相や軽薄を好み、本物を嫌う民衆に満ちた時代だからです。さらに気候変動などの天変地異、各地で起きている紛争、戦争がそれに拍車をかけています。

「宗教は民衆のアヘン」といったカール・マルクスの言葉は有名です。彼は宗教(思想)のすべてをアヘンといったわけではなく、当時の倒錯した社会がつくった、当時のキリスト教思想を批判したものでした。多くの民衆を思考麻痺に導いた宗教思想をアヘンと言ったのです。人はだれしも、それなりの思想をもち思想を頼りに生きているからです。

最近ではオーム真理教の教祖がその類でした。空中浮遊という現象に多くの人が霊的なものを感じたと言われています。空中浮遊することが出来ても、現実の中で価値は生れませんし、幸福にもなれません。鳥やトンボやセミのほうがよほど超能力者といってよいと思います。

人の不幸を予言し、仮にそれが的中しても、何の価値も生じません。幸福の道を示し、現実的に幸福になれるなら、その教えは本物といってよいでしょう。その教えの実践で、どのくらいの人が幸福になったのかが科学的実証性というのです。それがない教えは迷信であり、地獄行きの思想といってよいでしょう。

一万メートルの上空を流れる時速300㌔のジェット気流を感知し、その流れに乗って遠くまで移動するコハクチョウは、そのことを本能的に知っています。まさに超能力者です。人間は、こうした動物や昆虫の超能力に遠く及びません。

人間(生物)には五つの眼(注2)があるとされています。肉眼は、遮るものがあれば見えなくなる人間の普通の眼です。二つ目に天眼があります。天眼は、昼夜遠近を問わず見ることが出来る天人の眼で、禅定(瞑想)を修した人が得る眼です。

釈尊の十大弟子の一人、目連は天眼第一と言われていたそうです。母が死後、地下深くにある餓鬼の世界に堕ちて食べ物もなく苦しんでいる姿を見たとされています。その母を救う行為から盆の食べ物の供養が始まったそうです。その他、(注1)慧眼、法眼、仏眼があります。

歴史上、精神世界、心の世界を高め人々の幸福に無私無償で尽くした人がいました。インドの釈尊、ユダヤのイエス・キリスト、多くの仏教継承者(竜樹菩薩、天親菩薩、弥勒菩薩、天台智顗、最澄、日蓮など)老子、孔子など…最近では、ヘレンケラーなど、いずれも結婚せず、世俗的なもの(お金、財宝、地位や名誉、人気など)を求めず、布施などで質素な生活をしていました。その姿そのものが本物の魂の救済者の証拠といえます。

彼らは聖者・聖人・賢人と言われ、一生をかけて、見えない心の世界、生命や正しい生き方を探究し、苦悩する人たちの救済や幸福実現のために命を賭けた人たちです。そして、不思議な生命そのもの(一端)を悟ったと言われています。

現代の霊者やスピリチャル系の人たちが、果たして世俗の欲を離れ、結婚もせず、名声、財物お金を求めずひたら、悩み苦しむ人に尽くしていく行動者を私は見たことがありません。こうした人たちには哲学や精緻な論理性や言行一致の思想がなく自己中心性(私利私欲)を脱し切れていない人の証拠です。

現代の物理天文学の最先端である量子力学は釈尊や天台智顗の生命の理論(注2)や因果、不可思議な法を証明しつつあります。光が波と粒子の二面性をもつことが明かされました。また全ての物質は周波数でかたちが決まるということも証明されつつあります。塵も石も生物も空気も粒子であり波であるということです。私たち人間と動物の違いは、量子力学的観点から言うと、周波数の違いということになります。

人体の細胞も光子(注3)を出しています。また粒子と波を持った存在です。やがて意識が光の一部であるということも証明されるでしょう。私は、意識は言葉と感情で成り立ち、意識は光であり、言葉やイメージは粒子であり、感情は波であるとの仮説をもち、日々思索と検証を繰り返しています。

「我思うゆえに我あり」近代合理主義思想の基盤を作ったとされるデカルトの有名な言葉です。確かに意識なしに私たちは、生きていることも周囲のものを認識することもできません。意識つまり認知機能がなくなった重度の認知症を患った方は、自分が何者かが分からなくなりますし、周囲を認知することが難しくなります。

認知機能の中心である意識の正体こそ、心の不思議さを説く鍵だと言われています。今、その世界に最も接近した科学は量子力学とされていますが、2500年前にブッタは既に、それを覚知されていたことが証明されつつあります。

人間、あらゆる生物、かたちを持った万物は、かたちに応じた周波数をもっています。それらの生物の周囲に存在するものも周波数を奏でながら振動しているというのが聖人の悟りであり、量子力学が遅まきながら辿りついた発見なのです。

正統派仏教の哲学思想にある、「縁起」(注4)や「空」の思想、瞬間の生命は「10世界の境界」を持ちながら常に「生死」を繰り返し、「空」で無のようなかたちで潜在したものが「縁」で有のかたちに生起すること、すべては生死

を繰り返しながら変化していることなど膨大な哲学理論を持っています。

今のスピリチャルや霊能者、偏頗な部分観の宗教は、仏教の深遠な哲学のごく一部を利用し、金儲けにつなげている人たちと言えるでしょう。

何も考えず 権威に従うことは 真実に対する 最大の敵である  アインシュタイン

※権威とは今で言えば、いわゆる専門家、宗教者、マスコミ、スマモ、ユーチューバ・SNSで発信するものなど

注1  人間の心の世界…眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識、根本常識の

  九つに理論体系している。

注2 五眼…仏教哲学の一つ、竜樹菩薩が大智度論で展開している。世界や宇宙や生命を把握・洞察する眼を五つに分けている、いわゆる肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼がある。

慧眼は、深い知識を持ち、想像力を研ぎ澄ますことによって宇宙や物理現象の一部を悟る眼、ニュートンの万有引力やアインシュタインの相対性理論、ノーベル賞受賞者の発見などがこれにあたる。

法眼は人々を救済するために、宇宙や自然や生命の真理から一切の事物・事象を判断する菩薩の眼。弥勒菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩、薬王菩薩、文殊菩薩、その他、イエスキリスト、ガンジー、ナイチンゲール、ヘレンケラー(サリバン女史)などに具足していた眼と考えられる。

仏眼は一切の事象や事物を三世十方…過去・現在・未来、生命現象の永遠性と宇宙の無限性を見る仏の眼。妙法蓮華経という宇宙の実相を覚知した生命に具わる眼。釈尊は仏教の流れを1000年単位で予言。

正法時代1000年(解脱の時代、禅定瞑想の時代・像法時代1000年、仏教の経典を書写したり読誦したりする時代、多くのお寺が造られる時代、末法時代、未来永遠、思想や宗教が乱立し、深い思想を嫌がり浅い思想を好む人たちが生まれてくる時代であり、釈尊の仏法では救われない民衆が生まれてくるとされている。そんな中、釈尊の仏法に替わる新しい法が流布する時代と立て分け、どんな仏教が流布し、民衆がどのような行動をするか予言し的中させている。

また天台智顗や最澄も末法の仏教流布の流れを予言し的中させている。日蓮も、天変地異の起きる原因を洞察し、元寇襲来の時期を予言し的中させている。聖人(サ・ダルマ・プンダリキャ・スートラというサンスクリット語を漢訳した妙法蓮華経…始めもなければ終わりもない、無始無終の因果俱時不思議の一法を覚知された行者)は、仏教史上で四人いるとされている。釈尊、天台智顗、最澄、日蓮。それに近い人では竜樹菩薩、天親菩薩(空の思想、唯識思想を完成させた)などがいるとされている。

※注4「縁起」「空」「10世界の境界」「生死」「縁起で生起」…いずれも深遠な仏教哲学思想の根幹をなす言葉。釈尊に始まり、付法蔵の正師に継承され、竜樹・天親を経て天台智顗で一念三千理論(瞬間の生命、一念は三千の生命の法則で成り立つ、宇宙も自然もあらゆる生物、無生物、存在するすべてのものは、一念三千の妙法蓮華経の生命現象と理論化した)として完成されたという仏法の深遠な理論体系。

文証(継承された文献・経典)・理証(空・唯識・一念三千理論などの科学的知見を備えた理論)・現証(実践すれば、効果的な結果が出る、六根(眼・耳・舌・鼻・身・意)が清浄化され、生きる歓喜が湧き起こり幸福になる)を兼ね備えた完全な法体系で科学的である。

量子力学の発見が、これらの言葉の意味する世界を証明しつつあるとされている。霊的なもの、スピリチャル系には、科学的裏付けがない。主観の世界観で閉じている。科学性の有無は実証性にある。仮にある宗教思想や哲学思想を実行した結果、全員が幸福になったかどうかが証拠になる。

◎当室は宗教団体とは一切関係ありません。室長は20歳の頃から、哲学、倫理学、思想、芸術、文学、天文物理学、生物学、孔子の教え、老子の教え、キリスト教、仏教を学び、研究してきました。最近は特に量子力学・諸科学・人体学と妙法蓮華経(釈尊・天台智顗・最澄・日蓮の流れと竜樹・天親の空や縁起、唯識思想)の相関性について研究し、心理療法への応用展開を模索しています。

不登校・ひきこもりは 自分らしく生きることを模索しています

2024.11.29

「私の目的は、個々の人が、自分自身の翼で飛ぶという意識を取り戻すことを教えたい」

                   ニコラ テスラ (20世紀の物理学者・詩人)

人間にとって最も大事なことは何があっても、自分らしく自分を表現し、どんな環境や出来事にも立ち向かっていける強い心、賢さ、そしてしなやかな心を持つことです。

この世界に、あなたの顔が一つしかないように、あなたの人生もあなた独自の道になります。ガイドラインやマニュアルは机上の知識です。残念ながら数学的な解答は人生にはありません。自分で解答を見つけるしかないのです。

めまぐるしく変化する現代社会に大人も子どもも適応することに難しさを感じています。この世界の人も、ものも、自然も、すべては常に変化していますが、普通は意識できませんし、しようとはしません。変化が小さいときは無意識的に反応し、今までの記憶化された心身の働きで適応できるからです。しかし変化の波が大きいと適応できない人や生物や自然が増えてきます。

急速な変化に適応できず、自分でも原因が分からず、今まで普通にできていたことが出来なくなっていきます。そして専門家は社会不安障害、うつ、適応障害、ひきこもり・不登校という名前をつけ、分かったような顔をしていますが、その解決策は曖昧であり、部分観であり、ほとんどが正鵠を射てないような気がします。

科学技術の急速な発達により、便利、物質的豊かさは年々加速し、人間の忍耐力や思考力を脆弱化しています。人は全てのことを当たり前と思い、科学技術を盲信し、いつしか驕りという毒を飲まされ、自分の外にあるものに感謝の念が持てなくなり、素直な純粋な心を失い、今の瞬間の生の有り難さを享受できなくなっています。

スマホ・パソコン、テレビなどの電磁気製品の普及に人間の心身、脳は適応できず、人は心身のバランスを崩していることに気づいていません。見える情報、聞こえる情報に、いしつか操作され、思考力や想像力、忍耐力を培う場を失っています。

想像力と忍耐力と思考力の不足は人間関係を難しくします。

引きこもり・不登校は、環境適応できず、社会から逃走し、家という安心空間への回避した状態といってよいでしょう。

会社や学校で嫌な出来事に遭っても、それに対する反応は人それぞれです。みんなが、そこから回避するわけではありません。では、引きこもりや不登校者は、なぜ家という安心空間に回避したのでしょうか。その原因について考えることが大事です。そうすればその人独自の解決の道が見いだせるはずです。

本質的な原因の把握なしに学校・社会復帰させようとして、関係機関に相談し、子どもだけをなんとかしようとする無駄を繰り返しているのが現状です。的を外した対処に改善はありません。逆に悪化させ、ひきこもり・不登校を長期化させることになってしまいます。

親も子どももともに人間としての新たな学びが必要になります。学ぶことによって変化の波を知り、変化の中で生きる自分を知り、変化する環境と自分への適応力に気づくことができるからです。つまり人生が変化の連続なら、幸福に生きるためには大人になっても学び続けるしか変化に対応できないからです。

学校の学びは、学歴や社会的ステイタスを得ることが目標の知識偏重型になっています。社会で適応する力は、学校で学んだ知識は過去のものであり、多くは今の変化には太刀打ちできなくなっています。

「学べば学ぶほど、私は何も知らないことがわかる。自分が無知であると知れば知るほど

より一層 学びたくなる」(アインシュタイン)

当室では、心理教育を重視し、人体、心を知る、身体と心の相関性を知る、自然や宇宙と人間の関係を知る、社会を知る、人生を知ることを学びます。

そして、その人らしい個性を表現して輝いていける生き方を探究します。

具体的には心理検査等で本人独自の背景の理解に努めます。そして認知行動療法による行動活性化や認知の再構成、自他尊重の自己表現力の向上(アサーション)、マインドフルネス調和法(心身の統一・自己肯定・安心)を身につけながら、正しい知識と智慧の獲得を目指します。智慧とは生きる最善の対処法です。どんな環境下にあっても自分に負けず、生き抜く力です。

最終目標は、人として「一隅を照らす」生き方ができるようになることです。その言葉は、中村哲医師の生き方の指針でした。

アフガニスタンの困窮難民のため身を削って人道の道に生き、流れ弾に当たって命を落とされた中村哲医師のような方こそ、本物の人であり、現在の菩薩(慈悲と愛の心で他者を育み守ることを第一義にして生きる人・幼子を守るために自らを省みず献身する母親もその一部)の一人だと思います。このような真の利他の振る舞いをする大人が増えれば、その国の民も心が潤い、自然や国土も潤い、災害も減少していくでしょう。

※中村哲氏の座右の銘「一隅を照らす」平安時代の人、最澄の言葉。意味は、「一人一人が自分のいる場所で、自らが光となり周りを照らしていくことこそ、私たちの本来の役目であり、それが積み重なることで世の中がつくられる」

 偽物が氾濫する現代社会 偽物はマスコミ・SNSを巧みに使い、人々の甘心を誘い、思考を停止させ、善心を破っていく

2024.11.29

生きる、それは五感覚の働きに支えられています。中でも危険から身を守り、生を保つ行動に一番重きをなしているのが、視覚です。

私たちは記憶化された感覚情報をもとに反応し、多くの場合、思考することもなく刺激に応答して脳内で生起する言葉によって反応し生きています。

スマホ、パソコン、テレビに溢れる視聴覚情報を頼りに、思考という検閲もせず、盲信して生きています。便利であり、効率もよいからです。それが脳の働きの一面とも言われています。

テレビのコマーシャルはそうした人間の盲点を突き、ものを売っています。多くのテレビ番組やユーチューブは視聴率や再生回数に血道をあげます。刺激的で、記憶に残るように操作し、見る人の視聴覚に焼き付けようとします。

真実は二の次です。発信した視覚情報によって、人が不幸になろうと、悪に走ろうと関係ありません。視聴されることが大事であり、視聴覚に強い刺激を与え、視聴率をあげる、再生回数の多さが一番なのです。発信者の利益、つまり金儲けになるからです。

刺激的視聴覚情報は記憶に深く入り、次の行動を左右します。思考は停止し、過去の記憶化された視聴覚情報で無意識的判断をし行動するようになります。一種の自動操作状態です。洗脳状態とも言えます。

こうして無知な人は増産され、思考停止する人は増え、マスコミという得体の知れない権力の奴隷になっていきます。一種のプロガバンダのようなものです。日本人の大半は、スマホ依存、ユーチューブ依存、テレビ依存、視覚情報依存となり思考停止状態になり、洗脳されつつあります。その先に待っているのは、不幸な人生行路です。

人は悩み、思考し、より価値のある生き方をすることによって充実した深い人生を生きるようになります。多くの偉人が教えてくれているように、幸福は与えられるものではなく、自分で創り出すものなのです。

本物を探し、本物に学び、本物を摂りいれることです。過去にはそうした本物の偉人がたくさんいました。ソクラテス、アリストテレス、イエスキリスト、釈尊、竜樹・天親菩薩、天台智顗、最澄、老子、孔子、日蓮、レオナルド・ダビィンチ、ベルグソン、トルストイ、アインシュタイン、ニコラテスラ、ナイチンゲール、ヘレンケラー、野口英世、優れた文学・芸術作品など…歴史を紐解けば多くの偉人・賢人・書物や作品に出会えます。そこにはハウトウーものの軽薄(一時的流行品で、時間とともに消えていく)ものではなく、人生を賭け築いた心の宝が潜んで心の栄養になるでしょう。

不登校・ひきこもりの増加は 大人社会が作っています  

2024.11.20

マスコミで不登校の増加を騒ぐ前に、大人がしなければいけないことは、時代はいつも大人が中心になって作っていると言うことを自覚することです。不登校・引きこもりの減少を本当に願うなら、今の社会を深く洞察することです。今の社会や学校が子どもの心を成長する場になっているかどうかです。子どもの成長に貢献する教育や学校や社会になっているのか、専門家や政治家は深く賢い知見で、自らの私利私欲を見つめ世相を見極めることです。

不登校児の心理と大人の引きこもり、適応障害などの心の不調者には共通点があります。私たち人間は、環境の中で生を営んでいます。環境と自分は相互に影響し合い、持ちつ持たれつの相互関係で保たれています。私たちが、今どんな環境に生きているのかを知ることで、心の不調を健康にすることができるようになります。不登校の心理は、大人の心の不調者の心理と同じといってもよいと思います。同じ社会環境に生きていれば当然と言えば当然なのですが…。

 最近の調査によると、精神疾患者は419万人、ひきこもり者は146万人、不登校者は年々増加し小中で約34万人、小中発達障害8,8%(令和4年文科省調査)。少子化にもかかわらず、若者の精神疾患者は増え、引きこもりは増加、不登校も増加の一途をたどっています。

これは身体の病気も同じです。癌患者は2人に1人であり、認知症は高齢者の4人に1人、アトピー患者、アレルギー患者、糖尿病、各種難病等は年々、増加しています。感染症はウイルスや菌がもたらす一時的な疾病ですが、その他の身体病は、本人の生き方や社会環境と大きな関連があります。

今や、癌やうつなどは生活習慣病などと言われるようになりました。つまり本人の生き方、考え方、行動の仕方が病気を作っといるとする考え方です。

一体、何が原因なのでしょうか。

 健全な社会は、心の不調者を出さない予防に力を入れた、健康社会を目指すものです。政治家は、口を開けば「経済、経済」そして「福祉」です。あたかも経済が豊かになり、お金があれば、心の病も解消でき、健康な社会が到来するような口調です。このような政治家や専門家に、疑いを持つこともなく従う国民が、病を増産させている一因と思います。

 二つ目の原因は軽薄、表面的なもうけ主義に偏った無責任な情報の氾濫です。そうした情報は何の規制もなく一方的に流布されます。受け取る側が、よほど賢く見極めなければ情報に翻弄されます。情報の真偽が分からず刺激的な情報に踊らされ、洗脳されています。視・聴覚優位な生き方にさせられ、気付かないうちに想像力や思考力は低下していきます。

 なかんずく、テレビやスマホは人間の最も弱点ともいえる視覚に訴え、巧みに人間を操作します。人間は視覚情報に本能的に弱く敏感に反応しますから思考が麻痺する部分があります。怖いのは、操作されていることすら感じないことです。情報を受動的に受信することに慣れ、疑うことをやめることは、思考の死につながります。それに気づいていないことが一番の問題なのです。

 スマホ・ユーチューブから繰りだされる視覚情報の洪水は、感覚過敏をもたらし、強いストレス源になっていることに気づいていません。それらの氾濫情報は私たちの感覚受容力をはるかに超え、強いストレス状態に置かれていることを私たちは意識できていません。なぜ、すぐイライラするのか、不満になるのか、傷つくのかわかっていません。まさかスマホ・パソコン・テレビなどの過剰な視覚聴覚情報の摂取に原因があるとは思いもよらないと思います。 

 三つ目は快楽・刹那主義、便利こそ豊かさという欲望の偏向や錯覚です。気持ちよさを求めれば求めるほど、不快に耐えられなくなります。便利さに慣れればなれるほど、不便に対して不満を感じるようになります。便利さが普通になると、この世の自然の現象や生きていることの「有りがたさ」が分からなくなり、心身の秩序を知らず知らずに失い、心の不調の原因を作ることになります。便利さは、当たり前感覚を強め、少しの不便に出会うとイライラしたり、不満を感じたり、怒ったりして、心の状態を悪くしていきます。

 便利さや物質的豊かさの過度の追究は、恐ろしいことに自然の加工や破壊をもたらし、病める地球を作り出しています。自然や地球秩序の破壊は、地上に住む生物、人間の心身の秩序の破壊を伴います。なぜなら人間も自然の一部だからです。地球自然との絶妙な調和、秩序の中で人間も、その恩恵を受けて生きているからです。自然や地球や宇宙の恩恵さえ感じない人間の当たり前と思う心が、人間の不幸の源泉かもしれません。 

 依存心の強さが専門家を信じさせ、確かめることもしない愚かさが、心の不調者を増加させている最大の原因ではないでしょうか。真実に対する無知は不幸の原因です。賢くならなければだまされていることすら気づかず、いつしか不幸に沈むことになります。私たち一人一人が賢くなることこそが重要です。ギリシヤの哲学者ソクラテスの「無知の知…正しいことを何も知っていないということを知りなさい」「汝自身を知れ…本当のあなたの素晴らしさを知れ」という言葉を今こそかみしめるときです。

何も考えず 権威を敬うことは 真実に対する 最大の敵である  アインシュタイン博士

心の病は 思考の偏りや執心による心の秩序の乱れ状態です。

2024.11.08

痛みや苦しみは心身の不調和から発するメッセージです。

執着は神経の過剰疲労を招き細胞を壊します

思考や感情の偏りはバランスを崩します

心身の調和が乱れきった時、苦や痛みは限界を超え、心身は病んでしまいます。

しかし人は、その原因を見ようとせず、目に見える痛みの原因を除去しようとします

結果、病は増幅し本質的な解決に至ることが難しくなります

木を見て森を見ず

森に入れば目の前の木しか見えません。これは人間の本能的感覚の現実であり、限界です。森全体を見

ようとすれば想像力を働かさなければ見えません。私たち人間は、見えたり耳に聞こえたりする五感覚

で感知できるごく一部を見て行動し、わかったつもりになり、全体を見ることをしていません。物事の

全体を見るためには想像力を働かさなければいけません。

最近、瞑想が流行していますが、瞑想の本義もわからずやっている人がほとんどです。真の瞑想は想像

力を磨く修行なのです。想像力と思考を磨き本来の自己と宇宙的自己に冥合することが、ブッタ(覚者)の

瞑想でした。

「想像力は知識より大事である。知識には限界があるが、想像力は無限であり 宇宙をも包みこむ」

アインシュタインの名言です。宇宙の物理的真理の一端を覚知された彼の言葉は光彩を放っています。

今から述べる事柄は、感覚では理解できません。想像力を働かせれば見えてくる世界です。

地球は月という兄弟衛星を伴い瞬時も休まず動き変化し 太陽系の中で絶妙な調和を保っています。

その調和は地球上のあらゆる生物、非生物に影響し 相互依存と変化によってバランスを保ち生を営ん

でいます。

私たち人間の身体はリズムを奏でるように呼吸し心臓が鼓動し、その律動で血液が毛細血管の隅々まで

巡っています。

食べたものは口内で咀嚼され、食道を経て十二指腸で本格的な消化活動が始まり、膵臓や胆のうの酵素

によって消化が進み小腸で、各血管を通じて各臓器に栄養となって運ばれます。さらに大腸で数十兆の

大腸菌によって消化吸収され、残物が直腸に溜まるとサインによって便として排泄されます。食べたも

のは約7メートルの消化器系の臓器をたどり約二日間の旅をし、人間が生きるためのエネルギーになりま

す。腎臓は一分間で一リットルの血液を浄化し生を守ります。肝臓は食べ物を解毒したり、保存したり

約100の加工的な働きをしながら人体を守り動かしています。

ホルモンは炎症を抑えたり、体や臓器の調和をはかり、身体の恒常性を作ってくれています。

脳や神経系は電気信号を使って快、不快、痛み、恐怖などの感覚で身体を守ってくれています。

リンパ管やリンパ節は外敵から身を守るため、免疫活動をし、血液の浄化や水分調節をし体を守りま

す。骨や関節が人体を支え、筋肉が私たちの身体の動きを調節てくれています。

皮膚は臓器や内部の身体を外の種々の最近、ウィルスから守り、その総重量は10㌔を超えています。人

間の外側の表皮角化細胞は爪や髪と同じように死んだ細胞なのです。その死んだ細胞を見て美人だの美

男などと私たちは錯覚しています。

私たちは視覚、聴覚、舌覚、嗅覚、触覚という五感覚で外部世界と交渉していますが、それは身体の働

きの100分の一以下の働きなのです。意識はいつも一部しか識ることがではないのが人間の本来的な働き

なのです。

私たちの身体は各臓器、脳、神経、ホルモン、リンパ、骨、筋肉、心臓、肺、皮膚などが一瞬の停滞も

なく、動き変化し、数十兆の細胞を新陳代謝させ絶妙な調和を保っています。不思議であり神秘です。

神がこの世界にいるなら、こうした働きを神といってもよいでしょう。もともと神経とは「神の通り

経・みち」という意味なのです。神経の不思議な働きから命名したものです。

例えば、体のほんの一部の歯の虫歯が痛むだけで、苦しみにとらわれるのが人の身体の現実ですが、そ

れは人の身体全体から見れば微小なことに過ぎません。

生命は動き変化することで調和をはかり環境に適応し、生を保っています。 

生きるとは変化であり、動きに調和することなのです 停滞は後退であり、死を意味します。

現代人の多くは視聴・聴覚情報に五感を麻痺させられ、思考することを忘れ想像力を使うことを失い、

精神の死を招き変化への適応力を失っています

それが様々な新しい心の病をつくりだしていることに誰も気づいていません

不安障害や適応障害や不登校、引きこもりは時代が産み出した新しい現象であり、病ではなく一時的な

不適応状態に過ぎません。これらは心身の働きの調和の問題であり、生活習慣がもたらす記憶の問題な

のです。その状態の改善のために薬は役に立たないばかりか、副作用に苦しむ結果になりかねません。

人間は環境の変化に適応することで調和をはかり 生を保っています

磨かれた鏡には 映像が明らかに映ります

心も同じです

きれいな澄んだ心には すべてが正しく見えるようになります

何が幸福をもたらし 何が不幸にさせるのかを 明晰に見分けることができます…

幸福は過不足なく調和を保った生命の状態の感覚なのです

不調和状態を産み出す代表が以下の四つの欲望と感情です

怒り、憎しみ、恨みを抱き続けると 心の波は逆流し 自他を巻き込み いたずらに消耗し やがて苦しみの海に沈んでゆきます

限度を知らない過剰な欲望は 自らを焼き焦がし 周りを燃やし 炎の波にのまれてゆきます

快楽に耽け続けると 心は淀み 濁り 善悪がわからなくなり 心の波は間延びし 思考もとまります

人に勝りたい 人より優位に立ち 人を支配したいと思い続けると 心は歪んで 素直さを失い  

心の波は屈折してしまいます

人は ほどよさの感覚を失うと  調和がもたらす深い幸福感を味わえなくなります

幸福になる音色を奏でる人は 心が素直で 柔らかく きれいに澄んで 美しい周波を演じています

財産 社会的地位 名声 人気 才能 美貌 健康などは 幸福の一面的な要素で

束の間の喜びをもたらしてくれますが 時とともに色褪せ 壊れてゆきます

自分の外側を飾るものは 空しく時と共に風化し 最後は消えてしまいます

心の外側に求めた楽しさや喜びは 花火のようなもので 刹那的な陽炎のようなものです

ー祇園精舎の鐘の声 (注)諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわすー

平家物語の冒頭の詞は、この世のもろもろの存在や出来事は、一所にとどまることはなく常に変化し移

ろい行くことを教えてくれていますが 凡人にはなかなか悟れません

ものごとに対する執着心の強さで、心が濁り 心の真実相が見えないからです

心の内面を飾る心の宝…清らかに研ぎ澄まされた意識 五感 心根は時とともに輝きを増し その人の

人格を照らし不滅になります 

心の底から湧き出る喜びは 永遠性を孕んだ美しい調和された波そのものです

なぜなら外側から与えられたものではなく 

自分の心の底から自然に湧き出たものだからです

この喜びこそ幸福の本質を奏でる調和波なのです

心をきれいに澄ませるにはどうすればよいのでしょうか…

自分や人の心が美しいと感じた時はどんな時だったのかを 振り返ってみてください…

過去の聖人・賢人の生き方や 思想哲学や文学・芸術に学んでみましょう 

不断に自己を磨き続け 内省し 浄化された自己の鏡に 真実も幸福も映し出されるでしょう

意識を磨き、研ぎ澄まされた精緻な思考の力、そして宇宙をも包む想像力を身につければ、あらゆる病

は消滅し、真の安らぎを得ることができるでしょう。

注 諸行無常…仏教で説かれた重要な思想の一つです。この世のあらゆるもの、塵、物質、生物や人、地球や太陽や月などの現象は縁起によって生成し、仮に和合したものであり、絶えず変化してゆき一所に留まっていないという意味です。それは諸法無我と同義です。全ての存在は縁起で生起し変化し固定的な「我」は存在しないという言葉と同じ内容の意味になります。

私たちの今は、過去の記憶が知識やイメージとなったものを自分と意識しているにすぎず、夢のようなものを実在していると記憶しているにすぎません。認知症になり記憶機能が失われてしまえば、自分が自分であることも分からなくなりますが生きています。多くの生物は脳の記憶の働きはありませんが、生命活動を立派に行っています。自分があると思うのは過去の知識化された記憶の働きであり、今の現実ではないのです。記憶による錯覚現象のようなものです。

この世のものは全て動いており、変化しています。人間、自然、生物、非生物、石や塵といった物質もすべて究極的には振動しているというのが量子力学の発見です。最先端の科学が遅らせながら仏教の諸行無常を証明する形になっています。

夢のような仮の我に執着することで苦しみが生じます。諸行無常を明らかに悟れば苦はなくなります。しかし、五感の欲望に染まった生命は、夢の中を生き、心の真実相を覚知できません。瞑想で意識を磨き、浄化させ、想像力を無限に広げることで可能になります。

沙羅双樹の花…釈迦(釈尊・ブッタ)が涅槃(亡くなる)時に咲いていたとされる花。涅槃の真の意味は苦から解放された清らかに澄んだ心身の状態をいいます。生にも死にもある生命状態です。諸法は生の現象をともなった状態を指しますが、「空」(くう)の状態で存在する目に見えない不可思議な法に支えられています。それを諸法実相といいます。究極のブッタの哲理です。それを悟ることができれば永遠性を覚知でき、不滅の幸福境涯に至れるとブッタ(釈尊を含めた生命の覚者、聖人の意味)は覚知されました。

 

マインドフルネス歓喜法は、宇宙万物の素粒子の奏でる因果俱時の不可思議なリズムに心身を冥合させる瞑想法です

2024.09.15

清澄な響き、そして喜びと安心に満ちた永遠性を奏でる周波数を持つ振動がマインドフルネス歓喜法の

振動です。

宇宙のあらゆる存在は周波数でかたちが決まり、それぞれが固有の周波数を奏でています。天にも昇る喜びの周波数もあれば、地の底に閉じ込められる苦しみの周波数もあります。動物もその個に応じた周波数を出しています。人は通常は穏やかな周波数を出しています。それが人間界の特徴の一つとも言われています。

人面を持ちながら、弱い者をいじめ支配し、強いものにこびへつらう動物以下の周波数が基本になっている人もいます。人の発する周波数は言葉や外面で操作することはできません、心が澄んだ人は、他者の周波数を直感で正しく感じとり、その心を見ぬくことができます。

この質問に対して、まず比喩的に説明します。例えば光は二つの側面を持っています。それは粒子と波という二面性です。以下は私の仮説ですが、人間の心の表現としての意識は、言葉・イメージと気分感情いう二側面があります。言葉・イメージは粒子であり、気分感情は波に譬えられます。人間の意識表現としての言葉は感情・気分という波動性をもっていると推測でき、そこに人の周波数の秘密が潜在しています。

生物・人間の波動・周波数の種類は八万四千波と言われています。それを解明すれば、不可思議な周波数の問いや喜びの周波数のなぞは解けるでしょう。

この地球上、そして宇宙には生物、無生物、物質、塵などあらゆる存在、見えないが存在しているものなどが発する様々な波、光、闇波、電磁波、声、声なき声などが飛び交い無数の周波数に満ちています。

最新の量子力学などで、素粒子の世界や動きから周波数の一部は解析できている部分もありますが、ごく一部であり、ほとんどが闇の中です。あらゆる生物、物体、人間や動物も固有の周波数を出しているからです。しかもそれが固定的なものではなく、絶えず変化し、相関性の原理で生起しているのが真相だから分析できないのです。その意味では素粒子の究極の世界と似ています。

つまり宇宙の物体は周波数によってかたちができ、その周波数も刻々と変化し、相関性(縁起)で成り立っています。

あなたは、今の瞬間、あなた独自の周波数を出して生きています。しかも刻々と、対境(縁)によって変化する周波数なのです。その周波数の持ち主は、この宇宙であなたしかいません。持ち主のあなた自身、各細胞が発する周波数の組織化された総合波を瞬間にあなたの意識が感知しているに過ぎません。細胞は40数兆個あります。人間も動物も植物も地球も太陽も、みんな独自の周波数を出しています。

波動を高めるとか運気をあげるとか、周波数を合わせるとかいっても、宇宙、生命の真実相がわからないと、どこに周波数を合わせるかさえわかりません。指標なき盲目の方向は危険です。苦海行きの周波数や人をだまし(グルーミングなどの優しい言動など)苦しみを誘う周波数で満ちているのが地球世界の真実相です。心が濁っていると、見る目が曇り、真実が見抜けなくなり、偽物を本物と見てしまいます。結果、不幸な人生をさまようことになります。

見えない世界をあつかう、宗教やスピリチュアル系や思想・考え方の怖さはそこにあります。今、問題になっている宗教がそのよい例です。そもそもお金や営利の心がある人や団体には気を付けなくてはいけません。正しい思想の人は、お金や名声名誉を求めず真実の探求を第一に誠実に生きています。なぜなら真実の探求と悟りで心が喜びと充実感に満ちているからです。

周波数の解明は宇宙すべての生命現象の解明なくしては分からない難問です。生命の真実相を求めてこの地球では有史以来あらゆる聖人、賢人、物理学者、数学者、医学者、哲学者、思想家、宗教者が格闘してきました。そして到達した世界を書物や対話などで残してきました。その数は膨大であり、一生かけても探究できません。

最も生命の真実に迫った人たちは3000年前ぐらいのインドに端を発しているようです。自分のすべてをかけて生命の真実に迫ろうとしていました。世俗の欲を絶って生命の真実と格闘しました。その代表が釈迦(釈尊・ブッタとも言われている)です。

世俗の欲は、どうしても生命の濁りをもたらします。その濁りを浄化しないと、本来的清浄の自己に合致できないからです。世俗の欲とは人間が生きるための欲望です。五感覚がもたらす快不快、好き嫌い、他者支配欲や承認欲などを基本にした生きるため生命に本来的に具わっている本能であり智慧です。

生命の欲がもたらす必然的な濁りを浄化するのが釈迦をはじめとした修行者の課題でした。具体的には生きものを殺さない、肉食しない、妻帯しない、他者を傷つけたり支配したりしない、悪口を言わない、ウソをつかないなどの行為を守ることで生命の濁りを断とうとしたのです。現代人には、とても不可能な実践です。

ブッタとは、生命の覚者、宇宙の真実相の覚者と言われています。知的理解では到達できないのです。知識は生命の一部しか理解できません。ブッタの悟りは直観智であり、生命全体で識ることでした。それは心身全体をかけた実践・修行のなかで生命浄化の果てに訪れる生命の直観知なのです。

欲望に染まった生命を浄化することによって、本来の純粋な自己が発する周波数にはじめて冥合が可能になります。本来の自己つまり宇宙本来の自己の周波数は、万物を創造し育み慈しむ慈悲の音律であり波であり光なのです。慈悲の実践者にして初めて可能になります。欧米世界やイスラム世界では、その存在を神と命名し、人間世界のはるかかなたに祭り上げ、その存在の探求や思考をやめ、崇め信じることを第一義にしてしまいました。

最高の周波数に合わせて生きるためには、覚者の通った道に学び、覚者の言葉を師標として修行実践するしかありません。マインドフルネス歓喜法の周波数は、その師標に基づいた実践体得なのです。言葉では表現できない不可思議な音律がもたらす周波数です。

芝蘭之室のマインドフルネス蘇生法で困難事例の改善はありますか? 20代後半男性

2024.09.07

回答

遷延化・重症化の方の代表的な改善事例(プライバシー保護のため、属性を少しだけ変えています)

令和5年~令和6年の事例について簡潔に概要を紹介します。

1 男性20代後半 大学在学中に自殺未遂を数回経験する。卒業後就職するも、転職を繰り返し。離職、引きこもりを繰り返す。鬱と診断され、心療内科を数カ所変わるも好転せず。当室来所時 は、引きこもって既に3年になり、親に対する暴力がひどくなっていた。心理検査、心理教育、認知行動療法、対話療法による2年間の面接を経て、心の健康を取り戻し就職、社会復帰を果たした。

2 男性30代前半 大卒 一流会社在籍 うつ、双極性、うつと心療内科を四度変わるたびに診断名も変わり、薬も変わる。休職を二度繰り返し 追い詰められた状態で当室に来所。心理教育、認知行動療法、マインドフルネス統一法により、約一年の面接を経て、心の健康を取り戻し、前向きに人生を送っている。

3 女性30代前半 高校2年の頃から自傷行為を繰り返し、心療内科にかかる。親の過干渉、虐待傾向の心的外傷が癒えないまま、結婚。結婚後子どものことで悩みが絶えずいろんなところでカウンセリングを受けるも好転せず、当室の女専科カウンセラーの対話療法面接2年間で心が蘇生し、生活態度、子ども、夫、親に対する態度が変わり前向きに生きるようになる。

4 男性 20代後半引きこもり歴7年。専門学校卒業、3年間働くも会社の人間関係でつまずき、以後引きこもる。心理検査、心理教育、マインドフルネスによる半年の面接後、就職し社会復帰する。

5 男性30代前半 アルコール依存症の父親からの虐待を受ける。20代前半より、精神科、心療内科を転々とする。ADHD、うつ、適応障害などの診断を受け、薬は8種類服用しているが、いっこうに改善せず、他県よりホームページをみて当室に来所。心理教育、森田療法、認知行動療法による10回の面接で改善し希望を持って生きるようになる

6男性20代前半 ギャンブル依存 母親のメール相談に始まり、他県より保護者、本人来所。依存症の矯正療法を三か月受けるも好転せず。心理教育、認知行動療法による当室数回の面接で改善する。

7 男性30代前半、援助職の仕事に従事。 15年前から、戸締り確認恐怖や火元確認などの強迫観念に悩まされ、朝仕事に行くまで数時間確認行動をしてしまう。自力で森田療法を学んだり、認知行動療法を試みたがうまくいかない。令和五年の夏から、マインドフルネスの8週間集中実践講座に参加したが改善されず、当室を訪れる。マインドフルネス統一療法を実践し、数回で習得し改善した。

各種強迫観念、パニック障害、対人不安症、各種恐怖症の遷延化した人は、マインドフルネス調和法で100%改善している。

マインドフルネス蘇生法は心療内科で改善できない心の病を改善すると聞きましたが本当ですか? 30代後半男性

2024.08.31

回答

心の病が長引き遷延化している方が当室に来談しています。5年、10年と病み続け、心療内科や精神科を巡ったり、病院を変える度に診断名も変わった方も少なくなくありません。薬で改善できない方がマインドフルネス・認知行動療法を求めて来ます。

芝蘭之室のマインドフルネスは来談者の心の状態に合わせて対処します。

初級はアメリカのカバットジン氏が創成され日本に逆輸入したマインドフルネスストレス低減法です。これは日本各地のカウンセリングで実施されています。今の瞬間を評価せず、ありのままという禅の瞑想の応用展開です。評価せずありのままという瞑想は、指標がなく、自己撞着に終わる危険性もあります。症状の軽い人や予防には、集中力が高まるでしょう。

中級、上級は、芝蘭之室独自の創成でマインドフルネス蘇生法す。

中級は瞑想に身体学、自然学を加味させたものです。中程度の心の病の方、向きです。とらわれや偏りから心身がアンバランス状態になったものを調和させ、心をリフレッシュさせます。

上級はかなりの重症化された難治者の方が対象です。10年近く心の不調や病に苦しんだ人が実践し改善しています。この段階の方は知識や気づきだけでは自分の心的状態を変えることはできません。生命全体の覚知が求められます。つまり心の錬磨が必要になります。

人間の深い本来的心の働き、それは宇宙の慈悲と智慧の律動であり周波数です。その律動に心を合わせるとき、いかなる重症化した心の病も本来的な浄化された心に蘇ります。 生物学や物理学、自然学、音声学、詩学、量子力学等の諸学と仏法を円融させたものです。

真の瞑想とは禅定であり、心を一所に研ぎ澄ませ意識を磨き高め、瞬間の意識を超えた深い生命全体に意識を融合させることです。思想は生を支えている無意識から起きる言葉であり、経験・記憶で構成され感情を伴っています。

人生はどんな思想に生きるかで幸福不幸も決まります。人は部分観にとらわれた思想に生きているため苦しみます。真の瞑想・禅定は部分の囚われを脱し生命全体に生きる思想を産み出し心を蘇生させ、心を本来の健康状態に戻します。

そのとき、どんな重症化した心の状態も本来の健康状態に蘇ります。