相談室(ブログ)

地球の働きを知れば 生き方が深くなっていく  

2025.10.23

地球は生きています。私たち生物と同じように…。地球は地球自らのものであり、自分の役割を誠実に果たしながら、慈悲の働きをしています。大気中には、私たちの生命活動の根本である細胞に必要な酸素がほどよく存在しています。また月や太陽や金星などの惑星と絶妙な距離を保ち、重力や引力が均衡(きんこう)し、今の領域を保っています。地球は24時間で昼夜を織りなし、太陽の周りを1秒間で30㌔という速さで、私たち生物を乗せて365日で回遊します。その期間を人間は1年と名付け、日本人は春夏秋冬を味わっています。地球はだれの指示に従うわけでもなく、自らの本然の力である慈悲と智慧の働きを演じているのです。

そうした神秘的な働きのおかげで、私たちは宇宙に浮遊(ふゆう)することもなく、大地に足をつけ、太陽光の強烈な紫外線やガンマ線などに(さら)されることもなく、適度な水と温度、湿度の恩恵(おんけい)(よく)し、生きていくことが出来ています。生物は、生まれ、自分の役割を演じ、生を終えていきます。地球も生物も人も同じ生命体です。これを生命現象の生住異滅(じょうじゅういめつ)(注)釈尊は悟りました。

地球の活動は慈悲を根本にした智慧の働きに支えられています。慈悲とは苦しみを抜き、楽しみを与える働きです。地球上のあらゆる生物の苦しみを和らげ、楽しみを与えゆく慈悲の実行者にして慂出(ゆじゅつ)する力それが智慧です。あらゆる生物は、地球の恩恵に浴し、慈悲と智慧に守られながら生きることが出来ています。

地球上には大気圏が地上から、約10万キロmまであり、宇宙空間からくる電磁波が人間にもたらす被害から守っています。地上の生物や動物や人が生きていけるのは、酸素が存在し、海があり、人間の血管のように河川があり、血液が流れるように水が流れているからです。

地球の自公転や水が生物の生を支えています。私たちは、普段(ふだん)当たり前のこととして、それらの恩恵を享受(きょうじゅ)していますが、けっして当たり前のことではなく、奇跡(きせき)的出来事なのです。地球の有り難さの一部を感じるのは、地震や気温の急激な上昇や線状降水帯発生などの時ぐらいでしょうか。

地球の兄弟星、火星や月には酸素がほとんどありません。金星は温室効果ガスの影響で表面温度が460度の灼熱(しゃくねつ)の惑星です。美しい()を持つ土星の輪は、氷の(つぶ)と岩石の集まりでありガスの惑星です。太陽系では地球だけが生物が住める不思議な惑星です。

太陽からの距離が絶妙(ぜつみょう)な位置にあるため、地球上では生物が生きていけます。太陽が光を(ほど)よく調和するかのように、可視(かし)光線(こうせん)、赤外線、紫外線などを届けてくれています。太陽の光のおかげで、暗闇(くらやみ)の宇宙に光が(とも)され、私たちはものを見ることが出来ます。絶妙な気圧のおかげで振動を受信し音や声を聞くことが出来ています。私たちは不思議な働きに守られています。

私たちは、無料で地球に()んでいます。現代の人類は、地球全体の働きを考えることもなく、加工したりして自由に使っています。科学的発明がなかった昔、人々は、太陽を礼拝したり、水神(すいじん)(まつ)ったり、地神に手を合わせる純な敬虔(けいけん)な心を持ち、地球や太陽の恵みに感謝していました。今は、他の生物の生態(せいたい)(けい)を壊し、母船(ぼせん)である地球そのものを壊しつつあります。このまま進めば、生物は少しずつ絶滅(ぜつめつ)し、人類も滅びてゆくことになるかもしれません。森林伐採(ばっさい)、砂漠化、工場が出す煤煙(ばいえん)汚染(おせん)(すい)で海や川が汚れ、多くの生物が死滅しています。二酸化炭素の排出と気候の温暖化、食用のために動物の殺、養殖。客観的な目で見れば、人間のしていることは果たして善なのでしょうか、悪なのでしょうか…。

地球が生命ある存在ということに気づいていないのでしょうか。地球が傷つき、苦しんでいるのが分からないのでしょうか。科学が進歩し、物理天文学、量子力学も日進月歩しています。スマホ一つで、(よう)()せる便利社会になり、子どもから大人まで、楽しさやおもしろさに(あふ)れる視覚快適感覚にはまり、未来を見つめる想像力は衰え、考えることすら止めたのでしょうか、生物や地球環境のことを思いやることを忘れているのでしょうか。科学の進歩は何のためだったのでしょうか。見えるものを相手にし、大事な心を見ようとしない生き方が社会や時代の濁りを生み、心身の病気を招き、応急対処的な症状除去の医療に身をまかせ、根本を見ることをせず、人類や生物を破滅に導いている気がしてなりません。気候変動、地震や自然災害、地球はSOSを出しています。しかし、そのサインを、誰が読み取っているのでしょうか。

地球の生物の90%は植物です。残りの10%が動物・昆虫・微生物などです。動物の中でも人はごく微小(びしょう)で、人ひとりに対して、ありは一万五千匹の比率です。地球の動物の主役は昆虫です。生物、特に動物は弱肉強食の本能の法則で生きています。最も限度を知らない動物は、人間かもしれません。脳の発達のおかげで、道具を開発し、言葉を持ち、記憶化した知識で、地球を(ほしいまま)にしています。その欲望の先にあるのは、美しい緑の地球から、荒廃(こうはい)した生物の住めない惑星の姿かもしれません。

誰のものでもない地球、地球は地球自らのものです。「ここの土地は自分のものだ」と言い張り、人を平気で押しのけ殺す人たち…その極致(きょくち)が戦争です。戦争は自己中心性から発する人間魔性の仕業(しわざ)です。宇宙に浮かぶ地球を想像することができれば、地上の生物や人はみな地球号に乗った運命共同体と自覚できます。人間の傲慢(ごうまん)さや貪欲(どんよく)さが、やがて地球を破滅させてゆくかもしれません。まず、地球も太陽も金星も月も私たちと同じ生命体と明らかに見る心を持つことです。地球の恩恵を感じる心が、自分も他人も守り、幸福にしていきます。地球の恩をありのままに感じる純な心をもつことこそ、人としての正しい道であり、幸福になる道なのです。

(注)生住異滅(じょうじゅういめつ)」仏教哲学の言葉。あらゆる生命体や生物は、生れ、成長し安定し、やがて衰え、滅びてゆくという法に則っているということです。つまり、生命は生と死という法であり、どちらも生命の()り方の表現です。物理学視点で説明するなら、エネルギーが生命本体であり、変化する姿が生と死です。例えば、光の持つエネルギ―が電気エネルギーに変る時、光は死であり、電気が生です。エネルギーの姿が変っただけです。ニコラ・テスラはこのことを「存在とは、光の無限の形象の表現です。なぜならエネルギーは存在より古いからです。そしてエネルギーによって、すべての生命は()りなされたのです。これまで存在したあらゆる人間は死ぬことはありませんでした。なぜならエネルギーは永遠だからです。神とはエネルギーのことです。神とは意識を持たない生き、そして産み出し続ける力です。この存在の世界において、あるのは、唯一(ゆいいつ)、一つの状態から別の状態に移ることだけです。これがすべての秘密の回答です」と語ったと言われています。

「ひきこもり・不登校・心の不調から蘇る本」第三章15から抜粋 (2026年1月出版予定) 松岡敏勝著