喜びと安心、そして躍動し智慧にあふれた健康のリズムが、人の心の奥に律動していると釈尊は弟子たちに語りました。
塵、花、木、川、海、山、生物、人間、地球、月、太陽、星、銀河のすべては振動しリズムを奏でています。これは、量子物理学の発見であり、生命の不思議世界に接近しつつあると言われています。見えない心のリズムについては既に、2600年前ごろにインドの釈尊によって直観智され、その真意を理解した正師たち(注1)に求道、研鑽され、発展を遂げてきました。
宇宙のあらゆる存在は周波数を持ち、それぞれが固有の振動を奏でています。天にも昇る喜びの波動もあれば、地の底に沈む苦しみのリズムもあります。動物も生物も、そのかたちに応じた周波数を出しています。人は通常は平穏なリズムを奏でています。それが人間のリズムの基本であると釈尊は悟っていました。
生命の発するリズムは光の波のように四方八方の周囲に拡散されます。よい光や香りを放つ人もいれば、怒気や不快波を出す人もいます。目に見えない波ですが、周囲に波動として広がります。五感で感じられる共鳴と、感じられないものがあります。例えば、お腹の中の赤ちゃんが、母親の言葉を聞き、感情を受信しているようなものです。善も悪も共感し感染します。きれいな夕焼け空や朝焼けの振動、穏やかな言葉の持つリズム、癒される自然の波動、心惹かれるリズム、嫌な不協和音の攪乱波など、すべての生命的存在は、生命の境界(注2)に応じたリズムを奏でていると釈尊は語りました。
「あの人とは、生理的に合わない」は、その一つの例であり、その人の発するリズムを心身が受け入れられない反応です。しかし、それは固定化されたものではなく、こちらの心の境界が上がれば、生理的な回避反応も、受け入れられるようになり、その人に合わせることができるようになります。
また不登校・ひきこもる人の中には、人々の発する不愉快な波を避けるために安全空間に回避している人も少なくありません。他者や社会の持つ嫌な波動を受け入れ、適応できるようになるためには、こちらの心の世界を広げるしかありません。心の境界が低いと周囲の波動に振り回されますが、高くなると、逆に周囲や環境をリードすることができ、価値的に対処できるようなります。
釈尊のような人格の香る人のそばにいると、共感現象により、心が浄化され、人間性の高みに引き上げられていきます。逆に朱に交われば赤くなるとのことわざのように、人間性の低い人のそばにいると、そのリズムに感染し、いつしか人格が低下するようになるかもしれません。人はその境界に応じた周波数を奏で、波を出しています。人の心がわかることは大変な難事です。自分の心がわかっていないと、人の心も分からないからです。多くの人は本心を隠して生きています。心が澄んだ人は、ひとのリズムを直感で感じとり、その人の本質を知ることができ、善き波動と悪しき波動の持ち主を見わけることができるようになります。人を見分ける基準は、その人の私欲私心(松下幸之助の言葉…私欲私心が会社をつぶす)の有無をみればわかります。人格者は清廉潔白であり、正義を行うことに正直な人です。
意識とは何か、最新の脳科学も、またあらゆる科学をもってしても、意識を正確にとらえることはできていません。しかし、確実に言えることは、今、このように読んだりしていることは意識の働きよるということです。つまり意識は言語道断(言葉では説明できないもの)の世界のリズムです。比喩を使うしか表現できないようです。
光は二つの側面を持っています。それは粒子と波という二面性です。人の意識は、言葉・イメージと気分・情緒という二側面があると考えられます。言葉・イメージは固定化された物質であり粒子といえます。気分情緒は波に譬えられます。人間の意識は情緒・気分というリズムをもっていると推測でき、そこに人の心を読むことの難しさや、周波数の秘密が隠されている可能性があります。
量子力学などで、素粒子の世界や動きから周波数の一部は解析できている部分もありますが、ごく一部であり、ほとんどが未だに闇の中です。あらゆる生物、物体、人間や動物も固有の周波数を出していますが、固定的なものではなく、絶えず変化し、関係性で生起しているのが真相です。関係性で生起しているゆえに、一方が変化すれば他方も変化することになり、固定化できず、観測も分析もできないという不確定性原理(注3)が生れます。その意味では素粒子の究極の世界と意識・生命は似ているといえます。宇宙のすべての生命体は周波数によってかたちができ、その周波数も刻々と変化し生滅を繰り返し、関係性(縁起)で成り立っていると直感したのが釈尊です。
波動を高めるとか運気をあげるとか、周波数を合わせるとかいっても、宇宙、生命の真相がわからないと、どこに周波数を合わせるかさえわかりません。指標なき盲目の方向は危険です。地獄に引き込む周波数や人をだまし、不幸を誘う周波数で満ちているのがこの世界の現実です。心が濁っていると、見る目が曇り、真実が見抜けなくなり、偽物を本物と見てしまいます。結果、不幸な人生をさまようことになります。思考を磨き、選択する力、判断力を高め、想像力を広げる意識の錬磨によって健康・幸福のリズムに乗ることができるようになります。
見えない生命のリズムをあつかう、宗教やスピリチュアル系や思想・考え方の怖さはそこにあります。今、問題になっている宗教がそのよい例です。そもそもお金や営利の心がある人や団体には気を付けなくてはいけません。ユーチューブやサイトの情報も要注意です。そもそも閲覧数(利益・名誉になる)が目的のものが多く、閲覧する人の幸福など考えている人は少ないと思われます。正しい思想の人は、釈尊やその弟子たちのように、真実の探求を第一に誠実に生き、自他の救済に生きています。なぜなら真実の探求と悟りで心が喜びと充実感に満ちることを知っているからです。
生命本来のリズムの解明は宇宙すべての生命現象の解明なくしては分からない難問です。生命の真相を求めて、この地球では有史以来あらゆる聖人、賢人、物理学者、数学者、哲学者、思想家、宗教家が格闘してきました。そして到達した世界を書物や対話などで残してきました。その数は膨大であり、一生かけても探究できないと言われています。最も生命の真実に迫った人たちは四聖人(ソクラテス、孔子、イエス・キリスト、釈尊の四人を指す)と言われています。なかんずく、自らの欲と闘い、迷いの生命と格闘し悟りを得た人が釈尊です。
生命を悟ることは、知的理解では到達できないと言われています。知識は生命の一部しか理解できません。釈尊の悟りは直観智であり、生命全体で識ることでした。それは心身全体をかけた実践・修行のなかで生命浄化の果てに到達できた生命の直観智です。
欲望に染まった生命を浄化することによって、本来の純粋な自己が発するリズムにはじめて冥合が可能になります。本来の自己、つまり宇宙本来の自己のリズムは、万物を創造し育む慈悲の音律であり波であり光であり無分別の一法なのです。慈悲の修行実践者にして初めて到達できる悟りです。欧米世界やイスラム世界では、その存在を神と名付け、人間世界のはるかかなたに祭り上げてしまい、その存在の探求や思考をやめ、崇め信じることを第一義にしてしまいました。
最高のリズムに合わせて生きるためには、覚者の通った道に学び、覚者の言葉を師標(注4)にして修行実践するしかありません。言葉では表現できない不可思議な音律がもたらすリズムは覚知であり実践修得しかないからです。そのためには、正しい指標、正しい知識が必要になります。正しい知識とは、生命全体を基本にした上で、部分は部分として把握理解している知識です。逆に不幸を誘う知識は、部分をもって生命全体とする偏った知識です。実践してみて、100%の人が幸福を実感できるものこそ正しい知識の証といえます。正しい言葉は詩的で美しい響きがあります。以下は、私が読んだもので美しい響きを持つものと記憶しているものの一部です。
「論語」、万葉集などの短歌、平家物語の冒頭、法華経の寿量品、ニーチェの「ツラツゥストラはかく語りき」、マルクスの「ヘーゲル法哲学批判」、ゲーテの「ファースト」、ペスタロッチ「隠者の夕暮れ」、日蓮の「立正安国論」、ベルグソンの「創造的進化」、西田幾多郎の「善の研究」、宮沢賢治の「雨にも負けず…」や高村光太郎やタゴールやホイットマンなどの詩です。
善き知識 善き書物、善き人 善き師、よき先生に出会えることこそ 人生最高の宝であり、智慧と福徳の源泉です。それらの存在が縁となって私たちは心の境界を高め、幸福リズムに乗ることができるようになります。
(注1) 釈迦滅後1000年の間に、釈迦の教法を付属し布教した24人の正師のこと。釈尊10大弟子の一人、迦葉尊者に始まり、14代目に竜樹菩薩(ナーガールジュナ)がいます。「空」「縁起」などの深遠な生命理論が展開され、その「関係性の理論」は、量子力学の発見と近似していると言われています。
(注2) 心の境界 …中国の天台智顗(538年~597年)によると、天台は心を多面的に観念思惟し「一念三千論」の生命論を提唱しました。心の十境界(1地獄界「苦しみ」、2餓鬼界『貪り・執着する心」、3畜生界「癡か・威張る・愧じない心」、4修羅界「傲慢・嫉妬・人より優れようとする心」、5人界『平穏・平和な心」、6天界「満足・喜び」…この六つの境界は環境に左右されやすい。7声聞界(正しい知識を学び自分のものにする向学の心、向上する心)、8縁覚界(見えない世界や法則を悟る、気付き)、9菩薩界(自他ともの生命を高め慈しむ智慧の振る舞い)、10仏界(生命の真実を悟る智慧の世界)…以上の四つの境界は環境・他者を価値的にリードすることができる)。天台の境界論は、のちの仏教界に大きな影響を与えました。すべての命(衆生)は十界を有し、それらは「空」の状態で存在し、縁によって起こるという関係性理論を展開しました。心の境界は固定化されたものではなく、意識を磨き修行することで高め、変えることができると論じました。現在の量子力学は、その理論を証明しつつあると言われています。
(注3)不確定性原理…量子力学の根幹をなす概念の一つ。1927年にハイゼンベルグが提唱しました。
(注4) 覚者の言葉を師標…釈尊が弟子たちに説いた最も大事な指標の一つに「六波羅蜜」(波羅蜜とは、迷いから悟りに至り、宇宙大の生命をくみとり、そのリズムに乗るための六つ項目) の修行実践があります。六波羅蜜を正しく実践すれば、あらゆる病は治るとされています。釈尊は医王との別名があり、治せない病気はなかったと言われています。
1,「布施波羅蜜」…この実践により、自己の貪欲で人にものを与えず独り占めする心を克服することができます。具体的な実践として、お金を他者に施したり、正しい生き方や知識を人に施したり、心からの安心感を人に与え、人々の恐怖を取り除いたりすることです。これを実践すれば、執着を明らかに見ることができるようになり、依存症を治すことができるようになります。心の境界の「餓鬼界」を善の方向に転換できるようになります。
2,持戒波羅蜜‥悪を止め、善を行うこと。リズム的生命活動を破る行為を、再び人間らしい生命へ回復させる実践。これを実践すれば、反社会的行為を治すことができます。心の境界の畜生界を善の方向に転換できるようになります。
3,忍辱波羅蜜‥忍耐のこと。瞋恚(各種の怒りの煩悩を治す効果がある。) 人間の生命を高め、慈しむ菩薩行には、耐え忍んで他者を守るという努力が必要になります。これを実践すれば、アンガーをマネジメントすることができるようになります。心の境界の地獄界を善の方向に転換できるようにもなります。
4,精進波羅蜜‥喜んで慈悲を行い、いささかも怠けないことです。懈怠(人間完成に向かって努力することを怠る心)をいましめてゆきます。これを実践すれば、社会で、その道の一流になることができます。修羅界を善の方向に活かすことができるようになります。
5,禅定波羅蜜‥静慮ともいい、精神を集中して散乱させないことです。マインドフルネスは、これを重点的に実践しています。これを実践すれば、不安障害など多くの心の病を治すことができ、人間界を強化できるようになります。
6,般若波羅蜜(般若とは、智慧の意味)一切の事柄、法理に通達して明瞭ならしめる智慧の獲得を目指します。愚痴(物事の道理に暗く、因果律もわからない心)を治します。これを実践すれば、崩れない幸福郷に至ることができます。
「ひきこもり・不登校・心の不調から蘇る本」第三章18から抜粋 (2026年1月出版予定) 松岡敏勝著