「今」は生じるのでもなく、滅するのでもなく(注1) 波が上下運動するように振動し、周囲に波動しています。一つの波が海全体につながっているように、「今」の我の振動は、宇宙全体を呼吸するかのようにつながり、永遠に「今」の我は流れ続けてゆきます。膨大な過去も遠大な未来もすべて「今」にあります。「今」の苦しみは過去に原因します。未来の楽は、「今」どう生きるかで決まります。
苦を和らげる マインドフルネスが流行している
マインドフルネスの影響もあって、「今」を集中して生きるという言葉が流行っています。心理学、健康学、企業研修や教育の世界でもマインドフルネスは盛んです。テーマは「今を集中して目的に向かって評価せず生きる」ということです。実践することで、以前より集中力が増したという声は聞きます。しかし、よくよく考えてみると、「今」とは何かが、誰もわかっていませんし、説明できていません。マインドフルネスの創始者はカバット・ジン氏です。彼は日本で道元の禅を修学されたと言われています。それを基本にしてマインドフルネスを展開されました。しかし、彼は「今」を深くは掘り下げてはいません。
マインドフルネスはアメリカ流の仏教禅
禅は、不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉を大事にし、文字や言葉に頼らず瞑想し、自ら悟りの世界に入るという教えです。もともとブッダの法華経(正確には天台、最澄の法華経)を比叡山で修行した道元でしたが、法華経から離れてゆき、独自の修行をしました。自分の意識が頼りであり、指標に頼らない瞑想を中心に行いました。「今」の自分が迷いと暗闇にある場合、指標のない瞑想を行うと迷いを抜けることができなるばかりか、迷妄は増すばかりとブッダは警告していました。
ブッダは亡くなる直前に悲嘆にくれる弟子たちに「自ら(自分)と、法を頼りに生きなさい」と語ったそうです。その法はブッダが悟った生命・宇宙の真実の法であり、法華経で説かれれています。道元は主著「正法眼蔵」という書で彼の思想哲学をまとめていますが、亡くなる直前の日々は法華経の「如来神力品・にょらいじんりきほん」の一節を読誦し、住まいを「妙法蓮華経庵」と柱に書きつけていたと言われています。道元は最後は、ブッダの根本の法華経を指標にしていたと思われます。
20世紀最大の科学者も「今」を解明していない
アインシュタインは「時間はない、あるのは今だけだ。時間は物質の変化にすぎない」と言ったそうです。私たちが生きているのは「今」だけだということを彼は言いました。またニコラ・テスラは「この世で死んだ人はいません。なぜならエネルギーは不滅だからです。一つの形から別の形に移ったにすぎません」とインタビューで答えたそうです。つまり、彼は生命は永遠に「今」が続くと言いました。しかし、その「今」とは何かは説明していません。大科学者にしても、「今」は究明できなかったのです。「今」とは私たち生命のことです。「今」がわかることは、この不思議な生命がわかることと同じことです。
「今」と意識の関係…哲学者デカルトのとらえた我(われ)が「今」
「今」を感じることができるのは意識です。受信した感覚を鋭敏にし、言葉で考え、イメージし、行動に結びつける意識が「今」の入り口であり、「今」の一部分ですが、「今」の全体ではありません。デカルトの「我(われ)思う故に我あり」という言葉は、「今」考えている意識こそ、真実であるというのことです。それこそが自らの存在を確かにするものであると結論づけました。デカルトの論理的思考は、近代哲学の幕開けと言われています。「今」は意識の思考で成り立っているといっても、その意識とは何かが未だにわかっていません。わかっているのは、意識は脳を介して起きる心の現象ということだけです。
私たちの意識は1000の1も「今」をとらえていない
人間の意識できる世界はわずかです。例えば、私たちの身体を観察しても、「今」を意識できる身体感覚は1000分の1以下です。身体は無数の細胞(約46兆という説もある)で成り立ち、組織化され意識と関係なく動いています。消化器系、呼吸器系、循環器系、ホルモン、神経、脳、感覚器官などいくつもの組織化された系統があります。痛みや快という刺激が加わったとき、例えば「歯が痛い」と感じれば、その時、歯を意識します、おなかが痛くなると腹部を意識します。食べ物を食べておいしいと感じるとき、味覚を意識します。花を見て、きれいと感じた時、花を味わう心を意識します。また、心はどこからとも起こり、喜んだり、悲しんだり、落ち込んだり、落ち着いたりするなど意識と関係なく生起し流れてゆきます。意識はいつもほんの一部しか感覚したり思考したりすることができません。意識は「今」の一部しかとらえることができず、心身(生命現象)全体をとらえることはできません。
カバット・ジン氏のマインドフルネスは部分と全体のつながりを悟った
カバット・ジン氏のマインドフルネスの卓越性は意識は全体を感知できない、部分しか感覚・思考できないと見抜いたところにあります。その実践は「ボディスキャン(身体観察瞑想)」に結実されています。ボディスキャンの実践で、部分と全体の違い、さらに部分と全体のつながりを悟った点にあります。その洞察は、ストレスの低減を可能にし、心身のリフレッシュをもたらします。彼のマインドフルネスは禅の学びから始まっていますが、独自の展開になっています。その独自性が世界に広まった理由だと考えられます。カバットジン氏の本物のマインドフルネスを学びたい方は、彼の主著「マインドフルネスストレス低減法」を読み、信じて素直に実践すれば修得できます。我見にとらわれ、真意がつかめていないのにわかったように講義している人もいるからです。
「今」という意識の小波から、「今」の生命全体という大海をとらえたブッダ
「今」の意識から、生命全体を覚知した人が釈尊・ブッダです。生命の真実の法を悟った人と言われています。ブッダのことを覚者・仏と言います。この宇宙には三世に無数の仏が存在すると釈尊が表現したように、無数のブッダが存在します。「今」の瞬間の生命に脈打つ法こそ三世の諸仏・ブッダが悟った真実の法です。それを指標に「今」を生きることで、「今」の意味が分かるとブッダは語りました。「今」がわかれば、どんな苦しみも乗り越えられます。また「今」がわかれば、楽しく生きることができるとブッダは教えてくれています。
ブッダがとらえた「今」は最先端科学の素粒子理論で一部を説明できる
ブッダかとらえた「今」という生命現象に接近するためには、ブッダの悟りに接近するしかありません。ブッダの時代には文字表記はなく、すべて「如是我聞」(自分は、このようにブッダの教えを聞いた)という形で後世に伝わりました。ブッダの教えを正しく残すために、数度の経典結集が行われ、500人以上の仏弟子が、ブッダの教法を審議・精査し正しく残してきました。その教法は、インドの24人の付法蔵の正師によって1000年近くをかけて継承されてゆき、やがて中国の天台大師、日本の聖徳太子、伝教大師、日蓮聖人らに正しく伝えられてゆきます。ブッダの核心の法は、「空・くう」「12支縁起」『中観…空、仮、中の生命観」「唯識・ゆいしき」「止観・しかん」「一念三千理論」「南無妙法蓮華経」「(注2)という生命科学理論を展開してゆきます。その理論を理解すれば「今」が解明できます。それぞれが難解ですが、深層心理学をはるかに凌駕し、最先端の素粒子理論がブッダの理論(空や縁起の理論)を一部証明しつつあると言われています。
(注1) 「今」は生じるのでもなく、滅するのでもなく …ブッダ(釈尊)は法華経如来寿量品(ほけきょうにょらいじゅりょうほん)で「如来如実知見 三界之相 無有生死 若退若出…にょらいにょじつちけん さんがいしそう むうしょうじ にゃくたいにゃくしゅつ(にょらい・仏は、この世界を次のようにありのままにとらえます。生命は、ある時は有であり、また無である。また生命は、生であり、また死である。生命は顕在したり、潜在したりする)」と語りました。 生と死は生命の持つ二つの現象といい、生死不二(しょうじふに)とも言います。それが繰り返し続く、つまり生もなく死もない、一つの生命現象であるというブッダの生命に対する悟りです。
(注2)「空・くう」「12支縁起」『中観…空、仮、中の生命観」「唯識・ゆいしき」「止観・しかん」「一念三千理論」「南無妙法蓮華経」…
〇筆者の生命哲学研究歴… 広島大学総合科学部(一期生)在学中から、哲学、文学、思想、日本人の行動様式論、生と死の宗教(主としてキリスト教と仏教)、森田療法、フロイト・ユング深層心理学、認知行動療法、仏法生命哲学を研究してきました。深層心理学と仏法生命哲学研究歴は50年を超え、ここ10年は量子力学、身体科学と仏法生命科学(中心は法華経)の関係性を重点的に研究し、実践しています。修行と学びの旅は今も続いています。