(質問)自分が嫌いです。自分の顔も嫌いです。生きることが辛いです。どうすればいいですか。
回答
自分が嫌いなぐらい辛いことはありません。生きているのは自分であり、自分そのものですから…。その自分が嫌い、それは生きることが嫌いということと同じぐらい辛く苦しいことです。
よくよく考えてみると、自分が嫌いと感じているのは、あなたの意識が感知した世界のことです。その意識の向いている対象とは一体何なのでしょうか。意識はあなたの全体を感知できません。意識が感知できるのは、あなたのごく一部だけです。まず、そのことを知らなければいけません。
あなたが嫌いと感じているのは、あなたのどの部分のことなのでしょうか。顔でしょうか.体形でしょうか、暗いなどといわれる性格面でしょうか、うまく人と話せない自分でしょうか、嘘をつき内心を隠す自分でしょうか、成績が良くない自分でしょうか、運動能力の低い自分でしょうか、家庭に問題がる自分でしょうか、貧しい家に住む自分でしょうか…例を挙げればきりがありません。
しかし、これらは、あなたの属性の一部分にすぎません。あなたの全体ではありません。部分は全体ではないことを知らなければなりません。顔がよいとかよくないとかは、あなたの属性の一部分にしか過ぎないのです。一部分で全体を決めてしまっていることに気づかなければいけません。人間の真の価値は、部分の属性で決まるものではなく、全体で決まります。例えば、一人の人の苦しみもわからない国王より、貧しく地位もないけど、隣人の一人を救う人のほうが人間としての価値は高く、偉い人と言えます。
顔という一属性を例に挙げて考えてみます。確かに顔は人間にとって大事な部位です。顔の表情を見れば、その人の心情を読むことができますし、生き方そのものが顔に現れていると言われます。人相診断というものがあるほどですから。確かによい顔は好感をもたらします。そのよい顔とは一体どんな顔をいうのでしょうか。マスコミなので作られた芸能人のような顔をよい顔というのでしょうか。顔は人間の中心的な部位ですが、人間全体ではありません。あくまで一部です。
顔に対する意識は、今のあなたが感じたものにすぎません。そしてその顔を評価しているのは誰でしょう。あなたですか、それとも周囲の人ですか。よく考えてみてください。よく考えてみると、その評価は、社会の人が作った評価を周囲の人も信じ、その評価をあなたが取り入れているに過ぎないことがわかります。わかりやすくいえば、顔のよしあしを決めているのは、その時代の価値基準というものさしです。
例を挙げれば、女性の外見の美の基準は時代とともに変わっています。平安時代は、ふくよかな一重瞼の切れ長で、髪が美しい女性が美人とされました。日本は長く和服文化で、和服を着ていましたので、欧米の服装が入ってくるまでは、和服が似合う人が美人でした。現代は、欧米の影響もあり、外見のスマートさや化粧や装飾品、髪型など素材のよさより、装飾され加工された美を求める傾向にあります。その最たるものが整形です。しかし、いかに外見を飾っても心根の美しさは作れません。心根のよさは生き方が反映されるからです。女性に対する美意識も時代とともに変わっていきます。変わらないのは心根の美しさです。
真の美は調和であり、整った秩序を持ったものです。体と心の調和されたものこそ真の美です。その美は時間の変化の中でも輝きます。心に美しさを持つ人は、年齢とともに美しさを発揮してゆけます。体は時間とともに衰えてゆきますが、心は死ぬまで成長してゆくものだからです。
顔という一部分で人間全体を決めつけることの愚かさがわかったと思います。内面的な性格、能力、優しさ、思いやる心の深さ、そうしたものを持つ人の美しさは顔の美しさをはるかに凌駕します。
どんな美しい顔立ちであっても心の成長のない顔は飽きます。また風化してゆきますが、心を磨いた顔は日々輝いていきます。自分の一部を見て、他者と比較し、自分を劣ったもの、だめなものと決めつけることから、自分が嫌だという感情が生まれます。それは、あなた全体のもつ可能性に対する冒涜です。あなたには、もっもっといろいろなものがあるはずです。
あなたの体を目を閉じて想像してみてください。体には、皮膚、筋肉、骨、脳、神経、口、鼻、耳、目、食道、胃、腸、肝臓、心臓、肺、ホルモン、血液…など無数の部分(パーツ)があります。顔は皮膚の一部です。あなた全体の100分の一以下にすぎません。百分の一が劣っているからといって、全体の100を嫌うという愚かな考えに陥っています。
今の自分をありのまま受け入れ、あなた自身の全体に生きることです。あなたの全体を知ることです。そこから全ての変化が起きます。大事なことは、他人の言葉ではなく、自分が自分に投げかける言葉なのです。
もう一度繰り返します。人間の属性はたくさんあります。その属性を比較する基準も、人が作ったものさしに過ぎません。容姿以外にも、頭の良さ、学歴、性格、富、人気、家柄など、その人の持つ属性はたくさんあり、評価基準も無数にあります。評価基準は社会や人が作ったものです。容姿が人より悪くとも、他の面で人より秀でていれば、人も認め、自分も自分の容姿の悪さを受け入れることができるようになります。善いところも悪いところも、容姿の悪さも、すべて自分の一部です。
今の自分をすべて受け入れることです。あなたには気づかないあなたの良さがまだたくさんあなたの中に潜在しています。意識の方向を変えてみることです。違った自分が見えてくるはずです。人と比べることをやめ、今日の自分と明日の自分を比べる生き方に変え、自分のよさを開発してゆくことです。人と比べても本当の成長はありませんが、今の自分と未来の自分を比べ、足りないところを努力し補っていけば確実に成長してゆきます。そして人からも認められるようになっていきます。やがて自分を認めることができるようになります。その積み重ねの努力の継続が、自分は自分でよいと思える自分にしてくれるでしょう。
今の自分を全部受け入れ、多くの未知の可能性の発掘のため、常に学び向上し、意識を磨いていけば、自分の欠点なんか、気にならない日がくるでしょう。あなたには、それだけ素晴らしい力が潜在しています。その開発も、今の自分を丸ごと受け入れることから始まります。いつの日か、自分が好きになる時がくるでしょう。私もそうでした。
芝蘭の便り 第五章 質問に答えるより