相談室(ブログ)

いつも楽しく、生きる、意識の持ち方を教えます。 

2026.01.01

楽しいこと、おもしろいこと、心地よいことを求めて、私たちの心は外の世界に向いている

私たちは楽しいこと、おもしろいこと、快適なことを求めて生きています。それは苦を避け、楽に生きたいという人間本能の働きによります。お金がほしい、いい服を着たい、おいしいものを食べたい、家が欲しい、車が欲しい、旅行に行きたい、ライブに行きたい、スポーツ観戦に行きたい、ゲーム・ギャンブルをしたい、お酒を飲みたい、社会的地位を得たい、有名になりたい、人に認められたい、友達がほしい、異性がほしい、旅行に行きたい、いい高校に入りたい、いい大学に合格したい、いい会社に就職したい、平和に生きたい、きれいになりたい、健康になりたい、癒されたい、苦しみから解放されて楽になりたい、好きなことを思いっきりやりたい、幸せなりたいなど…。そのために目はいつも外を向いています。しかしそれらを得ることができたとしても、喜びは泡のように消え去り、長続きしません。多くの人は、求めるものを得ることができない苦しみを味わっています。人生は苦楽をめぐりながら進みますが、あなたはどちらを多く感じて生きていますか?

どこにいても 何をやっていても いつも楽しい境地になるために

どこにいても、どんな環境にあっても 何をやっても楽しく 自在で、面白く生きることができる、生きていることが楽しくてしかたがないという境地になることを「衆生所遊楽」(法華経)(しゅじょうしょゆうらく)と言います。私たちが人間としてこの世に誕生した目的は、その実現にあるとブッダ(注1)は説きました。そして、その実現は慈悲(注2)に生きるときに叶うと教えてくれました。

私たちは、この世に誕生したとき、わずか直径0,1ミリほどの一つの精卵細胞という微小な存在でした。それがいつの間にか40数兆個の細胞となり見事な秩序ある身体組織を形成し、50キロを超すほどの体になっています。これらの不思議な創造的な働きを生命の持つ慈悲といい、智慧といいます。この宇宙のすべては、慈悲と智慧によって産みだされたとブッダは語ります。

この世界、自然、宇宙の現象をありのままに見るためには 浄化された生命が必要

このあまりにも不思議な働きをユダヤの人たちは、人間の心の外に見い出し、神・ヤハウェと名付け、万物の創造主としました。それに対してブッダは宇宙につながる法が、わが心の中にもあると直観したのです。誰人にも内在する不思議な力であるからこそ、その法を覚知できれば、人は自力で自分の運命・宿業を変えていけると説いたのです。この世界のあらゆる言葉も思想も宗教も、すべて人間の思考から始まっています。存在する言葉、思想、宗教は人間が生み出した言葉で形成されたものであり、人間以外の産物ではありません。

(注1)ブッダ…悟りを開いた後、釈尊(しゃくそん)、仏陀と呼ばれるようになりました。ブッダは、釈尊一人を指すのではなく、過去・現在・未来という三世(さんぜ)の宇宙には無数のブッダがいるとされています。ブッダとは、生命の永遠性と無量の智慧を直感し、その智慧と慈悲の力で、多くの人々を実際に救済した人のことです。

慈悲は智慧を生み出すとブッダは説き、その智慧は甚深無量(じんじんむりょう。無量で果てしないという意味、法華経の言葉)であり、慈悲の心はすべての生物を救う大悲(たいひ)と説きました。また「慧光照無量」(えこうしょむりょう、法華経の言葉)、簡単に説明すれば、智慧の光は、宇宙の無限まで照らしゆくと説きました。生命が発する光です。

「一切衆生の異の苦は如来一人の苦」と語ったブッダ。その意(こころ)は、すべての生きとし生きるものの苦しみは、私一人の苦しみであるとして衆生救済に生涯を捧げました。その尊い慈悲の振る舞いを仏(ほとけ)と言います。仏とは奈良の大仏のような偉大な人間離れした存在ではありません。人間性の極致である、尊く美しい慈悲の振る舞いを表現した言葉です。あくまで、仏は人間であるとブッダは強調されました。そして、弟子たちに自分と同じ仏の境涯に至る道を慈悲と智慧で教えました。

歴史上にも、ブッダの悟りに限りなく接近した菩薩と言える人がたくさんいます。例を挙げると、ソクラテス、孔子、ガンジー、アインシュタイン、ニコラ・テスラなどです。ニコラ・テスラ(1856-1943,交流電圧など200以上の発明者・詩人・哲学者)は数多くの発見発明をし、人類に貢献しましたが、それ以上に彼の生涯の生きざまや振る舞いから、彼の慈悲と智慧の偉大さを私は感じます。テスラは言います。「存在とは光の無限の形象の表現です。なぜならエネルギーは存在より古いからです。そしてエネルギーによって、すべての生命は(お)りなされたのです。」エネルギーは、生命であり、混沌とした煩悩であり、光であり、智慧であり、慈悲なのです。生命の最高の表現(エネルギーの形象)は、智慧に裏打ちされた慈悲の振る舞いです。それを如来・仏と言います。(注1)終り

(注2)慈悲(じひ)…釈尊が涅槃経(ねはんぎょう)で説いた言葉です。抜苦与楽(ばっくよらく)といい、苦しみを抜き楽を与えるという意味です。生命は不思議なエネルギーの流れであり、混沌(こんとん)として過去の記憶の蓄積したもので流れています。私たちは、その流れを、快、苦、快でもない苦でもないという三つを受信し、その対象を意識で鮮明にして生きています。

動物・人間は快を求め苦を避けますが、苦は避けることができません。人の五つの感覚(視覚、聴覚、舌覚、嗅覚、触覚)の受信能力には限界があり、思い通りにならない障りが多く、意識は苦を避け、快に偏る傾向があります。快は楽や心地よさをもたらすからです。しかし、生命は快と苦の絶妙なバランスで流れていますから、その偏りや執着から苦が生まれます。慈悲は智慧の力で苦を解脱(げだつ)する力を持っていますから、苦は楽へと調整されてゆきます。それを抜苦与楽の慈悲の働きといいます。身体的いえば、恒常性機能や免疫などの自然治癒力は慈悲による身体の智慧と言えます。

自分も救い 人々も救う尊い振る舞い…慈悲に生きる人によい智慧がわく

その慈悲を支えるものこそ、無量の智慧です。慈悲の振る舞いを菩薩と呼びます。弥勒(みろく)菩薩、観音菩薩、文殊(もんじゅ)菩薩、普賢(ふげん)菩薩など、三世にはたくさんの菩薩がいます。弥勒のことを救済者・メシア(イエス・キリストはメシアと呼ばれていた)とも言います。太陽や地球は地上の生物を慈しみ育む慈悲を行じ、私たちの生命を救う菩薩の働きをしています。太陽神、水神、風神、地神、海神などの自然崇拝は、人間の素直な感謝の心から発したものでした。それを宗教心と言います。

慈悲が人間品性の最高なものであり 美しい人間性

菩薩は他者の苦に共感し慈悲に生きる人です。仏は宇宙の法を悟り、その法に生き、それを人々に教え、生きる最高の喜びを産み出す人生を教える人です。それを最高善とも言い、如来(にょらい)ともいいます。京都の三十三間堂には、たくさんの菩薩像や如来像が安置されています。それは、彼らが、人々の尊敬と憧れの対象だったからです。すべて素晴らしい素敵な人たちであり、私たちの模範であり、目標の人たちです。私たちの心の中にも潜在する素晴らしい働きなのです。(注2)終り

創造は慈悲であり 破壊は無明煩悩の働き

慈悲は美しい秩序であり、調和をもたらします。慈悲は心が産み出す人間美の芸術です。慈悲ある人は内面から、素敵な輝きを放ちます。慈悲は絶えず変化し、更新される美しさです。私たちの生命は、もともと創造性と破壊性の二面を持っていますが、破壊性を創造性に変えゆく智慧(ちえ)を秘めています。その力を慈悲(じひ)と言います。慈悲とは万物を産み出し育み慈しみ守り、苦しみを抜く大悲(たいひ)の智慧です。赤ん坊を無心(むしん)に守り(いつく)しむ母の振る舞いも慈悲です。慈悲は智慧を生みます。

人間の最も美しい品性は慈悲です。昔の日本人が愛してやまなかった観音菩薩は慈悲の体現者の象徴でした。桜の花を見て心を癒されるのは、桜の持つ慈悲の働きを私たちが感じるからです。すべての生物は、本来その慈悲の智慧力を内在しているとブッダは覚知しました。そして、それを私たちの生命に(く)み出す方法を教えてくれました。

宇宙や自然はすべて素粒子で構成され 複雑な神秘的な振動をしている

宇宙の現象はすべて、振動する素粒子の働きで成立しています。ブッダは、この宇宙の振動を覚知していました。浄化された生命で、今の振動数を悟ることができれば未来の結果が見えてきます。だからブッダは未来2000年先の法の流れを予言(大集経にまとめられている)し、それを現実に的中させています。ニコラ・テスラやアインシュタインも、宇宙の存在物はすべて振動していると明察していました。

現象を起こしている目に見えない流れをとらえる言葉として仏法生命科学は「即・そく(そく)」を使います。あくまで、言葉は比喩ですが、言葉で表現しないと他者には伝わらないからです。有名な「色即是空・しきそくぜくう(しきそくぜくう)」(般若心経(はんにゃしんぎょう)…般若は智慧という意味で目に見えない働きを指す。「色・しき」=色法=分析できる形をもったもの、人間で言えば身体。空・くう=「色・形あるもの」を支える見えない働き、人間で言えば心。その二つは、つまり一体である、その一体性を表わす言葉が「即」になります)は、この「即」を理解すれば生命の妙がわかります。即とは「妙」という不思議な目に見えない働きをするものとブッダは説きます。生命の流れは混沌とした煩悩の流れですが、慈悲に生きるとき喜びに変わります。煩悩が喜び、悟りになります。それをブッダは、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)と悟りました。菩提は悟りという意味であり、生命エネルギーの最高の振る舞い、智慧のことです。

病は (かたよ)り、執着という部分へのとらわれが産み出した一時的な不幸の現象

偏りや執着は秩序を乱し、病を招きます。過剰や不足はバランスを崩し、心身を不調にします。生命の本来の秩序を知ることが何よりも大事です。科学を信じて生きている私たちは、部分観に生きざるを得なくなっています。科学は部分の分析から法則を発見し、私たちの生活に利益をもたらすという実証を示しているからです。分析された対象は真実です。しかし、ものごとの全体をとらえてはいません。意識し分析できる世界と、意識を超えて分析不能な広大な世界の働きに目を向けることが大事になります。部分と全体のつながりを知ることが、健康になるための必須の条件です。

真の健康は慈悲に生きることにある

真の健康には、いかなる財宝や名声にも及ばない、喜びと心の躍動と調和の美があります。それは心の中に、もともと潜在する慈悲と智慧が現れたものにすぎません。これを「無上宝珠不求自得」(法華経)(…無上の宝珠は求めざるに自ずから得たり)とブッダは説きました。宇宙最高の宝が、私たちの生命にもともと存在しているということです。その宝こそ、慈悲と智慧のエネルギーなのです。慈悲は創造するエネルギーとも表現できます。その慈悲を私たちの生命に湧き出させる方法はブッダに学ぶのが一番です。自力で学び修行し、自らそこに到達するには、一生をかけても到達できないかもしれません。正しい先人の智慧に謙虚に学ぶのが早道です。正しいことが大事になります。正しくないと努力が徒労に終わるばかりか、偏りは執着を作り、不幸の原因になります。智慧と慈悲の瞑想を芝蘭の室では実践しています。具体的には、身体瞑想、自然宇宙瞑想、知恩瞑想、詩読誦瞑想の四つを行います。

コラム周波数(ここではリズムを同じ意味で使っている)…一秒間に振動する数、単位はHz(ヘルツ)、私たちの脳波は通常、シーター波(4~8Hz、まどろみ時)、アルファ波(8~13Hz、リラックス時)、ベーター波(13~30Hz、活動時)、ガンマ波(30Hz以上、緊張、興奮時)の周波数が中心になっていると言われています。癒しの周波数は、528Hzと言われ、リラックス効果やDNAの修復が期待される奇跡の周波数という学者もいます。また432Hzは、自然の周波数や宇宙の響きと呼ばれ、心を落ち着かせ、感情を穏やかにする効果があるという学者もいます。人間が耳で聞くことができる周波数の範囲は、20~2万Hzと言われ、出せる音は80~1100Hzと言われています。ちなみに蝙蝠(こうもり)は10万Hzの音が聞き分けられる音の超能力動物です。波動は振動を伝えるエネルギーです。

周波数が高いと波動も大きくなります。この宇宙で最も周波数が高い存在は、現代量子物理学の発見によると光とされ、400兆Hz(赤外線)から700~800兆Hz(紫外線)と言われ、思考や想像を超えた神がかり的な奇跡の周波数です。私たちは光で生きています。また微細(びさい)な光を体から出しています。それをバイオフォトンと学者は名付けています。生命は不思議です。

こうした不思議な生命現象をブッダは「サ・ダルマ」(妙法…漢訳)と名付けました。ブッダのいう法とは、人間の感覚では感知できませんが、確かに存在し変化を生み出す働きを言います。科学は、あるものごとや現象を理論として仮説し、それを実験・実行し、その仮説の正しさが証明され、現実に適用して効果を発するものと定義できます。ブッダの説いた仏法(生命科学理論)は、それを正しく実行すれば、慈悲と智慧が生命に流れることによって結果が出てきます。例をあげれば苦しんでいる人がブッダの仏法を正しく実践した結果、苦しみから解放される事実が百発百中ということです。それを科学と言います。仏法は正しい理論に裏打ちされた科学です。量子力学がそれを証明しつつあると言われています。

筆者の生命哲学研究歴… 広島大学総合科学部(一期生)在学中から、哲学、文学、思想、日本人の行動様式論、生と死の宗教(主としてキリスト教と仏教)、森田療法、フロイト・ユング深層心理学、認知行動療法、仏法生命哲学を研究してきました。深層心理学と仏法生命哲学研究歴は50年を超え、ここ10年は量子力学、身体科学と仏法生命科学(中心は法華経)の関係性を重点的に研究し、実践しています。修行と学びの旅は今も続いています。